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 その日は丸々休日に当てるという事になり、一行はそれぞれ自由に過ごしていた。エクスは一人郊外へ体を動かしに、レスティンは街へ買い物へ繰り出し、ドロラータは寝室に籠もったまま惰眠を貪っている。シェリッサは宿の部屋で手紙を書いていた。それは王都サンプソムのトラヴィン主教に宛てた、自分の近況を綴ったものだった。そしてその近況には自らに与えられた命令の進捗も含まれている。シェリッサは丁度その部分について書くところで、すっかり手が止まってしまっていた。正直に語ればエクスとの仲はそれほど進展している訳では無く、かと言ってそれをそのまま手紙に記すのはどうしても気が引けるからだ。
 手紙とは別の紙に何度か当たり障りのない内容で試し書きを繰り返してみたが、どう表現を変えた所で進展の無い事実は変わらない。嘘の報告も頭を過ったが、それは必ず後から自分の首を絞める事にも繋がるため踏み切れない。小一時間程うんうん唸りながら考え込んでも妙案は出て来ず、仕方なく一度筆を置いて気分転換をする事にした。
 宿泊しているのは一階が酒場で二階が宿屋という、どこにでもある構造の宿酒場である。一階の酒場は昼間でも営業はしているものの酒の提供は無く、利用客はお茶か軽食での利用のため非常に静かだった。シェリッサはそこでお茶を注文し気分転換を図る。だが、どうしても進展の事が気掛かりになってしまうため、気分転換どころかお茶の味もろくに楽しむ事が出来なかった。物事を引きずり過ぎるのは自分の悪い癖だと肩を落としながら部屋へと戻る。
「あ、戻って来た」
 部屋に戻ると、ようやく寝室から出て来たらしい寝間着姿のドロラータがいた。だがまだ眠いのか目が半分しか開いて無いようで、どこかぼんやりした雰囲気だった。
「ようやくお目覚めですか。幾ら休息日とは言っても、いつまでも寝ていては体に良くありませんよ」
「うーん」
 ドロラータは欠伸なのか言葉なのか良く分からない返事をする。相変わらずだらしなさが治らないとシェリッサは溜め息をついた。
「ところで、それって手紙? 主教宛てって事は報告書か何か?」
 ソファに座ったドロラータはだらしのない姿勢で傍の机を指差す。そこにはシェリッサが書き掛けにしていた手紙がそのままになっていた。
「……他人の手紙を盗み読みするのは良くない事ですよ」
「広げっ放しだったし。書き損じみたいな紙も一杯転がってるし、なかなか書ききれないってことは何か悩み事でもあるのかなーと」
 お茶を飲みに行くのに書き掛けの手紙をそのまま置いていったのは迂闊だった。自分の至らなさを強く自省する。
「大した事でもありませんよ」
「エクスとの事なのに?」
 しれっと答えるドロラータの指摘に、思わずシェリッサの息が詰まる。どうやら盗み読みをしたのは手紙だけでは無かったようである。
「……私達は既にお互いの内情を打ち明けた仲ですから、今更隠し事はしませんけれど。私はこうして定期的に教会へ状況を連絡する事を義務付けられているのです」
「あー、つまり。エクスとはまだ進展してませんって奴でしょ? でも正直に書くのは格好つかないからってやつかな」
「そこまで分かっているのなら、見ぬ振りをして戴ければと思います……!」
 じろりとドロラータを強く見据えるが、ドロラータは相変わらず眠そうな表情をしたままだ。ドロラータも他人の事を茶化している場合ではないはずである。魔導連盟にも自分と似たような命令が下っているというのに、どうしてこうも危機感が無いのだろうか。
「だったらさ、いっそのこと開き直って嘘でも言っちゃえばいいんじゃないの? 後から帳尻合わせればいいんだし」
「そんな嘘はつけません。そもそも、あなたともエクス様の件に関して言えば競合関係にあるはずです。そんな他人事のようにしていて良いのですか」
「あたしの場合、別に魔導連盟なんてどうでもいいし。正直なとこさ、あたし個人がどう思うのかってとこを深く掘れば掘るほど、もう組織なんてどうでもいいじゃんって思えちゃうんだよね。大事なのは自分自身の事だし、連盟にあれこれ口を挟まれたくないし」
「あなたは……組織を裏切るという事なのでしょうか?」
「ぶっちゃけ、忠誠を誓って入った訳でもないからね。魔法の才能っていうの? そんなのがあるから入れられたっていう感じだし。ま、そんなちっさい頃の事なんて覚えてないんだけど」
 自分が聖霊正教会に入信したのはいつの事だっただろうか。シェリッサは入信の経緯を詳しくは憶えていなかった。物心ついた時から既に信者で、日々神学と法術について学んでいた。その成果を認められ司祭に異例の抜擢をされたのだ。ドロラータは属する組織について何の感慨も持っていないようだが、自分と育ってきた環境がそれだけ違うという事なのだろう。
「シェリッサの方はそんな単純な話ではないかな。そうなるとしんどそうよね。組織の命令を取るか、自分の感情を取るかって」
「私の心は常に創世の女神様と共にありますから。何も問題はありません」
「またまた。その手紙一つにこんなに悩んでる癖に」
「それは……信仰とはまた別の問題です。単なる私の力不足が原因なのですから」
 力不足。自分で言ったその言葉に、シェリッサは思わず息を飲んだ。エクスには間違い無く創世の女神の加護がある。そのエクスの意思に添えられない今の自分は、本当は力不足なのではなく信仰心が不足しているのではないだろうか。女神を疑うからこそ、エクスと添い遂げる覚悟も持てない。司祭ともあろう信徒にあるまじき不信心だ。
 女神を加護を得た人間と添い遂げなければ。その一方で自分は、エクスという一人の強く優しい男性を見ている。人を肩書きで見るのではなく、心で見ること。それが聖霊正教会の教えである。
 果たして自分はどうエクスを見ればいいのか。相反するこの視点にシェリッサは、ますます答えを見出せず悩み込んでしまった。