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 エクスが収監されている離宮の地下牢は、一般的に想像する牢とは全く異なる場所だった。まるで高級ホテルの客室のように広い部屋には様々な調度品が配置され、寝室とトイレも完備している。地下室であるため窓は無く、唯一外界との繋がりである出入り口は重苦しい鋼の扉になっており、ここだけが唯一監獄らしさを残している。この扉の厳めしさを除けば、貴人を泊めるために用意された造りの部屋だ。おそらく、かつての君主が何らかの事情で貴人を拘束するために用意した部屋なのだろう。エクスがここに収監されているのは貴賓扱いではなく、世間と完全に隔絶するための処置である。離宮の地下牢は、存在すら極一部しか知られていないのだ。
 エクスは部屋に用意されている蔵書を読みながら牢での生活を過ごしていた。日に三度運ばれてくる食事で時間の感覚は何となく掴めている。だが既に何日過ごしたかを実感出来ないほど感覚が麻痺して来ていた。
 自身の反逆罪が確定している事をエクスは知っていた。従来のような裁判も無く、今は刑の執行を待っている状態である。反逆罪の刑罰は一つしかない。後はそれが何時になるかだ。
 何故自分はこれほど理不尽な刑罰を受けるのか、そういった疑問や怒りは一切無く非常に穏やかな心境だった。以前よりエクスは、魔王を打倒した事で創世の女神から与えられた自分の役割は終えたと思っていた。これまでの旅も単なる後片付け程度にしか過ぎず、人類軍と魔王軍の戦いが拮抗しているのなら最早出番は無いという事である。強い武力と影響力を持つ勇者が不要になれば、自然と社会の枠組みから除かれる。創世の女神から戴いた加護を返す時がこういった形で訪れたに過ぎず、理不尽と思わず当然の事と受け入れている。その気になれば素手でも壁を破り扉を剥がす事も出来るが、一切そういった抵抗に及ばないのはこのためであった。
 その日も日長本を読みながら過ごしていた。元々ただの羊飼いだったエクスにはほとんど学は無かったが、基本的な読み書きはシェリッサによって教えて貰っていた。長い文章を読む早さはまだまだ遅いが、他にする事もないエクスには早さはあまり需要ではなかった。
 やがて昼食の時間となったのか、扉が開き顔馴染みの看守が食事を運び入れる。食事の内容は至って質素だが、粗食の方が慣れているエクスには十分な内容だった。
 看守はワゴンに朝食の皿を集めて部屋を出ようとする。いつもならそのまますぐに居なくなる彼だったが、その日はおもむろにエクスの元へ歩み寄った。そして懐から素早く折り畳まれた一枚の紙をエクスへ突き付けた。
「早く。あんたへと頼まれたんだ」
 一体何事かとエクスは小首を傾げながら紙を手に取る。すると看守は何事も無かったかのようにそのまま足早に去っていった。呼び止める暇もなかったが、あの足取りでは呼び止めても立ち止まってはくれなかっただろう。
 自分宛ての手紙だろうか。手紙自体は禁じられていないが、エクスは三人には今更言う事も無いだろうと何もしていない。逆に、自分へ手紙を送るのは三人の誰かになるだろう。だがこの手紙は便箋も使われておらず、渡してきた様子からして明らかに検閲を免れて来たものだ。つまり、検閲にかかるような内容という事になる。
 紙を広げて文字を読む。筆跡はエクスも良く知っているシェリッサのものだった。何か急に伝えたい事があるのか。そう思い読み進めていたエクスだったが、最後まで読み終えると途端に厳しい表情を浮かべ手紙を手のひらの中でぎゅっと小さく握り締めた。そして小さくなった紙の粒を飲み込み隠滅する。
「なんて事だ……まさか、こんな事になるなんて」
 自分の行方を知っていて手紙を送ってきたのだから、内容は実際に実行中という事になる。何らかの伝手を使ったのか、三人はここを探り当てて更に次の段階へ踏み込もうとしている。手紙の内容はほぼ予告に等しいものだ。
 エクスは読みかけだった本を閉じて食事を取り始める。しかし、この変化のない閉鎖的な空間で唯一変化のある楽しみであるはずの食事が、今ばかりは全く楽しむ余裕が無かった。それほど手紙の内容はエクスにとって衝撃的なものだった。
 三人は自分をここから脱獄させようとしている。手紙を届けられるくらいに居場所も特定出来ており、作戦の準備も滞り無く進めている最中。決行の直前に合図が行われるから、突然何が起こっても驚かないようにして欲しい。
 手紙の内容は概ねそういったものだったが、あまりに危険、無謀であるとエクスは焦った。今すぐこんな行為は止めさせたい。そう思うが、エクスからは三人へ連絡する事が出来ない。そう、幾ら止めたくとも彼女らとの連絡は一方通行なのだ。
 こんな牢などいつでも力ずくで破られる。だが牢を抜け出し彼女らの元へ駆け付け止めさせた所で、彼女らが王室や所属組織に詰められる事は間違いない。脱獄の成否に関係無く、何らかの罪を問われるだろう。