これほどの差があるなんて……。
そんな絶望に満ちたまま、俺は地面に伏していた。
全身が痛みで痺れ、もうほとんど感覚がない。自分の意志で動かす事もままならず、ただ不規則で早く荒い呼吸だけを繰り返す。
「おうおう、遂にお疲れか?」
そんな俺の頭をスサノオが踏みつける。だが力は極限までセーブしており、俺の頭は踏み潰されない。
「まあ、よく頑張った方さ。人間のクセにな」
高らかと笑うスサノオ。その笑いが、一時は自分の勝利を確信させた希望を粉々に打ち砕く。
実力差はそれほど開いていない。
そんなのは、ただの幻想でしかなかった。いくら魂は神のものだとは言っても、所詮、人間は人間。完全な神とではまるで相手にならないのだ。俺の緩慢な攻撃に付き合っていたのも、彼らにしてみればただの戯言でしかないのだ。
後、少し。もう少しだって言うのに……。
七回目の夕暮れ時に差し掛かっている。時間にして、日没までおよそ数分。だが、その時間は今の俺にとっては気が遠くなるほど長く感じられる。その時さえくれば、なんとか勝てるかもしれないのに。それまで、俺の体が待ってくれるだろうか。
「フン。ツクヨミはもうどうでもいいじゃない。さっさとこっち、終わらせるわよ。もうミレニアムまで時間ないんだからね。日も暮れちゃうし」
アマテラスは不機嫌な口調でそう吐き捨てた。退屈や焦燥を通り越し、心底うんざりしている表情だ。
「それもそうだな。こんな半死人、放っておいても死ぬか」
スサノオは俺の頭から足を離すと、今度は鷲掴みにして軽々と持ち上げた。
「お、おい……」
「ん? なんだ、まだ喋れるのか」
半死傷人であると思っていた俺が喋り出した事に、スサノオが思わず口元を綻ばせる。
「お前……ミレニアムに生き残ったらどうするんだ?」
「生き残ったら?」
俺の質問がよほどおかしかったらしく、スサノオは吹き出し、そして笑い始めた。
「どうするって? そうだなあ。じゃあ、軽くゴミ掃除でもするか? 特に解体作業は俺の得手分野だからな」
スサノオの言うゴミ掃除とは、間違いなく人間の事だ。スサノオにとって、人間も建物も大した差はない。壊すという行動においては全く同じ対象物なのである。
「お前はどうすんだ? ツクヨミ様がお聞きになりたいそうだぜ」
「私? 決まってんじゃん。楽しいお遊びの時間よ。一日に百人ずつ、念入りにやっちゃうわ。いや、ちょっと少ないかな? もうちょっと増やしても、千年経つ前に殺し尽くしたりはしないわよね」
嬉々とした凄惨な笑みを浮かべるアマテラス。
やっぱり、そうなのか……。
同じ根源から生まれた魂を持つ者同士だというのに。どうして神は人間に対してこれほど残酷になれるのだろうか。力の強弱だけで、その者の人格すら否定する残忍さ。一体、何が二人をそうさせてしまったのか、俺には理解が出来ない。
いや、今更俺が理解する必要はないだろう。俺に出来る事。それは、今ここでこの二人を倒し、もう千年の間自由に人間界を支配出来る権利を得る事だ。
人間を二人の玩具にしないためにも、俺は負ける訳にはいかない。必勝と必死の覚悟で、俺は人間の身でありながら高天原に来たのだ。そして今日まで何とか生き残った。人間になってしまった俺が神二人に勝つための手段はたった一つしかない。その全てが、この七日目の日没を無事に迎えられるかどうかにかかっている。それまで、あとほんの少しなのに。生き残るためにも逃げに徹していたのだが遂に捕まり、そしてもう体は自由に動かない。
「ま、お前の知ったこっちゃないぜ。ほーら、さっさとくたばっちまえよ!」
スサノオはもう片方の手を振りかぶる。
既に俺は、危機感すら抱けなかった。何の回避行動も取る事が出来ない。
そしてそのまま、俺は体を貫かれた。
ぐしゃっ、というたとえが一番近いだろうか。気色の悪い感触が俺の胸を射抜く。そしてスサノオは用の済んだ俺の体を放り捨てた。
地面に落ちた衝撃が、やけに意識の遠い場所から伝わってきた。
意識が遠のいていく。
駄目だ。あと少しなのに。こんな所で死んでしまったら、この七日間の戦いが全て無駄になってしまう。
そんな思いとは裏腹に、どんどん体からは力が抜けていく。
「待たせたな。さあて、いよいよ決勝戦だ。テメエには死んでもらうぜ」
「それはこっちのセリフよ。まったく、念入りに切り刻んであげたかったのに。時間が足りないわねえ」
微かに二人の声が聞こえてきた。
これから二人が戦い、生き残った方がミレニアムの勝者となる。そして、人間を殺戮するのだ。俺はそうなる事を止めるためにここに来たというのに。やはり、人間に転生した俺の選択は間違っていたのだろうか?
と―――。
急に全身がざわつき始めた。不思議と活気付くような、心地良い感触。
俺は辛うじて動く首をゆっくりともたげて空を見上げる。
暗い。
失血のせいで視力が消えかけているせいだろうか?
いや、違う。
「チッ、夜になっちまったじゃねーか。時間がないからな。本気でやらせてもらうぜ」
「フフン、一瞬で終わっちゃうわね。それじゃ」
全身の感覚がクリアになっていく。痺れるような痛みも、失血の脱力感も、全ての不快な感覚が消えていく。痛覚が麻痺したという訳ではない。純粋に、体の中から不要なものが抜け出てリフレッシュしていくような感覚だ。
俺は力を取り戻した腕でゆっくりと体を持ち上げる。そして膝を立て、その場に立ち上がった。
「おう? なんだ、まだ立てるのか。その穴、塞がなくていいのか?」
そうスサノオが顎で俺の胸を指し示す。俺はそこに指を這わせた。指先が捉えたのは粘質の肉の感覚ではなく、乾いた血液がこびりついた皮膚だった。
「無用な心配だ」
夜空を見上げる。そこには真っ白な月が真円を描いていた。ずっと待ち望んでいた時間の訪れだ。
「もう、塞がった」