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 緩慢な動きで隔離部屋の奥から現れる全身鎧。中が空洞であるはずの鎧が自ら動いているというのは、実際に見てもにわかには信じがたかった。本当は中に人間が入っていて、それらしい動きをしているだけではないのか。そういう推測が頭から離れない。だが言葉では言い表せない異様な存在感だけは確かにあった。何か毒気を振り撒いているかのように、見ているだけで息苦しく居心地が悪くなる。どちらにせよ、これは外に出してはいけない存在である事は直感的に理解出来た。血塗れ伯爵の鎧というおどろおどろしい名前は冗談でもなんでもないのだ。
「ねえ、そこのうすらデカい男。命懸けでここを食い止めるですって? 笑っちゃうわね。安い命一つで止められるような事する訳ないじゃない」
 未だ隔離部屋の近くにいるギネビアは、ウォレンの話を聞いていたのかそれを差して嘲笑う。
「命を懸けるなんて、本当にできねーとでも思ってんのかよ」
「違う違う、何のためにこのナイフを持ってきたのか考えてないのかってこと」
 そう言うや否や、ギネビアは突然血塗れ伯爵の鎧へと向かっていく。そしてあのナイフを振り上げると、そのまま真っ直ぐ上から下へ切り下ろした。
「待て!」
 ウォレンが焦りの叫び声をあげるとほぼ同時に、血塗れ伯爵の鎧は綺麗に真っ二つに断たれ、遅れて幾つもの断片になって崩れ落ちていく。その様を満足そうに見たギネビアは、再び挑発的な視線をウォレンの方へ向けた。
「血塗れ伯爵の鎧は、動かなくなると別の鎧に乗り移るって……これってまさか!」
「ああ、そういう事だ!」
 ギネビアはあの何でも切ることができるナイフで、血塗れ伯爵の鎧を動けないように切った。これはつまり、取り憑いている何かが別の鎧の元へ移る条件を満たしたという事である。ギネビアの狙いは血塗れ伯爵の鎧にウォレン達を殺させる事ではなく、鎧から解放して外へ逃れさせる事だったのだ。
「道理で余裕こいてる訳だ、くそっ。だったら急いで近隣の鎧を片っ端から抑えて―――」
 その直後、隔離部屋の奥からがしゃんと金属の擦れる音が聞こえてきた。
「……どうやら近くの予備の鎧に移ったみてーだな。よし、だったら!」
 ウォレンは意を決して隔離部屋の方へ突っ込む。だが、すぐにその間にギネビアが割って入る。その手にはあのナイフも構えていた。
「元軍人にナイフ戦を挑むのかよ。いい度胸だな」
「声が震えているわよ。あら、あなた意外と良い顔するのね。何か辛い過去でもあった? そういう人間ってね、辛気くささがずっと表情に染み着いてるのよ」
 戦闘技術に長けたウォレンだが、ギネビアにはどうしても踏み込めないでいる。それは彼女のナイフが普通ではないからだ。何でも切ると言われているが、それが単純に切れ味の事を指している訳ではないのは、隔離部屋の扉や血塗れ伯爵の鎧の異様な切られ方で明白である。相手が素人でも、慎重にならざるを得ないのだ。
 隔離部屋の中から聞こえてくる金属の擦れ合う音が徐々に落ち着き、少しずつ近付いて来る。取り憑き直した鎧に定着し、再び動けるようになったのだろう。程なく隔離部屋から再び現れるはずである。
「中の鎧も全部処分しておくべきだったわね。ま、こんな状況だし仕方ないか。それに、このままここで繰り返し切っていけば、いずれ在庫も尽きて外に出て行くでしょう」
「お前、本気であれを外に出す気なんだな。どれだけ人が死ぬか分かってんのか?」
「大した数じゃないでしょう? あの通り、のんびりした動きしか出来ないんだから。それよりも特務監査室の管理責任が問われればそれでいいのよ」
「あれは鉛を大量に仕込んだ特別動き難い鎧だ。普通の軽い鎧に移られでもしたら、あんなもんじゃ済まねえぞ」
「そうなの? でも、それはそれで見てみたいわ。どうせあなた方の責任なんですから」
「……ッ! テメエは!」
 特務監査室の面子を潰す事だけにこだわり、人死にを何とも思っていない。ギネビアの狂った価値観に怒りよりも戦慄を覚える。だがそもそもそういった人間でなければ、大地と赤の党に身を投じてテロ活動に勤しむような事はしない。
 ウォレンはギネビアを取り押さえる事が出来ない。ギネビアはナイフで牽制しつつ、隔離部屋から出て来る鎧を切り捨てるだけで良い。結局、場を支配したのはギネビアである。いよいよ後が無くなればウォレンも捨て身でギネビアに挑むだろう。例え殺されると分かっていてもだ。
 リアンダは必死に考える。ウォレン一人ではどうすることも出来ない今、この状況を打破する可能性を持つのは自分だけだからだ。
 何か、方法は無いのか。
 隔離部屋から聞こえる音が外へ近付いて来る。中に鎧はあと幾つ残っているのだろうか。ギネビアにそれらを全て破壊されれば終わりである。振るだけで決する事が出来るギネビアのアドバンテージは強い。せめて何か弱点があれば良いが、おそらくそんなものはないのだろう。ギネビアは悠然と立ったまま、ウォレンと血塗れ伯爵がそれぞれ近付いて来るのを待っている。
「待っている……?」
 その時だった。不意にリアンダの脳裏にある推論が浮かび、一寸息を止めるほど熟考する。そして思い付いた作戦をそっとウォレンに囁いた。
「確かにそうかも知れねーけどな……お前、いいのか? 最悪じゃなくてもマジで死ぬぞ」
「やるしかないなら、やるしかないでしょ。少なくとも、無駄死にはしない」
「へっ、ならいいぜ。乗ってやるよ」
 確認し合った二人は、ギネビアと睨み合う姿勢から一転、部屋の左右の端まで移動する。そして二人同時に、壁沿いに前進を始めた。
「それは……何のつもり?」
「何のつもりだろうなあ?」
 二人の唐突な行動に怪訝な表情をするギネビア。ナイフをそれぞれ交互に向けながら構え様子を探るものの、二人はただ壁沿いに向かって来るだけだった。
 ナイフをかわし壁にぶつけさせ、あわよくば折ってやろうという魂胆か。しかし何でも切れるナイフなのだから、壁自体を切る事は容易い。それが狙いなら順にナイフで切り捨ててやるだけである。
「別にいいわ、一人ずつ切ってあげる。そっちから近付いてくれるならありがたいわ」
「そうかよ。じゃあどっちが先かな?」
「そんなの決まって……」
 ウォレンに問われ、ギネビアは思わず息を飲んだ。二人は同時に壁沿いに向かって来ている。通路は隔離部屋と同じだけの幅があり、ギネビアが両手を広げるよりもずっと広い。つまり、片方ずつしか切りつけられない。
 そう、ギネビアの持つナイフはあくまで触れたものしか切る事が出来ないため、ウォレンとリアンダはどちらか片方が犠牲になる覚悟で挟み撃ちを仕掛けようとしているのだ。