BACK

 捜査本部からやや離れた場所にある空き会議室が、本件の一時的な押収品の保管場所として使われていた。室内には多くのキャンバスが並べられている。数からして、アトリエだけでなく画廊や転売先など多方面から回収して来たのだろう。様々な作風の絵画がずらりと並んだ光景は、美術館や絵画展とは違う底知れない歪みを感じた。特に、よくよく見れば全く同じ絵画が幾つかあり、それが一層非現実身を引き立てている。
 年代や作風にモチーフなど、共通点の全く無い作品だが、いずれも贋作であり作者が同じである。そして作者である青年は、この歪な絵画の中を無我夢中で回っていた。警察官の検証の段取りの話も聞かず、ただ一心不乱に自分の描いた絵画を探している。悲痛な表情で絵画の海を廻る様は、まるで本物の海で溺れているような光景だった。
「あった!」
 やがて、青年は大きな歓喜の声をあげると、一枚の絵画を取り上げる。それは一人の女性の絵画だった。
「ちょっと、ちょっと! 勝手に押収品に触らないで下さい!」
 直後、担当の警察官がすぐさま青年の行動を抑える。
「どうしてですか!? これは、私が描いた創作物です! 紛れもない、私の所有物なんですよ!」
「今は違います。これは、犯罪の証拠となるかも知れない押収品です。そもそも、あなたの所有物であると証明出来ますか?」
「当たり前です! 私はここの贋作を全て一人で描いて来ましたが、この絵だけは贋作ではありません! この世でたった一つだけの作品なんです! ほら、ここに私のサインがある! このサインを書けるのが私以外にいるというなら、是非ともお目にかかりたいものだ!」
 興奮した様子の青年に気圧され、警察官は落ち着くよう青年を窘める。しかし自分の創作物を他の忌まわしい贋作達と同じに扱われた事が許せなかった青年は、一層語気を荒げた。
 そんな二人を余所に、青年に着いてきた特務監査室の四人は女性の絵画に近付いて絵を注視する。彼らの上司に当たるエリックと名乗った男は、絵を見ながら手帳の中と何度も見比べた。それはまるで何かを確かめるような仕草だった。そして一通り確認を終えたのかエリックは手帳を閉じて仕舞うと、おもむろに深いため息をついてうなだれ、頭を抱えながら絞り出すような声で呟いた。
「ああ……一致してるじゃないか。どうしてこんな非常識な事が……。いや、だからってそうと決めつけるのは。偶然という事だってある訳だし……」
 何かを嘆くような言葉だった。そして、部下の一人である背の高い女性がそんなエリックを慰めるように肩や背中をさする。続いて、体格の良い大柄な男と背の低い女の二人が絵画を眺める。二人はあまり興味は無かったのか、少し眺めるだけで終えてしまった。
「俺は絵なんて見てもちっとも分かんねーわ。で、証言と一致してるんだろ? だったらそうでいーじゃねーかもう」
「なーんだ、典型的なやつじゃん。この間も倉庫の掃除で同じの見たばっかりじゃない。まだ慣れないの? この石頭の室長補佐殿は」
「常識外の出来事に慣れる方がどうかしてますよ……。とにかく、後は本人への確認をしないと」
 エリックはうんざりと言いたげな表情を引き締め、未だ警察官に食ってかかっている青年との間に割り込んで話し掛けて来た。
「ちょっとすみません。こちらの女性の絵画ですが。タイトルは何と言いますか?」
「あ? あ、ああ、タイトル。いや、まだタイトルは付けてない。完成した時にと思ってるんだが」
「ちなみに、この女性は? モデルはいます? 名前なんかあったりしますか?」
「モデルも何もないよ。完全に自分のイメージだけさ。名前は……そうだね、つけてあげるべきだったな」
「なるほど……」
 そう答えたエリックはまた小声で、これで確定した、と呟いた。何が確定なのか、青年は疑問に思ったが、問い返しはしなかった。今はそれはさほど重要ではなかったからだ。
「すみませんが、こちらの絵画。これは、特務監査室が押収し今後管理させて戴きます。もし不服申し立てがあるのでしたら、後日書面で特務監査室まで」
 突如宣言したエリック。それと同時に三人の部下があっと言う間に女性の絵画を梱包してしまった。
「待て! 一体何の真似だ!」
 激高し飛びかかる青年。しかし大柄の男がそれをあっさりと跳ね返してしまった。
「言ったろ、文句は書面でってな。そっちも構わないよな?」
 大柄な男にじろりと睨まれ、警察官はこくこくと無言で頷く。明らかにただ者では無い強い圧力を感じる男の風貌だったが、青年は少しも躊躇いなくもう一度食ってかかった。しかしあっさりと蹴散らされ、青年は床の上に這いつくばされる。それでも青年は諦めずに立ち上がったが、腕力ではまるでかなわなかった。
「待ってくれ! 本当に、それだけは勘弁してくれ! 彼女は私の唯一の宝物なんだ!」
 青年の悲痛な訴えも四人は全く耳を貸さず、そのまま会議室を後にする。目の前で扉が閉じた瞬間、青年は自分の目の前が実際に真っ暗になっていく様を見た。それからしばらく、青年はその場から立ち上がる事が出来なかった。