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 エクスがケアリエル少佐を撃破した事で、穏健派と呼ばれていた魔族と人類の混合軍は一気にソルヘルム内での立ち位置が躍進する。大規模な戦闘ではなく魔族の伝統的な作法に則った一騎打ちの末についた決着であるため、兵には全く損耗が無かった事が大きく影響していた。元々穏健派が駐留していたアールトン市より支配域は広がっていき、その最中で他の中小規模の派閥が次々と合流して規模と領地は更に拡大していく。あの勇者エクスが大派閥の一つをほとんど無傷で撃破し取り込んだ、少なくとも世間はそのように評価して穏健派大躍進の流れは日増しに勢いを増していく。そして短い間に穏健派がソルヘルムのほとんどを支配する第一派閥となった。だが穏健派はあくまで穏健派であり、残る派閥に対して自ら積極的に攻撃を仕掛ける事をしない。そのため次期魔王を巡るソルヘルムの世情は自然と拮抗状態となっていく。
 エクス達一向は以前と変わらずアールトン市に滞在していた。エリノーラやクラレッド達は政務的な仕事があるため領地中を奔走しているが、エクス達はあくまで魔族の政治には不介入の立場であるため、戦闘が無ければ出番そのものが無い。実質休戦状態の現状次の出番も見えていない。そのためエクス達は、郊外の外れにある農場を手伝う日々を過ごしていた。
「よーし、よし。それ、遊んでいいぞ!」
 そうエクスが羊の群れに合図をすると、羊達はばらばらと何となしにまとまった単位で散り始める。元々群れる気質があるせいか、好き勝手に散らばってしまわず他の仲間の様子を窺いながら散策している。その風景を見ながらエクスは草むらに腰を下ろし、周囲の危険な気配に警戒しつつぼんやりと空を眺めていた。羊飼いには放牧でどうしても暇を持て余す時間というものがある。その退屈な時間をゆっくり堪能する。
 故郷を焼かれた時、すぐさま義勇兵に志願した。それからは毎日ひたすら戦い続ける事が日常となって、魔王を倒した後も残党の鎮圧などで退屈を感じる暇も無かった。こうして羊達を遊ばせている間に退屈さを覚えるのはどれくらいぶりの事かと数えてしまうほど、退屈な時間というものを忘れていた。
 エクスが羊の世話をしている頃、レスティンは自らのマネジメント能力を生かして農場の管理を、シェリッサは母屋の家事などをこなしている。そして元々外へ出るのも億劫がる育ちと性格のドロラータは、特に仕事も無いためかその場その場で雑用を請け負っている。誰よりも機転だけは利いた。
「エクスー、いたいた」
 ぼんやり空を眺めていると、唐突に近くにドロラータが現れた。最近魔族から転移の魔法を習い、少しずつ使いこなせるようになっている。少々の移動であればいつでも実行が可能だった。
「やあ、そっちは仕事はいいのかい?」
「今日はね。ま、あたしは魔法で出来るような事しか出番はないから」
 そう言いながらドロラータはエクスの隣にぴったりとくっ付くように座る。それでエクスの様子を窺うと、エクスは不思議そうな顔で小首を傾げる。その犬のような仕草に、やはり遠回しなアプローチは通用しないのだとドロラータは内心溜め息をつく。
 戦いが落ち着いたため、今度は三人の間での争いが再燃していた。誰がエクスと結ばれるか、フェアに争うため情報を共有しつつも出し抜きたいと考えてはいるが、実際のところはそれが出来ずにいた。出し抜いてしまうには、あまりに長く同じ時間を過ごして仲間意識が強まり過ぎてしまったのだ。
「体の調子はどう? あんな大怪我した後だし」
「シェリッサのおかげで何とも無いさ。それに昔から丈夫さだけが取り柄の男だ」
 ドロラータはケアリエル少佐との一騎打ちの直後を思い出す。あの時シェリッサは、エクスの体があまりに早く治癒していったことに驚いて言葉を失っていた。素人目にもあの時のエクスは生きているのが不思議なほどの怪我を負っていた。それがあっという間に治るのだから、とても普通とは思えない。
「ねえ、エクス。前から思ってたんだけど、エクスのそういうとこ、女神の加護とかそういうレベルのじゃ無いよ」
「なら生まれつきという事かな? ハハッ、ならばそれこそ女神様の御加護を受けて生まれたという事だな!」
 しかしドロラータはもっと別な説を考えていた。それは、エクスが何か目的を持ってデザインされて現世に送られた、そういう説だ。エクスが出鱈目に強く生まれついたのは創世の女神が間接的に介入するためではないだろうか。もっとも、創世の女神が実在するのか自体がまずドロラータにとって懐疑的ではあるのだが。
「エクスはソルヘルムに骨を埋めるつもり?」
「そもそも俺は脱獄したお尋ね者だ。帰る故郷も無いんだから、住む場所にこだわりは無いさ。ここのみんなも、元勇者のはずの俺に良くしてくれているし、今のまま暮らしていくのも良いんじゃないかな」
「そっかあ。まあ、あたしも似たようなものだし。だったら、一緒に暮らしてみない? ソルヘルムじゃあ人類も珍しい訳だし」
「それは良い考えだ! これからも四人で仲良くやっていこう!」
「いや、そういう意味では無くて……」
 エクスの言葉を否定しかけるが、途中で言葉を飲み込んだ。実際の所、それが妥協案としては最も現実的だと思える。既に互いに出し抜き追い落とすような殺伐とした関係でも無ければ、出し抜くメリットはエクスを独占出来る以外に何もない。倫理的な問題などはあるが、将来的に四人が一緒になるのが妥当な落とし所だ。
 この案で行くとして、やはり三人の中で序列は必要だ。誰が一番のお気に入りになるか、そういう競争は少なからず生まれるはず。
 そんな事を考えていた時だった。不意にドロラータは周囲に魔力の流れを感じとったと思っていると、急に目の前の空間が歪んで光り、一人の軍服姿の青年が現れた。面識は無いが格好からして穏健派の兵士のようだった。
「突然失礼いたします、エクス様。司令からの依頼で、明日に市内の駐留所へお出で下さるでしょうか」
「む、まさか残りの派閥が仕掛けて来そうなのか!」
「いえ、違います。詳細は自分も存じ上げませんが、何でも式典とかそちらの方で」