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 とある朝の執務室。登庁して来たウォレンはエリックに一冊の本をおもむろに渡した。
「何です、これ? 『幻獣最前線』?」
「ほら、先週末のやつ。アイオンとかいう酔っ払いの。そいつの本をたまたま古本屋で見つけてさ。捨て値で投げ売りされてた」
 ああそんな男も居たなと思い出しながら、本の著者を確認する。確かにアイオンの名前があり、きちんと出版していたようである。
「それで、どうでした? 読んだんですよね?」
「途中で挫折した。マジで面白くねーもん。すげえぞ、これ。延々と空飛ぶライオンだの毒を吐くキリンだの、そんな話ばっかり。そういう不思議な動物と自分は対峙して、意気投合しただとか、命からがら逃げおおせたとか」
「ええ……。これ、一応はプロの編集者が判断して出してるんですよね?」
「どこの層にウケてんのかな。世の中、合理的なモンばっかりじゃないとは分かってるが、これは本当に理解できねえわ」
「特務監査室の人間が読んで面白くないって事は、よっぽどですね……」
 エリックから本を回して貰ったマリオンが、早速何ページか目を通し始める。最初こそ好奇心を引くような内容だったようだが、すぐさま目に見えて表情が曇っていく。
「このノリで、ずっと続くんですか?」
「少なくとも半分まではな。俺はそこまでしか無理だった。初めてだぜ、結末まで辿り着けなかった本は」
 流石にこの内容では、売るには相当の知恵がいるだろう。少なくとも堅物の多いセディアランド人向けに売るのは無謀である。売る相手を変えるか、出版物以外の利点を作るしかないだろう。しかし、そこまでする価値のある本だろうか。
 そしてその日も何事も起こらず定時を迎える。週末という事もあって、エリックはまたウォレンと一緒にいつものバーへと足を運んだ。二人がいつものカウンターの奥の席へ座ると、おもむろに一人の青年が隣に座ってきた。既視感のあるこの状況、まさかと思い目を向けると、座っていたのはやはりアイオンだった。
「いやあ、久し振り。先週は突然騒がせたね」
「いえ、別に大したことは。それにしても良く憶えていましたね。あんなに酔っ払っていたのに」
「言っただろう? ヴァレー族の秘薬のおかげで幾ら飲んでも酔わないって」
 確かにそんな事を言っていたが、効果は見ての通りだった。よく騙せていると思えるものだ、そうエリックは内心呆れる。
 アイオンはまた先週と同じようにウィスキーを注文し、ごくごくと浴びるように飲み始める。明らかに悪酔いする危険な飲み方である。一時期の荒れていたウォレンよりも更に酷い飲み方だ。そこまでして秘薬の話を信じ込ませたいのだろうか、そんな疑念が浮かぶ。
「丁度ね、新作の原稿が書き上がった所でさ。来月には新刊が出るんだよ。いやあ、大変だったなあ」
「そうなんですか。お疲れ様です」
「今回はね、これまでの作品とは違って読者の間口を広げたんだよ。難しい専門的な知識を要するものではなく、純粋な冒険小説風にしてね。うーん、このエピソードも我ながら刺激的だったなあ」
「はあ、色々あるんですね」
「書きたいエピソードは沢山あるんだよ。でも、それらをそのまま淡々と書いてちゃ、それはただの記録だろう? そうじゃない、私は小説家なんだ! 読み手の心を揺さぶり感動を与える、そうするだけの義務があるんだよ!」
 勝手に熱を帯びていったアイオンは、新刊の事から持論へとどんどんヒートアップしていく。別に絡みたくもないエリックは出来るだけ興味なさそうに答えていたが、アイオンは酔っ払っているせいか全く気にも止めなかった。彼はどうしても誰かに絡んで話したいようである。案外、酒が飲みたくてではなく、単純に寂しいから誰かに構って貰いたくてバーへ来ているのかも知れない。
 エリックは助けを求めるようにウォレンへ視線を向けるが、ウォレンは露骨に面倒臭そうな顔をする。そして、カウンターの奥の方を指差した。奥ではマスターが注文の料理を調理している。それが終わるまで我慢しろという事なのだろう。
「新刊の内容をね、少しだけ教えてあげよう! 実は私はね、十年ほど前にとある国で事故に遭ってね。色々あって深い井戸の中へ落ちたのだよ。するとそこは、何故か見知らぬ世界と繋がっていてね。まあ本当に驚いたもんだよ」
 井戸に落ちたのは事実としても、井戸の先にそんなものがあるはずがない。もしもそうなら、その井戸はそもそもどうやって水を汲んでいたのだという話になる。
「幸い、私達と言葉が通じてね。仮に異世界人としようか、彼らの町へ招かれて色々聞いたのだよ。文明的にはセディアランドより三世紀は遅れているが、幾つかむしろ進んでいる分野もあったりしてね。発展の定向進化とでも呼ぼうか」
 出鱈目にしてもかなり幼稚だ、そうエリックは思った。異世界人に招かれても、肝心な部分が色々という曖昧な表現で濁されている。文明もある特定の分野だけ極端に伸びるなんて事は有り得ない。文明は様々な分野の発展が作用し合って発展するものだからだ。製鉄より前に鉄の武器は産まれない。そしてそもそも定向進化の使い方が間違っている。
 昼間に少しばかり目を通した彼の著作が、読み続けられないほどつまらなかった理由を肌で実感する。話の奇抜さばかりを強調するあまり、あらゆる設定がいい加減で説得力が無い。話の穴は染みのように広がっていく。それが没入感を致命的に奪うのだ。
「そこでね、私は一つ目巨人と戦う事になったのだよ。異世界人より私の方が体力が遥かに上だからね。いやあ、手ごわかったね。ほぼ実力では同等の相手だったから」
 一つ目で人間と同じ時代に生存できた巨大生物など有り得ない。生活圏が同じならもっと前時代に衝突し、どちらかが絶滅する。それに小説家より体力が無い人間ばかりなら一次産業の発展すら困難だろう。それでは人口は増えず文明が発展しない。
 こうもまくし立てられると、もはや指摘も反論する気にもならない。バーで酔っ払いに文句を言うのは見当違いかも知れないが、ここまで厄介に思ったのは初めてだろう。
 エリックはひたすら心を殺しながら、ただじっとアイオンの独演を聞き流し続けた。