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 それは突然訪れた。
 早朝、仮眠を終えて画材の準備をしていると、アトリエのドアが外から乱暴に破られた。入ってきたのは制服姿の警察官達で、青年は問答無用でその場で取り押さえられた。
 この状況に、青年は遂に来るべき時が来たと察する。特にここ最近の贋作のペースは早く、それらを売りさばいているのなら大量に出回っていることに誰かしら気付いてもおかしくはない。自分に贋作を作らせていたあの老紳士は慎重な人間だと思っていたが、おそらく情報が漏れたのは部下の不手際だろう。
 観念する他ない、そう青年は覚悟を決める。取り押さえられた状況から、自分が贋作師ではないと主張するのは無理がある。脅迫されていたという言い訳は立つかも知れないが、どちらにせよ贋作で捕まった人間が絵画の世界へ入れて貰える事は絶対有り得ない。自分の画家としての人生はここで終わったのだ。
 警察署に留置され、日々取調室で様々な事を訊かれる。青年はそれら全てについて出来る限り正直に誠実に答えた。自分を食い物にしていた老紳士に義理立てする必要が無い事と、これを犯罪組織と手を切る好機にしたい思いがあったからだ。
 そして、もはや証言出来るような事も尽きた四日目の朝。青年は唐突に別の場所へ移送される。青年には手縄もなく、移送にはたった一人の若い警察官が付き添うだけだった。今度はどんな取り調べになるのか。そんな事を考えていると、青年が案内された移送先はどこかの庁舎内にある一室だった。表札を見るとそこには、特務監査室と書かれている。青年には聞き覚えの無い組織名だった。
 青年が執務室へ入った所で、案内した警察官とは別れる。ここでの用件が終われば釈放となるそうだが、青年はまずこの特務監査室というのがどんな組織なのかも分からないため、本当に釈放なのかという疑念がわいた。
「どうぞ、こちらに」
「ああ、はい……。あれ? あなたはもしかして」
 応接スペースのソファを勧められ腰を下ろした青年は、今自分に促してきた男の顔に見覚えがある事に気付いた。彼は以前、アトリエの前で中を見せて欲しいと頼んできた男だった。
「ええ、その節はどうも。私はこの特務監査室の室長補佐を務めますエリックと申します」
「もしかして、あれも捜査だったのですか?」
「いえ、今回はまずそこからのお話になります」
 エリックと名乗った男は、これまで取り調べをしてきた刑事達とは雰囲気が異なっていた。一体彼は何者で、あの時何をしていたのか。様々な疑問が浮かんだ。
「そもそもの始まりなのですが。半月程前です。北区のある交番に、一人の女性が相談に来ました。彼女の話を聞くところによると、彼女が良く知る男性がたちの悪い組織に捕まっているから助けて欲しいというものでした。ですが、彼女は何故か捕まっている男性との関係や自分自身の身分の開示を頑なに拒んだのです。それで警察官は悪戯と判断し追い返しました。しかし彼女はまた別の日に別の交番に現れ、同じ内容で助けを求めて来ましたが、身分も明かせない人間の言うことを取り合う警察官はいません。マニュアルで決まっていますからね。ちなみに、この女性に心当たりはありませんか?」
「いえ……その男性というのが私の事だとして、そもそもアトリエには一人でこもっていましたから、人との交流自体がありませんでしたよ」
「そうですか。では、話を続けます。あちこちの交番に現れる彼女の事はちょっとした噂になっていたのですが、ある時一人の警察官が興味本位で彼女の後をつけたそうなのです。彼女は丁度あなたの居たあのアトリエの中へ消えていきました。そこで話が急展開します。実はあのアトリエを所有する画商には、贋作を作って売りさばいている嫌疑がかけられていまして。これまで有力な証拠が得られず捜査が難航していたのですが、贋作を作っている者の居場所が分かった事で一気に捜査が進み、この通り主犯を始めとする一味を諸々逮捕できた訳です。そしてあなたは贋作を作っていた贋作師、そうですよね?」
 エリックの問いに青年は無言でこくりと頷く。脅迫されて仕方が無く。そんな言い訳が脳裏に浮かぶものの、口には出なかった。言い訳をした所で贋作を作った事実が消える訳ではないからだ。
「普通なら、あなたは詐欺の共犯者として起訴され、量刑もかなり重いものになるでしょう。ただ、今度は別の問題が起きていまして」
「別の問題、ですか。私に何か関係が?」
「ええ。先ほど話した、あなたが組織に捕まっていると訴え続けたあの女性。彼女が再び現れるようになったのです。それも今度は、今回の詐欺事件の捜査本部や担当検事などの関係者の元にです。彼女は普通は入って来れないような場所にまで、誰にも見つからず白昼堂々と現れるため、とても普通ではないと判断されました。そして我々が、彼女の捜査を依頼されているんですよ」
 捜査ということは、彼らも警察組織の人間なのだろうか。だがそんな風にはとても見えない。本当に今言った一連は事実なのだろうか? そう青年は訝しんだ。
「それで、彼女は今度は何を? 目的はあるんでしょうか」
「ええ。以前はあなたが捕まっている事を訴え続けた彼女は、今度はあなたの無実を訴えています。あなたは悪質な貸付を受けさせられ、脅迫を受けながら否応無しに贋作に手を染めたと、そう言っています。それが事実なら起訴内容についても事情が変わって来るのですが。それより、本当に彼女について心当たりが無いのですか? ちょっとやそっとの関係では、ここまで必死にはなりませんよ」