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 リアンダは突然警察官僚に胸倉を掴み上げられた。
「決行日は明日ではなかったのか!? 貴様、やはり嘘をついていたな! このテロリストの手先め!」
「待て、そいつの上司が言ったのは俺も直に聞いている。明日と言ったのは間違い無いし、そいつは嘘も言ってない!」
「だがあれをどう説明する!? 明日のはずが実際に始まっているんじゃないのか! とにかく、先ほどの割り当てで行動する! そちらも急ぎグリゼルダチェアを処分するように!」
 リアンダを突き飛ばすように離すと、警察官僚と国家安全委員会の人間は執務室を飛び出していった。
 既に大地と赤の党はテロを決行しているのか? この事態をリアンダは未だうまく飲み込めずにいた。もしもそうなら、また新たな疑問が生まれてくるからだ。
 ギネビアは、決行日は明日だと言っていた。それは間違い無い。
 では何故、今始まっているのか。
 まさか、ギネビアは嘘を伝えたのか? しかしそれは何のために? 一日遅い嘘を伝えて何のメリットがあるのだろうか。それよりも、ギネビアに誤った情報が伝えられたと考える方が自然である。もしくは、杜撰な連絡網しか持たない事による情報の遅延だ。
「す、すみません、俺には何が何だかさっぱり……」
 ようやく口から出た声が驚くほど震えている。リアンダはこの事態にショックを隠しきれていない。
「こうなった以上、テロは決行されているものとして行動します。ただちに第三倉庫へ急行し、グリゼルダチェアの処分、並びに倉庫の安全を確保して下さい。エリック君は現場の指揮を、私は付近一帯の封鎖を手配します」
「了解しました。では出動します」
 執務室の隅にあるロッカーからそれぞれが非常用らしい装備を取り出し身に着ける。金属で補強した靴や耐火素材の手袋、小さく細かい鎖で編まれた帷子などなど、日常ではあまり見掛けないものだ。特に驚いたのが、ウォレンは大振りな軍用ナイフを数本扱っている事と、背の高い女性がサーベルを二振りも持ち出した事だ。まるでこれから戦争にでも行くかのような物々しさである。
「お前も来い! グリゼルダチェアの場所も知ってるんだろうからな!」
 準備を整え終えるや、執務室を飛び出していくついでにリアンダはウォレンに無理やり同行させられる。一同は公務用らしい大きな馬車に乗り、猛烈な勢いで北区へ向けて走らせた。これから第三倉庫へ向かいグリゼルダチェアの始末をするためである。
「さて、リアンダ。お前には先に行っておくが、第三倉庫内では勝手な行動するんじゃねえぞ。マジで死ぬかも知れないからな」
「あの、なんでそんな物々しい武器を? 身を守る装備ならともかく」
「なんだ、お前。第三倉庫がそういう場所だって知ってて運び込んだ訳じゃねえのかよ」
「いやだから、俺は上からそう指示されただけで……そういう場所って何ですか?」
 ウォレンは室長補佐の方へ視線を向ける。彼はしばし厳しい表情で考え込むが、やがて必要な事だと結論付けたのかこくりと大きく頷いた。
「いいか、第三倉庫ってのはな。特務監査室が隔離してるオカルト物の中でも一際やべー奴を隔離してる倉庫なんだよ。無差別に不特定多数の人間を殺したり、そのくせ破壊する事も出来ないような厄介なやつだ。グリゼルダチェアどころの物じゃねえんだよ」
「そんな! 直接的な害は無いけど世間には騒がれる程度のものだって俺の上司から聞いてるんだ!」
「知らねえよ、そんな事は。お前の上司が適当な調査でもしてんじゃねえのか」
 何かがおかしい。決行日が誤っていただけなら、まだ偶然でも説明出来る。しかし明らかな誤情報がもう一つとなれば、それはもう作為的なものである可能性が高くなる。問題はそれが誰の作為かだ。ギネビアなのか、ギネビアに指示をした人物なのか。だが、その答えはおそらく間もなく明らかになるだろう。もしもギネビアが誤情報を聞かされているだけならば、これから向かう第三倉庫にも担当のギネビアが居るはずがないからだ。誤情報ならギネビアも明日に決行するつもりでいるはずなのだ。
「もし……グリゼルダチェアが第三倉庫でさっきみたいな災害を起こしたらどうなります? 隔離してる危険な物も焼失したりしませんか?」
「そうなってくれりゃありがてえが、まず無理だな。そもそも、隔離してるのは倉庫の地下室だ。火災程度だったらびくともしねえ設計だ。俺達が危惧してんのは、火災じゃすまねえ事態が起こった時だ。万が一厳重な封印が解けでもしたら、隔離したそれらが表に飛び出しちまう」
「そうなったら、やはり大勢の人が?」
「人で済めばいいな。下手すると、この聖都そのものを隔離しなきゃならねえ事態も有り得る」
 まさかこの都市全体にまで及ぶような事態も有り得るなんて。
 ウォレンの言葉に衝撃を受けつつも、リアンダはにわかには信じられなかった。そもそも聖都を丸ごと封鎖しなければならないような事態がどういうものなのかも見当がつかなかった。けれど、彼らは決して冗談や過剰に深刻に捉えている訳でもないようである。それほど皆鬼気迫った様子だった。
 一体どんな物が隔離されているのか、正直なところ興味はあった。けれど、そんな気安い質問など躊躇われる雰囲気が馬車中に漂っている。
 そしてふと、この引き金を引いたのがギネビアなのかという疑問が頭を過る。ギネビアはあくまで誤った情報を上から通達されただけ、そう信じたい。けれど、故意だったとしても辻褄は合うのだ。ギネビアはあまり自分の過去や胸中を語らないが、ジェレマイア首相に恨みを持つ一人だ。だから動機がある。でもそれはギネビアが自分を信用していなかった事にもなる。
 第三倉庫にギネビアはいない。ギネビアは自分を疑ってなどいるはずがない。そうリアンダは何度も心の中で祈り続けた。