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 バーの閉店時間が迫り、エリックとウォレンは店を出た。しかし、アイオンは一度マスターに追い払って貰ったにも関わらず、またしてもどこからふらりと現れては絡み始めた。
 一体どうしたものか。このままつけられて自宅まで来られても困る。
 とにかく、エリックとウォレンは足早に繁華街の人混みの中へ入っていった。人を振り切るならば、人混みが一番だからである。
 しばらく人混みを掻き分けて進んでいった二人は、アイオンの作品解説の声が聞こえなくなったところでようやく足を止めた。
「ったく、マジでしつけーなアイツ。いい加減、ぶん殴りたくなってきた所だったぜ」
「まあ、気持ちは分かりますがね」
 後ろを注意深く確認しつつ、二人揃って悪態をついた。短気なウォレンはともかく、比較的人の良いエリックがこういう態度を見せるのは珍しい事だった。それほどまでにアイオンは酒癖が悪く絡みがしつこかった。面と向かって何度も言い聞かせようと全く聞きもしないのは、もはや単なる迷惑を通り越しているとしか言いようがない。
 流石に週末の繁華街の人混みの凄まじさには、酔っ払いの足では追っては来れなかったようである。ようやく解放されたかと溜め息しか出て来なかった。
「さてと、どっかでまた軽く飲み直すか?」
「そうですね……。さっきは全然飲んだ気もしなかったですから」
 それほど酔いたい訳ではなかったが、気晴らしが気晴らしにならなかったのでは週末の休みにも心に何か引っかかってしまう。明日は特に用事も無く、今夜は少し飲み過ぎても良いかとすらエリックは思った。
 繁華街をしばらく歩き、大通り沿いまで出て来た所で適当に目に付いた店に決める。そして早速入ろうとしたその時だった。
「ん、何だ?」
 ウォレンが暗い通りの向こう側をじっと目を凝らして見る。そしてすぐさまエリックを歩道の奥へ引っ張った。
「おい、なんか馬車が来てんぞ。しかも結構スピード出してねえかこれ」
「え、この時間帯は許可証が必要になって」
 そんな事を言っている内に、馬車の走る音がエリックの耳にもはっきりと聞こえてくる。そして薄闇の向こう側から馬車の姿が見えたと思った直後だった。馬車は凄まじいスピードで大通り側へ右折で入ろうとして来るものの、あまりの速さにバランスを崩して曲がり切れず、そのまままだ大勢の人がいる大通りの所へ滑り込むように転倒していった。
「やべえぞこれ!」
 ウォレンが叫び、エリックと共に馬車の方へ駆け寄る。馬車は車体の方の勢いがほとんど止まらなかったらしく、石畳に大きな弧を描いて横滑りし建物にぶつかって止まったようだった。その拍子に馬は切り離され、事故の衝撃で錯乱し激しくいななく。それをたまたま馬の扱いに慣れた男が近くにいたらしく、すぐになだめすかして大人しくさせた。
 現場は思わず目を覆いたくなる惨状だった。転倒した馬車が巻き込んだ建物の破片や樽の破片、通行人の持っていたらしい荷物などがあちこちに散乱し、流血がべったりと貼り付いている。喧騒と悲鳴がひっきりなしに飛び交う中、人々は右へ左へと駆け回っていた。
 猛スピードで滑り込んで来た馬車に何人かが跳ね飛ばされ、起き上がる事も出来なくなっている。意識を失っている者も少なくはないようだった。その上、止まった馬車に何人かが挟まって動けなくなっている。意識ははっきりしているものの、怪我の激痛で大きな呻き声をあげていた。
「こっちだ! 持ち上げるの手伝え!」
 事故を免れた者達が、怪我人の救助を始める。大勢の人がいる場所で起きた事故だけに、怪我人も多いが救助の人手も多かった。エリックとウォレンもすぐさま救助を手伝い始める。
 怪我で動けなくなった人達を、一時的に路地裏の方へと運んでいく。そんな中、エリックとウォレンは一人の男に目を留めた。建物に馬車がぶつかった拍子に壊れた壁材の破片が頭に当たったらしく、頭頂部から激しく出血をしている。流れる血液の勢いからして、ちょっと頭を切ったとかそんな程度ではない事は素人のエリックでも分かった。この時間では医者の手配も難しい。そうなると、助かる見込みの薄い者よりも別の怪我人を助けるべきである。命がかかっている時こそ効率的な取捨選択が必要だが、やはり目の前にしては気後れがする。
 未練を振り切り、また別の怪我人の救助へ戻ろうとしたその時、
「二人共、ちょっとここに来て隠しててくれないかな」
 突然の聞き覚えのある声。雑踏で振り切ったはずのアイオンが、いつの間にかすぐ傍に現れていた。二人は思わずぎょっとしながらも、急に何だとアイオンを問いただす。しかしアイオンはそれに構わず先ほどの重傷の男の傍らに屈み込むと、上着のポケットから小さな油紙の包みを取り出し、中から黒い丸薬を一つ摘まんだ。
「ほら、早く。これ、あまり人に見られたくないものだから」
 一体何をするつもりなのか。ともかくエリックとウォレンは同じように重傷の男の傍らに屈み込んだ。
「おい、お前。何するつもりだよ」
「いいから、ちょっと隠してて下さい。早くしないと、この人が本当に助からない」
「助からないって……って、おい! 何やってる!」
 アイオンは取り出した丸薬を重傷の男の口にねじ込んで無理やり飲ませた。意識の無い人間が飲み込めるはずもないが、そもそも怪我は薬では治らない。ましてや、出所の不明な怪しげな丸薬などどれほど効果があるものか。
「いやいや、これで大丈夫ですから。本当に」
「お前な、これ以上ふざけてると―――」
 怒り心頭のウォレンがアイオンの胸倉を掴み、今にも殴り飛ばさんばかりの勢いだった。エリックも流石にそれを止める気にはなれない。
 そんな中だった。
「ガハァッ!?」
 突然、重傷の男は大きな呼吸をすると、跳ね上がるような激しい勢いで起き上がった。