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 北区の刑務所には何度か仕事の関係で来たことはあったが、特別房と呼ばれるエリアに足を踏み入れることはエリックは初めてだった。存在自体は知っているものの、社会的に影響の大きい特殊な犯罪者が収監されているだけであるため、特務監査室とは縁はないだろうと思っていた。それがまさか、自分が発端で来ることになるとは。やはり、この職場に籍を置いている以上は本当に何が起こるか分からないものだ。
 法務省管轄の施設は、そのほとんどが特務監査室の存在を特別なものとして認識している。そのため、あの身分証を提示するだけで大抵の事が出来た。昨日の今日で、何の手続きも無しに特別房へ入る事が出来てしまう辺り、妙な非現実さを感じてしまう。
 特別房のエリアは一般房とは異なり、剥き出しのコンクリートの如何にも堅く冷たい内装になっている。独房も幾つかの鉄格子越しにしか見られないが、房そのものには扉が無く、複数の鉄格子がその代わりになっている。そのため中の囚人の様子が外からでもはっきりと見ることが出来た。監視のため死角になるような場所が出来る限り除かれた作りなのだろう。
 エリックとウォレンは刑務官の案内に従い、特別房用の面会室へと通された。部屋の中央は鉄格子で分けられ、そこにそれぞれのテーブルと椅子が置かれている。出入り口は囚人と面会者で別々にあり、囚人側には既に二人の武装した刑務官がいる。どんな些細な規則違反も見逃さないという徹底した管理体制を敷いているようである。
 やがて刑務官に連れられて来たのは、囚人服を来た線の細い青年だった。カルト教団の祭司と聞いて何となく老人を想像していたエリックは意外に思った。その若さで人生の道を誤るとは。そう残念に思いつつ、自分も大概道を誤っている側だとすぐに自虐的な心境に陥る。
「おお! そこのあなた、ただならぬ気配に満ち満ちておりますよ! 何かお困り事があるのでしょう!?」
「えっ!?」
 突然とエリックの方を枷を嵌められたら両手で示し、やや演技がかった調子で声をかけてくる。ただならぬ気配とは、右手の呪いの事だろうか。しかし、
「真に受けんなよ、エリック。こいつは誰にでもこうだ。収監されてからますます酷くなってやがる。オラ、さっさと座れ」
 ウォレンは眉をひそめた表情で格子を叩いて威嚇し、青年を椅子へ座らせる。
 今のは不安を煽って自分に依存させようとする、そういう手口だったのだろう。しかし、ただのデタラメでも今のエリックの心境では冗談でも済まされない。おそらく人生で最も非科学的な要素を信じ込んでしまいそうな精神状態なのだ。
「で、何だっけ。お前が生け贄捧げてたのは、確か悪魔伯だったか?」
「悪魔王です! 名を間違えるとは、何という不信心者!」
「いや、俺は元々お前らの宗教信じてねえから。で、その悪魔王だかを崇拝してる教団はお前ら以外にいるのか?」
「私、異教徒の趨勢に興味はありませんね」
「うーん、じゃあさ、お前らの信仰する悪魔の仲間ってのはいるのか?」
「ほう、魔界の眷族達を学びたいと、そう仰るのかな!?」
「そうそう。そんな感じ」
 ウォレンとの会話を聞いていたエリックは、そのあまりの内容に頭が痛くなって来た。ウォレンもウォレンで、幾ら情報を引き出すためとは言えよくも話を合わせられるものだと感心してしまう。こういう会話に一も二も無く拒否感が出てしまうのは、自分が普通より頭が固いからなのだろう。
「で、だ。お前らのとこは呪いなんてやってんのか?」
「もちろん。偉大なる悪魔王が我ら信徒へ必要に応じて力を分け与えて下さるのです。ですから、この神力を呪いなどと下世話な呼び方をしないで頂きたいものですな」
「はいはい。んで、具体的にはそれってどんな力よ? やられてるかどうか見て分かるのか?」
「当然、私ほどになれば神力を目で見る事ができますよ」
「へー、すぐにねえ。俺には何か呪いでもかかってるか?」
「あなたは我が主に見離されておりますぞ。今すぐ改心なさい」
「悪党の王様に見離されるとか、願ったり叶ったりじゃねーか」
 二人の会話からはとても何か得られる物があるようには思えない。単なる世話話の延長、これ以上は時間の無駄ではないか。さっさと単刀直入に本題だけ切り出して、それでも無さそうなら引き上げるべきだ。
 そんな苛立ちを内心抱いてたエリックだったが、ふとした瞬間に青年と目が合った。
「おや? そちらの彼、本当に何やらお困りの様子ですねえ」
「何もありませんよ僕には」
「いえいえ、我らが主は何でもお見通しです。今こうしている間も、私には神託が―――」
 その次の瞬間だった。突然ウォレンは右腕を鉄格子の中へ入れると、青年の細い首を鷲掴みにした。青年の顔は見る見る内に赤紫色に変わり、ウォレンの腕を両手で叩きながらもがき苦しむ。
「俺がこうする事は教えてくれなかったか? 案外大した御加護じゃねえな」
「ちょ……離……か、看守さあん!」
「無駄だ。この聴取は初めから正規のもんじゃねえんだよ。ほら、あいつらは見て見ぬ振りしてるぜ」
「な、や、やめて、何が目的で……!」
「正直に話せ。お前、本当にこいつから何か見えるのか? 今言った言葉は何が目的だ?」