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 自分のために、警察や検事に対して無実を訴えてくれる女性。青年は全く心当たりが無かった。聖都に来て以来、日銭稼ぎと絵を描くことばかり続けてきてまともに人と接する機会が無く、あのアトリエで贋作を作り始めてからは外出すらほとんど出来なかったのだ。そんな自分の生活の中で、親身に接してくれるような人間関係を築くのは不可能である。
「いえ、自分には全く心当たりがありません。人違いか何かをしているんではないでしょうか?」
「我々はその女性を探しています。先日私がアトリエに来たのも、もしかしたら接触出来るのではないかとの事でして。あなたなら何か手掛かりを持っていると思ったのですが……」
「探しているのは、やはり逮捕するためですか? 私の事で警察の捜査を妨害したとか、そういう」
「少し違います。問題視しているのは、彼女のあまりに行き過ぎた神出鬼没ぶりです。これまで彼女は、警察庁や検察庁の中枢部に誰の目にも留まらず何度も入り込んでいます。卓越した侵入技術を持っている可能性、内部に協力者がいる可能性、どちらも検証されましたが、未だに侵入方法が判明していません。我々の目的は、当人からその方法を聞き出す事なんですよ」
 エリックの話に青年は、おそらく最後の言葉だけが嘘だろうと直感的に思った。重要な建物の中へ易々と入り込んだ相手を、話を聞くだけで済ませるとはとても思えない。少なくとも逮捕くらいはするだろう。
 すると、青年の胸中には唐突に、顔も知らない彼女に対して保護意識のようなものが芽生えた。どこの誰かは分からないが、少なくとも自分のためにあちこち奔走してくれたのだ。それについて感謝の気持ちはあり、せめて何か報いてやりたい、そんな心境になった。
 彼女を守るには、何が一番ベストか。しばし考えた青年は、やはりこのまま知らぬ存ぜぬで通すのが良いと判断した。下手に嘘をついて庇おうとしても、おそらく警察はすぐに見抜くだろう。その時はかえって関係を疑われ、自分の立場だけを悪くする。それならば、唯一の手掛かりと思い込んでいる自分の所で絶つだけの方が良いだろう。
「申し訳ありません、思い出そうとしてみましたが、やはりその人への心当たりはありません。本当に人違いだと思います」
「そうですか……。ありがとうございました、お時間を取らせてしまって」
 その時だった。突然、大きな足音を立てながらドアを開けて一人の男が飛び込んで来た。
「失礼! 捜査本部の者ですが、先ほど釈放された被疑者はこちらに―――ああ、良かった、間に合った!」
「どうかしたのですか?」
「あのアトリエで押収した絵画が、先ほどようやく届きまして。証拠品ですので、作者も交えて検分が必要なんです」
「そうでしたか。でしたら、こちらの用事は終わりましたので」
 どうぞ、とエリックと促される。ソファから立ち上がり、ふと、青年の脳裏にある予感が過った。
「あの、押収したのは、アトリエにある絵画の全てですか?」
「ええ、そうですよ。隈無く捜索しつくして、見付かった全ての絵画を押収しています」
 それはつまり、彼女も押収されたという事だろうか。途端に青年の顔が青ざめていく。
「待って下さい、押収するのは贋作だけで良いはずです。あの中には私の創作物が混ざっている!」
「いや、そんなの知りませんよ。それをちゃんと検証するための検分なんですから。とにかく、作者であるあなたがいないと、どれが何の贋作なのか分からないんですから。早いところ来てください」
「分かりました、すぐ向かいましょう」
 アトリエにある贋作達には一切未練は無い。だが、彼女だけは別である。有象無象の贋作と同列に扱われては堪らない。だから自分がきちんと説明し、保護してやらなけらばならない。場合によっては、今度こそキャンバスを抱えて逃げ出さなければならなくなるかも知れないだろう。その位の覚悟が必要なのだ。
「あの、すみません。我々も同行させて戴いてもよろしいでしょうか?」
 唐突にエリックは捜査本部の男にそんな事を申し出て来た。
「え、ええ。見るだけなら構わないと思いますが。何かそちらでも絵画の事件を扱っているのですか?」
「そんな所です。内容は話せませんが」
「特務監査室にはなるべく協力するようにとは言われていますが……。あくまでこちらの検証を優先させて戴きますから、それだけは御了承願いますよ」
「承知しております。捜査本部の邪魔になるような事はしませんよ」
 どうしてエリックまでが同行して来るのか。しかも彼の部下までも引き連れて。
 青年はエリックの同行を不審に感じた。そして証拠品の検証と同じ場に彼らが来るという事は、それだけ彼女を持ち出す事が難しくなるという事になる。
 彼らの真意は分からない。だが、面倒な状況になってしまった。何とか注意を逸らしで彼女を持ち出す策を考えなければ。