スカイロードと呼ばれる巨大な空中歩道を駆け抜け、会社に到着する。

 入り口の左右には防犯カメラが設置され、24時間、通常レンズと赤外線の二段構えで見張っている。

 僕はガラス張りのドアの中央につけられたスロットに自分のIDカードを差し込み、パスワードを入力する。

『ジェミニ=結城、確認完了』

 性別のつかないマシンボイスでそう告げると、固く閉ざされていたドアが開いた。

「おはよ、ジェミニ君」

 受付のお姉さんが僕ににこやかに挨拶をしてくれる。

「おはようございます」

「あら、なんか元気ないみたいね? 顔色も悪いわ」

「会社に言って下さい。リフレッシュ休暇に入るまで、僕は元気とは無縁になるんですから」

「そういえば、納期がもうすぐだもんね。頑張って」

 人格型プログラムが開発された今、受付業務は未だに人間が行っている。表情、声質、会話パターン、どれをとっても人間と遜色はないのだが、モニター越しになるだけで、不思議と人は壁を感じてしまうらしい。そのため、人格型プログラムを使っている企業を訪問した人の多くは、その企業に対して親近感を持てないそうだ。銀行や金融関係は、人間と人格型プログラムの二種類の窓口を設置している。それは、人間相手には話しにくい相談を持つ人もいるためである。100%機械化しているのは、効率化だけを求められる御役所関係ぐらいだ。もっとも、現在はデミヒューマンタイプのアンドロイドしか実用化されていないが、もし完全なヒューマンタイプが実用化されれば、この比率は大きく変わると思う。そういえば、さっきの受付のお姉さんが前に話していた。ヒューマンタイプアンドロイドを研究しているヤツが憎たらしい、と。下手をすれば、自分の仕事を機械に奪われかねないからだ。

 エレベーターの上向き矢印のパネルに触れ、やってくるのを待つ。と、数秒ほどでドアが開いた。中は誰も乗っていない。今日はついている。いつもなら、散々待った挙句、やってきても中は定員オーバー状態で、結局階段を走るハメになるなんて事はザラにあるのだから。

 中に入り、自分の部署のある10階のパネルを触れてからドアを閉める。

 と、

 バン!

 突然、閉じかけたドアの間から一本の足が伸び、ドアが閉まるのを食い止める。そして今度はにゅっと太い十本の指が現れ、閉じかけたドアを左右に押し開いた。

「ふう、あぶねえ」

 中に入って来たのは、大柄で口ひげを伸ばした中年の男。

「なんだ、ジェミニじゃねえか。閉める時は外をちゃんと確認しろ」

 男は僕をじろっと見下ろす。

 彼は僕の上司である。見た目はまるで工事現場にいる人のようだが、間違いなく僕と同じシステム屋である。大抵の人は、そんな太い指でどうやってキーボードを操作するんだ、と思うが、実は僕よりも遥かに打つのは速かったりする。

「主任、いい加減その髭は剃って下さい。僕だったら良かったもの、もし乗っていたのがお客さんだったら、強盗が乗ってきたと勘違いして警備員呼んじゃいますよ」

「うるせー。これは俺のポリシーだっ」

 エレベーターは10階までノンストップで登った。今日は何から何までスムーズに動く。実に気分がいい。

「おはようございます」

「おっす、おはようさん。おめえら、今日も死ぬ気で働けよ!」

 仕事場に着くと、早速いつもの挨拶が交わされる。主任の言う、死ぬ気で働け、というのは口癖だ。仕事が詰まっていようがいまいが、必ず朝の挨拶の後に付け加えるのだ。もっとも、現在は主任の言う通り死ぬ気で働かなければ納期に間に合わなくなるのだが。

『おはようございます。ジェミニ=結城』

「ああ、おはよう」

 と、一体のデミヒューマン型のアンドロイド。

 一応、人格は男なので彼と呼ぶ。彼はこの部署の雑務等を担当するサポート役のアルゴスである。サポートとは言っても、一番活躍しているのは、仕事の進行状況を具体的な数値に表して主任に密告する面だ。それで、致命的に遅れている人は主任に呼び出さて説教を受けた後、対策案を練るのである。本当はちゃんとした機種名があるのだが、そんな監視役のような働きぶりから、いつしか『アルゴス』と呼ばれるようになったのである。

『本日の気温は18.17℃、湿度52.195%、仕事をするには絶好の環境です』

「そんな気がしなくなってきたな……。そういう風に言われると」

『ジェミニ=結城、その発言は仕事放棄と見なしてスピカ=ハイランズに御報告いたしますがよろしいでしょうか?』

 スピカ=ハイランズとは、主任の名前である。

「だあっ、そういう意味じゃない!」

『そうですか。ジェミニ=結城の仕事達成率は、現在75.25%。今日中に必ず80%を越えて下さい』

「はいはい、分かりましたよ……」

 まあ、昨日家でやった分もあるから、なんとかなりそうだ。今日は特にどうしても定時で帰りたいのだ。

『では、本日の業務も頑張って下さい』

 微かに金属の擦れる稼動音を立てながら、次の獲物の元へ向かう。心なしか、ふう、と安心する。

『ジャック=フリック。あなたの仕事達成率は66.94%と、極めて停滞しています。本日より二時間の時間外労働を宣告します』

「ええ!? マジかよ! 今夜はデートの約束が!」

『本日中に75%を越える事が出来れば、定時の退社が可能です。そのためにこなさなければいけない仕事量を、これまでのあなたの平均処理効率から計算いたしますと、およそ三日分の仕事量に相当します』

「三日!? 無理に決まってるだろ!」

『ならば、時間外労働をお勧めします。その際には必要書類を作成後―――』

 仕事が遅れると、アルゴスによってああいう悲惨な目に遭わされるのである。だから僕は、常に仕事は今日の分だけでなく明日の分までも幾らかは行っておくようにしている。

 ちなみに、アルゴスの言葉使いがおかしいのはプログラム上仕方のない事だ。メモリには限りがあるため情報の冗長性を排除する必要があり、その結果、事象単体の名前は一つしか記憶出来ないのである。だから人の名前は、フルネームでしか呼べないのだ。要するに、融通が利かないのである。

「さて、始めるかな……」

 哀れな者の末路は放っておき、僕は早速自分のデスクに座ってPCを立ち上げる。

 カバンから、昨日家で処理し終えた分のデータが入っているメモリスティックを取り出し、PC内へデータをコピーする。まずはその続きのプログラムを打つ所から始めよう。昼までには終わらせて、午後には単体テスト、エラーチェックだ。エラーは何とか5個以内に収まってくれれば、夕方までには修正できると思う。そこは電子の神様に祈るばかりだ。

『ジャック=フリック。そのコーヒーに含まれるカフェインは通常の133%です。カフェインは胃を痛める原因になりますので、飲料は別のものをお勧めいたします。仕事処理効率の低下に繋がりますので』

「ああ、うるさい! お前の方がよっぽど原因になるわ!」

 納期が近くなると、このようにカリカリする人が多くなる。まあ、朝から仕事詰なのだから仕方のない事だ。