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 そこにいたのは、看守らしき男に背中からしがみ付かれながらも独房を出ようとしているエクスだった。
「キミ達! まさか本当に来てしまったのか!」
 三人を見るや、予想通りエクスは険しい表情で開口一番に叱りつけて来た。
「うわっ、仲間か!? おい、こいつらには構わないで早く避難するぞ!」
「それは駄目だ! 俺には彼女達を説得する義務がある! 俺に関わらせてしまった以上、けじめを付けなければならない!」
「お前の言ってる事はさっぱり分からない! 何なんだ本当に!?」
 エクスと看守は揉めている。どうやらあくまで牢に残りたいエクスに対し、看守は緊急事態の対応としてこの場から避難させたいらしい。おそらく、エクスの脱獄には大勢の人間がこの襲撃に荷担していると思っているのだろう。
「まーまー、落ち着いて。これやってるの、あたしら三人だけだから。別に避難とかする必要ないよ。時間差でもう幾つか火が出るから、その対応で混乱してるだけ」
「お前! ここがどこか分かってるのか!? アリスタン王朝の離宮だぞ!? そんな所で騒ぎを起こすだなんて!」
「こちらも、その覚悟で臨んでおります。遊び半分でしている訳ではありません」
「だっ、だからってなあ!」
 看守はシェリッサの凛とした態度の方に動揺していた。明らかに聖職者、生真面目な人間に、これは覚悟を持って起こしたのだと真っ向から断言され、まるで自分の非難が誤りのようにすら錯覚してしまう。
「とにかく! エクス、早くワタシ達と逃げよう! まだ外は混乱しているから! うわーん! 会いたかったよう!」
 やはりレスティンは感極まってエクスの元へ駆け寄る。しかし、エクスは無言でレスティンの方へ右の手のひらを向け、拒絶の態度を示した。いつになく鋭い眼差しでじろりとレスティンを睨み、流石にレスティンも思わず息を飲んで立ち尽くしてしまった。
「キミ達に今更法律がどうとか犯罪がどうとか説くつもりはない。そんな事も分からない子供ではないはずだから。それでも敢えてこんな事をするのは、きっと俺に架せられた反逆罪に納得が出来ないからだろう。だが、これは間違いだ。もし納得がいかないと言うのなら、きちんと法的な手続きなりを取るべきだ。自分まで反逆者呼ばわりされるつもりなのか?」
「エクス、法律に則って抗議するのは正しいけど、そんな時間も余地も無いんだよ。王室は確実に目障りになったあんたを排除しに来てるからね。他国からどんな反響があるのか何も想像してない、本当に後先考えてない愚かな判断だけど、やり切る意思だけは本物だよ。あたし達も、それぞれ上役からずっと圧力かけられていたんだからね。もっとも、ここに三人共来てるってことはどういう事か、想像出来るでしょうけど」
「出来ないな! はっきり言ってみたまえ!」
「だから……袂を分かったの! 縁を切って、もう退路が無い状態ってこと!」
 ドロラータの言葉にエクスは大きく目と口を開きよろめくと、顔を覆いながらうつむいてしまった。それほどにドロラータの言葉は衝撃が強かったのだ。
「なんて事を……それじゃあ、帰れと言っても帰れないじゃないか」
「そ。だから、エクスを連れて逃げるしか道は無いワケ。分かって貰えた?」
「いや、それは正確ではないな。俺は脱獄する気は無いし、君達は三人で逃げたまえ」
「だから、エクスも一緒じゃないと」
「ドロラータ、キミは思い付きで行動をしたりはしない。脱獄にしても、逃亡先の当てがあるのだろう? そうでなければ脱獄なんて実行しない。その逃亡先に三人で行きたまえ」
 エクスの指摘は正しい。エクスがいなくとも逃亡自体は三人で出来るのだ。
 普段は物事に鈍感だが、たまに時折鋭い事がある。それは今欲しい鋭さではないが、エクスの説得において想定した範囲内である。
 レスティンとシェリッサは二人の動向を黙って見守り始める。エクスの説得は最も口のうまいドロラータに任せる算段になっている。そしてまさに説き伏せるべき状況が来たのだと感じたのだ。
「その前に、あたしらがどこへ行くつもりなのか訊かないの?」
「聞いた所で行かない俺には関係がない。少なくとも信用出来る相手と場所だろう。キミは一か八かみたいな危険な場所には行きたがらないからね」
「いつもならね。でも、今回は違う。むしろここよりもずっと危険な所だよ」
「らしくないな。自分を人質に取る交渉は下策だって、前にレスティンが言っていた。キミがそんな事をするはずがない」
「そういうつもりじゃないよ。ただ、来て欲しいって頼まれたんだ。国が滅茶苦茶になりそうだから助けて欲しいって。勇者エクスの力が欲しいって」
 勇者エクスの力。その言葉に一瞬エクスの目の色が変わった事をドロラータは見逃さなかった。勇者としての力を奮う場所がまだあるのか、そういう迷いの色だ。
「……いや、そんな事は無い。俺である必要も無いよ。俺の力は創世の女神様に与えられた強過ぎる加護だ。それは大衆の平和のために使うべきであって、大衆が必要としなくなったのなら返さなければならない。不要なものを留めるのは余計な諍いの種になる。だから俺は反逆罪を受け入れるし、ここからも脱獄しない」
「何言ってんだか。必要としなくなったのは大衆じゃなくアリスタン王朝だけだよ。こんな所に閉じこもってるから世間の声が聞こえないだけじゃない。大体、不要になったとかどうとか、全部自分の憶測でしょ。創世の女神様が枕元にでも立ってそう言ったの? 声くらいは聞いた?」
「それは……! いや、確かに聞いても見てもいない。だが、この状況は明らかに役目は終わったためだろう」
「認識の誤りだね。エクス、それは役割の放棄でしかないよ。降りかかった困難で思うように動けなくなった事を女神のせいにして、加護と与えられた使命を放棄してるだけなんだ」
「それは君達の勝手な解釈だ」
「いいや、違うね。もし本当に勇者の役目は終わったと女神が思っているのなら、そもそもあたしらが揃ってここには来れていないわ。今までどんな危険があったか、順に教えてあげる? あたしらの道を阻むのはアリスタン王朝、だけどここまで導いたのは創世の女神様よ。そうとしか言いようが無いじゃない。だって、普通たった三人でこんな所まで来れると思う?」
「どちらも単なる力のぶつかり合いだ。創世の女神はいちいちこんな事に介入などしないよ。大事なのは結論、結末なんだから」
「だから、それを認識がねじ曲げてるって話よ」
 案の定、エクスは頑なに脱獄を拒否して来る。実際の所、こんな頑なになったエクスを完全に説き伏せる事は不可能だ。結論が決まっている以上、どう揺すぶった所で自分の結論を正当化しようとするだけだ。だから、エリノーラからの手紙は好都合だったのだ。まだ勇者としての役割は終わっていない。元々平和のために尽くす事を目的に旅をしていたエクスにとって、勇者として求められている事実は十分に考えを改めさせる威力がある。
 そろそろこの切り札を出そう。そうドロラータが考えていた時だった。
「確かにそうだ! そこの脱獄犯の女! あんたが正しい!」
 急に割り込んで来た看守の男は、ぼろぼろと大粒の涙を流していた。