「ああ、もう! 衛兵は何をしているのかしら!」
別館の廊下にシャルルの声が響き渡る。
床に叩きつけたニブルヘイムの魔術師にとどめの蹴りを入れながら、シャルルはいらただしげに叫んだ。ドフッ、と鈍い音がし、魔術師はそのまま失神する。
「しょうがないですよ、シャルルさん。聖騎士団は負けちゃったんですから」
アンジェラが安穏と答えながらも、魔力を片手に襲い掛かってきた魔術師の側頭部を鮮やかな回し蹴りで打ち抜く。
ヴァナヘイムは国境付近における聖騎士団と魔術騎士団との戦役において敗北し、ニブルヘイムの領地内への侵入を許していた。先の戦役においてそのほとんどの戦力を投入してしまったヴァナヘイムに、ニブルヘイムの猛攻を食い止めるだけの力は残っておらず、王都はあっけなくニブルヘイムに占領されてしまった。
王宮の衛兵など、元々数える程度しか配置されておらず、一個師団単位で襲い掛かられればひとたまりもない。そのためニブルヘイム軍は王宮別館にも入り込んできている。ニブルヘイム軍の中でも下っ端に位置する魔術師団ではあるが、圧倒的に数で負けているこちらは抵抗らしい抵抗もできないありさまだ。
「シャルルさ〜ん、このままじゃやられちゃいますう。敵に捕まるのは嫌です。私、結婚に希望を持ってるのに!」
「泣き言を言うんじゃありません! とにかく、今は敵を倒す事だけ考えなさい!」
轟、と叱咤しながらも、次々と敵を薙ぎ倒していくシャルル。
魔術師が詠唱を始めれば喉を潰し、こぶしに魔力を集中させれば腕を折り、突っ込んでくればその力を利用して投げ飛ばす。非力さを技でカバーしたその戦闘術は、完全に魔術師を凌駕している。
しかし、五人のメイドに対して彼女達を取り囲む魔術師は、およそ三十名。比率は六対一。絶望的な数字だ。体力だって無尽蔵にある訳ではない。常人よりも鍛えているため容量に余裕はあるものの、この数を相手に出来るほど残っているとは、幾ら前向きに考えても否定せざるを得ない。
王宮に仕える者達は皆、必ず何らかの武道の心得がなくてはならない。実力にもある一定以上の基準が定められている。そのため、王宮の使用人は一番下っ端の雑用係ですら、ガラの悪い店にたむろする無法者をあっさり倒してしまうほどの実力を秘めている。これは、非常時に彼ら使用人達が王族を敵から守るための伝統なのだが、その王族達は早々に亡命を果たし、結局王族を守るための力は自分を守るために使われている。
互いの背を合わせ、周囲の動きに油断なく構える彼女達。
一方取り囲む魔術師達は、彼女達が見た目に寄らぬ実力を持っている事を目の当たりにされたため、油断こそはしていないものの数で圧倒的に勝っている事から表情に余裕が見え隠れしている。
「こんな時、ジュリアス様がいてくれたらなあ……」
誰かが、そんな事をポツリとつぶやいた。
ジュリアスは、いつも自分達に余計な仕事を作ったり困らせるような事をしたりして、非常に手のかかる厄介な人だった。しかし、そんなジュリアスに自分達は他の誰よりも好感を抱いていた。分け隔てなく接してくれるその態度、いつもにこやかで柔らかな物腰、そして、深刻な事態に陥った時は必ず助けてくれるからである。
普段はまるで大きな子供ではあるけど、いざという時は非常に頼りになる頼もしい男性だった。
だが、そんな彼はもうここにはいない。
彼は国を裏切り、同朋の手によって処刑されたのだから。
「……ウェンディ、死んだ人を頼るのはやめなさい」
低く鋭い声でシャルルは口を閉じさせた。
あの人は死んだのだ。今、現実的に頼るべきものは、自分の力とみんなとの信頼関係だ。
だけど、何よりそれを強く感じたのは、他ならぬ自分自身だ。
ジュリアスが死んだ事は、サイアラスから直接聞かされていた。そう、揺ぎ無い事実として。
死んでしまったのなら仕方がない。あの人は、自分の信念を貫き通して死んだのだ。何の悔いもないだろう。
だが、そう考える一方で、自分はジュリアスの死を強く否定していた。
いつも自分達を驚かせる人なのだから、もしかしてひょっこり現れるかも知れない、と。
あまりに荒唐無稽な、予想というよりも自らの願望に近いのだが。
「とにかく、何とかこの包囲網を突破しますよ。数で劣る以上、この状況では不利です」
今はこの状況を打破する事の方が先決だ。
シャルルは頭の中の雑念を振り払い、今一度、自分のマインドを戦闘用の冷静な状態に戻した。
「王宮が陥落するのも時間の問題だな」
戦火に見舞われた王都。その中で自分の部下達が次々と乗り込んでいく王宮を見やりながら彼、この魔術師団の師団長はニヤリと口元を綻ばせた。
本隊があれほど苦戦したヴァナヘイム。だが、聖騎士団亡き今は単なる烏合の衆にしか過ぎない。本隊の到着を待つまでもなく、自分達で手柄を手に入れてやろう。
彼は既に王族達が亡命の準備を果たし脱出に成功した事には気づいていなかった。今もなお、自分の出世の足がかりになる手柄が目の前にぶら下がっているものだと勘違いしているのである。
と―――。
「ほ、報告!」
突然、慌てふためいた様子の通信兵が自分の元へ転がり込んできた。
「何事だ?」
「敵襲です!」
露骨に面倒臭そうな表情を浮かべた師団長。だが、通信兵のその言葉に見る間に顔色を変えた。
「聖騎士団の残党がまだ残っていたのか……数は幾つだ?」
そう問い掛ける師団長。せっかくの手柄を目の前にしておきながら、うっかり奇襲をかけられて退却するハメになってしまう訳にはいかない。
しかし、師団長のその問いに、通信兵は躊躇いがちになかなか答えようとはしない。
「どうした? 敵の数を訊いているんだ。おおよそでいいから早く答えろ」
「実は……」
その時。
「ぐわあああああっ!」
「ぎゃあっ!」
魔術師達の壮絶な悲鳴が聞こえる。
「そっちだ! 早く捕まえろ!」
「無理です! 速過ぎ―――ぐわあっ!」
自分達は後詰の部隊だし、この状況では出番はないだろうと踏んでいた魔術師達の間に、俄かに緊張が走る。
「な、なんだ? 一体、どうしたというのだ? おい、敵は一体幾つなんだ?!」
「い、一騎です……」
躊躇いがちに、通信兵はそう答えた。
彼の口から飛び出した信じられぬ言葉に、師団長は思わず唖然とする。
「一騎だと?! たった一騎で、我が軍に攻め込んできたというのか?! たった一騎で、二千騎を相手に?!」
その瞬間。
びゅん、と鋭く空気を切る音が聞こえた。まるで突風が自分のすぐ傍を通り抜けたかのように、巻き起こった風がマントを翻していく。
ハッ、と振り返る師団長。しかし、既にそこには誰もいない。
「向こうです! 向こう!」
通信兵が指を指しながら必死にそう叫ぶ。
すぐさまその方を向く師団長。
「な、なんだと……?」
たった今、大胆にも自分のすぐ脇を通り過ぎていった風の正体。その主の姿が、遠くに僅かに確認する事が出来た。
それは、白い馬に乗った一人の男。
男は迷わず目前に広がる軍勢に直進していった。
その姿は、まるで一陣の風だった。
風は、誰にも止める事が出来ない。
『ジュリアス、わざわざ中央突破する必要があるのですか?』
足元に群れる魔術師達を弾き飛ばしながら、部隊の中を強引に突破していくクルス。
その背に乗る、コンゴウから借り受けた片刃の剣で露払いをしているジュリアスにそう訊ねる。
「こうして、あらかじめ後詰部隊を混乱させておくのです。再編成までにかかった分の時間が、そのまま私の余裕になるのですよ」
『なるほど』
尚も疾走を続けるクルス。彼女にとって群がる魔術師達は道端に転がる石ころにしか過ぎず、また、ジュリアスにとっては風に吹かれて舞う落ち葉に等しい。
「よし、見えてきましたよ」
王宮別館の入り口が見えてきた。
そこにもまた、魔術師達の部隊で溢れ返っていた。
「面倒ですね。クルス、三階までお願いします」
『分かりました』
ジュリアスの姿を見つけ、俄かに活気立つ魔術師達。すぐさま陣形を整え、ジュリアスを迎え撃つ姿勢を取る。
『行きますよ』
と、クルス。
クルスは風のような速さで加速をつけ、そのまま大跳躍。
クルスの跳躍を唖然とした表情で見上げる魔術師達。
『舌を噛まないように気をつけて下さいね』
クルスはそう告げる。
トッ、と静かな着地音と共に、クルスは三階のベランダに降り立った。
普通の馬では考えられない、常識を外れた跳躍だ。三階まで飛び上がる高さ、魔術師達を飛び越える飛距離、これらの超常的な脚力はクルスが神獣であるからである。
「ちょっと適当に引きつけておいてくれませんか?」
『分かりました。済んだら呼んで下さい』
「では、くれぐれも気をつけて」
『あなたも』
しばしの別れを告げ、クルスは更に上へ、ジュリアスは館内へ。
館内からはざわめきが聞こえてきた。おそらく魔術師達のものだ。
「向こうですね!」
ジュリアスはすぐさま音のする方へ駆け出した。
体がまるで風になったように軽い。たった一歩の踏み込みが、十歩にも二十歩にも思える。精神が酔ったように高揚し、血がざわざわと騒いで仕方がない。
圧倒的な歓喜だ。
思わず口元が綻んでしまうのが押さえきれなかった。
「いいですか、一点にしぼって強行突破しますよ」
シャルルは冷静に敵を見据えながらそう伝える。
「でも……」
「でも、何です? 他にいい手段がありますか? このままではいずれ私達が消耗して負けるのがオチですよ」
仕方がない。
そんな後ろ向きな空気が四人から発せられるのをシャルルは感じた。
無理もない。彼女らはまだ若い。こういう切迫した状況において冷静に動くだけの精神力は持ち合わせてはいない。
ここは、自分が何とかしなければ。
「行きますよ!」
そう叫び、シャルルが疾と踏み込む。
すぐさまこれに反応して身構える魔術師。目の前に結界を展開する。
そこへ、掌打の一撃。
「くっ……」
遮る力と突き進む力が互いにぶつかり合う。その反作用が直接力の元へ帰ってくる。
受けている反動は、二人とも一緒だ。しかし、生身を駆使しているシャルルの方がダメージは大きい。
「ヤアッ!」
と、その結界へもう一人、掌打を叩き込んだ。瞬間、力の拮抗が崩れ結界が崩壊する。
その隙を逃さず、シャルルは膝蹴りを叩き込んだ。
「逃がすか!」
そこに、すぐさま別の魔術師が襲い掛かってくる。
炎の魔力の乗った一撃が襲い掛かる。しかし、シャルルは素早く身をかがめ、魔術師の足を刈る。
「早く行きなさい!」
合図と共に、四人のメイド達は破れた所から包囲網を突破していく。
シャルルはそれまで、穴を塞ごうと襲い掛かる魔術師を食い止める。
全員逃げましたね。
それを確認すると、シャルルは目の前の魔術師の顎を肘で打ち抜き、自分もその後を追う。
が、
ドン!
直後、背中に激しい衝撃が走った。シャルルは前のめりになりながら吹っ飛び、床の上に伏す。
「く……そういえば魔術師を相手にしているのでしたね」
シャルルの背を打ったのは、魔術師の一人が放った冷気の魔術だった。
「シャルルさん!」
「行きなさい! 早く!」
心配そうな顔でシャルルに叫ぶ四人。だがシャルルは、自分に構わず行け、と叫び返す。
「そこを動くな。動けばこの女を殺す」
倒れているシャルルの背を踏みつけ、手のひらに魔力を集中させて四人を牽制する魔術師。
殺す、の言葉に四人に躊躇いが生じ、その場から動けなくなった。
自分の身を助けるか、シャルルを助けるか。
そんな迷いが杭となり、足を床に釘づける。
「まあ、悪いようにはしないさ。色々とな」
下卑た笑みを浮かべる魔術師。好色な視線が向けられている事に、生理的な嫌悪感を覚える。
と―――。
「いつまで踏みつけているつもりですか?」
刹那、シャルルを踏みつけていた魔術師が横殴りに吹っ飛んでいった。魔術師の体はそのまま窓を突き破り、外へ。
ハッ、とする一同。
「大丈夫ですか?」
床に伏すシャルルにそう微笑みかけた男。
それは、ジュリアスだった。
「い、いつの間に?! おのれっ!」
知らぬ間に自分達の中へ現れたジュリアスに、一斉に敵意が集められた。すぐさま魔力を集中し始める。
しかし、
「悪いですが、あまり時間はかけられませんよ」
ピッ、と一刀。
直後、目の前の魔術師三人が次々と床に伏した。
あまりに速い剣に唖然とする一同。
ジュリアスはその隙を逃さなかった。すぐさま収まったばかりの剣が疾と走る。
目にも止まらぬ神速の剣。
その一撃は結界を張る暇も与えず、また、その身に受けた者に今一度立ち上がる事を許さない。
瞬く間にその場にいた全ての魔術師が床に伏した。ほんの数回、瞬きする時間が過ぎた間に。
「さ、逃げますよ。まだ魔術師達はいますからね」
ジュリアスは素早くシャルルを抱きかかえ駆け出した。
「皆さん、私の後をついて来て下さい。急いで!」
自分達は夢でも見ているのだろうか?
死んだはずのジュリアスが、今、目の前にいて自分達を助けてくれた。
これは夢なのだろうか?
「早くって言ってるでしょう?! ほら、急いで!」
唖然とする彼女達を叱咤する。ようやく彼女達は事態を把握し、とにかくジュリアスの後を追って走った。
「ちょ、ちょっと! 下ろして下さい! 自分で走れます!」
「駄目ですよ。あんな目に遭ったんですから。女性は自分の体を大切にしませんと」
そう言ってニッコリ微笑むジュリアス。
何度も見た、ジュリアスの笑顔。子供のように屈託のなく、輝くような笑顔。
間違いない、本物だ。
「あなたと言う人はっ! 大体にして、今までどこに居たんですか! 人に散々心配かけておいて!」
ドン、とシャルルはジュリアスの胸を叩く。
「ちょっと死にかけまして。まあ運が良かったんでしょう。助かったんですよ。それで、ニブルヘイムのとある方の所へ間借をしているんです。幸運の女神も、私だけは捨てる事が出来なかったんでしょうねえ」
「ふざけている場合ですか! 冗談も時と場合を選んで下さい! 私が、私がどんな思いをしたのか知っているんですか?! 本当に、本当に……」
「シャル……ル?」
「ああ、もう! このぉっ!」
再び、怒りに任せてジュリアスの胸を叩く。
「い、痛いですって……。ひどいなあ、再会のキスもしてくれないなんて」
「とにかく! どうするんです?! これから! ちゃんと考えているんですか?!」
「ええ、ちゃんと考えてますって。あ、見えてきました」
と、前方に見えてきたのは一台の巨大な柱時計。
「さて、と」
ジュリアスはシャルルをそっと下ろし、柱時計に近寄る。
「あ、あの、ジュリアス様ですか?」
遅れてやってきたメイドの一人が、おずおずとそう訊ねる。
「ええ。私みたいな素晴らしい男性が、世界に二人いると思いますか?」
「良かった! 生きていらっしゃったんですね!」
「無論です。再会のキスをしてさしあげましょうか?」
「えへ。お断りですう」
そうですか、とやや残念そうな顔をし、ジュリアスは再び柱時計に向かう。
「何をなさっているのですか?」
「フフフ。ここをこうやって、と」
柱時計を掴み、ぐっと左に引く。すると柱時計は音を立ててずれ、小さな隠し通路が現れた。
「こ、これは?」
「昔に作られた、非常用の脱出口みたいです。ここを辿れば、街外れに到着しますよ」
「よくご存知でしたね。おそらく王宮内の者も知らないでしょうに」
「夜遊びが遅くなり過ぎてここに入れなくなった時、よくここを使ってたんですよ」
まあ、そんなところだろう。なんとなく納得する一同。
「さあ、早く」
ジュリアスに促され、次々と入り口へ入っていくメイド達。入り際、一人一人がジュリアスに再会と別れの挨拶をかわしていく。
そして最後にシャルルが入り口へ。と、
「待って下さい」
突然、ジュリアスはシャルル背中から抱きしめ、入ろうとしたのを止める。
「な、なんですか?!」
「聞いて下さい。私はあなたを愛しているのです。この世の何よりもずっと」
聞き慣れた口説き文句。
しかし、普段ならばすぐに張り倒してでも無視したであろうその言葉が、今はやけに胸に響き、シャルルは思わず胸を高鳴らせた。
「もし、私の気持ちに少しでも応えてくれる気があるのでしたら、このまま私と一緒に来てくれませんか? 先ほど言った、ニブルヘイムの私がお世話になっている所へ。もう許可は得ているんです。ですから、お願いします。一緒に来て下さい」
なにやら面白そうな事が始まった、と四人のメイドが入り口から顔を覗かせて二人の様子を観賞している。興味本位丸出しの、野次馬のような表情だ。
「きゅ、急にそんな事を言われても……」
柄にもなく困惑の表情を浮かべるシャルル。しかし、強く抱きしめるジュリアスの手は放してはくれない。
「シャルルさん、行っちゃえばいいのに」
「そうそう。ホントは好きなクセに」
「ジュリアス様が他の女性にちょっかいかけてると、すぐに不機嫌になるじゃありませんか」
野次馬からの意見が飛ぶ。
少なくなっていた口数が更に減るシャルル。
ジュリアスはそれでも強く抱きしめ続けていた。シャルルの返事を待ちながら。
「一つ、お願いできますか?」
と、しばらく待ってからシャルルはおもむろに口を開いた。
「私は嫉妬深い女なのです。ですからあなたに、浮気やそう疑われてしまうような事をして欲しくないんです。それでもいいですか?」
「ええ、構いませんよ。そんなあなたが好きなのですから」
少しも躊躇わず、ジュリアスは笑顔でそう答えた。
「やったあ!」
「おめでとう、シャルルさん!」
「もう! 早く行きなさい、あなた達!」
シャルルはそう叫びジュリアスを振り解くと、柱時計を元の位置に戻して塞いでしまった。
「まったく……」
「シャルル、ありがとう」
ジュリアスはそっとシャルルを後ろから抱きしめた。
そっと顔に手を当て、自分の方を向かせる。
いつもならば、迷うことなく投げ飛ばしている場面だ。
しかし、シャルルは逆らわない。
ゆっくり唇を近づけ―――。
「向こうだ! 連中は向こうに逃げたぞ!」
向こうの廊下から大勢の魔術師達の声と足音が聞こえ、二人の雰囲気をぶち壊しにする。
思わず、溜息。
「さて、続きはここを脱出してからにしましょうか」
「クルスは連れてきているのですか?」
「ええ。取り敢えず、向こうのベランダに行ってそこでクルスを呼びましょう。あ、そうです。一つ賭けをしませんか?」
「賭け、ですか?」
「ええ。ベランダに辿り着くまで、どちらが多く敵を倒すかです。勝った方は負けた方にキスが出来ます。ただし、シャルルは私より前に出てはいけません」
「……まあ、別に構いませんけど」
あまりにも真剣な表情で下らない事を提案するジュリアス。だが、そんな彼にシャルルは溜息混じりに苦笑しつつも、子供の遊びに付き合ってやるかのような気持ちで乗ってあげた。
「さ、行きましょうか」
「はい」
その日、長きに渡って繁栄を続けたヴァナヘイムは歴史上から完全に姿を消した。
あまりに突然の侵略には、今もなお様々な憶測が飛び交っている。とある評論家の話では、何者かがヴァナヘイムを操ってニブルヘイムとの同士討ちを誘った、とされているが、その真実は定かではない。
そしてもう一つ、似たような話。
ヴァナヘイム崩壊の日、王宮別館に死んだはずの逆賊、ジュリアス・シーザーが現れたという噂が語られている。
数多くの目撃者も報告されているのだが、これもまた真実は定かではない。
了