さて、出るか……。
サイアラスは左手の篭手の調子を確かめながら、もう一度着け直す。
目前に陣を敷くのは、ニブルヘイム軍魔術師団およそ1500。
ここまで大規模の魔術師軍団と戦闘を交えるのは初めての経験だ。部下達の表情にも幾分か不安の色が窺える。このままぶつかっては、おそらくこちらの壊滅は避けられないだろう。ただでさえジュリアスと事を交えて負傷した者もいて、おまけに本隊からの援護はほとんど見込めない状況なのだ。
「サイアラス殿……」
不安げな様子の聖騎士。最強と謳われた聖騎士団とはいっても、まったく未知の相手を前に、しかもベストではない状態なのだから、つい弱気になっても仕方がないだろう。
「臆すな。あの程度、所詮は十把一絡の集まりだ。数を集めた方が勝つのが戦ではない」
サイアラスは自分の馬に飛び乗る。
「俺の後に続け。まずは第一陣を叩く」
「た、叩くって―――」
「遅れるな。なるべく散開して続け」
そう言い残し、サイアラスは単身敵陣地へ颯爽と突進して行った。
「ま、待って下さい!」
慌てて軍馬に乗り、その後を追う聖騎士達。
サイアラスの突撃により、第一陣の間に緊張が走る。すぐさま指令が走り、魔術師達は呪文の詠唱を開始する。
「ふん、ザコが」
剣を抜き去り、馬上から跳び立つ。
着地。
そこへ、
「撃てーっ!」
敵第一陣からの一斉射撃。一度に放たれた火炎の球が一瞬でサイアラスの体を埋め尽くす。火球は互いの衝撃を吸収し合い、反発力から爆発を起こす。
が、
「ぬるいな」
直後、爆炎の中から飛び出す影。
サイアラスだ。
顔には不敵にも薄笑いすら浮かべ、あれだけの魔力を浴びながら傷一つ負っていない。
予想だにしなかった事態に、敵陣内に大きな衝撃が走る。
「失せろ」
動揺しているのもかまわず、サイアラスは敵陣に突っ込み、片っ端から斬り伏せていく。咄嗟に魔力で結界を張る者もいるが、サイアラスの一撃は結界をも難なく突き破る。たった数分にして、第一陣の数は半数以下にまで落ち込んだ。
と、
「これ以上、好き勝手させるか!」
不意に襲い掛かった士官クラスの魔術師。
彼は右手に魔力を収束させ、そのこぶしをサイアラスに叩きつけた。同時に、こぶしを中心に局地的な爆発が起こる。
「!?」
しかし、爆発の下から現れたのはサイアラスの真っ黒な篭手。その奥には、相変わらず不敵な表情のサイアラスの顔が覗いている。
「残念。コイツは特別製でな」
お返しとばかりに、その左手で襲い掛かったその魔術師を殴り飛ばす。男は枯葉のように宙を舞い、どしゃっと地面に墜落する。そのまま動かなくなった。
「行け! サイアラス殿に続け!」
サイアラスの圧倒的な力を目の当たりにした聖騎士達が俄かに活気付く。確かに数こそ少ないが、実力はこちらの方が遥かに上だ。臆する事さえしなければ、全くかなわぬ相手どころか、むしろ物の数にすら入らぬ相手だ。
息巻く聖騎士達によって、逆に戦意を喪失した敵第一陣は総崩れを起こし、瞬く間に壊滅状態に追い込まれる。そのまま勢いを落とす事無く、第二陣へ雪崩れ込んでいく。
「ジュリアス、お前は一度も背を向ける事がなかったな」
誰となく呟くサイアラス。
第二陣からの魔術攻撃をかいくぐり、第一包囲網を突破する。彼の猛撃は止まる事を知らない。
重苦しい意識の海。
暗いのではなく、視界は文字通り、ない。
その中に、ポッと自分が浮かび上がった。
それを自覚する自分。途端に全身の感覚が甦ってきた。鈍い胸の痛みも。
「う……」
自分のうめき声が聞こえる。
ゆっくりまぶたを開く。が、灯りが眩しくて中々開けられない。
「あ」
自分以外の誰かの声が聞こえる。自分のすぐ傍で。
灯りに目を慣らしながら、ようやく目を開ける。
目の前には、一人の女性の顔があった。いや、女性と呼ぶにはまだ早い。顔はまだ幼さが抜け切っていない。
可愛らしい大きな黒い双瞳がじっと自分の顔を見つめている。
「大丈夫?」
心配そうな表情でこちらをしげしげと見下ろしてくる。
「ええ、なんとか」
胸の痛みは、完全に消えたわけではなかったが、我慢できないほどの痛みでもない。それに、自分は職業柄痛みには慣れている。いちいちケガをするたびに泣き言を言ったりはしない。
「良かった。三日間も目を覚まさないんだから、心配したんだよ」
「三日ですか……」
随分と眠っていたようだ。感覚では、普段通りの時間に寝て起きたようにしか思えないのに。
そういえば、この子はどこかで見覚えがある。おかしい。自分は、女性の顔と名前は一度憶えたら絶対に忘れないのに。まだ頭が本調子ではないのだろうか。
「あなたは確か……」
「うん。村で私の事、助けてくれたよね? ありがとう」
そうだ思い出した。この子は、あの時自分が助けた女の子だ。
「いえ。か弱き女性を助けるのは、男としての義務ですよ」
「ううん。嬉しかった……」
そう言って彼女は、ジュリアスの手をそっと取って握った。そのまま、まるで愛しむかのように自分の頬を重ねる。
「は?」
そんな彼女の行動に、思わず唖然としてしまうジュリアス。この彼女の言動が、まるで見た目の年齢にあまりに不似合いなのだ。子供が大人の恋愛の真似事をしているようだ。
「ねえ、名前は何ていうの? 私はモミジ」
「ジュリアスです。ジュリアス・シーザー」
「ジュリアスか……。カッコイイ名前」
ますますうっとりとした様子で、熱い溜息をつく。
何なのでしょうか、この子は……。
「いえ、あなたの名前も可愛らしいですよ」
「本当!?」
普段、呼吸するのと同じ自然さで出てくる言葉。その自分の言葉に、喜びをあらわにしてパッと目を輝かせるモミジ。こういう仕草は子供らしいのだが。
「うん、私、決めた!」
よしっ、と何やら気合の入った様子で決断する。
「決めたって、何をです?」
するとモミジはジュリアスの目をじっと見た。突然向こうから目を合わされ、思わずドキッとする。
「フフフ」
だがモミジは、何やら意味深さを覗かせながら微笑むだけだった。