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「国王……!」

 深夜。国王の寝室に一人の人影がやってきた。息を激しく切らし、表情は真っ青に青ざめている。

「どうした? 騒々しい」

 その声に目を覚ました国王は、取り乱した様子もなく落ち着いてベッドから起き上がると襟を合わせ直す。

 国同士の大きな戦争こそないものの、決して治安が良い訳でもない時世だ。いつ、不測の事態が起きてもおかしくないほどの心構えは常に怠っていない。それが一国を治める者としての心構えだ。

「預言者達が啓示を受けました……」

 人間界よりも更に高位の次元。そこは俗に精霊界と呼ばれている。その世界には人間界を構成する様々な遺伝子が存在する。この遺伝子は世界を構成する最小単位、いわゆる世界の設計図だ。これを読み取る事が出来ると、人は世界でどんな事象が起こり得るのかをあらかじめ知る事が出来る。そして先天的にこの力を持つ人間こそが預言者と呼ばれる人間であるのだ。

「啓示だと? それで内容は如何に?」

 啓示とは、預言者が意図して読んだのではなく、向こうの方から遺伝子が逆に飛び込んできた場合を指す。遺伝子達は人間と仲良くしたいのか、人間にとって不利益な情報はいち早く伝えてくる。そのため、前もって対策を立てて被害を最小限に抑えられるのだ。そういった力を持つ預言者を世界各国の王が擁護し、啓示によって国の治安を守り続けているのである。

「そ、それが……」

 しかしその従者は、口をこもらせたままなかなか一向に話そうとはしない。まるで啓示の内容を伝える事を躊躇っているかのようだ。

「構わぬ。いいから話せ」

「では、恐れながら……」

 従者は一度大きく息を吸って吐き、自らの気持ちを落ち着ける。それから二度三度咳払いをし、再度改まってからゆっくりと震える唇で話し始めた。

「預言者達の話では、ミレニアムがやってくるそうです……それも今から一週間後に」

 一瞬の静寂が辺りを包む。

 その言葉に、国王は俄かに驚きの色を瞳にあらわにした。しかし、辛うじて声が口を飛び出すのを堪える。

「そうか……」

 ただそう一言だけしか国王は答える事が出来なかった。

「……如何いたしましょう?」

 従者は苦悩の表情を浮かべる国王の顔から視線を背けながら、そう恐縮しながら問うた。

「各主要国に伝令を。これより合同サミットを開くと」

「では、国王」

「そうだ。皆まで言うな」

「承知いたしました」

 そう言い残し、従者は静かに寝室から退去していく。

 従者の気配が完全に消えると、国王はようやく大きな溜息をついた。

「遂に私の代で、来るべき日が来たか……」

 国王はベッドから起き上がる。

 ぎゅっと握り締められたこぶしは細かく震え、奥歯を強く噛み締めている。

 国王は突然の知らせに、何もかもを投げ出して逃げ去りたい衝動に駆られていた。無論、一国の主たるものにそのような振る舞いは許されない。指導者であるべき自分は、何よりも民の先頭に立って向かわなければいけないのだ。

 自分に普段の冷静さが戻るまでは随分時間が必要だった。頭の中を何度もちらつく悪い影を完全に隅へ押し込むまで、正常な思考力は皆無と言っても過言ではない。それだけ自分は心の底から動揺し、また如何なる奇襲戦争にも動じなかった自分がこれほどまで我を失いかけるほどの事が起きようとしている。

 人の力にどれだけの可能性があるのかは分からない。だが、真っ先に逃げ出す事だけはしたくはない。それが王族にとって最も大切な誇りであるのだ。

「この世界は箱庭ではない事を、この私が必ずや証明して見せる……!」

 夜空には頭の欠けた月が赤々と浮かんでいる。赤く輝く不気味な月だ。

 その月に向かい、王はそう固く決意を固め直した。