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 若い女性の大量の血。提示された条件にリアンダは背筋に冷たいものが走るのを感じた。幹部の男か、それともステラか。どちらかが何かを言おうとする呼吸を察知し、思わず反射的にそれを遮るような勢いで言葉を発した。
「その血は誰のものでも構わないんですよね?」
 自分の言葉が何か言いかけたステラに被さった事に気付く。危ないタイミングだったと冷や汗が流れ出す。
「構わないが、私としてはあまり不確実な手段は取りたくはないんだがね」
 それは暗にステラに対して血を提供しろと言っているようなものではないか。自分の直感に確信を持ったリアンダは更に反発する。
「ですが、大地と赤の党はそもそも人手が足りません。我々はジェレマイア一派への復讐という共通の目的を持った数少ない集まりのはず。決戦を前に自ら戦力を削ぐのは良い選択とは思えません。血など他人のものでも効果は変わらないのではないでしょうか」
「君は赤の他人に血を流させるつもりなのかね」
「作戦を実行すれば一人二人と言わない被害も出るでしょう。今更です。単なる通り魔や変質者の犯行に見せかけておけば、誰も不審には思わないはずです」
 リアンダは自分の理屈が苦しいという自覚があった。あからさまにステラをかばっているようにしか思われないだろう。けれど、大地と赤の党に加わったのは、そもそもステラを守るためである。その目的を妨げられるような選択肢など、どんなに苦しくとも取ることは出来ない。
「ふむ、ならば三日猶予をやろう。それまでに何とかしてみせたまえ」
「はい、必ず」
 幹部の男はリアンダの胸中を見透かしているような素振りではあったが、別段疑いを向ける事もせずリアンダに血脈を手渡した。到底騙せているとは思えないが、こちらを警戒しない事にかえって重圧を感じる。
「用件は以上だ。三日後、再びここへ来たまえ。良い成果を期待しているよ」
 そう言って幹部の男は再び暗がりの中へ紛れていった。そのままどこかへ立ち去っていったのだろうが、緊張のせいか男が闇の中へ溶けていったような錯覚に陥った。
「やれやれ……また無理難題を押し付けて来たわね」
 おそらく事情を知らなかったらしいギネビアが皮肉めいた溜め息をつく。それは場の空気を軽くしようとする精一杯の軽口なのは察しが付いた。けれど、ステラの内心は穏やかではないようだった。
「今の……私をかばったの? 私が血を提供しそうだからって」
 ぽつりとリアンダに対して問い掛けるステラ。リアンダは一言だけ肯定の返事をする。
「別に私、血を出すくらい平気なのに。だって大義のためじゃない」
「平気な量じゃないだろ。わざわざあんな言い方したんだ、ちょっと貧血で済むような量じゃ済まないに決まってる」
「だったらどうする気なの? あんた、私のために関係無い人を殺すつもりなの?」
「そっちこそ、そのつもりで大地と赤の党に入ったんじゃないのか? 俺達がこれから何をするつもりなのか、知らない訳じゃないだろ」
「私は……! 私はただ、そういう事じゃなくて……!」
 ステラが言葉を詰まらせる。少なくとも大勢の無関係の人間を殺す自覚も無しに入った訳ではないだろう。ただ、恨みの念かひたすらに強く、これまで実感が持てなかったのかも知れない。
 これ以上強く言うべきではない。リアンダは分かったとばかりにステラの肩をぽんと叩く。
「とにかく、この件は俺が何とかするから。その、お前は変に悩むなよ」
 リアンダは、ステラは危ないと思った。もし自分に覚悟が足りなかったなどと思い詰めでもしたら、間違いなくそれを否定するために無鉄砲な行動に出る。そもそも大地と赤の党に入った事も、どこまで冷静に考えての選択だったか疑わしいものがある。ステラは平素ではニヒルに振る舞っても、突然カッとなって直情的な行動を取るのだ。
「それで、この血脈だったかしら。この件は私とリアンダ君で何とかするから。ステラちゃんは休んでて」
「いえ、私がやります。ギネビアさんだって忙しいですよね」
 気遣うような口調のギネビアに対し、ステラは毅然と断った。その口調はカッとなった直情的なそれではなくむしろ冷静さが感じられた。良くは分からないが、自分の中で何かしら腹を決めたものがあるようである。
 断る事も出来る。けれど、あまり気を使い過ぎると逆にステラを追い詰める事にもなってしまう。だからここは敢えてステラの意思を尊重するべきか。
 リアンダとギネビアは一旦視線を合わせ意思を確認し頷き合う。
「分かった。じゃあ俺とステラで何とかします」
「よろしくね。もし当ても出来そうになかったら連絡してね。少しくらいは手伝えるから」
「はい、お願いします」
 これで態勢は決まった。後は幹部から突然振られたこと厄介事を何とかするだけである。
 そこでリアンダは、自分が強引に引き取った仕事の難しさと伴う事の重大さに気が付き、思わず息を飲んだ。そう、リアンダはこれからステラを守るために、全く見ず知らずの人間を殺さなければならなくなったのだ。
 果たしてステラのために自分は人を殺せるのだろうか?
 ステラは感情的になって無鉄砲をするから、冷静な自分が守ってやらなければならない。今までずっと思っていたのだか、今はむしろ自分こそが感情的になり無鉄砲な選択をしてしまったのではないか。そう悔やまずにはいられなかった。