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 リアンダの言葉に、一斉に特務監査室の面々の視線が集中する。人の視線はこれほど肌で感じるものなのかとリアンダは内心思った。
「知りたいというのであれば。その前に、あなたは我々にどんな情報が提供出来ますか?」
「グリゼルダチェアを聖都内で運び回ったのは俺です。どこに運び込んだかを知っています」
「運び込んだ数は?」
「全部で五つ。それ以上は、こちらの要求を飲んでからにして欲しい」
 室長はリアンダの様子を見て何か納得のいった素振りを見せた。信用出来る人柄と見たのか、嘘をついている様子では無いと判断したのか。何にせよ、リアンダには交渉する価値があると考え始めたようだった。
「あなたはステラの安否を知るためだけに、わざわざこんな所まで飛び込んだようですが。それだけの危険を冒す理由は何でしょうか」
「あいつが幼なじみで、見捨てられなかったからです。あいつは特務監査室を憎んで大地と赤の党に入ったが、俺は別に特務監査室へこだわりなんか無い。ただステラを無事に足抜けさせるために入っただけで、他に方法も思いつかなかった」
「大地と赤の党に対して特別な思い入れは無く、重要なのはあくまで彼女個人に対しての繋がりだと?」
「そうです。ステラさえ説得出来ればさっさと抜け出したかったくらいだった」
 リアンダは包み隠さず問われた事に対して答えた。特務監査室の彼らは、自分とはまるで人生の経験が違う。きっと下手な嘘をついた所ですぐに見透かされるだろう。だったら初めから正直に徹した方が良い。
 嘘はついていない事は直感的には感じているのだろう。特務監査室の一同は顔を合わせ小声で何やら話し合い始める。彼らが何を気にしているのか、それはリアンダにも想像がついた。嘘をついていない事が分かれば、次の問題は信用である。取り込むにしてもどこまで信用して良いのか、尺度が必要なのだ。
「あなたが正直に話してくれているのは分かりました。それでは、あなたが本当に信用するに足る確証を得たい所です。提案ですが、まずはグリゼルダチェアの場所を一つ教えて貰えませんか? 情報が事実だったら、それを持って我々はあなたを信用しましょう」
 やはりそう来るだろう。リアンダは頷く。証言の虚実と個人の信用はまた別の問題であるからだ。
「その見返りは何です?」
「あなたを、ステラに会わせましょう。それであなたも我々を信用して欲しいのです」
「それはつまり……」
「ええ、彼女は生きています。医師の話では容態も落ち着いているそうですよ」
 このタイミングで明かすのか。
 明らかに室長は食いつかざるを得ないタイミングでその情報を開示して来た。計算だとは分かっている。こちらを食いつかせるためだけの嘘かも知れない。それでもリアンダの不安はあっという間に晴れ、代わりにステラと直接会いたい思いが強くなる。焦燥感を煽るのも計算通りなのか。
「まずは一つと言った。それはつまり、信頼関係が築けたなら追加でもっと要求を上げるという事ですか」
「そうです。それだけの見返りも用意します。あなた方はまだ辛うじて起訴されるほどの罪は犯していません。その辺りを有耶無耶にも出来るという事です。二人揃って、真っ当な生活へ戻れるでしょう。あなたもそれを望んでいるのではないでしょうか?」
 違法じみた事を明言するのは大抵悪人である。もしくは、圧倒的に立場が上の場合だ。
 室長は悪人ではないが、後ろ暗い事をするのにも必要なら躊躇わないタイプの人間である。もし約束を守ってくれるのなら、これほど魅力的な提案もないだろう。大地と赤の党から抜け出し、二人揃って真っ当に生きられるのだ。特務監査室に恨みのあるステラは納得しないかも知れないが、それを説得するくらいの面倒は現状に比べれば誤差のような問題だ。そう、ステラに復讐を断念させるよりも、大地と赤の党そのものを潰して貰った方が遥かに有意義だ。
「分かりました。提案を飲みます」
「結構です。では早速、情報を一つ提供して貰えますか?」
 ステラと大地と赤の党を天秤にかけた所で、どちらが重いかなど始めから分かり切っている事だ。けれどリアンダは、機密を漏らすというこの決定的な裏切りをする事について最後まで躊躇いが消えなかった。それはおそらく、大地と赤の党にはギネビアの存在が含まれているからだろう。
「ここから一番近いのは、中央区の商業施設のグラントです。そこの家具売場の隅にあります。家具屋は一つしか無いのですぐ分かりますよ」
「なるほど。確かにあの施設は人も多く利用しますから、万が一の時の被害は相当なものになるでしょうね。では早速確認しましょうか」
「あ、その前に」
 すると、突然手を挙げて詰め寄って来たのは、小柄な方の女性だった。
「ところで〜? ちょっと疑問があるんだけどなあ」
「何でしょうか」
「アンタ、グリゼルダチェアがどういうものか分かってるわよね? どうやって運んだの? 下手したら運んでる最中に事故って死ぬかも知れないって知ってた?」
 グリゼルダチェアは、自分が消滅するほどの災害を起こして周囲をそれに巻き込む。そんな危険な家具である。それを承知で運べるのか、そういう疑問だ。
 ああ、そうか。特務監査室は本当にグリゼルダチェアの発動条件を知らないのだ。
 リアンダは、グリゼルダチェアのルールは大地と赤の党が試行錯誤の末に見つけ出したものである事を思い出す。
「自分は何も。ただ指示された所へ運び込んだだけです。直ちに危険かどうかなんて分かりません。そういう事自体、下っ端には教えて貰えませんから」
「要するに、危ない事は知ってて運んだってこと? 運が向くこと祈りつつ」
「そうです。所詮、俺もステラも日の浅い新入りですから。どんな使われ方をするのかなんて、ステラを見た通りですよ」
「ふーん。ま、こんな所にまで潜入しようとしてくるくらいだし、見た目よりも度胸はあるみたいねー」
 リアンダの返答に納得したのか、それ以上の質問はして来なかった。
 今の返答は嘘である。リアンダはグリゼルダチェアが災害を起こす条件を知っているし、安全だと確信した上で運んだのだ。それを明かさなかったのは、リアンダもまた特務監査室を全面的に信用しきってはおらず、いざという時のための切り札を一つでも残しておきたいためである。