「終わった……」

 がくっ、と僕はPCの前で脱力した。

 ようやく本日の業務が終わったのである。昼休み直前に完成したプログラムを昼休み後にチェックしたら、エラーが七つも見つかった。ラッキーセブン、などという冗談も言えない。だが、死に物狂いで修正作業を行った結果、なんとか定時の直前に終わったのである。

『ジェミニ=結城、コーヒーをお持ちしました。砂糖はコーヒーに対して4.3%にしております』

 アルゴスがコーヒーをもって来てくれた。砂糖の分量は完璧に僕に合わせてくれている。

「仕事終わったよ……。僕の達成率は幾ら?」

 コーヒーを飲みながらそう訊ねる。

『解析中……終了。ジェミニ=結城の達成率は80.04%です。おめでとう。本日は定時の退社が可能です』

「ありがとさん。はあ、疲れた……」

 どうにか予定通りに事を進める事が出来るようだ。

「ごめん、今夜はちょっと無理だ。え? いや、そうじゃなくてさ―――ってああ!? もしもし!?」

 ジャックさんの断末魔の叫び。

 可哀相に、とは思ったが、やはりおかしくてたまらず、影でこっそり笑う。

 と、突然、社内放送が入り音楽が流れた。時計を見ると五時になっている。退社時刻だ。

「さて、それじゃあ帰るかな」

 データをメモリスティックに保存し、ケースと共にカバンにしまう。

『明日も遅刻しませんように。本日は遅刻まで2分15秒06でした。最低でも五分前には出社して下さい』

「分かったよ。お前もせいぜい静電気に気をつけな」

『問題はありません。私のボディは、外殻とメインフレームとサーキットの間には絶縁率の極めて高く耐久性能に優れた第三世代合成特殊シリコン樹脂―――』

「ああもう分かったから。じゃあな。また明日」

 ぐいっ、と押しのけてエレベーターホールへ向かう。

 そういえば、ロボットに皮肉は通用しないんだった。人格型プログラムはほぼ完璧だが、感情というものは未だ表現できていないのだ。中でも笑いという感覚はあまりに複雑で、現存のプログラム言語では表現不可能とされている。

「あ、おい、待てジェミニ!」

 そう呼び止めたのは、顔色の悪いジャック氏。

「なあ、お前、これから暇なんだろ? だったら」

「すみません。この後、どうしても外せない用事がありまして」

 そそくさとその場を後にする。背中に、バッキャロウ、となげやりというかヤケになった声をかけられたが、どうせ精神的に追い詰められている人の言う事だから、と黙殺した。どうせ自ら掘った墓穴だし。

 さて、早い所行こうか。

 エレベーターからロビーに下り、受け付けのお姉さんに挨拶をして会社を出る。

 ターミナルから私鉄に乗り、そこから五つ目の駅で降りる。時間はおよそ二十分。駅を出てから、また五分ほど歩く。

 やがて到着したのは、一件のごくありふれた五階建てのビル。ここが目的の場所だ。

 中に入り、早速エレベーターに乗り込む。パネルは5階を触れる。

 ウィーン、という稼動音が気になる、やや古めなタイプだ。メンテナンス状況がやや気になる。

 無事、5階に到着する。止まるエレベーター。だが僕はもう一度ドアを閉め、5階のパネルに触れた。そう、自分が今、5階に居るにも拘わらずだ。

 これ以上、上に階はない。しかし、エレベーターは更に上に昇って行く。

 そう、実はこのビルには、密かに6階があるのだ。

 そして、パネルにはない6階に到着する。エレベーターから降りると、エレベーターは自動的に5階へ戻っていった。

 エレベーターを降りた先には、窓もない薄暗い空間が広がっているばかり。僕はあらかじめ用意していたペン型パワーライトで足元を確認しながら真っ暗な部屋を突き進む。

 少し歩くと、一つの青いドアが見えてきた。僕はライトをしまい、ドアを一度ノックする。すると、ドアの一部がスライドし、そこからマイクが飛び出す。僕はそのマイクに顔を近づけた。

「サソリの一針を」

 すると、ガチャッと音がしてドアのロックが外れた。僕はドアを自分で開けて中に入る。

「ようこそ、我が同志」

 入った部屋のドアの脇には、本来ならば所持する事を禁止されている拳銃を持ったガード役の男が立っていた。僕の顔を見るなり、そんな物騒なものを持っているとは思えない爽やかな表情で挨拶する。僕も顔馴染なので、普通に挨拶を交わした。

 この時点で、大抵の人は気づくだろう。

 そうここは、行政機関に不満を持った人々が集まり、この社会構成を根本から解決するために発足された革命団体『アンタレス』の本拠地なのである。僕はこの団体の正式な構成員の一人なのである。

「やあ、ジェミニ君。久しぶりだね」

 と、奥から一人の長身の青年が現れる。容貌はまるで研ぎ澄まされたナイフのように鋭いが、発する空気はとても暖かくて表情も柔らかく、大抵の人なら好感を持つだろう。

「ご無沙汰してました。アルデバランさん」

 そっと差し伸べられた手を握り、互いの信頼を確かめ合うかのように握手を交わす。

 この青年は、アンタレスのリーダーである。まだ歳は若いのだが、その頭脳、指導力、カリスマ性、どれをとってもずば抜けて優れている。だからこそ、こんな若者に皆が安心してついていっているのだ。

「突然呼び出してすまないね」

「いえ。今日はどうしたんですか?」

「ああ、それは今から行う会議で話すよ」

 会議室に入ると、既にほとんどのメンバーが揃っていた。

 メンツだけを見ると、おそらく最年少は僕だろう。僕のようなガキに果たして銃火器を持ってドンパチやれるのか、と言ったら、僕はあまり自信はない。僕のアンタレスにおける役割とはもっと他の事なのだ。早い話、アンタレスでの技術担当なのである。

「そろそろ、残りのメンバーも到着すると思う。みんな、それまで今しばらく待っていてくれ」

 時計を見ると、六時まではまだ少し時間がある。それでも、遅くとも七時半には帰りたい。あんまり遅くなると、ランがすぐに機嫌を悪くするのだ。やはり幼い時に両親を失ったためか、寂しがり屋なのである。

 と、数分も待たずドアが開く音がした。どうやらまたメンバーの一人がやってきたようだ。

 入って来たのは、二十代中頃の女性である。彼女は僕と同じアンタレスの技術屋だ。

「さて、全員が揃った所で本題に移ろうと思う」

 穏やかながらも、緊張感を覚えさせるリーダーの声。

 僕は雑念を払い、リーダーの話に集中した。