夜明けが近い。東の空が白々と明るみ始めている。狂宴もこれでめでたく終幕だ。
「ちくし……ょ」
俺の足元にはスサノオが半死半生の状態で横たわっていた。意識は辛うじて残ってはいるものの、もはや体の自由になる個所は極々限られている。手も足も、その機能のほとんどが果たせないように潰した。神ならばその程度のケガならば自己回復で治せるのだが、今のスサノオには回復に回せるエネルギーなど残っていない。
アマテラスは何時間か前に俺が跡形も無く消し飛ばした。断末魔の悲鳴もあげられないほど一瞬の事だった。回復のためのエネルギーは残っていただろうが、たとえ回復できたとしても結果は何ら変わらない。スサノオも、アマテラスも、今の俺には勝つ事が出来ないのだ。
前回のミレニアムと同じ展開だった。互いの実力が拮抗し、勝負の行方は最終日までもつれこんだ。そして、その日もまた今回と同じように満月の夜だった。俺の中の神性がもっとも活発に動き出す日である。満月の夜の俺は無敵だ。あの時も今のようにスサノオもアマテラスも俺には手も足も出ずにやられていったのだ。
「なんでこの俺が、人間如きに……!」
「もっと早く殺しておくんだったな」
スサノオは這いつくばったまま、ぎりっと奥歯を噛み締める。今すぐにでも立ち上がり俺を叩き殺したいだろう。しかし、その意思とは裏腹に体の方は自由にはならない。後、一手。俺がとどめを刺すだけでこの世から一時的ではあるが消え失せる。
俺はゆっくりと右手にエネルギーを集め始めた。瀕死とは言っても、スサノオの頑強さは俺達の中では随一を誇る。余計な苦しみを与えぬためにも、一思いに事切らせてやるのが、かつて同じ立場だったよしみの情けだ。
スサノオを倒せば、今回のミレニアムの勝者は俺になる。同じ神が続けて制覇するなんてこれまでにはまだ一度も前例は無い。しかも、俺は人間の肉体のままでだ。魂こそ神性は失われていないとはいえ、肉体は滅びやすい人間の体だ。エネルギーの絶対量も純粋な神とはあまりに違い過ぎる。にも関わらず、俺がアマテラスを倒しスサノオまでも圧倒したのには、俺の神としての能力に理由がある。
スサノオは力の神、アマテラスは太陽の神、そして俺は月の神だ。俺にはスサノオのような圧倒的な腕力もアマテラスのような高熱を作り出して放つ力もない。その上、力のほとんどは満月の夜しか発揮する事が出来ないという制約までつけられている。
だがその力とは、一晩だけエネルギーが無尽蔵に膨れ上がるというものである。いくら体が脆弱だとしても、エネルギーが膨大にあれば幾らでも瞬時に再生する事が可能になる。無論、攻撃力もこれまでの比ではない。攻防の不利が埋められてしまえば、たとえ体は人間だったとしても神と対等以上に渡り合う事が可能だ。
そして俺は、この無限のエネルギーと再生能力で二人を討ち取り、今まさにミレニアムの勝者になろうとしている。人間界を千年の間、自分の思い通りに支配し、他の神からは一切干渉を受けない権限が与えられるのだ。
「やっぱこれを狙ってやがったのか……。道理で無理に攻めてこねえでダラダラと時間をかけるはずだぜ。とんだ臆病者め」
「その臆病者に、お前達は二人がかりでかかってきただろう。しかもその前には、わざわざ罪の無い人間の命まで奪って……」
頭の中に、人間に転生してから今まで俺を育ててくれた二人の姿が浮かび上がる。おじいさんとおばあさん。拾ってきた血の繋がりも素性も知れない俺を実の子供のように育ててくれた、俺にとっては無二の恩人であり家族である。それを、スサノオやアマテラスは戯れの中で殺したのだ。わざと俺の目の前で。
許せなかった。心の底から殺してやろうと思った。
けれど、今の俺は人間に転生してしまっている。かつての力などはほとんど残っていない。だから俺が二人に勝つにはこの能力を使うしかなかったのだ。けれど、その能力が人間に転生した今でも反映されるのかは確信がなかったため、この能力に賭けるのはまさに博打みたいなものだ。俺には他に通用する武器を持ち合わせていない。だから勝ち残るには必然的にこの手段に賭けるしかなかった。
気持ちの上では、たとえその能力までもが喪失していたとしてもただやられるつもりは毛頭なかった。せめて道連れにするぐらいの覚悟は決めて高天原には来たのだ。人間を戯れに殺す事がどれだけ罪深いのか、それを直接知らしめるために。
そして、今、その独り善がりな正義の念も晴れて果たす事が出来た。復讐なんて喜ばれたものではないが、この二人に罪を悔いさせる事は出来なかったものの因果応報の理というものを刻み込む事は出来たのだから。
「少しは考えるんだな。神と人間との本当に適切な関係というものを」
俺の体に充満していた有り余るほどの膨大なエネルギーがゆっくりと下火になっていく。この能力は夜が明けてしまえば終わりなのだ。けど、今のスサノオを倒すには100%の力は必要ない。たった一夜だけの能力だが、俺の気持ちを果たすには十分過ぎる時間だ。
「テメエ、なんでそこまで人間に肩入れなんかするんだよ!」
「神には分からないさ……。その理由が分かれば、お前はとっくに神なんか辞めている」
だから俺は人間に転生したのだ。神という優位な立場に慢心し、魂の品位を腐らせていく。そうやって生きていくのが苦痛なのだ。確かに人間は愚かしい争いを繰り返し、精神的な廃退が著しい。けれど、神とは違い未成熟な存在であるからこそ、これから進歩していく可能性もあるのだ。既に完成された存在である神はこれ以上の進展はない。何も変化のない日々がどれだけ苦痛なのか。変わらない事を苦痛と感じた瞬間、俺は既に神ではなくなったのだ。
「終わりだ」
俺は集中させたエネルギーをスサノオにぶつけた。まばゆい光がスサノオの体を包み込む。そしてゆっくりとスサノオを分解していく。
「ちくしょう! ふざけやがって! なんでテメエみてえな甘っちょろいヤツにやられなきゃならねえんだ!」
光に包まれ身動き取れないスサノオが、急速に体を削られながらもそう激しく吠えた。だが俺は、その光景をただ静観していた。まるで心だけがどこかに切り離されてしまっているようだった。
「次を見ていろ! 次こそは必ずテメエに勝ってやる! そしてテメエに人間共が死んでいく様を見せてやるぜ!」
深い憎しみに満ちた眼差し。自分を殺した俺に対する怒りだ。けれど、俺は何も感じなかった。かつてスサノオに殺された人間も、スサノオに対してそんな感情を抱きながら死んでいったはず。その立場が逆転してしまっただけなのだ。だから俺は何も感じない。いや、単に何度も繰り返してきた事だから何も感じないようになっているだけなのだろう。
「必ずだ! テメエのふざけたその考えも! テメエ自身も! 全て否定してやる! 憶えているんだな! ハーッハッハッハ!」
狂的な笑い声をあげるスサノオ。だがその声も光の中に飲み込まれていった。
光がスサノオの全てを飲み込みゆっくりと消えていく。丁度その時、訪れた静寂と共に一条の眩しい光が辺りに差し込んだ。
「夜明け……か」
遂に訪れたミレニアムの日。俺は清々しさと空虚さを同時に感じながら日の出を見つめていた。
今、俺には世界を千年の間自由に出来る権利が与えられている。どのような世界を創ろうが俺の自由なのだ。光溢れる幸福な世界でもいい。闇に閉ざされた絶望的な世界でもいい。そんな世界と人間というニュアンスを交え、箱庭ごっこをしながら楽しむ。それが、このミレニアムの本質なのだ。
けれど。俺は前回のミレニアムと同様に人間に干渉するつもりは一切ない。世界にも何の手を加えるつもりもない。神という絶対の決定者がいない世界が俺の理想とする世界なのだ。世界を良い方向にも悪い方向にも変えていくのは他ならぬ人間自身。人間は失敗を繰り返しはするが、その過程の中で必ず正しい選択肢を掴み取り、そしてより良い自分達が理想とする世界を作り出すものだと俺は信じている。人間の暗黒面ばかりが表立ってはいるが、決して愚鈍なだけの存在ではない。人間には人間しか持たない美徳がある。そして、それが内なる闇に負ける事は決してないのだ。
だからこそ、俺は人間が正しい評価を具現化するためにもミレニアムを勝たなくてはいけなかった。本質的な自由の中でこそ、人間の美徳は培われるはずなのだから。
さて、帰ろう。
俺には帰る場所がある。人間として生きていく場所が。
神である事をやめた俺の、もう一つの姿。人間としての顔。
いや、その姿こそが、いつかきっと本当の自分になりうるはずだ。