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 その瞬間、場の全員の時間の流れが水中に居るかのように遅延する。
 まず飛び出したのはウォレンだった。ギネビアの背中側へ飛びかかる形になり、実際ギネビアが何をしようとしているのかまでは見えない。だが何かしら予感はあったらしく、行動に迷いがなかった。
 そのウォレンに続いたのはエリックだった。エリックはリアンダを傍らに置いてウォレンと同じようにギネビアの正面側へ飛び出す。しかしエリックの突出は、同じく反応していたマリオンが次の行動を取らせるのを妨害してしまい、マリオンは小太刀を構えたまま動きが固まってしまう。
 ギネビアを指差し叫ぶルーシー。彼女はギネビアが袖口に隠し持っていたそれをいち早く見つけていた。しかし見つけた物の正体までは咄嗟には断定出来ず、抽象的に左袖の一言しか発せなかった。
 リアンダは体を動かせず、代わりに思考を巡らせる。この場合、ギネビアが持ち得る手段とは何か。それがもしも旧特務監査室時代に流出したような物であれば、何が起こるかはそれこそ想像がつかない。けれど、決して万能で使いやすいものではないことは断言出来る。そんなものがあれば、復讐に拘る以上既に使っているからだ。つまり汎用性が無く使い難いもの、それも最後に出した事からして復讐の継続が困難になるようなリスクを伴うものである。ギネビアは言った、生きることに未練は無いと。これらから導き出される答え。それは火薬、爆発物だ。都合良く特務監査室の人間だけを一網打尽に出来る物を使い渋るはずはなく、自分諸共吹き飛ばすようなオカルト物があったとしても使う理由はない。オカルト物とは、代わりが利かないからこそ価値があるのだ。
 ギネビアは左袖から取り出したのは、一本の長い紐だった。それが袖の奥の方から延びているらしく、ギネビアは紐の端に結ばれた指輪ほどのリングを右手に持ち素早く引っ張る。
「止めろ!」
 だが、引っ張る右手は途中で背後からウォレンに抑えられた。しっかりとウォレンに掴まれたギネビアの右手は動かしようがなく、紐はそこで止まる。
 紐を見たエリックは、そこでおおよその見当が付いた。すかさずギネビアの左手を抑え、左手を引いて紐が抜かれる事を食い止める。
「マリオン!」
 エリックが叫ぶ。直後、マリオンはエリックの意図を把握する。両手をそれぞれ抑えられたギネビア、その手と手の僅かな間には一本の紐がピンと張っている。マリオンはたった二歩の踏み込みの間に精神を研ぎ澄まし、その紐へ狙いを定める。
 まずい、と思ったのはウォレンだった。この紐は間違い無く起爆装置である。引き抜けば体のどこかに仕込んだ爆薬が爆発するのだろう。その紐を改めて見ると、明らかに普通の紐ではなかった。針金を幾本も寄り合わせて編んだ、細くとも堅く柔らかい紐である。特別な仕掛けの際、いざという時に紐が切れてしくじらないよう金属の糸を使うのは珍しい事ではなかった。そしてそもそもまずいと思った理由は、マリオンが紐を切る事に失敗し、切りつけた勢いで紐が引き抜かれてしまうのではという事だ。ウォレンとエリックがギネビアの腕を抑えたのは、それほどギリギリのタイミングだったのだ。
 集中したマリオンは何も聞こえず止まれない。これは万事休すか。そう覚悟を決めた後だった。
 キンッと甲高く小さな音が一つ聞こえる。ギネビアの両腕が弾けるように左右に開かれ、その勢いで三人は後ろへ倒れ込んだ。
「マリオン! 紐は!?」
「切りました! 爆薬も確保します!」
 既にマリオンはギネビアの服を捲り、爆発物の現物を押さえにかかっていた。見るとギネビアの両手にはそれぞれあの紐があった。間違い無く金属で編まれた紐であるが、二つに切り分けられている。
「お前……マジでこれ切ったの? ってか、普通切れんのかよ。専用のカッターで切るようなものなのに」
「これなら、うちの剣術道場では時々試し斬りでやってましたよ? 中伝の人達はみんな出来ますし。私も流石に人間が持っているのは初めてでしたけど」
「はー、すげーなマジで」
 呆れ気味の口調ではあったが、ウォレンは心底安堵した。今日は想定外の事態ばかりで散々苦しめられたが、最後の最後にこんな想定外が起こるとは思いも寄らなかった。
「ありました、これです。外しましたからもう安心ですよ。でもその前に」
 マリオンは徐に小太刀を振り上げると、柄頭の部分でギネビアの額を強打した。鈍く重い音が響いた次の瞬間にはギネビアはその場に失神した。
「お、おい、ちょっと酷くないか? 俺ならもっと楽に失神させられるぞ。こう、頸動脈を軽く絞めて」
「あ、すみません。つい慣れたやり方をしてしまって。まずかったですか?」
「まあ、状況が状況だから。確保の際の不可抗力って事で僕から報告しておくよ」
 エリック室長補佐は安堵の溜め息混じりに頷いた。どの道、ギネビアは完全に投降はしない。こうでもして物理的に抵抗を出来なくしなければ、また新たな被害を被る事にもなりかねないのだ。
「そうだ、リアンダ君! 無事かい!?」
「……まあ、まだ何とか」
 エリック室長補佐の問い掛けに、リアンダは消え入りそうなほどか細い声で返答する。まだ意識は失っていないが、本当に限界寸前の所で何とか生きているという様相だった。
「さあ、まだのんびりは出来ません。後始末に入ります。ウォレンさんは、怪我も酷いところすみませんが、もう少しだけ封鎖して下さい。あれを破壊せず制圧出来るのはウォレンさんしかいませんから」
「へっ、丁度体もあったまって痛みが消えて来た所だぜ。余裕だっての」
「僕は彼を近くの病院へ運びます。マリオンは彼女の護送を。ルーシーさんは倉庫の緊急封鎖の段取りをお願いします」
 今し方死にかけたとは思えないほど、エリック室長補佐はてきぱきと皆へ指示を出す。彼の指示には皆が従うのは、それだけ信頼と実績があるからなのだろう。失血でぼんやりする頭でリアンダはそんな事を思った。
 これで本当に終わった。けれど安堵よりも落胆の方がリアンダには大きかった。結局、ギネビアを説得する事は出来なかった。重罪犯である彼女の身柄は今後厳重に管理され、仲間であった自分が接触出来る機会は無いだろう。自分は一生説得する機会を失ってしまったのだ。
 今、言えるだけの言葉は伝えた。その言葉がいつかギネビアの歪みを改めるきっかけになってくれれば。ギネビアも本来の理知的な姿へ戻ってくれるかも知れない。薄れゆく意識の中でそうリアンダはひたすら願った。