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 シェリッサが神殿へ呼ばれたのは、機密を受けて司祭に任じられた時以来のことだった。王都サンプソムの全ての教区を束ねる主教トラヴィン。神殿は主教の活動拠点でもあったが、今や司祭という立場で日々職務に奔走するシェリッサはかえって訪問する用事の無い場所である。トラヴィン主教はシェリッサの恩師でもあり、叙聖した人物でもあった。機密以来全く顔も合わせる事が無かっただけに、シェリッサは懐かしさで胸を一杯にさせながら主教の私室へとやってきた。
「失礼いたします、主教。シェリッサでごさいます。大変ご無沙汰しております」
 主教の部屋は最後に見た時と何も変わっていなかった。最低限の家具、何かしらで貰って来る調度品代わりの記念像や絵画の無作為な並び、そして部屋のほとんどを占める神秘学の本や資料の山。かつては自分もここに埋もれ日々神秘学に傾倒していたことを懐かしむ。
「おお、良く来たねシェリッサ。本当に久し振りだ。元気だったかい?」
「主教もお変わりなく。あら、そちらの方は?」
 部屋には主教の他にもう一人、あまり面識の無い人物の姿があった。黒い厚手のローブを身にまといフードを深めにかぶっているため、人相はあまりよく見えない。ただ腰の曲がった姿勢からそれなりに年齢を重ねた人物のようだった。
「そう言えば、君は初対面だったね。彼は教会で最古参の星読みだよ」
 星読みの占い師の話はシェリッサも良く知っている。天体を初めとするあらゆる万物の流れから様々な事象の未来を読み取る事が出来る、創世の女神に特別な力を与えられた者の事である。近年星読みの出来る人物は減る一方で、星読みそのものが途絶えてしまう事が危惧されている。シェリッサも星読みと会ったのはこれが初めてのことだ。
「実はね、星読みからとても重要な相が現れたのだよ」
「重要な相、ですか」
「君は勇者エクスの事を知っているかね?」
「ええ、それはもう。王宮ではいつもその話題ですから」
 シェリッサが神秘学に非常に長けている事は一部で有名であり、時折王宮に臨時講師として招かれ、止ん事無き身分の方々へ師事する事もあった。その際に勇者エクスの噂は必ずと言って良いほど聞かされるのだ。
「このたび、エクスはアリスタン王朝より正式に勇者の称号を授与される。名実共に勇者となる訳だ。そこで勇者について星読みをしてみたのだが。シェリッサ、お主の相が出たのだよ」
「私のですか?」
 そうシェリッサは普段のおっとりとした調子で小首を傾げる。だがその時だった。
「そう、お主の宿星は土星! それ即ち、大いなる繁栄と豊穣なり!」
 突然星読みが声を張り上げる。
「星は歌っている! これより土星は若き綺羅星と重なると! これこそ正しき信仰の光が人の闇を照らす兆しとなるであろう! かつて無い大いなる繁栄の前兆!」
「は、はあ……」
 シェリッサはやや困り顔で曖昧な返事をする。言葉よりも星読みの強烈な迫力に気圧されたといった様子だった。
「まあ要約するとだ……シェリッサ、君は勇者の伴侶となるのだよ」
「伴侶とは……え、私がですか?」
「そう。君の存在は間違い無く、今後の勇者にとって良い方向へ作用するのじゃ。二人は何者にも侵されない幸福に包まれ、そしてそれは我が聖霊正教会にとっても繁栄をもたらし、ひいては世界中の信徒へ希望を与える事になるであろう」
「ですが、いきなり結婚と申されましても……」
 流石のシェリッサもあまりに唐突な展開な困惑する。勇者エクスのような有名人、それも全く面識のない相手と結婚する事になるという星読みが出るなど想像もしなかった事である。
「私、エクス様のことは何も存じ上げませんし……。エクス様もいきなりそのような事を聞かされても、私の事をどう思うか……」
「ホッホッホ、心配はいらんよ。君は間違い無く勇者殿に気に入られよう。なんせ史上最年少にして初の女性司祭という才人、温和で懐が広く癒し系、そして母性愛を感じさせるそのスタイル、若い男ならばもうそれはあっという間にぞっこん間違い無しじゃ。シェリッサよ、君は自分の魅力にもっと自信を持ちなさい」
 そう勧められた所で、結婚どうこうというのはすぐに決断出来る事では無い。そもそも、結婚とはどちらかが一方的に決めるものではないのだ。それがまるで当然のように決めて話を進めるなんて。星読みの読む未来は絶対である。だが自分が勇者の伴侶になるなど俄には信じ難い事実だ。
「エクスとの顔合わせの場はちゃんと用意しておこう。とにかく、まずは会ってみなさい。きっと運命を実感するじゃろうて。さすれば腹も決まろう」
「恐れる事はないぞ、若き司祭よ! 星のお告げは絶対! 万物万人は必ず運命に流転するものじゃ!」
 恩師である主教と稀少な星読みに言われた以上、断る事は出来ない。シェリッサは納得しきってはいないが、とにかく頷くしかなかった。
 面識のない勇者エクスとの結婚が、果たして本当に幸福や教会の繁栄に繋がるのだろうか。そもそも、聖霊正教会の司祭は生涯独身である事が条件となっている。即ち、エクスと結婚するということは、苦労してようやく手にした司祭を諦めるという事だ。自らの信仰を裏切るにも等しい選択に、果たして幸福など結び付くのだろうか。