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 ウェイザックがこの第三砦に着任したのはおよそ半年ほど前の事である。階級は伍長、まだ若くいずれは尉官以上にまで出世するだろうという経歴の持ち主である。
 そんな彼が脱走したのが今から十日程前。彼の部下が点呼に現れない彼を探し寝床へやって来たところ、既に姿はなかったそうだ。支給された装備品はそのままに幾つかの私物が無くなっていた状況から、彼は脱走したものと見なされたのである。
 最前線の砦であるため、下士官に個室が与えられる程の余裕は無い。ウェイザックの寝ていたというベッドもすっかり片付けられて今は別の兵士が使っていた。その代わり、彼が私物を収めていたロッカーはまだそのままになっているという事で、エクス達は手掛かりを求めそのロッカーを調べる事にした。
 まずロッカーの中から残っている荷物を全て取り出す。あったのはほとんどが軍服や装備品といった支給品ばかりだった。残っている私物はどこにでもありそうな生活消耗品くらいで写真や日記のような記録物は無く、ウェイザックがどうして脱走したのかを突き止める手掛かりになりそうなものは見つからない。
「彼は日記はつけないタイプだったのかな?」
「部下の話では、毎日寝る前につけてたらしいよ。写真は無いって。なんか家族のいない身の上らしいから」
「危険な最前線に来るくらいだからね……」
 自分が死んで困る家族がいないのなら、脱走しても誰も困らないと考えていたのだろうか。そんな心情を、エクスは少しばかり理解出来ると思った。
「他に残ってるのはこの財布くらいか……。財布を置いていったのは、うっかりしていたからか? それとも、もうお金は必要無いから?」
 その財布に入っていたのは決して高くはない金額である。伍長の給料はそれほど高くはないのか、単に無駄遣いせず貯金をしているのか。何にせよ、この残された財布の存在がどこかウェイザックの決意の固さを表しているような気がしてならなかった。
「あれ? 上着の内ポケットに何か入ってる」
 そう言ってドロラータが取り出して見せたのは一冊の手帳だった。それも支給品らしく、軍の紋章がでかでかと表紙に記載されている。
「中は……うーん、何も書いてないなあ。真新しいし、そもそも使ってなかったのかもね」
「そうか……せめて行き先の手掛かりくらいあれば良かったんだが」
 そもそもここは既に軍の人間が一度調べた後なのである。今更新たな証拠が出て来るはずもないだろう。
 やはり空振りに終わってしまった。そう思い、調査を切り上げようとしたその時だった。
「あれ? このページ、なんか破られてるね」
 そう言ってドロラータは手帳を広げて見せてきた。確かに彼女の言う通り、真新しい手帳のそこのページだけ、手で破られたような端切れが残っている。
「何か書いてあったんだろうか? 破ったのは本人?」
「でもさ、どの道破られてるんだし何が書いてるのか分からないんじゃないの?」
「ん、分かるよ幾らか」
 ドロラータが手帳を眺めながら断言する。
「本当に? え、破られたページを直す魔法とかあるの?」
「そんな都合良い物はないよ。ほら、何か書くもの出して」
 手帳を見ながらドロラータが催促する。そこでレスティンは私物の手帳を取り出すと、鉛筆をドロラータに持たせて自分は手帳の白紙ページを広げて構える。
「残留した念みたいなのを読み取って書き出す、まあ凄い古くて原始的な魔法があってね。神秘主義時代の魔法はオカルト半々の胡散臭いものばっかりなんだけどさ、割と今でも使えるのもあるの」
 すると集中し始めたドロラータの目が薄い緑色に輝き始める。左手はウェイザックの手帳を持ち、右手で鉛筆を動かしレスティンの持つ手帳に凄まじい速さで書き出していく。ドロラータは全く右手の方を見てはおらず、まるで右だけが別の生き物のように動いていた。
「ふー、よし終わり。それで、なんて書いてた?」
 右手を止めたドロラータが早速レスティンの手帳を取って確かめ始める。皆も脇から書き出した内容を確かめる。
「これは……なんか地図を手書きで写してたっぽいね。どこだろ、これ」
「正しい順路というのも気になりますね。まるで何か魔法的な仕掛けのあるところの説明のような」
 ウェイザックは何らかの経路からこの情報を目にし手帳へ書き写した。そしてこのページだけを手にして脱走したという事になる。ならばこれがウェイザックの向かった先なのだろうか。本当にそうだとしたら、ここに向かえば彼の居所を突き止める事が出来るかもしれない。
 これはかなり価値のある需要な手掛かりである。しかし同時に、この場所は一体何なのかという疑問が生まれる。分別のある大人に脱走を決断させるほどの何かがあるのだ。どう考えても普通であるはずがない。