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 地下室は外からの光が一切入って来ないため、伸ばした手の先が見えないほどの暗闇に包まれていた。密閉された空間は空気の流れも最低限であるためかび臭く、歩くたびに足音が遠くまで高く響いていく。
 三人はそれぞれランタンを持って足元を照らしながら慎重に進んでいった。地下室は思っていたよりも広く、丁度二人が並んで歩けるほどだった。先頭はウォレンが一人、リアンダはエリック室長補佐とその後ろを並んで進む。
「一応訊いとくが。もしグリゼルダチェアをお前以外の誰かがこの地下に引っ張り込んでたら、それはもう災害が起こる秒読みって事でいいんだよな?」
「そうですね。と言うより、もういつ起こってもおかしくない前提でいいと思います。今日より前にグリゼルダチェアを持ち出したとしても、その時はとっくに災害が起こってるはずですから」
「……だよな、やっぱ。これ、俺らマジでやべーんじゃねえか。隔離目的で建てた地下で火事とか助からねえぞ」
「とにかく、迅速にやりましょう。まずは鎧の有無、そしてグリゼルダチェアの確保です。幸い、この地下室は物を隠すのに適した広さや複雑さはありません。時間はさほどかからないはずです」
「そう言って上手くいかないのが、俺らの仕事だよなあ」
 ウォレンの自虐的な口調は、いささか不安を煽るものだった。本人にその気はないだろうし、この状況に愚痴の一つもこぼしたくなるのは理解出来る。だがリアンダは内心ネガティブな言動はなるべく控えて欲しいと思っていた。そうでなければ、この状況に何とか食らいついている自分の自制心がどこかで折れてしまいそうだからだ。
「お前以外でグリゼルダチェアを動かすとしたら、お前の上司くらいか。前に夜中にお前を呼び出したあの女。ありゃ何者だ?」
「ギネビアさんの事は俺もあんまり知りません。ただ大地と赤の党にいるのはみんな、首相やその関係者に少なからず恨みを持った連中ですから。何かそういうのがあるのは確かなんで、むしろ触れないようにしてます」
「じゃあ、お前やあの嬢ちゃんもそうなのか」
「俺は父親が逮捕されて投獄されてます。まあクソみたいなやつなので心底どうでもいいんですけど、建て前上はその恨みって事で入りました。ステラは……本気で恨んでますね」
「誰を? 首相の坊ちゃんか?」
「……特務監査室ですよ。あいつの親父、特務監査室に裏切られて失脚したんです。だから特務監査室さえジェレマイアに寝返らなきゃって、今でも思ってます」
「ああ、あの時の事か……」
 当時と今の特務監査室は体制がほぼ異なっている。ジェレマイアが首相になった際に、不適切な活動をしていた人間は一掃されているからだ。そしてそういった連中の一部は大地と赤の党にもいる。果たしてステラはこの事を知っているのだろうか。復讐だけに目が眩み、相手を正しく認識出来ていない。そんな気がする。
「……っと。どうやら当たりらしいな」
 突然足を止めたウォレンが前方を示す。そこにはぽっかりとランタンの明かりが灯っていた。誰かが居る。こんな場所に。それを想像するだけでもぞっとする物があった。
「来てくれたのね、リアンダ君。出来れば一人で来て欲しかったけど」
 わざとらしい扇情的な話し方をするのは、微笑みながら手招きするギネビアだった。
「ギネビアさん……やっぱりあなたが」
「あら、裏切ったとかそういう話? 裏切ったのは君の方じゃないの。よりによって特務監査室となんてね」
「気付いたから、わざと嘘の決行日を俺に教えたんですよね。いつ気付いたんです?」
「きっかけは本当に偶然だったのよ。たまたま君が中央区の方へ向かっているのを見掛けてね。まさかと思って、それで呼び出したのよ。突然決行日を教えたら、また行くんじゃないかって」
「まさか尾行を?」
「そっちのお兄さんも大分焦ってたみたいね。私のこと、全然気付いてなかったみたいだもの」
 ギネビアのからかうような口調に、ウォレンは露骨に舌打ちをして見せた。
 まさか本当にギネビアが自分を疑っていたなんて。いや、実際嘘をついて裏切っていたのだから、疑っていたことを咎めるのは筋違いである。けれど、自分の事をギネビアは信じてくれていると思っていただけに、リアンダは受けたショックが大きかった。
「今の話は少しおかしいですね」
 すると、エリック室長補佐が急に話に割って入って来た。
「おかしいって何が?」
「仮に彼に不審な動向が無かったとして。どうして本当の決行日である今日を教えていないんですか? まるで初めから決行日には参加させないつもりのようですが。それはそもそももっと前から彼は信用がならないと思っていたからでは?」
 そうだ、確かにおかしい。
 エリック室長補佐に指摘され、リアンダは決行日の日程の連絡のタイミングのおかしさに気付く。昨夜、決行日は明後日と突然言われ慌てて特務監査室に来た。もし正しい決行日を伝えられても、それは明日、更に唐突な日程である。もし仲間として信用しているならば、もっと前から伝えているべきなのだ。ならば自分はエリック室長補佐の言う通りに、もっと前から疑われていた、いや元々信用自体されていなかったのだろうか?
「ギネビアさん、俺の事は信用していなかったから決行には参加させないつもりだったんですか?」
「それは誤解よ。私はね、むしろ君の事は気遣っていたつもりなの。君が実は組織には何の忠誠も誓ってなくて、ジェレマイアにも特務監査室にも恨みなんか全く持ってなくて、ただただステラちゃんが心配だからって事、ずっと前から知ってたのよ。だから決行日には参加させないで、有耶無耶のまま足抜けして貰いたかったの」
 自分の本音を話した事は無い。けれど、そこまで見透かされていたなんて。
「けど俺が裏切ったから、そんな気遣いはもう無用だと」
「ううん、それはちょっと違うかな。何て言うか、心変わり?」
「心変わり?」
「そう。君はね、私の好きだった人と同じ顔をするのよ。追い詰められて不安になって泣き出したいのをじっと堪えた時の表情、本当に素敵。昨夜呼び出した時に君の顔を見て思い出しちゃったの。疼くって言うのかしらね。それで、ギリギリまで追い詰めた時、どんな顔をするのか見たくなって」
「何を……言ってるんです? ふざけないで下さいよ!」
「ふざけてなんかないわ。君のお父さんも、本当に良い表情したのよ。突然部屋へ警察に乗り込まれて手錠をかけられた時は最高だったわ」