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「国王……」

 深夜。

 静まり返った謁見の間の王座に、国王はただじっと座していた。まるで仮面を被っているかのように表情はなく、深い疲労と絶望の色が濃く浮かんでいた。

 その謁見の間を、大臣が恐る恐る足を踏み入れる。国王の憂鬱を誰よりも傍で見てきたからだ。

「高天原は見つかったか?」

 見つかる訳がない。諦めと自嘲に満ちた口調で国王は答える。大臣はただ国王の気持ちを汲み取り、心痛な面持ちで目を伏せるしかなかった。

 ミレニアムが間近に迫っている。預言者衆がその啓示を受けたのは一週間前の事だった。それから今日に至るまで国王は打てる限り、考え付く限りの回避法や防衛策を講じた。この日のため、何十年も前から神と戦えうる戦力を育てる体制も整え続けてきた。国同士の無用な争いは凍結し、ただひたすら人類共通の敵である神に立ち向かう準備を着々と進めてきた。

 しかし。

 無情にも、結局は何一つ具体的な策も成し得ぬまま、こうして最後の夜を迎えてしまった。

 ミレニアム。

 千年ごとに訪れる人間界の改変期。この世界を支配すると言われている三人の神の内の一人に世界を滅ぼし尽くされ、再び人類は一から歴史を歩まざるを得なくなる。そこに人類の一意はなく、ただ神のきまぐれで蹂躙されるだけなのだ。何もかも、自分達の碑がリセットされてしまうのだ。そこに、かつて自分達人類が繁栄を築き上げていた証拠は残らない。文字通り、跡形もなく消え失せてしまうのだ。

 幾ら神といえども、何の理由もなく人間を殺して良いはずがない。

 その意思が、ただ虐げられるだけの立場だった人類を抗いようのない運命に立ち向かわせた。

 人間にも神と同様に意思というものがあるのだ。もし、その意思を無視して踏み潰すという行為が、神に限って正義と呼ばれるならば。自分は喜んで我が身を罪に染めるだろう。たとえどんな法律に反しても、宗教の厳格な教えから外れたとしても、国民を守るの事こそが国王としての正義なのだ。

 だが、そんな殊勝な心がけも空転の一途を辿るだけだった。

 三人の神々が支配権を巡って殺し合いをすると言われている高天原を見つけ出し、最後に勝ち残った神に各国の連合精鋭部隊をぶつけて殺す。その具体案は何十年も前から出されていたもので、そのための体制は各国共に整えられていたはずだった。しかし、人類は高天原を見つける事が出来なかった。言うなれば、この作戦の最も要となる要素であったはずなのに。それが抜けてしまった以上、これまでに行ってきた準備は全て水泡に帰してしまう。

 生き残った神は、激戦により疲労した体を回復させるなり高天原を飛び出し、いよいよ明日のミレニアムを迎えた期に人間界を滅ぼしに来るだろう。

 戦いを終えた直後の弱りきった状態に精鋭部隊をぶつけて、良くて五分、実際の実力差は六分四分ほどかもしれない。しかし、世界を安々と滅ぼす力を持つ存在を倒すにしては正面からぶつかるよりも遥かに現実的な数字だ。だが高天原を見つける事が出来なかった今、人類の勝率は限りなくゼロに近い。完全な体勢の神に、人間など幾ら群れ集まった所で全く歯が立たないのだから。

 勝率は限りなくゼロ。

 それの意味する所を考えるだけで、国王は悔しさと絶望感に苛まれた。

 神にとっては都合のいい玩具でしかない人類。そんな現実を変えるべく、自分は先代、先々代の国王から脈々と続いてきた意思を受け継ぎ、そして立ち上がったというのに。

 結局、千年前と同様に人類は滅ぶしかないのだろうか?

 突きつけられたその現実は、一国の主として誇りなどを容易に闇の彼方へ飲み込ませていく。

 今、民達は明日に向けて一時の休息を取っている事だろう。夜が明ければ床を出て、一日の始まりを実感しながら仕事の準備を始める。そんな日々を繰り返しながら、人類はここまで発展を遂げてきたのだ。

 誰もが皆、この夜も明けるものだと信じているのだろう。まさかそれが、よりによって神に何もかもを蹂躙されてしまうだなんて思いもしないはずだ。

 やはり人類は神には勝てないのか……。

 ―――と。

「国王! 大変です!」

 突然、けたたましい音を立てながら一人の役人が転がり込むように謁見の間へやってきた。

「なんだ、騒々しい!」

「も、申し訳ありません大臣殿。しかし、とにかく大変な事が起こったのです!」

 狼狽しきった様子の役人。既にこの城の人間のほとんどはミレニアムの事と、そしてその阻止作戦が失敗に終わった事を知っている。後は世界が滅ぶのをゆっくりと待つだけだというのに、今更何を慌てる事があるのだろうか。

 どこか気持ちが虚ろになりつつあった国王だったが、必死の形相でしきり大変な事が起きたと訴え掛ける役人の言葉に耳を傾ける。

「先ほど、預言者衆から預言がありました」

「預言? 何を今更そんな事を」

 預言者衆の預言とは、主に危険を事前に察知して被害を最小限に食い止めるために用いられる。だが、高天原が見つからずミレニアムを阻止出来なかった以上、世界の滅亡よりも大きな危険など存在しないというのに。

 だが男は尚も興奮した様子で言葉を続ける。

「三人の神の戦いが終わったそうです。ですが、預言者衆は皆、口々に”ミレニアムはやって来ない”と……」

「なんだと!?」

 役人の言葉に、これまで抜け殻のようだった国王は途端にいきり立った。

「それは本当か!?」

「はい、確かにこの耳で聞きました。他にも何人か聞いた者はいて、城内は今、その話題で持ちきりです」

 信じられない、と国王は驚きで目を見開いた。

 預言者の預言は必ず起こりうるはずだった未来をあらかじめ知る事が出来る特殊な力だ。預言とは預言者自身が感じた事を言葉にしているのではなく、精霊界という特殊な世界に漂う情報を引き抜いてくるというものである。そのため、決して彼らの言葉には嘘偽りはなく、また的中率はほぼ百パーセントに近い。預言者の預言が外れるという事は、確率にして何万分の一のものだ。

 仮に、その何万分の一が皮肉にも今起こったとしよう。しかしそれが、十三人いる預言者に同時に起こりうるだろうか? ”ミレニアムが起こらない”という預言者の言葉も俄かには信じられない内容ではあるが、十三人とも外してしまうという事も考えにくい。

「一体、それはどういう事なのだ?」

「いえ、分かりません。預言者衆もただ、神の気配は三つとも消えてしまったとしか……」

 神の気配が三つとも消えてしまった? それでは、今度のミレニアムでは三人が同士討ちになってしまったという事なのだろうか?

 今までそんな事例は聞いた事がない。ミレニアムの戦いでは、必ず誰か一人の神が生き残り世界を滅ぼしていた。もし、過去にそんな事例があるならば、最低でも二千年繁栄した時期がある。その時の出来事が文献として残っているはずだ。

 とにかく考えていても仕方がない。不足の事体にいちいち取り乱しているようでは一国の主は務まらない。

「各国の首脳陣、そして近衛兵団を集めろ。これより緊急議会を開く」

 国王は王座から立ち上がり、大臣と役人に毅然とそう言い渡した。

「何が起こったにせよ、現状はしっかりと把握しなくてはいけない。それで初めて、我々は平和が訪れた事を確信出来るのだ」

 大臣と役人は敬礼もそこそこに、すぐさま議会の準備のためにその場を飛び出していった。

 再び静寂を取り戻した真っ暗な謁見の間に、国王は一人立ち尽くしていた。

 突然舞い降りた幸運。何故そうなったのかは分からないが、少なくとも神がいなくなりミレニアムが来なくなったという事は、すなわち人類の更なる繁栄が約束された事になる。

「我々は……人類は、生き延びる事が出来るのだろうか?」

 だが、それは本当に約束されたものなのだろうか?

 国王は、俄かには信じられなかった。