国会議事堂の中は、不気味なほどの静寂に包まれていた。辺りには、僕達が駆け抜けていく足音と息づかい以外には何も聞こえない。照明も落ち、非常灯の薄暗い光だけに照らされているため、足元をよく気をつけなければいけない。
どこまでも続く長い廊下をひたすら駆けていく。
廊下には真っ赤な絨毯が敷かれ、時折訳の分からない銅像や絵画などの姿が見かけられる。しかし、走り始めて早々に息の切れ始めた僕には、いちいちそんなものに気を止める余裕などない。
と、ようやく廊下の端に到着する。しかし案の定、そこには更に上に続く階段があった。
もう、これにも慣れてしまった。なんせ、四回目の昇り階段だからである。
ああ、もう……いつまで上るんだよ。
国会議事堂にもエレベーターというものは存在する。しかし、それは今、僕達が流したウィルスプログラム『アンクウ』によって機能が停止してしまっている。非常事態の時は、一切エレベーターが使えなくなるのだ。
他のみんなは割と平然とした顔で走っている。おそらく辛そうな顔をしているのは僕だけだろう。
「なんだなんだ、若いモンがだらしないぞ♪」
そんな僕を見て、嬉しそうにヴァルゴさんがからかう。
「僕は、普段からデスクワーク専門なんです。体力には定評はないんですよ」
「あら、私だって普段はデスクワークよ?」
なんでそんなに元気なんだろう……? 日頃の生活の不摂生が祟っているのだろうか? 考えてみれば、昨夜はほとんど寝ていなかったな……。
四回目の階段は、ひたすらスイッチバックしていくただ上るだけの階段だった。階段を上っていくのは走るよりも辛かったが、どうやら目的地には大分近づいているようだ。
今、政府の連中は一体どうしているのだろう?
三十分ほど前にアンクウは活動を開始した。現在、国会議事堂内は必要最小限の生命維持装置のみが稼動している状態だ。例外に、マザーコンピューターの管理下に置かれていない設備も動く事は動くだろうが、管理下に置かれていない設備なんて、コーヒーメーカーのようなあってもなくても現状には何ら影響を与えないものばかりだ。
はあ、はあ、はあ、と自分の息づかいが更に荒くなっていくのが分かる。体の奥がやけに熱っぽく、振り抜く足の感覚も疲労のあまり薄らいできた。このままだと、後何分も持たないだろう。
自分の体力の限界が見えかけたその時。ようやく階段の終着が見えた。
そして再び、薄暗い直線廊下。
こんなに長い廊下にいちいち絨毯なんか敷きやがっているお上の連中が無性にむかつく。
体力に余裕がないせいだろう。精神的な余裕もなくなってきた。
「全体、一旦停止」
突然、先頭を走るリーダーがそう合図する。
「えっ?」
自分の事だけで精一杯だった僕は合図を理解するのが遅れ、急に立ち止まられた目の前の男の人の背中に強かに鼻を打ちつける。防弾ベストを着込んでいたので肩甲骨に当たらなかった分、幾らかましだったが。
「そろそろ、警備ロボットと遭遇する可能性が高くなってきました」
「警備ロボット? でも、マザーコンピューターは動かなくなっているから機能停止してるんじゃないの?」
「いえ。国会議事堂内の警備ロボットは、緊急時の際には自動的に自律型CPUに切り替わるんです。ですから、他のセキュリティが停止したからといって安直に構えてはいられません」
まだそんなものがあるのか……。まあ、とにかく。これ以上走らなくて済むのならそれでいいや。どうせ白兵戦での戦力の頭数には、僕は初めから数えられてないんだし。みんなの後ろで邪魔にならないようにしていればいい。
薄がりの中を、先を探りながら慎重に進んでいく。
しん、とした静寂。聞こえるのは、絨毯を踏む僅かな音、装備の擦れ合う音、そして、時折咳き込みながら荒い呼吸をしている者若干一名の忙しない音。
と。
がちゃん。
50メートルほど歩いた時、金属の擦れ合うような音が聞こえる。
「今のが?」
「ええ。間違いありません」
暗闇の奥に、点滅する赤い光が見える。
黒い亜人間型のロボットだ。亜人間といっても、ただ四肢と頭に相当するものがあるだけで、体型のバランスも背の高さも、まるで工事用の作業ロボットだ。
がちゃん、がちゃん、と分かりやすい足音を立てながら前進。
一同は俄かに武器を構えた。
ジャキッ。
リロードの音。
瞬間、タァンっと空気の破裂するような心地良い音が辺りに響く。
「ぐわっ?!」
悲鳴。
1メートルほど吹っ飛び、ドサッと床に転がる。同時に、ジャキッとまたリロードする音。
一人、やられたのだ。
「撃ってくるぞ! 一箇所に固まらず散開!」
サッと両サイドに分かれる一同。僕は慌てて、取り敢えず右側へ。
がちゃん、がちゃん、と黒いロボットは恐れもせず前進してくる。
フォルムはいかにも機能性だけを重視したような無骨な形だった。頑丈そうなメインフレーム、油圧式の四肢、そしてそれらを保護する真っ黒な装甲。両手にはそれぞれ銃身が備え付けられている。頭部には真っ赤な光を放つセンサー部が忙しなく動いている。
見た目の鈍重さからは想像できないほどしなやかな動きで両手の銃を構える。
発射。
弾丸は壁に当たり、そのまま深くめり込む。同時に次弾をリロードし、空になった薬莢がバシュッと音を立てて排出される。
「正確性はないみたいですね。一気に行きます」
と、重火器を持った先頭が二人ずつ突進する。
すぐさま接近を感知し、四人に向けて銃の狙いを合わせる。が、彼らは素早く足元へ滑り込み、センサーの死角に入った。ターゲットを見失い、再捕捉するまで数秒。その間は完全に無防備になる。
狙いを膝関節に合わせ、発射。
バツン、と鈍い音が次々とこだまする。
四人の持つ銃口からは硝煙が立っている。休む間もなくリロードしてはありったけの弾丸を膝関節に撃ち込む。
四人が使っている弾丸は手甲弾という装甲を打ち抜くための貫通力に優れた弾丸だ。だが、いくら手甲弾と言っても必ずしも相手に致命傷を与えるとは限らないため、こうしてまずは比較的装甲の薄い所から破壊していくのだ。
数十発の手甲弾を撃ち込まれたロボットの膝が悲鳴を上げ、ゆっくりと崩れていく。
ドォン!
大音響と同時に、ロボットが床に倒れた。
「CPUを破壊しましょう」
リーダーがヒートソードを抜き、加熱を開始する。リーダーは倒れたロボットの後頭部に飛び乗ると、その真っ赤に熱された刃を首に突き刺し、そのまま人間で言う背骨のラインにそって50cmほど足の方へ切り裂いた。
同時にロボットの動きが止まる。今の一撃でCPUが完全に破壊された証拠だ。
「CPUの位置なんて、よく知っているわね」
「このタイプのロボットは、みんな同じ位置にあるんですよ。さあ、急ぎましょう。議会室はもうすぐです」
動かなくなった鉄塊を尻目に、再び走り出す。
そろそろ政府首脳陣の集まる場所に到着するようだ。
突然、また思い出したように緊張が襲ってくる。ここまで来て失敗してはならない、という重圧だ。ふと不安になり、ベルトに差した38口径を取り出し、弾倉をチェックする。五連装で、エレベーターポイントで一発撃ったから、残りは四発。カバンの中からいちいち箱を取り出して弾薬を詰めるヒマなんてなさそうだから、ちゃんと残弾は把握して撃とう。
「着きました。ここです」
ようやく辿り着いたそこには、軽く身長の三倍はあろうかという大きな扉が立っていた。見た目は木目調で前時代を意識したかのような作りだが、周りとの調和が取れてないので滑稽なだけだ。
「時間がありません。一気に突入します。逃亡、反抗する者は、素振りを見せた時点で射殺して下さい。では、いきます」
リーダーは扉の合わせ目の所に手を当てた。そこにはセンサーの一種らしき装置があった。あまり見慣れぬ機械だ。
すると扉は見た目の堅牢さとは逆に、喫茶店の自動ドアのように軽やかに左右に開いた。
「突撃!」
合図と共に、一斉に中へ雪崩れ込む。
がちゃっ、と各々が銃を構えすぐにでも射撃できる体勢を取る。
が。
「あれ?」
しかし、部屋の中は真っ暗で何も見当たらなかった。ここは議会室のはずなのに、人の気配が全くしない。
と。
ズウン!
背後から重苦しい音が聞こえる。はっと振り向くと、今通ってきた扉が勝手に閉まってしまっていた。
「え? これは一体……」
訳が分からず、リーダーへ視線を送る。だがリーダーは、普段のような温厚な表情をしていた。
「おい、こりゃあどういう事だ?!」
「政府のジジイ共はどこにいやがるってんだ?! おい、リーダー!」
奮起して突撃してきたにも拘わらず、部屋の中には誰もいない。闘志が行き場を失い、その所在を求めてリーダーに苛立ったような口調で男が訊ねる。
が。
「うるさい」
パァン、という音と共に、男の体がその場に崩れ落ちる。そしてリーダーの手には、一丁の短銃。銃口からは生々しい硝煙が立ち昇っている。
一瞬、一同は何が起こったのか理解できず、その場に凍りついた。
いや、何が起こったのかは分かる。リーダーが、仲間の一人を撃ったのだ。
理解できないのは、その意図だ。
「さて、茶番はそろそろ終わりにしましょう。ゲームセットです、御一同」
リーダーは暗闇に向かってそう叫ぶ。
「?!」
次の瞬間、何もない部屋だと思っていた周囲に、次々とパネルが現れていった。その数は20前後はあるだろう。
パネルの放つ光によって、部屋が淡く照らし出される。
『どうやら私の一人勝ちのようだな』
『ったく、散々金を賭けたセキュリティロボットだったんじゃがのう。足止めにもならんかったようじゃな』
『まさか本当にここまで来るとはのう。さすが、東郷派の跡取じゃわい』
それぞれのパネルには、老人の顔が映し出されていた。彼らは何かに興じていたのか、勝った負けたといった内容の会話をしている。思わず耳を疑いたくなるような金額の数字と共に。
彼らの顔はどれも見覚えのある顔だった。
そう、忘れたくとも忘れられないように教育された、このUTOPIAの支配者。
「政府の―――」
「そう。彼らが政府首脳陣ですよ」
意味深な発音でリーダーは僕達にそう告げた。
「こ、これは一体どういうことですか?!」
「フフフ……。まあ、混乱するのも無理はないでしょう。なんせ、出し抜いてやったはずの相手に、実は手のひらの上で踊らされていたのですから」
踊らされていた? 僕達が? 一体、何故? リーダーは何を言っているのだ?
『さてと、メインシステムを回復しようかのう』
と、老人の一人。
「回復って、アンクウが破壊したシステムは、最低でも後20分はかか―――」
その言葉を遮るかのように、部屋の照明が一斉に灯る。
『メインシステムは正常に再起動しました。回復率99.8%』
マシンボイスがそう告げる。
「そんな! アンクウは確実に機能したのに!」
訳が分からない。
あまりに沢山の不可解な事が一度に襲い掛かり、僕は何も考えられなくなった。
ただ、絶望という深みに落ちていく感覚だけが頭の中に浮かんだ。