その光景は、まさしく圧巻の一言だった。
辺り一面に、人、人、人。
だが、一片たりとも華やかさはなかった。
人々の顔に一様に浮かんでいるのは、深い悲しみ。そして、その身にまとっているのは、それぞれの悲しみに打ちひしがれた心を表しているかのような、真っ黒な喪服。
そして、教会の聖歌隊による葬送曲が絶え間なく響いている。
人の群れは、街外れの戦死者墓地へと向かっていた。
先頭にあるのは、周囲とは正反対の真っ白な木で作られた棺桶。その上には多くの花々が添えられている。その棺桶を運ぶのは、生前、腹心と呼ばれていた六人の聖騎士の内の五人。その中にはサイアラスも含まれている。
棺桶の更に前には、喪主を務める一人の女性。棺桶の中に眠る彼の肉親である。
彼女の名は、シャルル=ディルクといった。
気丈な女だな……。ぴくりとも表情を変えねえ。
感心とあきれが入り混じった気持ちで、サイアラスはシャルルの背を見ていた。
エリューズニルの攻略には成功したが、ニブルヘイム王都戦線には敗北したヴァナヘイム。戦いの最中で団長という大きな損害を出し、そのまま逃げるようにヴァナヘイム王都に逃げ帰ってきた。ニブルヘイムの報復侵略も時間の問題だ。
シャルルはそれらを聞いても、言葉では悲しみを表すものの顔には決して出さなかった。戦死した祖父に対しては、戦場で死ねて本望でしたでしょう、と一言。そして、反逆者となって自分に殺されたジュリアスに対しては、仮面のような無表情で一言、残念です、と。シャルルは怒りも悲しみも浮かべなかった。まるで日常の些末事を聞いているかのように。
だが、今日のシャルルは目元を赤く腫れさせている。そんな仕草とは裏腹に、昨夜、二人の死を深く悲しんだ証拠だ。化粧と帽子でしきりに隠そうとしているので、あえて気がつかない振りをしているが。
他のジュリアスの取り巻きのメイド達は、この事を聞いて酷く悲しんでいた。今日の葬列にも参加していない。それほどのショックを受けたのだろう。彼女達にとっては、団長の死よりもジュリアスの死の方が遥かに衝撃的だったのだ。それだけ、あいつは信頼されていたのである。
団長が死んだにもかかわらず、サイアラスの気持ちは空虚だった。
おそらく、次期聖騎士団団長には自分が選ばれるだろう。
しかし、それを素直に喜ぶ事が出来ない。
本当なら団長には、あいつが選ばれるはずだった。あいつは確かに腕も強く、また機転もきき、そして信頼がある。団長になる事は自分にとっても念願だったが、あいつが選ばれるならば仕方がないと思っていた。あいつは自分よりも遥かに適しているのだから。
あいつの犯した事は、完全に国家反逆罪だ。たとえ国に戻ったとしても、その先に待つのは死刑しかない。
だがあいつは、最後まで自分の信念を曲げようとはしなかった。一見すると不器用な生き方かも知れない。でも俺は、一人の人間としてあいつの生き方は尊敬に値すると思っている。いや、俺は尊敬しているのかもしれない。あんな生き方の出来るあいつを。
何かを守るためには我が身すら顧みないあいつ。
しかしその結果、あいつは異境の地で一人寂しく生涯を終え、母国では葬儀どころか墓石すら建てられない。歴史には一文字、反逆者と記されるだけだ。
もしかしたら羨ましかったのかもしれない。
あいつは全ての力のない者を守り抜く、と豪語していた。反対に俺は、病気の母を助けるだけで精一杯だ。
仕方がないんだ。育ってきた環境があまりに違うのだから。
俺は、母を助けるためにあいつを犠牲にした。如何なる理由があろうとも、それは人間として恥ずべき行為だと思う。だから俺は、これからは自己嫌悪に苦しみながら生きていかなければならない。苦しむ事が自らに架された贖罪なのだ。
構わない。
それでも俺は、母の命を救う事が出来るのだから。
ついでに、お前の遺志も継いでやる。
全ての力のない者を守り抜く。
その続きは俺がやってやる。
お前を死なせた責任は俺にあるのだ。
だから安心して眠っていろ。
この国は、必ず俺が守る。
「許せよ……」
突然、そうポツリと呟き、サイアラスはうつむいた。
その後ろを棺桶を担ぎながら歩いていた聖騎士は、そんなサイアラスの様子に訝しげに眉をひそめる。が、すぐに興味を失い視線を戻す。
葬送曲が盛大に鳴らされている。
サイアラスはふと思った。
この曲をあいつにも捧げてやりたい、と。
モミジに翻弄される事、およそ三十分。ようやく部屋にアオイが戻ってきた。一緒に医者も連れて。
医者は真っ白な白髪と髭をたくわえた老年の男だった。実に温和そうな表情をしている。
「思ったよりも早く目が覚めたようじゃな」
医者はニコニコと問い掛ける。
「ええ、おかげさまで」
「口調もはっきりしておるのう。五十針近くも縫う大怪我をしたというのに。これなら問題はないようじゃな」
診察のため、医者は布団を剥ぎ上半身をさらさせた。
「傷口も化膿しておらんな。ま、念のため化膿止めは飲んでおいた方が良いな」
ジュリアスは初めて自分の傷口を目の当たりにした。みぞおち付近から肩口まで、くっきりと剣痕が浮き上がっている。そのラインにそり、何度も跨ぎながら糸が通っている。確かに酷い傷だ。よくもまあ、生きていたものだ。
「起き上がれるようになるまで、どれぐらいかかりますか?」
「普通の人間なら半月はかかるだろう。ま、お前さんなら一週間ぐらいで大丈夫かもしれんがの」
そう言って、医者は好々爺よろしく笑った。
「とにかく、無理はせんこった。明後日には抜糸する。それ以後、ゆっくり調子を見て起き上がればいい」
診察を終え、医者は帰り支度を始めた。
「ありがとうございます」
「なあに、ここん所、痛風やら腰痛やらばかり相手にしていて退屈しておったところじゃ」
とんでもない発言だ。ジュリアスは苦笑する。
「ジュリアスさん、何かお食べになりますか?」
「じゃあ、少しだけ。まだあまり食欲が湧きませんので」
「それなら私が作ってあげるね! 愛妻料理!」
モミジが、自分に任せろ、と言わんばかりの勢いで名乗りを上げる。
「愛妻ってなあに?」
「あのね、私、ジュリアスと結婚の約束したの!」
「あらあら」
今の医者以上にとんでもない発言をするモミジ。だがアオイは、いつものおっとりとした様子で、にこやかにその言葉を受け止める。
「あの……まさか本気にしてませんよね?」
思わずそう訊ねてみたが、モミジは自分との事を話すのに夢中で、アオイはそれを聞いてあげる事に気を取られて、まったく気づいていない。
「ほほう、お前さんにはそんな特殊な趣味があったとはのう」
そして、別に聞いて欲しくもない医者には聞こえたらしく、からかうような表情でそう言われた。