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 特務監査室の名前で警察からラーフの事件についての捜査資料を取り寄せる。事件は少年課の刑事が担当しているそうだが、ここまで幼い容疑者は前代未聞らしく、真犯人が別にいる線を疑っているようだった。ラーフの扱いも組織間で困窮しているらしく、今は保護監察官と共に自宅で謹慎という状況になっている。だが母親は精神的に参って実家に戻ってしまったらしく、自宅にはその二人で暮らしている。保護監察官の職務の範囲ではないと思われるが、単に貧乏くじを引かされただけなのだろう。
 エリックはマリオンと共にラーフの自宅を訪れた。東区のやや交通に不便な立地ではあったが、小さな庭もついた二階建ての立派な邸宅だった。ラーフの父親がそれなりに収入のある人物だったのだろう。
 玄関で呼び鈴を鳴らすと、中から現れたのは中年の男性だった。表情は穏やかだが、その半面どこか頼りない雰囲気がある。何となく面倒ごとを押し付けられやすいタイプなのだろうと思った。
「すみません、特務監査室の者ですが」
「はい、上から聞いております。私は担当保護監察官のカスパーです。さあ、中へどうぞ」
 カスパーに招かれ家の中へ入る。玄関から見える間取りや内装は、如何にも最近の流行りそのままという印象だった。新築の物件なのだろう。まだあまり生活感が無く、人が住んでいる気配が薄かった。
「立派な家でしょう? なんでも主人が、ああ例の入院中の方ですね、去年に購入したばかりだそうで。奥さんも綺麗好きなんでしょう、どこもかしこもきちっとしていて、かえって居心地が悪いくらいですよ」
「ラーフとはこちらで寝泊まりをされているのですか?」
「いえ、夜には自宅へ帰ります。そしてまた朝に来ていますね。食事は私が準備しています。それ以外に、掃除やら洗濯やら。子供一人分なのでさほど手間でもないですが、まるで家政婦のようでね」
 そう笑うカスパーには自虐の色はあまり感じられなかった。押し付けられた役目かも知れないが、本人はあまり苦には思っていないのかも知れない。もしくは、扱い方に慣れているのだろうか。
「では、ラーフは夜から朝にかけてはこの家に一人きりに?」
「そうなりますね。勝手に外出はしない約束はしていますから、まあ大丈夫でしょう」
 幾ら約束と言っても、単なる口約束である。守られる保証はどこにも無い。ましてや、五歳であれほどの事件を起こし続けて来た子供である。律儀に約束を守るとはとても思えない。
 リビングへ通された二人は、来客用のソファへ腰を下ろす。革張りの品の良いソファで、値段もそれなりにするだろう。買ったのは主人だろうか。非常に趣味が良い。
 カスパーはお茶を二人に準備し出してくれた。その手際の良さは、彼が先ほど自分で言ったように、こういった家事を苦にせずこなせるのだろう。
「ところで、今ラーフはどこに?」
「二階の自室です。丁度今は昼寝の時間でして」
「あ……そういえば、まだ五歳でしたね」
 それくらいの歳なら、普通に昼寝もするだろう。犯罪歴の方ばかりがクローズアップされ過ぎて、肝心の五歳児の部分に目が行かなくなっていたようだった。
「聞いておりますよ、特務監査室の事は。なんでも、いわゆるオカルト的な事を世間に知られぬように管理しているとか」
「ええ、概ねはそんな所です。ですので、他言無用に願います」
「それはもちろん。ただ私が気になったのは、そんな特務監査室に声がかかったという事は、ラーフがこれまで様々な事件を起こしたのは本当に悪霊のせいだという事になるのでしょうか? という所でして」
「それは可能性の一つとしてはあるでしょうが。あくまで調査は事実に基づいて行いますので、悪霊が実在でもしなければ悪霊の仕業にはなりませんよ」
「そうですか……いえ、私も少し気になっていましてね」
「気になる? 何かお気付きの事でもありましたか?」
「はい、実は―――」
 カスパーが一度咳払いをして話を始めようとした時だった。不意にぎしりと板の軋む大きな音が一度だけ聞こえて来る。それほど軋むような古い家ではないと思ったのだが。そう思いながらエリックが振り返ると、丁度リビングの入り口の所に一人の幼い少年が寝間着姿で立ってこちらを見ていた。
 少年はきょとんとした表情でこちらを眺めている。見知らぬ大人が二人も来ている事に驚いているのだろうか。
「こんにちは、お邪魔しています」
 エリックは試しに声をかけてみる。すると少年はバッと廊下の外へ飛び出して行ってしまった。しかしまたすぐに戻って来て、今度は体を半分だけ出しながらこちらを窺って来る。面と向かって話す事が恥ずかしいようだった。
 彼がラーフだろう。
 印象として、想像よりも遥かに普通、むしろ大人しそうな子供に見えた。無垢な表情は、まだ世の中の事が正確に分かっていない、そんな幼年期特有のものである。
 だが、既に何件もの事件を起こし児童相談所でも匙を投げかけている。そこへ例の事件の追い討ちだ。果たしてこんなあどけない少年が、父親に殺人未遂など行うのだろうか。