いよいよか……。

 僕は心臓の高鳴りを押さえながら、汗ばむ手のひらをしきりに拭う。

 今僕達A班は、十人乗りワゴン車でとある場所に向かっている。その場所とは、政府役人連中が住む上層階に続く道があるエレベーターポイントだ。エレベーターポイントには、政府の許可を得た者だけが使用できる高速エレベーターが設置されている。これに乗れば、はるか五千メートル上にある政府の上層部まであっという間につく。もっとも、乗せて下さい、と頼んだ所で、はいどうぞ、という訳にはいかない。もちろん、力ずくで乗り込むのである。

 作戦はこうだ。

 まず僕達アンタレスが三つに分かれ、同時に三つのエレベーターポイントを襲撃する。本来ならば全員で一箇所を攻めたい所だが、一箇所のエレベーターポイントにある高速エレベーターでは一度に行える搬送人数が限られているため、迅速さが求められる今回の作戦ではこのように分割せざるを得ないのだ。

 その後、そこの管制室からマザーコンピューターに向けてウィルスを流し込む。僕とヴァルゴさんで共同制作した、時限爆弾式のヤツだ。その後、政府エリアで三チームが合流し、いよいよ政府の権力の象徴である国会議事堂を占拠する。丁度その辺りに、例のウィルスプログラムが突然マザーコンピューターを破壊するという算段になっている。バックアップからの復帰作業、再起動にかかるまでの時間は短く見積もっても一時間。それ以内に国会議事堂の占拠、及び首脳陣の捕獲に成功すれば僕達の勝利となる。そして仕上げに、首脳陣に降伏宣言をさせ、その様子を各メディアで大々的に放送する。そのための準備は既に済んでいる。メディア側にとってもこんなおいしい話を放っておくはずがない。これで僕達の革命は終わりだ。

「お? どうしたのかな? そんなに固くなって」

 隣の席に座っていたヴァルゴさんが普段の陽気な調子で僕の肩をつつく。

 彼女の方を見ると、いたって普段と変わらぬ様子でいた。いい大人のクセに、まるで子供のような意地悪気な表情を浮かべている。

「さては緊張しているな?」

「わ、悪いですか? ヴァルゴさんこそ、少しは緊張して下さい。僕達のグループの突入が成功するか否かで、作戦全体の成功が問われるんですよ?」

 作戦の第一段階目は、ウィルスプログラムのセットである。僕達が目指しているエレベーターポイントの管制室から政府のマザーコンピューターに送信する。民間ネットワークからでは防火壁に阻まれてウィルスが届かないのだ。

「そんな事分かってるわよ。だったら、尚更でしょ? そんなに固くなってちゃ、いざという時に思うように動けないわよ?」

「まあ、確かにそれも一理ありますけど、だから緊張を解けって言われても、はいそうですね、って簡単にはいきませんって。どうしようもない、人間の生理現象なんですから」

「じゃあ、私がリラックスさせてあげる」

「はあ?」

 すると突然、ヴァルゴさんが僕の首に手を回し、僕の頭を引き寄せる。

「わ」

 と思った次の瞬間、僕の顔が柔らかな二つの感触の間に挟まれ、そのままぎゅーっと抱きしめられる。

「なななな、何するんですか!?」

 慌てて僕はヴァルゴさんの手を振り解いて胸の中から顔を離す。

「やだ、照れちゃってまあ。顔、真っ赤っか」

「からかわないで下さい!」

「でも、緊張はほぐれたでしょ?」

「……ま、まあ」

「ありがとうは?」

「ありが……とう」

 渋々、ありがとう、とセリフを読む。

 何だか、単にからかわれただけのような気がするが……。まあ、いいや。ほぐれる事はほぐれたから。

 しかしこんな調子でいいのか? と疑問を抱いている内に、車は政府エレベーターポイントに到着する。

「ジェミニ、B班とC班に連絡を取ってくれ」

「はい」

 助手席に座っていたリーダーがそう指示する。

 僕はモバイルを開き通信回線を繋ぐ。

「『こちらA班。各班、現在の状況を説明せよ』っと」

 カタカタとそう打ち込む。すると、すぐに返事が来た。

「リーダー、B班C班共に目的地に到着し待機中だそうです」

「分かった。元時刻は十一時五十三分。十二時零分を持って作戦を実行に移す。各班、健闘を祈る」

「了解」

 僕はすぐさまリーダーの言った通りの言葉を打ち込み、送信する。直後、了解の返事が来る。

「さあ、用意はいいかい? 最終チェックは今の内にしておきなさい」

 その言葉に車内の空気が一気に張り詰める。

 遂に迎えたこの瞬間。やはりみんな緊張しているのだ。

 せっかくほぐれた緊張も、みんなのそれが伝染してしまったらしく、再び嫌な汗が手のひらに滲み始めた。

 車内が重苦しい沈黙に包まれる。誰もが自分の理性を緊張に潰されぬように支えるだけで精一杯なのだ。

「あ、そうだ」

 と、僕は腰に差していた38口径を取り出す。弾倉を見てみると、そこには丸い穴が五つ空いている。

「あら? 弾入ってないじゃない」

「やっぱり。忘れてたみたいです」

 昨夜はずっと今日の日の事を考えていたのに、どうして前日までにしておくべき準備へ気が回らなかったのだろう? どうも僕は、精神的な余裕がない時はつまらないミスをしがちになる。

 僕はカバンから弾薬の箱を取り出す。ふたを開けると、中には綺麗にきっちりと正方形に弾薬が詰め込まれている。この小さな金属の塊に、人間をいとも簡単に葬り去れるだけの力が備わっているのだ。そう思うと、この流線型のフォルムが恐ろしいものに見えてくる。

 僕は箱の中にそっと指を差し込み、弾丸を一発、つまみ出す。

 弾頭が小刻みに揺れている。持つ僕の手が震えているせいだ。

 その震えを押さえつけながら、僕は一発目を弾倉に装填する。そして再び箱の中に指を差し込み、二発目をつまみ出す。

「あ……っ」

 と、その時。つまみ出した弾丸が僕の指から零れ落ち、車の床へ転がる。座席の下などの取り出しにくい所に転がっていかぬよう、慌てて僕はそれを拾い上げた。

「また緊張してるの? もっかいやったげようか?」

「いいですってば。それより、ヴァルゴさんはどうなんです? 最終チェックはいいんですか?」

「もちろんよ。寝る前と朝起きてからの二度チェックしたから」

 僕はどちらかをするどころか、そんな事には気づく事すらなかった。やはり、ヴァルゴさんのようにリラックスしている方が下手に緊張するよりもずっといいみたいだ。

 僕は震える手で、弾倉に慎重に弾丸を込めていく。

 作戦開始まで、後、五分。

 僕の心臓は、張り裂けんばかりに波打ち、悲鳴を上げていた。

 

 タタタタタ―――。

 小気味良いリズミカルな音がこだまする。サブマシンガンの弾丸が銃身から飛び出す音だ。

す、凄いな……。

 僕は柱の後ろに隠れながら、この場で繰り広げられている銃撃戦を肌で感じ真っ青になっていた。額からは冷たい汗が次から次へと流れ落ちてくる。

「ぐわあっ!」

 悲鳴。

 おそらく、弾丸が体のどこかに命中したのだろう。

 現在、エレベータポイント内の一階にいる。地図によると管制室は二階、高速エレベーターは三階だ。

 上への階段は目の前にある。だが、その前には武装警備員三名が立ちはだかっている。

「ジェミニ! 君も応戦しろ!」

 向こう側の柱では、柱を盾にしながら果敢にサブマシンガンを撃っているリーダーの姿がある。

「りょ、了解!」

 僕はあたふたと腰のベルトから38口径を抜く。

 僕に出来るのかな……?

 そのずっしりした感触に不安を覚えながらも、しっかりとそれを握り締めながらそっと柱から半身を出す。

 武装警備員の姿は二人に減っていた。どうやら先ほどの悲鳴は向こう側のもののようだ。

 とにかく、早くやらなくちゃ。ランのためだ。

 僕は意を決し、銃口を自分から近い方の、こちらも同じくサブマシンガンを抱えている方の武装警備員に向けた。

 当たれっ!

 僕は心の中でそう叫びながら、力いっぱい引き金を引く。

 が、しかし。引き金はまるで指の力に抵抗するかのように、元の位置から動かない。

 チュイン!

「うわっ!?」

 僕の傍の柱が激しくはじける。どうやら僕を狙って撃ってきたようだ。慌てて逃げるように柱の後ろへ引っ込む。

 どうして弾が出ないんだ? ちゃんと撃鉄も起こしてるし引き金も引いた。なのにその引き金がピクリともしない。

「なにやってんの!?」

 と、そこにヴァルゴさんが向こうに威嚇射撃しながら身を屈めて滑り込んでくる。

「引き金を引いても弾が出ないんです。どうしよう、壊れたのかな」

「安全装置がかかったままじゃない。もう、しっかりしてよ。こんな時にさあ」

 あ、本当だ。

 僕はすぐさま安全装置を外す。

「いい? 銃はあんまり強く握り締めちゃ駄目。そっと支える程度に握るの。肩の力を抜いて、リラックスして引き金を引きなさい」

 こくっとうなずき、僕は柱の後ろで出るチャンスを待つ。

 よし、今だ!

 僕は素早く柱から半身を出し、再び銃口を武装警備員の一人に向ける。

 落ち着いて、ヴァルゴさんに言われた通り肩の力を抜いて―――。

 何度もそう自分に言い聞かせながら、僕はおもむろに引き金を引く。

 パァン!

 目も覚めるような鮮やかな銃声が手の元から鳴り響く。直後、銃を握っていた手のひらに、じんっと鈍い痛みが走る。僕はすぐに再び柱の影に隠れる。

「があっ!?」

 男の悲鳴。

「お、命中したわよ! やれば出来るじゃない」

「え? 当たったんですか!?」

 そう聞いて、始めはちょっと喜んでしまうが、すぐに人を傷つけた事への罪悪感が込み上げてきた。

「と言っても、肩をちょいかすった程度。ま、もう向こうは逃げ出しちゃったけど」

 そうなんだ……良かった。

 当たったのが命に関わるような危険な部位でなかった事にホッと一安心する。

 最後に残った武装警備兵も、このままでは勝ち目は薄いと思ったのか、隙を見てすぐに奥へ逃げ出した。おそらく非常口から逃走するのだろう。

「よし。こっちだ、急げ!」

 リーダーの声を合図に、すぐさまみんなが影から飛び出して階段に駆けて行く。

 僕は再び銃の安全装置をかけベルトにしまい、すぐにみんなの後を追う。

 二階は一階と比べて割と狭い作りになっている。おそらく三階は、高速エレベーターの乗り口しかないため、もっと狭い作りになっているだろう。

「管制室は……」

 きょろきょろと辺りを見回す。周囲には同じようなドアが数枚。

「あ、そこのじゃない? 管制室って書いてる」

 ヴァルゴさんが一枚のドアを指差す。

 本当だ。

 すぐさまそこに向かい、ドアノブを掴んで捻る。しかし、ドアはロックがかけられているのか開かない。

「駄目です。ロックされてます。どこかに解除装置は―――」

「ああもう、めんどいわね」

 おもむろにヴァルゴさんが前に歩み出る。その手には、僕と同じ38口径。

「こうすりゃいいの」

 そう言って、ドアノブに向けて銃口を向け、一発、二発、三発。

「とりゃっ」

 がん、とドアを蹴る。ドアはバタンと派手な音を立てて開いた。

「ちょっ、中のコンピューターに当たったらどうするんです!?」

「ちゃんと当たらないように、斜め下に向けて撃ったわよ。さ、早くしよ。ウィルス流さなきゃ」

 それもそうだ。

「少し待っていて下さい」

 メンバーにそう言い残し、僕とヴァルゴさんは管制室の中へ。

「よし、始めるわよ」

「はい」

 僕達はそれぞれ端末機の前に座る。

 カバンの中からメモリスティックの入ったケースを取り出す。スティックを差し込み、早速スタートする。

「プログラムチェック。0番から64番までOK」

「了解。256番までチェック……オールグリーン」

 ディスプレイに見慣れたプログラム列が目まぐるしく流れていく。長年、まるで自分の子供のように少しずつ育て上げていったプログラム。その晴れ舞台がとうとうやってきたのだ。こんな状況にも拘わらず、不思議と精神が高揚していく。

「プログラムチェックオールクリア! 発病時刻を一時間後に設定、インストール開始します」

「OK。さあ、行くわよ。ジジイ共に一泡吹かせてやれ! ウィルスプログラム『アンクウ』、スタート!」

 ディスプレイにステータスバーが現れ、ゆっくりと左から右へ伸びていく。その上には侵入中の文字。

「95、96、97、98、99」

 ゆっくりとカウントされていく数字。僕は今か今かとそわそわする。

 そして遂に、二桁の数字が三桁に。

『100!』

 100%に達した瞬間、僕達も同時に声を上げた。

 バーが完全に伸びきり、ディスプレイには侵入完了の文字が浮かび上がる。

「よっしゃ、第一段階成功!」

「やりましたね!」

 僕達はどちらからともなく、手のひらを相手に向けた。

 管制室に、パチン、と手のひら同士を打ち付ける心地良い音が響いた。