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 久しぶりの食事を終えた後、ジュリアスはまた少し眠った。食事の後に飲んだ薬のせいかもしれない。

 食事は、やはりモミジが作ったニブルヘイム料理だった。もっとも、久しぶりの食事なので軽めのものだったが。味は思っていたよりもずっと良かった。おそらくアオイにしっかりと教えられたのだろう。ただ、過剰なまでに愛を込められ、更に本人の目の前で食べなくてはならなかったので、少々喉を通りづらかったが。

 夢うつつの中、ジュリアスはずっとサイアラスの事を考えていた。

 最後に一言謝りながら、自分を斬ったサイアラス。

 どうして最後に謝ったのだろう?

 彼の守りたいものとは、一体何だったのだろう?

 今思えば、あんなに親しかったのに、彼については知らない事が多過ぎる。お互い、ぐちぐちと自分の素性や不幸自慢をするような性格ではなかったからだろう。おそらくサイアラスも、自分の事についてはほとんど何も知らないはずだ。それでも友情が続いていたなんて、不思議なものだ。男とはそういうものなのだろうか。

 自分を斬り捨てたはずのサイアラスに、今は少しも怒りや憎しみはなかった。ただ、最後に一瞬だけ見せたあの表情が脳裏を過ぎるたび、胸を締め付けられるような切ない気持ちになる。そのせいだろうか。

 出来ればもう一度サイアラスと顔を合わせ、色々と話し合いたかった。ベースキャンプの裏でやったような殴り合いではなく、ただ純粋に互いが互いについての理解を深めたいのだ。

 もし、今よりもずっとお互いの事を分かり合えていたなら、こんな形で決別しなかったのだろうか? いや、きっと同じだろう。それでも自分は、自分の信念を曲げる事は絶対に有り得ないし、サイアラスもまた、自分の信念は曲げないだろう。ただ、サイアラスが自分に剣を向ける理由が分かるのか分からないのか程度の違いしかないだけで。

 サイアラスにも自分と同じ、どうしても守りたいものがあったのだろう。だったら、別に構わない。それだけの信念を持った剣になら斬られても悔いはない。

 と、意識の外から足音が聞こえる。一人、二人……四人いる。

 足音は部屋の前で止まり、スッと障子が開けられた。同時に目が覚めた。職業柄、そんな物音でも反射的に目を覚ましてしまうのだ。

「おや、起こしてしまいましたか」

 初めに部屋に入って来たのは、自分よりもやや年上の男性。

 表情は温和だが、どこか鋭い覇気をその内に感じさせる。直感的に、彼もまた武人であると思った。

「いえ、丁度今、目が覚めた所です」

 その後に、もう一人男性の姿。今の男性よりも幾分か年下だ。おそらく自分と同じくらいの年齢だろう。だが表情は随分と鋭い。どうも刺々しい感じがする。自分に対して敵意を持っているのだろうか? いや、それほど露骨な嫌悪を向けてはいない。

 更にその後にはアオイとモミジの姿。しかし何故か、モミジは随分とおとなしくかしこまっていた。

 四人は自分の脇に並んで座る。

「どうですか? 傷の具合は」

「ええ、おかげさまで。随分と御世話になったようですね」

「いえ、こちらこそ娘が本当にお世話になりました」

 なるほど。どうやら彼がモミジの父親のようだ。それにしても、アオイと並んでみると随分歳が離れているように見える。とは言っても、モミジぐらいの歳の子供がいるとは思えないほど若いのだが。

「あの、ところでここはどこなのでしょうか? いまいち状況がよく分からないのですが」

 一応モミジから説明は受けていたが、あの説明ではさっぱり分からないのだ。今はどういう訳かおとなしいが、後で文句を言われそうだ。

「では、早速ご説明いたしましょう。と、その前に自己紹介が遅れました。私、ヤシャと申します。この道場の道場主をやっております」

「私はジュリアス・シーザーです。ところで、道場主という事は、ここは道場なんですか?」

「ええ、大した大きなものではありませんが、一応剣術を教えています。そして、これが弟のコンゴウ。そちらが家内のアオイと娘のモミジです」

 ヤシャと名乗った隣の男が静かに黙礼する。無口な性格なのか、何も言葉がない。それとも嫌われているのだろうか?

「ここは『ガルム』という村です。『セー』の村からは丁度樹海を挟んだ向こう側に位置しています」

「セーの村?」

「聖騎士団がベースキャンプを張っていた村の名前です。あの日、たまたまその村の知り合いの元へコンゴウとモミジを使いに出していたのです。しかし、まさかあのような事になっていようとは思ってもいませんでした」

 聖騎士団は出来るだけ感づかれないように動いていたのだから無理もないだろう。今回の戦役で一番重要なのは、奇襲という要素である。そのため構成は少数精鋭で機動力を重視したものになっている。おそらく村の中に入るまで誰も気がつかなかった事だろう。

「……すみません」

 後ろめたい気持ちが胸を締め付ける。自分だけの責任ではないのだが、その一端に自分は拘わっているからだろう。

「いえ。それにジュリアス殿にはモミジを助けていただいております。本当に感謝の言葉もありません」

 感謝の気持ちを込めて頭を下げるヤシャ。咄嗟に自分も下げたくなったが、いかんせん寝たままで、しかもまだそれほど自由のきかない体ではどうしようもない。

「ところで、ヤシャさんが私をここへ?」

「いえ、見つけたのは私の門下生です。セーの村の危機を知り、私も助けに向かうべく村を飛び出したのですが、途中でモミジを乗せた白い馬と遭遇しまして。事情はその時にモミジから聞かせていただきました。その後、門下生の一人がその白い馬が大怪我をしていたジュリアス殿を引っ張っているのを見つけ、それですぐさま村へお連れした訳です」

「そうでしたか……。あの、せっかくの御好意は嬉しいのですが、私は聖騎士団の人間ですよ?」

 自分はニブルヘイムにとっては招かれざる客なのだ。敵意を向けられこそすれ、とても歓迎されるような身分の人間ではない。そんな自分を助けるなんて、もしやこの人達は何か誤解しているのではないだろうか? 人の好意を踏みにじるような最低の疑問だが、どうしてもそう思わずにはいられなかった。聖騎士団である自分を介抱する彼らの意図がまるで分からないのだ。

「ええ、存じ上げております。ですが、先ほども申し上げたように、あなたはモミジを助けていただいた恩人なのです。そのような方に礼儀を尽くすのは当然の事です」

「それだけで?」

「何かおかしいでしょうか? 私にとって、娘は掛け替えのない大切な存在です。その娘を救っていただいた方に感謝するのは当然の事ではないでしょうか?」

 にっこりと微笑むヤシャ。その顔を見たジュリアスは、自分の中にあった彼らへの疑心が一気に氷解していくのを感じた。

「そういえば、私が眠っていた三日の間、聖騎士団はどうなったのでしょうか?」

「聖騎士団は早々にセーの村を発ち、エリューズニルに攻め入りました。エリューズニル側の劣勢だそうです。おそらくは陥落するのも時間の問題かと思われます」

「……ですか」

 またも申し訳ない気持ちで居た堪れなくなる。自分のかつて同僚だった者達がつけていく爪痕が、まるで自分の責任のように思えてしまうからだ。

「あの、つかぬ事をお聞きしますが、何故ジュリアス殿はこのような大怪我をなさっていたのですか? もし差し支えなければ、お教えしていただけませんでしょうか?」

「ええ……。私は聖騎士団の団長に、あの村を焼き払ってしまうように言われました。自分達が居る事の情報が漏れる事を防ぐため、村人共々。無論、私は反対しました。そんな命令を聞けるはずがありません。しかし、一介の騎士である自分の意見を団長が聞き入れるはずもなく、私は任務から外され代わりに別な人間が就く事になりました。それでも私は、そんな非人道的な行為を黙って見過ごせませんでした。それで私は先回りをして村人を避難させたのです。反逆罪になる事を覚悟の上で。この傷は、その時に追っ手の一人から受けたものです」

 追っ手とは、無論サイアラスの事だ。自分とは違い、最後まで団長の命令に忠実だった者。

「私は、元々は力のない人達を守るために聖騎士団に入りました。それは、聖騎士団が国の盾としてヴァナヘイムを守り続けて来た事実に心酔していたからです。人のために尽くせるなんて、これ以上素晴らしい事はないと思っていました。なのに、今の聖騎士団は何かがおかしいのです。幾らヴァナヘイムを守るとはいえ、ニブルヘイムに侵略同然に攻め込み、何の関係のない村を襲ったりと、まるで侵略戦争を仕掛けているようです」

「国を守るため? それはどういう事ですか?」

「何でも、ヴァナヘイムが雇った諜報員によると、ニブルヘイムがヴァナヘイムに侵略戦争を仕掛ける準備を進めているというのです。そのため我々は、先手を打ち侵略を未然に防ぐべくニブルヘイムに向かわされました」

「ニブルヘイムがヴァナヘイムに……。考えられぬ話ではありませんが、もし、それが事実ならば、確かに黙って見過ごせはしないでしょうね」

 しかし、その信憑性は極めて疑わしいのだ。少なくとも、自分はそう思っている。あまりに証拠が揃い過ぎているからだ。しかも、そのほとんどが状況証拠のみで、更に、もしそんな重要な機密ならば、何故そんなに簡単に数多くの証拠と共に掴めたのだろうか? よく考えてみれば不自然な部分だらけだ。とは言っても、もはやそんな事はどうでもいいほど、事態は後戻りの出来ぬ深刻な状況になっているのだが。

「ジュリアス殿は、今後はどうなさるおつもりですか?」

「今後ですか……。そういえば何も考えてませんでしたね。元々、実家は勘当同然に飛び出してきた身です。唯一の帰る場所と言ったらヴァナヘイム王都しかありませんが、そこにももはや帰れません。一応、反逆罪を犯した国家犯罪者ですから。もっとも、私は死んだものと思われているでしょうがね」

「でしたら、このまま我が家にいらっしゃいませんか? もし、ご迷惑でなければですが」

「本当ですか? そんな、ご迷惑だなんてとんでもない。是非、よろしくお願いします」

 自分は混乱を招いた元凶である聖騎士団の人間なのに、こんなにも温かく迎えてくれるなんて。

 正直、嬉しかった。彼らの自分への気持ちが、そして自分が貫いた信念が間違っていなかった事が、これで証明された訳なのだから。

 自分はヴァナヘイムには帰れない。だけど、ここで新しい人生を歩んでみるのもいい、とも思った。

ただ一つ、王都にいるあの人の事がとても気がかりだったけど。

 出来る事なら、ちゃんと―――。

 いや、もうよそう。こんな事を考えるのは。ないものねだりは、気持ちを虚しくさせるだけだ……。