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 トラヴィン主教の部屋を出たシェリッサは礼拝堂へ向かった。予め神殿から人払いがされていたのか、普段なら大勢の信徒で賑わっている礼拝堂に人影は無くしんと静まり返っていた。
 燦々と太陽の光が降り注ぐ天井を見上げる。この礼拝堂は天井部分に幾つものステンドグラスが組み込まれている。そのそれぞれが創世の女神の姿や、教典に出て来る過去の聖人のエピソードをモチーフにしていて、訪れた観光客は必ずここを見上げて行った。何より、ステンドグラスという脆い物が壊れる壊れる事無く天井に有り続ける事が奇跡だと謳われている。信仰心の篤い聖霊正教会に創世の女神が加護をもたらしているという事だった。
 先ほどの締め切られていたトラヴィン主教の部屋と違って、礼拝堂は非常に明るく眩しい。シェリッサは目を細めながら天井を見上げ、少しずつ光に慣らす。それから奥に配置された大理石で彫られた創世の女神像の前に跪き、そっと目を閉じて祈りを捧げる。
 慣れ親しんだこの場所で祈るのも、おそらくこれが最後になるだろう。トラヴィン主教とも絶縁、教会からは破門、もしかすると背教者の烙印を押されるかも知れない。だがそれでも後悔はなかった。自分が信仰を捧げているのは聖霊正教会ではなく創世の女神そのものであると、エクスに関わってから今日までの日々を通して、まるで目が覚めたかのように確信出来たからだ。その確信がいつになく自分の気持ちを強くし、二度と人の意見には流されないという自信が湧き上がる。
 静まり返った礼拝堂で無心のまま祈りを捧げるシェリッサ。するとおもむろに外の通路側からばたばたと大勢が移動する足音が聞こえてきた。シェリッサはゆっくり目を開け礼拝堂の出入り口の方を振り向く。それと出入り口の扉が開かれるのはほぼ同時だった。
「ここに居たのかね」
 入ってきたのは、トラヴィン主教を先頭に先ほど部屋の中に集まっていた聖霊正教会の重職者達だった。何故今更追ってきたのか、そうシェリッサは疑問に思った。相手の出方を見ようとすると、礼拝堂に入ってきた彼らはおもむろに戸締まりを始める。こんな晴れた日の昼間にどうして戸締まりをする必要があるのか。そう疑問に思っていると、トラヴィン主教がシェリッサの方へ歩み寄って来た。
「シェリッサ、どうやら君は非常に賢くない選択をしたようだね。優秀な生徒だと思っていたが、こう道を誤ってしまったのは私の監督不行き届きもあるだろう。だからけじめは私が取らねば」
「主教? けじめとは何のこと―――えっ!?」
 シェリッサは驚きの声を上げる。声は締め切られた礼拝堂内に響き渡った。
 トラヴィン主教がシェリッサへ向けたのは短剣の刃先だった。そしてトラヴィン主教に続き重職者達も次々と短剣を抜き始める。
 刃物の所持を特別禁じられている訳ではないが、礼拝堂で抜き放つなど決して許される事ではない。ましてやトラヴィン主教や他の一同がそれを知らないはずがないのだ。
 何のためにこんな凶行に及ぶのか。
 剥き出しになった刃先が一斉にシェリッサを向くのと同時に、その答えがシェリッサの脳裏に浮かんだ。
「主教、いえ、お歴々も! あなた方は礼拝堂を血で汚すおつもりですか!」
「だから、抵抗をしないで欲しいものだ。そうすれば、血を撒き散らさずとも事が済む」
「仮にも女神様の前で何という……!」
「それは偶像でしかない。何も恥じる事も無いのだよ」
 平然と断言する彼らの様子は、シェリッサにはまるで人を殺す事に躊躇いが無いように見えた。聖職者たるものが何故このような愚行を働くのか。これが聖霊正教会の内部政治の実態とでも言うのか。
 シェリッサには俄には受け入れ難い展開だった。刃物を向けられる恐怖よりも、大恩あるトラヴィン主教の凶行そのものが悲しくてならなかった。司祭への道を決意したのが彼の教えの中にあったのは間違いのない事実。それが嘘のように今にも砕け散ってしまいそうだった。単なる意見の食い違い、価値観や見解の相違ならばまだ理解出来た。けれど、神殿でのこの狼藉は価値観の相違で片付く出来事ではない。
 凶刃を手にじりじりと近づいて来る男達。殺す事は彼らの中で確定事項なのだろうが、今一つ動作が緩慢なのは殺す事には慣れていないせいだろう。
 いつまでも絶望はしていられない。まずは生き延びる事を考えなければ。けれど完全に包囲され出入り口も封鎖されてしまっては、戦う力を持たないシェリッサには何の抵抗手段も無い。
 この状況をどこからか二人で覗いていて、助ける機会を窺っているのだろうか。いや、きっとそうに違い無い。なら今の自分がするべきは二人を心から信じる事。二人に創世の女神の御加護があるように、祈るだけだ。
 シェリッサは目を閉じ手を合わせ祈りの姿勢を取る。創世の女神への祈り、だが男達にはそれが観念したかのように見えた。
 しかし、その時だった。
「え」
 それは本当に誰も予測出来ず、可能性を想像すら出来ない出来事だった。
 突如、礼拝堂の天井を彩る沢山のステンドグラスが一斉に音を立てて砕け散ると、礼拝堂内へ目掛けて所狭しと降り注いでいった。