「え……アクティ?」
私は茫然としたまま、目の前の状況を静観していた。
血まみれで動かなくなったおじいさんとおばあさん。そして、血の海になった辺りに一人立つアクティ。
一体何が起きたのだろう?
ただそんな言葉が浮かぶばかりで、頭はちっとも考えようとはしなかった。
「ルージュ……これは」
アクティがそっと私に歩み寄る。
が。
「嫌っ!」
思わず私はそう叫んでしまった。
一体何が起こったのか分からない。けど、周辺には他に誰も人はいない。こんな山奥に、私達の他に住んでいる人なんていないのだ。だったら、行き着く先は一つしかない。それが、どれだけ私にとって信じられない事だとしても。
「アクティなの……? どうしてこんな……」
詰まる喉の奥から、やっとそれだけの言葉を振り絞った。恐ろしさと悲しさが私を侵蝕していく。
「違う!」
だが、アクティは頭を振って叫び、私の言葉を否定した。そんな事をするはずがない、と。
そんなアクティの様子に、自分の思い過ごしだったと少しだけ安堵した。だが、すぐに私の胸の中に理不尽なほどの怒りが込み上げてきた。
ならば、おじいさんとおばあさんはどこの誰にこんな目に遭わされたというの?
アクティは一緒にいてて何もしなかったの?
事情も何も分からないクセに、気がつくと私は、その怒りの全てをアクティにぶつけていた。
「じゃあ何なんなのよ! これ、どういう事なのか説明してよ!」
頭の中が真っ白のままなのにも拘わらず、どこからかそんな言葉が出てきた。
私には何が何だか訳が分からなかった。
一体どうしてこんな事が起こらなくてはいけないのだろう?
そんな理不尽な思いを、ただただそうやって感情のままに叫ぶ事で倒れそうな気持ちを辛うじて持ち直すことが出来た。アクティには悪いと思った。でも、アクティを責めない事には今の自分を保てそうになかったのだ。
「ルージュ……」
アクティは酷く悲しげな表情をしていた。思わず目をそらして顔をうつむける。
私は、やっぱり言うんじゃなかったと、今更ながら後悔した。こんな状況にさらされ、辛い想いをしているのは何も私だけではないのだ。アクティだって辛いだろうし、私みたいに叫びたいはず。
とにかく今は冷静になる事が必要だ。状況をちゃんとしっかり理解して把握しなければ。
「あ、あの……ごめん。つい、怒鳴っちゃった」
今更ばつの悪い謝罪の言葉を述べる。けど私は頭を上げる事が出来なかった。
アクティは何も言わず黙っていた。
私の一方的な罵声に対して怒っているのか。それとも何とも思っていないのか。何か喋ってくれない事には不安で仕方がない。
私は恐る恐るアクティの方を見た。
アクティは私の方をじっと見つめていた。怒りとも悲しみともつかない、けど決して無表情という訳でもない不透明な表情。そんなアクティと、予期せず真っ向から目と目が合ってしまう。
「あ……」
私は思わず声を上げてしまった。
アクティの黒かったはずの瞳の色が、柔らかい光を放っていたのだ。それは、まるで闇夜を淡く照らす月光のような光だ。
明らかに人間にはありえない瞳の色だ。そもそも、どうして急にアクティの瞳の色が変化してしまったというのだろうか。私にはそれが分からなかった。
「ごめん」
たった一言、ぽつりとアクティはつぶやいた。
それっきりだった。アクティは音もなく私の横を通り過ぎていった。
私はおじいさんとおばあさんの元へ座り込んだ。
そっと体に触れてみると、まだ体温が微かに残っていた。けど、息をしていない。カッと見開いた虚ろな目を、私は泣きたくなるのをこらえて閉じてあげた。
冷静になろうと自分に言い聞かせていたのに。今、私は冷静になった事を後悔した。冷静になってこの状況を、現実を理解し始めると、どうしようもないほどの悲しみが胸の奥から込み上げてきた。頭の中が混乱して支離滅裂な事を叫んでいた時の方が、ずっと気持ち的には楽だった。
幼い頃に両親をなくした私にとって、おじいさんとおばあさんが両親だった。
おじいさん。頑固で偏屈で近寄り難い人だけど、いつも私の事を思ってくれていた頑なな人。
おばあさん。そんなおじいさんをたしなめるのはおばあさんの役目だった。笑顔を絶やした事のない、温かく優しい人。
こんなに素敵な二人が、どうしてこんな惨い死に方をしなくてはいけないのだろう?
私は理解が出来なかった。それ以上に、あまりに唐突な事で感情が死を受け入れることを拒否している。理性では既に淡々と二人の死を受け止め、今後自分はどうするのかを思案し始めているのに。
とにかく、このままでは可哀想だ……。
こういう時はどうしたらいいのか分からなかった私は、やがて立ち上がると家の中に戻った。
「ねえ、アクティ。どこにいるの?」
私一人ではどうにもなりそうもなかったので、手伝ってもらおうとアクティを呼んだ。今は顔を合わせづらかったが、一人では何も出来ないのだ。
あれ……? どこに行ったの……。
しかし、幾ら探しても一向にアクティの姿が見つからなかった。リビング、キッチン、アクティの部屋、他にも家中の隅から隅まで探してみたが、どこにも見つからない。
「あ」
ふと私は、テーブルの上に置かれている一枚の手紙を発見した。
すぐ戻る。
ただ一言、簡潔に言葉がしたためられていた。
それはアクティの文字だった。幼い頃からずっと一緒に暮らしてきたのだから、私が見間違うはずがない。必ず文字が上に上がっていくクセもそのままだ。
どうしてそんな事をわざわざ手紙に書くのだろう?
理由は簡単だった。手紙の中で言う”すぐ”とは、今日明日に帰ってくるという意味ではないのだ。
そんな……。
アクティがいなくなった。
そう思った瞬間、全身の力が抜けていくような気がした。最後の砦にしていた気力までが打ち崩されてしまった。
どうしてなの……?
みんな、いなくなる。
ずっと今まで四人で幸せに暮らしてきたのに。たった一日で、私は一人ぼっちになってしまった。
これほど悲しい事はなかった。おそらく、私に考えうる最悪の不幸だ。孤独になる事の寂しさや辛さは想像の範疇でしか知らない。そんな私がある日突然、孤独の中へ放り投げられたのだ。これから自分がどうしていけばいいのか、なんて何も考えられない。一人で生きていく自分の姿が想像も出来ないのだ。
本当に、今度こそ私は最後の気力を失ってしまった。
何故?
どうして?
そんな疑問符ばかりが頭の中に浮かんでは消える。しかし答えは一つも浮かんで来ない。
大好きなおじいさんとおばあさんが死んだ。
アクティは急に姿を消した。
こんなにも不幸が連続するなんて。
今度は私自身に振りかかる番なのだろうか? 今以上の不幸なんて、私には考えつかない……。
と、外からガラガラと物音が聞こえてきた。
何の音だろう。ふと頭を上げたその時、馬の鳴き声がした。
「馬車……?」
しかし、ここにどうして馬車が来るのだろうか? おじいさんは基本的に人嫌いだったから、訪ねてくる人なんてこれまでにも指で数えるほどしかなかった。しかも、その中で再び訪ねてきた人はいない。
トントン
ドアがノックされた。やはりこの家に訪ねてきたようだ。いや、そもそもこの付近にはこの家以外に民家はなかったっけ。
私は何とか気持ちを落ち着け表情を正してドアを開けた。
「失礼。我々は王都から王の勅命を受け、こちらに訪問させていただきました」
するとそこには、見慣れぬ一組の男女が立っていた。
二人の着ている服には見覚えがあった。確か、国王の側近の人達数名だけが着る事を許されているという制服だ。