くそっ……。
俺は転げるように岩山の影に身を隠す。
ぜいぜいと落ち着きのない呼吸。額からは次から次へと大粒の汗の雫が流れ落ちてくる。だが俺は自分の気配を消す事だけに専念した。
「アハハハ! ドコに行ったのかナ〜?」
アマテラスの嘲笑が辺りに響き渡る。
「ま、所詮はそんなモンだな。人間は人間らしく、チョロチョロと逃げ回ってる姿がお似合いだぜ」
俺は二人の居場所を探るべく、じっと神経を周囲に集中させた。頭の中に、この高天原の立体的な地図が浮かび上がる。そこには二つ、大きな存在感を放つ者の気配がある。赤い光を放つのはアマテラス、黒い光はスサノオだ。
俺が身を隠している岩山に二人の気配が近づく。だが、それ以上に凄まじい殺気が質量を伴って首にまとわりついてくる。俺は思わず高鳴る心臓を押さえる。心臓の音すらも聞き取られ、俺がここに身を潜めている事を気取られそうでならなかった。視線を送られただけでも呼吸が止まってしまいそうだ。
二人と同じ純粋な神だった頃は、そんな事で怯えたりはしなかったのに。たとえ霊的には同質だったとしても、人間という肉の器に収まってしまったため、より上位の存在に対しては本能的に畏怖してしまうのだろう。
いや、それよりも。
「見ィーつけた!」
不意にアマテラスの嬌声が頭上から響く。
ハッ、と上を見上げた瞬間、視界が真っ白な光に包まれた。
「ぐあ……ああっ!」
凄まじい熱量をはらんだエネルギーを浴びせられ、俺は悲鳴のようなうめき声を上げる。だがその声も、周囲をえぐり溶かしていく轟音に安々と飲み込まれていく。
みしみしと普通では考えられない高熱が体に侵蝕してくる。それを、俺はどうにか障壁を張る事でその高熱に耐える。それでも、水なら一瞬で蒸発するぐらいの熱が漏れ出てくる。肌を焦がす疼痛に全身を苛まれながら、俺はひたすら攻撃が終わるのを待った。
「へー。まだ耐えられんだ? 随分厚い障壁張れるんだ。人間のクセに」
数十秒間続いた高熱が途切れ、再び辺りに静寂が戻る。周囲は俺が立っていた中心地を除き、綺麗な円形にえぐれていた。なんとか膝をつかずに立っていられた俺に、アマテラスは嬉々とした表情でそう笑う。
この圧倒的な実力差。向こうはまだまだ遊び半分で手加減をしている。しかし俺は、こうして逃げ回りながら攻撃に耐える事だけでほとんど精一杯だ。この三日三晩、俺は逃げる事ばかりに専念してしまっている。
「お前が弱いんじゃねえのか?」
と、いつの間にか俺の傍に立っていたスサノオがアマテラスに向かってそう挑発する。
「はあ? アンタ、先に殺されたい?」
ニヤリと笑うアマテラス。だが、その目は前にも増して凄まじい殺気を放っている。それを傍から見ているだけで呼吸が止まりそうだった。
「まあ、それも面白ェかもな? コイツがさ」
ガツン、という衝撃が頭の中に響く。俺の体は激しく吹き飛ばされた。
スサノオが俺を蹴り飛ばしたようだ。一瞬の事でいつ蹴り飛ばしたのかも分からなかったが、この骨の軋む感覚からして間違いはないだろう。
「案外手応えなくてさ、興醒めしてたんだよな。お前ならちっとはマシだろうし」
ニイッ、と歯をむいて笑うスサノオ。
残虐な笑みだ。スサノオはとにかく自分の手で何かを壊す事を至上の喜びとしている。いつかのミレニアムでスサノオが勝者となった時、こいつは世界中の人間を引き裂いて滅ぼしたそうだ。
「綺麗さっぱり消してあげるわ。その前に、存分に痛めつけさせてもらうけど」
アマテラスは典型的な可虐趣味者だ。意味もなく誰かを傷つけるのは日常茶飯事で、血を流させはするが決して一撃で死なせる事はない。死のギリギリ限界まで追い詰め、飽きたら得意の凄まじい高熱で消してしまうのだ。
共通している事は、互いにとって人間はただの玩具でしかないという事だ。
人間は神を崇めているというのに。何故、俺達は人間に哀れみを持てないのだろうか?
二人が遂に殺し合いを始めた。
神が哀れみを持てないのは人間に対してだけではない。神は生きとし生けるもの、全ての存在に対してだ。
どうしてこんなに血に餓えているのだろう?
俺達は、壊れている。