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 元々治癒術に優れていたシェリッサは、次々と負傷した彼らを治していった。全員の治療が終わるまではさほど時間もかからず、散らかったステンドグラスと夥しい血痕だけが礼拝堂の床には残った。治療を受けた彼らは未だ呆然としていた。ステンドグラスが降り注ぐという有り得ない出来事もそうだが、シェリッサが何の躊躇いもなく自分達を治療した事も受け入れがたかった。少し前までシェリッサを殺そうと殺気立っていたというのに、今ではすっかり毒気を抜かれ何のために殺そうとしていたのかも忘れてしまっていた。
「これで全員ですね。それでは私はこれで失礼いたします」
 理解の出来ない何かを見るような目で見つめる彼らを後目に、シェリッサは丁寧に一礼してから踵を返して出口へ向かう。だが最後にもう一度とばかりにトラヴィン主教がそこへ食い下がった。
「シェリッサ、どうしても従えないのか。それほどに難しい事なのか?」
「はい。どうしても、主教には従えません。この出来事の一部始終を、創世の女神様はご覧になられているでしょう。エクス様を支える者と見限る者、これでどちらが正しいのかはっきりしたはずです。創世の女神様は正しき者を助くのですから」
 それは遠回しに、エクスを見限ったのだからステンドグラスが割れ大怪我を負うような事になったのだと非難しているように聞こえた。そして現にシェリッサは、皆と同じく多くのステンドグラスの破片を浴びているにもかかわらず傷一つ負っていない。そんな偶然があるだろうか。まさにシェリッサには女神の加護があったとしか言いようが無い。奇跡的な確率で起こった偶然だと主張するにしても、宗教家にとって目の前で起こったこの出来事には何一つ反論の言葉が無かった。
 そしてシェリッサは静かに堂々と礼拝堂を後にする。残った主教と他一同は何も言葉が発せず、そのまま礼拝堂の中に立ち尽くしていた。シェリッサを追う事も皆を鼓舞する事も出来ず、未だ信じられないものを見たといった様子だった。シェリッサに論破されたと言うよりも、自分達が創世の女神に見限られたのではないかという喪失感に強く苛まれている。
 シェリッサが神殿の敷地を出て表通りの歩道間で戻ってくると、どこからともなくドロラータとレスティンが現れた。何も気配も感じなかったが、おそらくドロラータの隠行によるものだろう。
「シェリッサ? 取りあえず大丈夫そうだけど」
「ええ、おかげさまで。礼拝堂では助かりましたよ。突然の事で私も結界も出来なくて。大勢の方が怪我をされたのは痛ましい事でしたが、これで主教も他の皆様も心を入れ替えていただければ良いのですが」
「それは良いんだけど……大丈夫なの?」
 そう問われ、シェリッサは一旦不思議そうに小首を傾げるものの、質問の意味を理解したシェリッサは笑顔で答えた。
「もちろんです。お二人のおかげで、こうして私は無傷であの場を切り抜けて、主教と他の皆様からも諦めていただくことが出来ましたから。咄嗟の出来事とは言え、本当にありがとうございます」
 すると今度は、ドロラータとレスティンが揃って訝しげな表情を浮かべた。
「お二人のおかげでって、ワタシら別に何もしてないって」
「敷地内までは入れたけど、そもそも神殿ってやっぱり聖霊正教会の本拠地だし? 隠行って中だとイマイチ効きが悪くて。だからぶっちゃけ、あたしら中で何が起こったのかほとんど知らないもの」
 それでは二人は神殿の中にまでは立ち入っていないという事なのだろうか。
「……え? 必ず見守って下さるというあれは。降り注ぐガラスから守って下さったのでは」
「いやー、なんて言うか? 勢い? いや、そりゃ大事な仲間だしちゃんとするつもりだったけど。神殿は流石に魔導への対策がエグいったらなんの。そこら中に対魔結界が色んなの仕込まれてるし」
「ワタシあんまり潜入は得意じゃないし、聖霊正教会にはギルド関係者もいなかったから神殿は構造がまったく分からなかったから」
 つまり、自分は仲間二人に守られているからと大胆な行動にも出ていたが、実は二人はろくに動けずにいて、ただの思い込みであんなことをしていたなんて。そこで初めてシェリッサは、自分がどれほど大胆不敵な行動を取っていたのかを思い知らされ背筋が冷たくなった。
「それでは……私はどうして無事で済んだのでしょうか。あれだけのガラス片を体中で受けたはずになるのですが。結界術も使う暇がありませんでしたし」
「ま、まあ……運?」
「そもそも、シェリッサには本当に女神の加護があったんじゃないの? 少なくともアレくらいの危険は平気なくらいの」
 結果論にはなるが、取りあえず無事で済んでよしとしよう。そんな二人の会話の流れに、今一つ納得のいかない風にシェリッサは渋々返事をした。
 まさか二人共あの場には一切関知出来ていなかったなんて。それでは本当に創世の女神が守って下さったというのだろうか。
 いささか信仰が薄れているのではと自らを疑い始めていた最近だったが、改めてシェリッサは創世の女神に心から信仰を捧げよう、そう思うのだった。