「あー、退屈だな」
あくびまじりに、国境警備兵は誰となくそうぼやいた。
ここはニブルヘイムとヴァナヘイムの国境地帯、ニブルヘイム側の関門。その姿はまるで砦のようにいかめしいものだった。それもそのはずである。これはかつて戦乱の時代に実際に使用されていた砦に、国境を示す高い城壁を後から増築して再利用した代物なのである。
国境地帯にはヴァナヘイム側とニブルヘイム側の関門と堅牢な城壁が睨み合うように建てられている。国境を越えたい者は、まずは出国許可状を自国側の関門に提示し、その後相手国側の関門に入国許可状を提示するのである。
城壁と城壁の間は中立地帯として定められている。直線距離でおよそ1kmといったところだ。無論、そんな所に住居を構える者などいない。中立地帯を設けているのは互いが互いを監視しやすくするためだ。関門の役人が相手国と癒着し不正を働く事を防止する役割もある。
和平条約が結ばれてからというもの、国境地帯の緊張感はどこかへ消え去っていた。国自体が戦争という行為から離れ、戦乱当時の半分ほどまでに軍縮政策を行ったためである。かつては危険さでは他の追随を許さない最前線だったが、今では出世から外れ、運にも見放された三下役人が最後に行き着く場所となっていた。いわゆる閑職というヤツである。国境地帯に居るのは、上司との折り合いが悪かったり、軽度の汚職を働いた者だったり、はたまた腕力ばかりで頭はまるで駄目な役人モドキなどという所だ。
彼らは今日もまた、何変化のない一日を過ごしていた。定時ごとに報告書を書き、三時間交代で意味のない見張りを行う。それ以外では、談話室で安酒を飲んだりカードゲームに興じたりと暇を持て余すだけだった。
「はあ……。なんでこんな所を見張ってなきゃいけないんだろ? ヴァナヘイムが攻めて来るはずなんかないのに」
望遠鏡を手でもてあそびながら、見張り台の男は溜息をついた。
どうせ見張りなどしなくても、報告書は幾らでも書ける。異常なし、異常なし、異常なし。この単語を、もう何度書き続けた事だろうか。
どうせまた今日も、いつものように日が昇っては落ちるだけ。何の変化のない一日だ。定年を迎えるまで
退屈を通り越した頭でそう嘆いていた。この歳にして、自分のこの先が全て予想できてしまう、と。
が、
ドドドドド……。
まるで地響きのような低い音。
ハッと男は頭を上げ、遠くを見やった。なにかの物影がある。それも無数にだ。手にした望遠鏡を構え、それで覗いてみる。すると、まずレンズ越しに見えたのは、ヴァナヘイムの紋章が刻まれた真っ白な鎧だった。
「な、まさか……!?」
「ジュリアス! ここで部下に余計な力を使わせたくねえ! ここは俺達が先陣を切るぞ!」
馬上のサイアラスは、特注の黒い大きな篭手を左手に装備しながら並走するジュリアスにそう叫んだ。
サイアラスの篭手は通常の篭手とは違い、手の甲から二の腕までをすっぽり覆う巨大なものである。その姿は防御よりもむしろ攻撃を意識した作りになっている。重さも半端ではなく、これを、右手に剣を持ったまま自在に使いこなせるのは、ヴァナヘイム広しといえどサイアラスぐらいなものだろう。
「分かりました! 私は城壁の上、サイアラスは門を突破して下さい!」
「任せておけ」
国境警備兵達は俄かにどよめきたった。
理由はまったく分からないが、とにかくヴァナヘイムの聖騎士団がここを目指して進軍してきたのである。無論、やすやすと突破される訳にはいかない。最終的に皺寄せが来るのは、自分達下っ端なのだからだ。
弓を持った警備兵達は大急ぎで城壁の天辺に並び、それぞれ矢をつがえる。他の力しか取り得のない者達は得意の武器を持ち、門の前に壁のように立ちはだかる。
「絶対に食い止めろ! 一歩たりともニブルヘイムの地をやつらに踏ませるな!」
「さあ、行きますよ!」
ジュリアスは走るクルスの首筋をポンと叩いた。それを合図に、クルスが部隊から単独で突出する。
それは凄まじい速さだった。他の馬達は全力に近い速さで走っているにも拘わらず、クルスはそんな馬達との差をやすやすと広げているのである。
「来たぞ! 弓隊! 一斉発射!」
それを合図に、つがえた矢が一斉にジュリアスとクルスに向かって放たれる。
が、
「な、何!?」
次の瞬間、一人と一頭の姿は忽然と消え去った。
唖然として周囲を見回す弓隊。
そして数秒後、彼は驚くべき場所でその姿を発見した。
「な……!? 城壁の上!?」
一人と一頭の姿は、自分達が立っている城壁の上にあった。つまり彼らは、ここまで跳んで来たのである。この、低く見積もっても10mはあろうかという城壁を。
「二本目はありません」
クルスは再び風のように走り出す。そのままジュリアスはすれ違いざまに次々と弓隊を切り伏せていった。
あっという間に弓隊は全滅した。ほんの僅かな間。一条の風が通り抜けただけの間に。宣言通り、二本目の矢をつがえる暇もなかった。
「さて、次は俺だ」
門の前に立ちはだかる警備兵達の目前まで来ると、サイアラスは剣を抜き馬上から飛び降りた。
「かかれ! 相手は一人だ!」
途端に無数の警備兵達が襲いかかって来た。まるでこれまでの鬱憤を晴らすかのように。
「引っ込んでろよ、素人は」
まずサイアラスは、グレートアックスを振り上げてきた目前の男を一刀の元に切り伏せる。間髪入れず、剣を持った男達が左右から挟みに来る。しかし、くるっと身を翻しながら撫でるように胴を薙ぐ。
「同時にかかれ! 休む暇を与えるな!」
今度は、槍を持った兵が三人同時に突進してくる。サイアラスは剣で右の兵を貫き、左の兵の槍を左手で受け止める。中央の槍を足で蹴り上げて折ると、屠ったばかりの剣で中央の兵を切り伏せる。
「邪魔だ!」
槍を握った左手に力を込める。すると槍は中ほどから音を立てて折れてしまった。サイアラスは折った槍の先端で左の兵の喉を貫く。
「隙ありだ!」
と、その刹那、巨大なハンマーを振りかぶった大男が、喉から鮮血を吹き上げて崩れ去る兵の背後から現れる。
剣での防御は間に合わないか。
そう冷静に判断を下したサイアラスに目掛けて、圧倒的な質量と重量を誇るハンマーが振り下ろされる。
が、
「ハッ!」
サイアラスはハンマー目掛け、己の黒い篭手で武装された左手の拳を叩きつけた。
ぐしゃっ。
破壊音。
砕けたのはサイアラスの腕ではなく、倍以上の大きさを持つハンマーの方だった。
「な、なんだと!?」
「奇襲ってのは、声を出さないもんだぜ」
ニヤッと笑い、その左手を今度は大男の顔面に叩きつける。大男の顔は潰れたザクロのように変わり果て、背後に吹っ飛んでいった。
「ま、国境警備兵なんてこんなもんか」
あっという間に警備兵を難なく薙ぎ倒してしまったサイアラスは不適な表情を浮かべる。そんなサイアラスの前に、かかりそびれてしまった警備兵達は恐怖に慄きながら雲霞の如く散り散りに逃げ去った。どうやっても自分達では勝てない事実をありありと認識させられたからである。
「さて、開門だ」
そんな警備兵には目もくれず、サイアラスは一人門前に向かう。
背後では逃げ出した警備兵の断末魔の悲鳴が聞こえた。彼らの部下が始末したのである。それは自分達が国境を突破した事を出来るだけ知らせないためにである。
「ちゃちな代物だな」
コンコン、と門を叩き、微苦笑。
そして左手を振り上げ、
一撃。
鈍い音と共にサイアラスの腕が門の中にめり込む。
「おらよ」
門の合わせ目を掴み、強引に門の左側を引っ張る。
ゴゴゴゴ、という重苦しい音と、キキキキ、という金属同士の摩擦音を立てながら、門の片側がゆっくりとその口を開いた。
と、ばきん、という音を立て、サイアラスの左手が自らの勢いで後ろに引っ張られる。その手には門の千切れた門の破片。
「チッ、壊れちまった」