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 トントン。

 深夜、ソファーの上で悠久にも思える長い時間にそわそわしていたジュリアス。その部屋を何者かがノックする。

 来た!

 ジュリアスの表情に満面の笑みがこぼれた。が、慌てて表情を引き締める。だらしのない顔で出迎える訳にはいかない。部屋に招き入れるまでもなく、速攻で帰られてしまう事は必至だ。

 窓に自分の顔を映して表情と髪型をチェック。そして急いでドアの前に立ち、ロックを外す。そのままはやる気持ちを抑えながらドアを静かに開ける。

 が、

「ジュリアス」

 しかしドアの向こうから飛び出したのは、酒焼けした男の声。

 思わずジュリアスはドアを閉めそうになった。だがそれは叶わない。何故なら、それよりも先に声の主がドアを掴んで押さえてしまったからだ。まるで次の行動を読んでいたかのような素早い動作である。

「あの……なんでしょうか?」

 落胆する気持ちを抑えられず、さもうんざりした口調で訊ねる。

「今から少し付き合え」

「今から? すみません、人と約束していますのでお断りです」

「用事はすぐに済む。団長命令だ」

そう言って彼は先に歩き出した。

「はあ……」

 訪ねて来たのは、聖騎士団の現団長であった。

 一千騎の聖騎士団を束ねてきただけあって、彼には凄まじい武勇伝が幾つもあった。熊を素手で倒した、とか、ドラゴンと渡り合って引き分けた、とか、金剛石を両断した、とか等々。彼はヴァナヘイムでも一、ニを争う猛者だった。だが、その武勇もさることながら、彼自身の性格も清廉潔白として法を厳守し、また法を破る者、秩序を乱す者に対しては容赦のない制裁を与えた。そんな彼は、いつしか“聖槌”とう二つ名で呼ばれるようになった。

 ジュリアスは女性との約束は全てにおいて最優先させる性格だ。無論、相手がどれだけ高名であろうと例外はない。あまりしつこければ、国王ですら足蹴にして力づくでも追い出しかねない人間だ。だが、ジュリアスは今回だけはそれをしなかった。何故なら団長は、シャルルの直系の祖父だからである。

「……すぐにして下さいね」

 やれやれ、とジュリアスは溜息をつき、団長の後を追って部屋を出た。

 こんな時間に、一体何の用なのだろうか?

 当然の事ながら、すぐにそんな疑問が浮かび上がった。だが、ジュリアスはそれを口にはしなかった。団長が普段にもまして雰囲気が重々しく、余計な会話を一切禁ずるような緊張感が伝わってきたからである。

 数分後、二人がやってきたのは、別館からさほど遠くない位置にある、聖騎士団用の屋内訓練場だった。

 こんな時間に訓練? きっと、今日の大会の内容についての説教をするつもりだ。実戦も交えて。ああ、嫌だなあ。

 大きな溜息が漏れる。まったく、本当ならシャルルとの甘い一時を過ごすはずなのに、何が悲しくて素手で熊を殺すようなオッサンと夜間訓練しなければならないのだろうか……。

「ジュリアス、受け取れ」

 そう言って、団長は項垂れているジュリアスに向かって訓練用の模擬剣を投げ渡した。

 ほら、やっぱり。

 うんざりした気持ちでそれを受け取る。

 団長は静かに模擬剣を構えた。団長が最も得意とする上段の構え。

そして、ひゅーっと一呼吸。

と、

「?!」

 ジュリアスは全身にぞくっとする悪寒を感じた。俄かに鳥肌が広がる。

 これは、本物の殺気だ。ジュリアスはそれに触発され、即座に模擬剣を構えた。こちらは対照的に下段の構え。素早く相手の下に潜り込んで後の先を取る、ジュリアスの得意の型だ。

「ジュリアス、これは訓練ではない。一度限りの真剣勝負だ」

「真剣勝負って、どういう事ですか?」

「今はそれを語る必要はない」

 ジュリアスにはまるで団長の真意が計り知れなかった。訓練でなければ、我々が剣を交える理由などないはずだ。なのにこの殺気は、紛れもなく本物だ。

 ……やるしかない。

 覚悟を決めるジュリアス。

 つうっと冷たい汗が額を流れる。表面張力により丸い雫となって鼻を伝い、そして落下。

 刹那、

 辺りに充満する団長の殺気が質量を帯びたのかと錯覚するほど一点に凝縮集中し、まるで飲み込まんばかりの勢いで襲い掛かってきた。ジュリアスは闘志を奮い立たせ、模擬剣を適度な硬さに握り直して迎撃体勢。

 短い雷鳴のような金属音。

 そして二人はぶつかり合った中央から両端に弾かれる。

「くっ……」

 手に、僅かに痺れが走る。

 互いの一撃目は、まったくの互角だった。

 

 シャルルは五度目のノックをした後、ふと首をかしげた。

 ジュリアスは不在のようだ。だが、それはどう考えてもおかしい。女性との約束を反故にするような行為は絶対にしない人なのだから。

 時間は間違ってはいない。場所も、自分の方から出向く約束になっているのだから間違っていない。

 ならば、他に考えつく事は―――。

 ……まさか、おじい様?

 

「はあ、はあ、はあ……」

 屋内訓練場に二人の激しい息づかいが響き渡る。しかし、見える人影は一つ。

「私の、勝ち、ですね……」

 肩で苦しそうに息を切らせながら、ジュリアスは自分の足元に向かってそう語りかけた。

「……だな」

 よく見るとそこには、同じく肩で息をしている団長が横たわっていた。

 だが、その表情に敗北の悔しさは窺えなかった。むしろ、清々しさすら感じられる表情をしている。

 はあっ、と深呼吸。呼吸は落ち着きを取り戻してきたが、心臓は未だに激しく鼓動を打ち続けている。

「そろそろ聞かせていただけませんか? 我々が剣を交えねばならなかった意味を」

 額を伝う汗を拭いながらそう問う。すると団長は口元に微かに笑みを浮かべ、呼吸の整わぬまま語り始めた。

「私はもう歳だ。かつては“聖槌”と呼ばれた私も、老いには勝てん。それは今のでよく分かっただろう?」

「団長……」

 どこか寂しげな口調。しみじみとした団長の語りは静かに続く。

「私は、お前の力を試したかったのだ。周囲は今日の武道大会の結果を見て、次期団長にはお前が選ばれる、と公然と噂する。だがそれは、あくまでルールに縛られた試合での話。実戦とはまた違う。試合なら常勝、では団長は務まらぬ。だから私はこんな形でお前を試させてもらった。突然、すまなかったな」

「いえ。では、合格ですか?」

「と、言いたい所だが、まだだ」

「へ?」

 団長は意地悪気にニヤッと笑う。

「引退するにはまだ早い、という意味だ」

 団長は床に手をつき、ゆっくりと上体を起こす。

「近いうちに国王の口から直々にお達しが来るだろう」

「お達しっとは?」

「戦役だ。それが第十三期ヴァナヘイム聖騎士団団長ヴァン・ディルクの最後の舞台だ」

 そう言って団長は、不適とも歓喜とも取れる笑みをその顔に浮かべた。