車の窓の外にアッパーエリアの風景が流れている。

 アンダーエリアとは比べ物にならないほど、豪奢な建物ばかりが建ち並んでいる。庭付き一戸建ては当たり前、広い庭には人工芝ではなく培養された本物の芝が敷き詰められ、旧時代の有名な彫刻家の作品のコピーをさも誇らしげに並べている。こういったものに興味がある訳でもなく、集める事で自分のステータスを誇示しているにしか過ぎない。

 人間的には俗で矮小だ、と心の中でなじる反面、自分達との経済力の格差に苛立ちを覚えた。

「ねえ、リーダー。追っ手とか来ないわね」

「アッパーエリアには、アンダーエリアのように体制の整った治安機構が存在しないんです。元々、物質的には満たされているため、犯罪発生率も極端に低いですから厳重に取り締まる必要はないんですよ。もっとも、アッパーエリアでは権力格差が大きく、自分より権力が上の者には逆らえないのが現状ですが」

「弱肉強食って事か……」

 幾ら理性的な生き物とはいっても、所詮人間も弱肉強食の摂理からは外れる事が出来ないのだ。

 僕達のやろうとする事も、正義のためだ自由のためだ、とか大儀を掲げてはいるが、より強い者がリーダーとなる動物達の掟と比べた所でさほど変わりはない。

老いたリーダーは若い狼にその場を奪われる。それは人間にも当てはまる事だ。

政府の連中は、歳を取り過ぎた。居心地のいいイスに固執するあまり、本来の役目というものを忘れてしまっている。だから革命が必要なのだ。新しい、若いリーダーが。

「ジェミニ、ウィルスの活動開始までは後何分だ?」

「残り17分です」

「予定通りですね。B班C班と連絡を取って下さい」

「了解」

 モバイルを開き、通信回線を繋ぐ。

「現在の状況報告を確認して下さい」

「了解。『こちらA班。状況報告をせよ』っと」

 カタカタとそう打ち込み送信する。数十秒のタイムラグの後、返信が来る。

「B班C班共に合流地点へ向かっている最中です。到着まで、B班はおよそ12分、C班はおよそ13分です。B班に軽傷者若干名、C班は軽傷者二名、重傷者一名が出た模様」

 重傷者一名。その言葉が車内に重苦しく響いた。

「重傷者ですか……。これまで共に戦ってきた仲間ではありますが、人員を割く余裕はありませんね。突入の際は置いていく事にするしかありません」

 毅然とした表情ながらも、苦いものが唇の端に見え隠れしている。

 人の上に立つ者は、時として非情な選択を強いられる事がある。ここで私情に振り回され選択を誤るのは、人としては正しいのかもしれないが、リーダーとしては間違った選択になる。結果、更なる被害を生む事に繋がるかもしれないからだ。そうならないためにも、たとえ残酷な選択となろうとも、最善の結果を出すための選択を選ばなければならない。非情性、悪い言い方をすれば非人間性も人の上に立つ者には不可欠な資質なのだ。

 助けに行きたい気持ちと、作戦を成功させたい気持ちが葛藤しているであろうリーダー。その上で、断腸の思いでの選択。アンタレスは現行の政府の解体と新しい政治体制の土台を作るために発足された革命団だ。その目的を果たすためにはどんな事でもしなければならない。たとえ、これまで共に活動してきた仲間を見捨てる事になろうとも。

「見えてきましたね、国会議事堂」

「お、早速やってるわ」

 十六分後、目前に一際巨大な建造物が見えてきた。

 あれが政府の権力の象徴、国会議事堂だ。その姿は学校のテキストで嫌になるほど見てきた。同時に、そこに巣食う連中の偉大さ素晴らしさも叩き込まれてきた。いわゆる洗脳教育だ。これを受けてきた人間は、政府に対して感謝の念を忘れない人間に育つか、もしくはその逆だ。アンタレスには、丁度後者の人間ばかりが集まっている。

 国会議事堂の正面には大勢の人間が二手に分かれて群れ返っている。一方は建物の影に隠れながら、もう一方は車を盾にしながら激しい銃撃戦を行っている。

「時間がありませんね。このまま強行突破しましょう」

「強行突破って?」

「この車で、中まで直接入り込みます。そろそろウィルスが起動する時間ですから」

 リーダーの指示に従い、運転手はアクセルを踏み込み更に加速する。

「強行突破って、これって衝撃だけだったら事故と大して変わらないんじゃ?」

「まあ、何とかなるわよ」

 何故か安穏としているヴァルゴさん。

 訊ねる相手を間違った。僕はモバイルをカバンの中に仕舞いこみ、それをしっかりと抱きしめ、シートベルトを付け直し肘置きにがっちり掴まる。と、頭を打ったらマズイと気づき、片手は自分の頭の方へ回す。

「そんな固くなるなって。あ、みんな両端に寄って道空けてくれるわ」

 空けたんじゃなくて、はねられたくないからだって。

 心の中でそうツッコミを入れつつ、目をつぶって来るべき衝撃に体を硬直させる。

「ぶつかるぞ!」

 リーダーの声。同時に僕の体が更に硬度を増す。

 ドォン!

 轟音と共に全身に衝撃が走る。体が前へ強く押し付けられ、頭が激しく揺さ振られる。

 金属を引き裂くような音とブロックの破壊音のセッション。怖くて目は開けられないが、車が強引に建物の中まで押し入っているのは十分に推測できる。

 と、突然、今度は右方向へ重力がかかり、体が右へ押し付けられる。車が横滑りしているのだ。

 ガツンッ、という衝撃が右から左へ駆け抜ける。同時に、ようやく車が止まった。

「すまんね、ブレーキが壊れちまったみたいで」

 そう運転手の声。

 ようやく僕は、おそるおそるではあるが目を開いた。どうやら国会議事堂の中に到着したようだ。

「まったく、男の子のクセにだらしがないわね。こんくらい、楽しんでやるぐらいの頼もしいトコ見せなさいよ」

「あいにく、僕はノーマルなんですよ」

 神経を体の方に向けてみる。シ−トにそっちこっちぶつけはしたが、ケガはしていないようだ。めまいも吐き気もしない。指もしっかり動くし、ちゃんと十本ある。モバイルは、まあちゃんと抱えていたから大丈夫だろう。

「よし、時間は一時間です。それを過ぎれば、建物内に無数に設置されたセンサーが復活してしまいます」

「センサーに引っかかったらどうなるの?」

「センサーが議事堂内への立ち入りを認められていない者を感知すると、すぐさま迎撃レーザーで排除にかかります。100km離れてようやく1cmの誤差が生じるほどの正確性ですから、まず逃げる事は不可能でしょう。センサーも、温度、振動、二酸化炭素の三つの角度から監視していますので、センサーを掻い潜るのも不可能でしょうね」

「はあ、なるほど。それはしんどいわね」

「では行きましょう。今、議事堂には首脳陣が集まっているはずです。彼らを捕獲してしまえばミッションは終了です」

 リーダーはドアに手をかけ押す。が、壊れて開かなくなっているらしく、足で蹴破った。

「ほら、早く行くよジェミニ君」

 ヴァルゴさんもドアに手をかけて開けた。

「あ、待って下さい」

 慌てて置いていかれないようにシートから立ち上がる。

 が、腰を少し浮かせた所で急に僕の体がシートに引き戻された。

「シートベルト。まったく、何やってんのよ」

 そんな僕を見て、眉をひそめながら微苦笑する。

「い、急いでたんですよ」

 ばつの悪い思いをしながら、すぐにベルトを外して車から飛び降りる。

「後ろはB班C班に任せよう。ここはセキュリティが充実しているから、警備員も大していないはずです」

「よし、んでは行きますか」

 ヴァルゴさんは銃のリボルバーをからから回し、がちゃっとセットする。何故かその姿が板についている。

 そして、僕達A班はリーダーを先頭に駆け出した。

 タイムリミットまで、後、55分。