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「おおお! 本当に、本当に本物の勇者エクスだ!」
 クラレッドはエクスを見るやまっしぐらに駆け寄ると、エクスに握手を求める。エクスはいつものようにそれに気さくに応え、クラレッドは子供のようにはしゃいだ。
 時折見掛ける、エクスとその熱狂的なファンのやり取りである。世界のあちこちの都市や村を回ったが、こういったファンは必ずどこにでも一定数存在する。それがまさか、こんな場所にも居るとは。三人はもはや呆れるしかなかった。
 だが、こんな二人のやり取りをただならぬ様子で睨み付ける者がいた。それはクラレッドと共に現れた魔族の女性である。そして彼女はいい加減我慢がならないとばかりに、クラレッドの背後まで歩み寄ると無理やり襟を掴んで引っ張り出し、入れ代わりに自分がエクスの前へ立った。
「それで、彼に何の御用でしょうか勇者殿!」
 クラレッドとは対照的に、敵意をあからさまに剥き出しにしてエクスに吐き捨てる。エクスを快く思わないのは彼女が魔族だからなのだろうが、ブラッドリックとは異なり非常に感情的な印象を受ける。
「すまない、実は彼の家族から行方を捜索するよう頼まれていて。だから、出来ればこのまま帰って貰えないかなと」
「フン、家族? それはアリスタンとかいう王室の事か?」
 彼女の口から意外な言葉が飛び出し、ブラッドリックとボルドはギョッとする。二人はクラレッドの身の上を全く知らなかったようだった。
「クラレッドは戻らない。どうせ、王室の体面だの国の評判だの、そういう理由だろう。そもそもクラレッドは、王族のしがらみが嫌で脱走して来たんだからな」
 クラレッドは庶子ではあるが王族の一人である。それが脱走したため、アリスタン王朝の勅命の意図を汲んでこうして遥々追い掛けて来たのだが。クラレッドの脱走の動機は聞かされていないが、この様子では他の脱走兵とは違い明確な根拠を持っての脱走のようである。
「ところで、あなたはクラレッドの事情に詳しいようだが、どこのどなたかな?」
「私はエリノーラ、クラレッドの妻だ」
「えっ?」
 妻。その言葉を理解するのに、エクス達はしばらくの時間が必要だった。人間と魔族が共生しているだけでも十分驚いているのだが、婚姻まで結んでいるというのは想像を遥かに越えた事態だ。
「本当に? その、夫婦だと?」
「そうだ。まだ子供はいないが、それも時間の問題だ。私達は深く愛し合っている。ここでの出会いも運命なのだ」
 はっきり断言するエリノーラ。そして彼女の言葉を否定せずに頷くクラレッド。どうやら二人が夫婦というのは紛れもない事実らしかった。
 見るからに堅物そうなエリノーラだが、そんな彼女の口から運命という曖昧な理屈を聞かされると、むしろエリノーラがどれほど本気で言っているかが窺えて来る。その場しのぎの嘘のような軽薄なものではないようだった。
 そしてクラレッドはエリノーラをそっと後ろに下がらせると、今度は一転して真摯な態度でエクス達に向き合った。
「エリノーラの言った通り、俺達は夫婦になりました。そして一生をこの地で暮らすつもりです。俺にはここから出て行く意思はありません。申し訳ありませんが、こればかりは勇者エクスでも従えません」
 クラレッドの態度は完全に覚悟を決めた人間のそれだった。嘘偽り無く、ただただ強い覚悟のみを秘めた声。これにはエクスを初め、誰一人反論が出来なかった。おそらくクラレッドの意思はどうあっても揺るがないだろう。本物の覚悟を決めた人間の意思は何よりも強固なものなのだ。
「分かった。そこまで本気だと言うのなら、俺もこれ以上とやかくは言うまい! どうかお幸せに! 俺達は大人しく帰るとしよう!」
 そうエクスに三人へ宣言する。だがそれには真っ先にレスティンが口を開き反論する。
「ちょ、ちょっと待って! 簡単に言わないでよ! 第一、アリスタン王朝には何て報告するつもりなの! 勅書ってそんな軽いもんじゃないんだよ!」
「それは嘘偽り無く報告し、彼はもう戻らないという事を納得して貰うしか無いだろう。俺達の受けた勅命はあくまで脱走の原因調査だし、無理に連れ戻すような必要も無いさ」
「だから、脱走の原因調査って事は、行き先はどこだったって話に絶対になるじゃない。確かに連れ戻す必要は無いけどさ、この土地の情報は避けられない話になって来るよ!」
 すると、たちまちエリノーラの表情が険しくなっていった。
「ほう? ならば、お前達はここから生かして帰す訳にはいかなくなったな」
 エリノーラの両手が俄かに青白く輝き出し、バチバチと破裂音を出し始める。まるで青白い稲妻を纏っているかのようだった。ドロラータが見る限りそれは雷を模した魔法ではなく、単純に強力な魔力の迸りを抑えているだけのようだった。つまりこのエリノーラは、人間では有り得ないほど強力な魔法を使う魔族という事だ。
「勅命だろうと、俺は言うつもりは無いよ。調査したが分からなかった、それで良いじゃないか。誰も困らないさ」
「それじゃあ勅命に逆らった事になるって話! 手ぶらじゃ同じ事なの!」
「その時は俺が大人しく罰を受ければいいさ。なに、体力には自信がある。刑務所暮らしも我慢できるさ」
「だからって―――」
 エクスは勅書に逆らう事の危険性を全く理解していない。それだけは確実だった。
 脱走の原因は分からなかったと報告した所で、必ず経緯や途中成果を確認し分析される。何故原因が分からなかったのか、それを納得させるだけの理由が必要なのだ。自分達がハイランドの調査の途中成果で今回の遠征をした事も知られている。そして些細な言い訳をすればするほど不自然な綻びが生まれる。勅命に対する嘘は、明確な背信と捉えられる。そうすれば幾らエクスでも無事では済まないのだ。
 そう、今この状況は既に、ありのまま報告する以外の選択肢が存在しないのだ。