今日の帰りは遅くなる。会社で仕事を終えた後、アンタレスの集まりがあるからだ。内容は会議とかそういったものではなく、準備の中間報告のようなものだ。

 あまり夜遅くまでランを一人で家に残したくなかったが、こういう時は仕方がない。終わり次第、出来るだけ早急に家に帰ろう。

 カタカタカタ……。

 しんと静まり返った部屋に、キーボードを走らせる音が忙しなく響く。

 アンタレスの隠しアジトの端末室。そこは小さいながらも小企業のホストコンピューターに匹敵する機器が揃えられている。室温はひやりと涼しい。機械が放出する熱を冷ますためだ。

「ジェミニ君、凄いの作ったね」

 僕と同じ担当の女性、ヴァルゴさんがディスプレイに映し出されたシュミレート結果を見て感嘆のため息をつく。

「まだ未完成ですけどね。でも、この調子でいけば、確実にファイアーウォールを自動突破しますよ」

「時限爆弾式って所が便利ね。これなら作戦もぐっと立てやすくなるわ」

「次の課題は、デュアルシステムの自動修正機能の破壊ですね」

 デュアルシステムとは、大雑把に言えば、全く同じマザーコンピューターが二つあるシステムだ。データの更新は同時に行われる。また、コンピューターは24時間常に互いを見張りあい、少しでも不正アクセスによる改ざん行為によりデータの食い違いが認められれば、即データが元の状態に修正される。もし、このシステムのデータを破壊するとしたら、両方のコンピューターのデータを同時に破壊していかなければならない。これがウィルスプログラムの開発において頭を悩ませる点だ。

「確かにそれは手強いわね。物理的にやっちゃった方が簡単じゃない? プラスチック爆弾で、ボン!」

 にっこりと笑顔で、右の手のひらをグーから勢いよく広げる。物騒な事を。

「だったら、わざわざウィルスなんか作る必要ないじゃないですか。それに、かえってそっちに潜り込む方が難しいですって」

「フフッ、冗談よ。さて、早いトコ完成させなくちゃねえ。思ったより難航させるわ、この双子ちゃん」

「過去に成功例がありませんからね。参考になるデータもありません」

「でも、もしこれで成功したら、一躍有名人よ? 伝説のクラッカーって」

 目をキラキラ輝かせて陶酔の表情。彼女は伝説という単語が好きらしい。

「別に興味ないです、そんなの」

「あら、欲のない人ね。どうせいずれは死ぬ人生なら、有名になりたいって思わない?」

「ないです」

 あっさりと即答。

 自分にはそんな出世欲は一切ないのだ。そんな柄ではないし、『過ぎたるは及ばざるが如し』という立派な格言だってある。下手に分不相応なものに足を突っ込んだ所で、惨めに大火傷するだけだ。

「ふーん。ジェミニ君、若いのに野心がないわね。一体、何が人生の目標なの?」

「目標、ですか?」

 そういえば、そんな事は考えた事もなかった。振り返ってみれば、僕はいつも目先の事ばかり考えてきた。いや、単にそれは目先の事だけで精一杯で、先の事なんか考える余裕がないだけなんだけど。

「まあ今は、ランの病気を治す事かな」

「じゃあ、その後は? 何かないの? 自分の会社を興してやるとか、新しい画期的なシステムを作って莫大な特許料で楽して生活するとか、ソフトで一発当てて、その金で周りにイイ女はべらかすとか」

 前者二つはともかく、最後のは明らかに男性差別発言だ。そういう事をしたがるのは、あくまで一部の特殊な人間なのに。

「定年まで働く事かな」

「ハッ。夢がないわねえ。ジェミニ君って、確かに同年代の他の男の子に比べたら大人っぽいけど、それじゃあただの老人よ。そんな人に、女の子はときめいてくれないわよ?」

「いいですよ、別にそんなのは。第一、そういうヴァルゴさんだってずっと一人身でしょ?」

「うっさいわねえ。世の中の男に見る目がないのよ」

 本当にそうかな? 実際、見る目があるから一人身なだけだったりして。

「ほら、早く続きやるわよ。遅くなってもいいの? ランちゃんが心配してるわよ」

「その点、ヴァルゴさんは問題ないですものね」

「……どういう意味?」

 まずい、そろそろ冗談が通じなくなってきた。目がマジだ。さて、早いところプログラム組んで帰るとするか。

 概算の予定では、今週の金曜日が決行日だ。ついでに言えば、今会社で作っているシステムの納期も。どちらにせよ、もうあまり時間は残されていない。迅速、かつ確実なものを仕上げなければ。

「ところで、つかぬ事を聞くけど」

「何です?」

「ランちゃん、今どんな感じ?」

 まるで腫れ物にでも触れるかのような、慎重に言葉を選んだ質問だ。

「まあまあ、と言いたいんですけど。はっきり言って良くないです。発作の感覚も薬の量も増える一方で」

「そっか……。じゃあ、何としても作戦を成功させなくちゃね」

「はい。それに、ちゃんとした保険制度を作れば、ランだけでなく、他にもっと沢山の人が助かります。そう思うと、幾ら仕事で頭が疲れていても、時間さえあればディスプレイの前に座るんですよね。ところで、ヴァルゴさんはどうしてアンタレスに入ったんですか? 女性って、こういう物騒なものは普通嫌がるものでしょ?」

「あら、それは偏見よ。世の中にはそういうのも好きな人だっているんだから」

「それって、いわゆる“変わり者”ってヤツですよね?」

「誰が変わり者よ。私だって物騒な事はそんなに好きじゃないわよ。痛いのは人並みに嫌いだもの」

「じゃ、どうして?」

「リーダーがイイ男だから♪」

「はあ、なるほど……」

「ちょっ、そこで納得しないで。冗談よ」

 コホン、と咳払い。

「まあ、こんな御時世ですもの。世の中には政府に不満を持った人がゴマンといるわ。だけど、それで終わりにしてちゃ、いつまでたっても変わらないでしょ? 不満持てば世の中変わるんだったら、私は三人分でも持つわよ。やっぱりね、物事を変えるには受動的じゃ駄目なの。自分から動かなきゃね。それで、自分にとって不満のない、思い通りの世の中にしたいから、こういう反政府運動を始めた訳。それがたまたまアンタレスだったのよ」

「……よく聞いてると、すげえワガママ言ってるようにも聞こえますね」

「立派な志と言いなさい」

 コンコン。

 と、不意にドアがノックされる。

「はい」

 僕はイスから立ち上がりながら返事をし、ドアを開ける。

 その向こうには、ひょろ長い一人の青年。連絡係を行っている人だ。

「ジェミニ! 大変だぞ!」

 やけに切羽詰った様子で、血相を変えて叫ぶ。

「どうかしたんですか?」

「お前の妹が、また発作を起こしたようだ! 今、救急車で病院に運ばれたそうだぞ!」

「何ですって!?」

 僕はすぐさま部屋の中に置いてあった自分のカバンからモバイルを取り出す。

「しまった……バッテリーが切れてる」

 ここの所フル稼働で酷使し、そのまま充電を忘れてしまっていたのだ。

 もし、ランに何かがあれば、すぐさま僕のモバイルに連絡が行くように設定してある。だが念のため、モバイルから応答が十分以上なければ、会社にいる時は会社に、ここにいる時はここの専用回線に連絡が二重に来るように設定しておいてある。

「病院は東地区4−56だ! リーダーにも許可は取ってある。表に車を用意した! 早く行け!」

「はい!」

 僕は素早く身支度を済ませた。

 くそっ……僕とした事が、こんな初歩的なミスを犯すなんて―――。

 ランの危機にいち早く気づいてやれなかった自分の不甲斐無さにあきれ返り、怒りすら込み上げてくる。

「ジェミニ君、今日は私に任せといて! ジェミニ君の分もやっといてあげるから!」

「すみません!」

 僕は、言葉こそ短かったが精一杯の感謝の気持ちを込めてそう言った。

 出口に向かって走りながら僕は思った。ここのみんなは、ガキの僕でも対等に仲間として見てくれるし、また、こんな風に何かあった時は、まるで家族のように親身になってくれる。本当に、信頼できる誰かがいるってのはいいものだ。

「ラン、無事でいてくれよ……!」