翌日。
もはや用済みとなった私は、兼ねてから要求していた預言者衆の一人との面会を許された。
昨夜は、何と言おうか何を聞こうか、とそればかりを考えていてあまり眠れなかった。だが、眠気は全くと言っていいほどなく、むしろ気持ちは興奮していた。預言者とは、一般人では目通りを許されない人種だ。その人の元を鼻息を荒くして訪ねる訳にもいかず、とにかく冷静である事を努める。
「こちらです」
城の執事に案内されたその先にあったのは、重厚な鋼鉄の扉だった。まるで何かを閉じ込めておくかのような、華やかな城内には不似合いな厳しさである。
執事はカギ束の中からカギを一本取り出し、それを鍵穴に差し込んで捻る。がちゃん、と普通のカギよりも大きな音を立ててロックが外れる。その扉を執事は両手で思い切り奥へ押し込んだ。甲高い金属の擦れ合う音と共に、真っ黒な口がぽっかりと開いた。薄っすらと長い長い下り階段が見える。だがその先は、深い闇に飲み込まれていてここからは見えない。
「え? この先に……ですか?」
「はい。我が国の預言者衆は、こちらにお住まいです」
預言者衆の部屋は城の地下に住んでいるので間違いないようである。それにしても、国に降りかかる災いを事前に察知するという重大な使命を帯びている割にまるで囚人のような扱いだ。どうしてこのような陰気くさい場所に隔離されているのだろうか?
「では、お足元にお気をつけて」
執事が先に立ち、燭台で足元を照らしながら階段を下りていく。私は執事の後を追い、おそるおそる階段を降りていく。
恐ろしく長い階段だった。降りても降りても、闇の中から階段が延々と現れてくる。一体どこまで続くのだろうか。周囲が暗闇に包まれているため、何だか時間の感覚もぼやけてきた。
「到着いたしました。ここが我が国の預言者衆のお部屋でございます」
やがて無限に続くかと思われていた階段が終わり、今度は四方が黒い石で敷き詰められた薄暗い部屋が暗闇の中から現れた。いや、単に薄暗いから敷き詰められている石も黒く見えるだけなのかもしれない。
執事は両壁にそれぞれ取り付けられた燭台に灯りを移した。ぼんやりとオレンジの光が部屋を照らし、どうにか全体が見えてきた。
「これは……」
私はゆっくりと部屋の周囲を見渡した。その部屋の壁に、ここへの入り口と同じような鋼鉄のドアが幾つも並んでいたのだ。丁度、私はあの厳つい扉に囲まれている状態だ。扉にはそれぞれナンバーが割り振られている。赤い塗料で殴りかかれたような乱雑な数字だ。暗闇に映える赤い色が異様な雰囲気を醸し出している。
この扉群は入り口の扉とは違い、何故か厳重に鎖と錠前で封印されていた。たとえ囚人でもここまでして閉じ込めはしないだろう。よほどの凶悪犯ならば話は別なのだが、ここにいるのは国民をあらゆる災害から守るために少し先の未来を視ることができる預言者だ。つまり国にとっては国王に並ぶほど重要な人間であるはず。それがこんな所に閉じ込められる理由が理解出来ない。
「この扉の向こう側に、それぞれ預言者がいらっしゃいます」
「でも、どうしてこんな風に閉じ込めているのですか?」
「いえ、これは我々が閉じ込めている訳ではありません。預言者達が自ら望んでこの中に閉じこもっているのですよ」
「自分で? そんな事をしてどうするんですか?」
意外な執事の言葉に、私は思わず問い返した。てっきりこの場所に幽閉されているものとばかり思っていた。もしかすると、他の国に引き抜かれないようにこうして閉じ込めているのでは、などと勝手な事すら考えていたのだが。
「預言者とは、これから起こる未来の事を僅かですが垣間見る事が出来ます。その力を利用して国王は国民を災いからお守りしているのですが、しかし未来の情報というものは人を守る以外にも使われる事があるのです。未来の情報は使いようによっては非常に危険な武器ともなり得ます。そのため、預言者達は悪意のある者に利用されないためと自分自身がそういった道に走らぬために、こうしてここに自らを縛り付けているのです」
「つまりこの厳重な封印は、自らへの戒め?」
「そういう事です」
私は、国を救う預言者というものをもっと華やかな存在だと思っていたのだけど。国を救うという大義の反面、その偉大な力は自らを蝕む危険性も同時にはらんでいるだなんて。未来の事が分かるなんて羨ましい、なんていうこれまでの自分の考え方を改めなければいけない。
「それではこれを」
と、執事は私にもう一つのカギ束を見せた。そのカギは何故か真っ白な色をした奇妙なデザインをしていた。
「カギは全部で十三あります。このカギのどれかが、扉のどれかを開ける事が出来ます。このカギが、あなたが今、最も必要としている預言者の元へ導いてくれるでしょう」
私はあまり迷わず直感でカギを一つ手にした。カギには薄っすらと『3』の数字が彫られている。
「では、三番の扉へ」
執事にこっくりとうなずくと、カギに彫られていたそのナンバーに従い、同じく『3』を赤い塗料で殴り描かれた扉の前に向かった。
錠前にカギを差し込んでロックを外す。その物々しい見た目によらず、カギはあっさりと回った。外れた錠前を床に置き、そして扉の周囲を覆う鎖を掴んで引っ張った。何度かどこかに引っかかるような抵抗感はあったが、あまり苦労せず外すことができた。
この奥に預言者がいるのね……。
緊張感が背中に圧し掛かる。だが私は、降りかかる迷いを振り切り、意を決して扉を開けた。扉は重厚な見た目によらず、僅かな力であっさりと開いた。
扉の中は変わらず薄暗かったが、冷たく殺伐とした外とは打って変わって極普通の書斎のような作りになっていた。部屋一帯には本棚という本棚がひしめき合っている。私は思わずおじいさんの書斎を思い出した。子供の頃、良く勝手に本を散らかして怒られたものだ。
そんな過去をちょくちょく振り返りつつ、私はなおも奥へと突き進む。
と―――。
しばらく進んでいくと、やがて何やら人の姿が薄がりに見えた。それは、デスクに一人の男性が鎮座している。大きなローブを身にまとい、フードを目深に被っているため顔の半分以上が隠れて見えない。
「あなたは何を求めてここに訪ねてこられたのですか?」
彼は読んでいた本に目を落としたまま問い掛けてきた。全く私の気配に気づいたような素振りを見せぬまま唐突にそう問われたので、私は驚きはたと足を止めた。
「過去の事象は、ここの文献を読めば事足ります。現在の事象は耳を澄ませば自ずと知れます。あなたの求めるものはなんですか?」
こちらの心を見透かしているかのような、穏やかだが痛いほど響く声。私はまるで彼の意思に誘導されるかのように、だが言葉はなかなか思い浮かばず、気持ちだけが先走った状態でたどたどしく口を開いた。
「人を、探しています」
「人? それはあなたにとって大切な人ですか?」
「はい……」
私はもう二人も失っている。三人目までを出したくない。だから私は藁にも縋る思いでここまでやってきたのだ。
「人は常に移ろい行くもの。その行方を知るのは容易なようで困難。人智では予測不可能なランダマイズが関わる現世において、確実な未来の予測は不可能です」
そして、青年はゆっくりと本を閉じた。
「私の言葉は、あくまで時の流れを作り出す言葉を読んでいるにしか過ぎません。未来の予測に絶対はありません。ですが、言い換えれば未来は自分で作り出す事が出来るのです。時の流れを司るのは、神にすら不可能な事なのですから」
本をデスクに置いたまま、ゆっくりと立ち上がる。まるでここに存在していないかのように、彼の一挙一動は全く音を立てない。その得体の知れなさや掴み所のなさが、彼の預言者としての存在感をよりいっそうを強める。
「あなたが自らの願う未来に辿り着ける事を願って。あなたが今、最も知る事を望む時の流れは何ですか? 心を落ち着けて、自らともう一度対面して答えて下さい」