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 剣を貫く鋭い刺突がエクスの額を捉える。エクスの頭はその衝撃で一度激しく後ろへのけぞった。
 やられた! 負けた!
 レスティンは悲鳴よりも何よりも、まずその言葉が脳裏を駆け抜けた。そしていざ声をかけようとしても喉が塞がって声が出なかった。
 エクスの死のイメージが鮮明に浮かぶ。頭を貫かれたエクスはこのまま後ろへ崩れて落ちていき―――。
「ぬん!」
 しかし、エクスは気合いの掛け声と共に足を踏ん張ると、鉄心でも入っているかのような体幹で強引に姿勢を戻す。その様に魔族側の三人が驚きで息を飲んだのが伝わった。
「隙あり!」
 エクスが斜めに切り上げると、これまで巧みにかわしていたはずのザラマドラはあっさりそれを食らい、背後へ弾き飛ばされた。同時に穴だらけだったエクスの剣は真っ二つに折れ、ザラマドラの兜が脱げ落ちる。
「なっ、馬鹿な……生身の頭だぞ!?」
 上体を起こしながら叫ぶザラマドラ。その魔族特有の人間とはやや異なる色素を持った顔は、驚愕の一色に染まっていた。いや、この場のエクス以外の人間が同じ顔をしているだろう。
 エクスの額からはぼたぼたと鮮血が流れ落ちている。間違いなくザラマドラの刺突はそこに受けたようだが、一度拭うと既に出血の勢いは収まり始めていた。
「これが創世の女神の御加護だ!」
 そう勢い良く宣言するエクス。当然、その言葉に納得する者はいない。
「加護って……あれ本当?」
 レスティンは困惑したまま傍らのドロラータとシェリッサに訊ねる。
「いえ……その、教典にある創世の女神の加護とは、こういう直接的なものでは……」
「防御魔法も使った気配はなかったし……あれ? 当たってたよね、がっつり」
 二人もこの事態が飲み込めておらず、まともな回答は出来ない。では何故エクスは無事だったのか。それは、単にエクスが異常に頑丈だったとしか言いようが無い。
「さあ、続きだ! 故あって、今度は素手でお相手しよう!」
 エクスは折れた剣を捨て素手で構える。それは明らかに素人が喧嘩をする時の格好で、レスティンは今更エクスに素手での戦い方を教えていなかった事を思い出した。
 ザラマドラは立ち上がり刺突剣を構える。が、すぐに何か思い直すと剣を鞘に納めてしまった。
「あれで仕留め切れないなら、私にはお前を倒す術は無い。なるほど、兄も負ける訳だ……」
 そう言ってザラマドラが左手を上げると、後ろに控えていた三人の魔族が自ら兜を脱いで素顔を露わにする。いずれも造形こそ人間と変わらないが、色素は幾分違いがある。この仕草は自分達にもう敵意は無い事を示しているのだろうか。そう思っているとザラマドラはエクスの前に歩み寄って片膝を着いた。
「私の負けだ。これまでの非礼を詫びよう。この場は私の首で収めて欲しい」
 ザラマドラが敗北を認めた。しかしレスティンは、ザラマドラがあっさり敗北を認めた事が不思議でならなかった。ただ技の一つが通じなかっただけで、まだ彼は戦えるはず。むしろエクスの剣を折った事で有利になったはずなのに。理由はどうあれ、勝手に負けを認めてくれるというのなら儲けものだが。
「何故だ? 君はまだまだ戦えるはずだろう?」
「兄が敗れた剣術で勝たねば意味が無い。そして、自分の剣では勝てない事が分かった。これ以上は無意味だ」
「だが、殺せというのは断る。決闘を死ぬ理由に使わないで欲しい」
 エクスの指摘が図星だったのか、ザラマドラがびくりと震える。
「決闘とはそういうものだ。どちらかが死んで決着する。勝者が敗者の命を奪うのは義務だ」
「勝敗が決するほど戦ってはいないぞ。君はまだ戦えるはずだ。俺は知っている。魔族の人は生まれながらにみんな魔力が強いそうじゃないか。君だって貴族なら強い魔法も沢山知っているだろう? 素手の相手に気が引けるのなら魔法で戦えばいい。俺だって少しは魔法が使える。それで対等だ」
「あくまで剣での決闘でなければ意味が無い。兄もそうだったはずだ」
「それは彼が最も得意とするのが剣術だったからだ。だから俺達は剣で文字通り死ぬまで戦った。少なくとも彼は、自分から負けを認めるような事はしなかったぞ」
 本当はザラマドラは魔法を得意とし、実はもっと強力な魔法も使えたと言うのか。それを使わなかったのは、あくまで剣での決闘にこだわりたかったから、あまりに剣術から逸脱した魔法は使いたくなかったからで、兄と同じ条件でエクスに勝たねば意味が無いと思っているのだろう。
 魔族というのはそんなに誇り高いものなのか。今までレスティンは魔族を邪悪で情など無い冷酷な生き物と思っていたが、実際は人間と同じように誇りの概念を持ち合わせている事に驚きを隠せなかった。
「君が手段を選ばず死ぬまで戦うというなら幾らでも付き合おう! だが、死ぬ事が目的ならそれは手伝えない。俺は無益な殺生をしたくないし、戦意を失った今の君を殺す理由もない」
「……知っているぞ。勇者エクスが義勇兵として志願したのは、魔族の軍勢に故郷を焼かれたからだと。ならば魔族は憎い存在であるはずだ。魔族というだけで殺す理由にはなるはずだ」
「別に全ての魔族が憎い訳ではないぞ。俺は世界から戦争の火種を消したいだけだ。そういう意味では、魔王には恨みもあった。俺が戦える力を持っていることに気付いた時、復讐を考えなかった訳ではなかった。魔王を倒すまでの戦いの日々、その中で復讐のためにそれを奮わなかったと言えば嘘になる。でも今は、ただ平和のために戦いたい。ただの感情論で血は流したくない。だから今日は、君が剣を収めてくれるなら、大人しく退いてくれるなら、それで十分だ」
 魔族というだけで殺す理由にはならない。魔王を討った勇者らしからぬ主張である。人類と魔族は今も敵対している。魔族の戦士など、一人でも多く殺した方が良いに決まっている。それだけ人類側が勝ちに近付くと言うのに。
「ザラマドラ様! どうか……!」
「そうです!」
「今一度、再考を!」
 ほとんど同時に声を上げたのは、意外にもあの三人の魔族だった。それぞれ焦りや懇願の表情をしている。それがまたしてもレスティンを驚き困惑させた。三人はザラマドラを憂いている。魔族の上下関係などもっとドライなものだと思っていたのだが。
 三人の声を背中越しに聞くザラマドラは目を閉じうなだれ、長々と葛藤する。そして一度地面を力任せに殴りつけると、勢い良く立ち上がった。
「降参だ。お前には完敗だ。私は敗者らしく勝者の言う事に従おう」
「そうか、分かってくれたか!」
 エクスは輝くような笑顔を浮かべ、強引にザラマドラの手を取って力強い握手をする。だがすぐに振り解かれ、馴れ馴れしいとばかりに突き飛ばされた。それでもエクスは笑顔のままだった。決闘が穏便に収まった事を、純粋に心から喜んでいるようだった。
 ザラマドラ達は一言素っ気ない別れの言葉を残すと、魔法で作り出した光の円陣の中へ消えていった。噂には聞いたことのある人類がまだ知らない魔族特有の魔法、これが転送魔法なのだろう。
「さて、街へ戻るとしようか! おっと、ついでに剣もどうにかしないと。せっかく賜った剣だったが、案外脆かったな!」
 事も無げに笑うエクス。そのあまりの呑気さと豪胆さに、レスティンだけでなく三人共つい釣られて笑い出してしまった。
 エクスには平然と綺麗事を吐く神経が備わっている。それを産まれ持った強さが強引にも実現させてしまう。だから悩みもなく、葛藤も迷いも無い。それでこんなに明るく笑えるのだろう。レスティンはそれが羨ましく思った。父親のために、自分はエクスと結婚しなければならない。それが良い事なのか正しい事なのか、未だに疑問が絶えず苦しく思うことすらある。もしエクスが同じような状況下に置かれても、きっとこんな風に笑っていられるのだろう。彼はどんな困難も困難だと思わないかも知れない。
 だけど。
 エクスは気付いているだろうか。
 エクスは言った。自分は全ての魔族が憎い訳じゃないと。だが、魔族でさえ継戦派と和平派に分かれているのに対し、連合軍は一時的な停戦こそすれど最終的には魔族の根絶やしを目指している。つまり連合軍という括りでは、人類は全ての魔族を憎んでいるのだ。
 いつか必ず、エクスの理想は現実と衝突する。その時彼は一体どんな選択をするのだろうか。