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 ドロラータは普段の生活のほとんどを、南区の魔導連盟支部内にある自室内で過ごしている。支部ではあるが自室を与えられている魔導士はそれなりに稀少で、年に一度の成果報告を除いて基本的には自由な研究に没頭出来る。ドロラータも起きている間の大半は研究ばかりで、外部との交流の大半は必要な機材の調達程度しかない。そのため、この数日間に誰とも顔を合わせず脱獄準備をしていても、何ら不自然に思われることはなかった。
 幾つか乱戦に備えた魔法を覚え、かつて進めていた研究成果もレスティンの出資で幾つか試作版を用意する事が出来た。そして今日は決行前日。限られた時間ではあるが、十分納得のいく用意は既に出来ていた。
 日も沈み外がすっかり暗くなる時間になると、ドロラータは普段の調子で何気なく自室から出る。普段人気も少ない支部内は、この時間になると一変して廊下やロビーにちらほらと所属している魔導士の姿が現れ始める。魔導士の大半が夜型の生活をしていることと、この時間は食事や酒を求めて外出する者も少なくないからだ。
 人の多いこの時間に移動するのは、姿を目立たなくするためである。そして元々他人と交流を一切しないドロラータは、個人主義者の多い魔導士の群れに入っても呼び止められる事はない。
 無言のまま正面口から出ようとするドロラータ。しかし、
「あっ、ドロラータ! 丁度良いとこに!」
 突然呼び止められ、反射的に足が止まる。呼び止める声の先を見ると、正面口横の管理人室の小窓から、この建物の管理人を勤める青年が顔を覗かせていた。思えば、以前からこの管理人は誰にでも目ざとい所があった。
「なに? これからご飯なんだけど」
「大した用事じゃないよ。ほら」
 そう言って彼が差し出したのは、一通の手紙だった。ありふれた便箋に青のインクでしっかりとここの住所とドロラータの名前が書かれている。だが裏に書かれている差出人の、エリノーラという名前には覚えがなかった。
「キミ宛ての手紙だよ。珍しいね、仕事以外の手紙っぽいけど」
 果たしてこの差出人はどこの誰だったか。このいつも馴れ馴れしい口調の管理人のように、会った事はあっても名前を覚えていないだけかも知れない。
「ありがと。後で読むから」
 長話で目立つような事はしたくない。ドロラータは手紙を上着の内ポケットへしまい込んで足早にその場を後にする。
 しかしその直後、
「……あれ?」
 ドロラータは手紙から妙な違和感を覚えた。便箋から微かにだが魔力の断片を感じる。それは本当に気をつけていなければ感じ取れないほど微弱で、なおかつ自分の生まれ持った魔力の波長に同調するようなものになっている。そして更に、
「まさか……魔族?」
 魔力からは魔族特有の気配が感じ取れるような気がした。落ち着いて探り直してみるが、やはり間違いはなかった。
 ドロラータに手紙を送るような仲の魔族の知り合いはいるはずもない。では自分を一方的に知っている魔族なのだろうが、それでも魔族に名を知られるほどの活躍をした覚えもない。
 とにかく中身を確認しなければ。
 ドロラータは近くにあったカフェに入ると、奥側の席に着いて早速手紙の中を読む。
「なになに……エクスを連れて来い?」
 真っ先に目に飛び込んできたその文面に、ドロラータは眉をひそめながら小首を傾げる。一体それはどういう事情なのか、ドロラータは更に手紙を読み進めて行く。
「魔王軍のみならずソルヘルム全体に混乱が……ソルヘルム? 魔族の国名だっけか。それで……交戦派の兵士達が有力将校達を擁立し次々に軍閥化、内戦一歩手前……」
 ソルヘルムとは魔族達の住む国のようだが、魔王軍の将校達が挙兵し軍閥があちこちに誕生しているという。元々人類軍との戦いには消極的だったが、それを良しとしない者も少なからず存在したのだろう。そして遂に爆発した不満がこういった形を取ったという事だ。軍閥を名乗る以上は、彼らには彼らの何らかの目的があるのだろうが、もしそれが人類軍との徹底交戦だった場合、新たな魔王誕生にもなりかねない。差出人が危惧しているのは、そういった事態による国の疲弊だろう。魔族も和睦と交戦で割れてしまっているのか。
「脱走した我々も国難を前に退く訳には……ん? んん?」
 ドロラータの脳裏に何者かのシルエットがうっすら浮かぶ。脱走、魔族、堅苦しい言葉遣い、確かに自分はそれらから連想する人物と会った記憶があるのだ。
 そして、
「エリノーラ……エリノーラって、ああ! あいつか!」