銀の如き顫音* 戻る

 

 

 場内はしんと静まり返っていた。水を打ったような静けさ、とは、先人もうまいたとえをしたものである。

 両雄の体力は既に限界が近づいていた。しかし、精神力は未だに尽きていない。お互い息が上がっているにも拘わらず、それを全く感じさせぬ一片の隙もない構えと、勝負の行方を見守っている者達の皮膚にびりびりと伝わってくる凄まじい闘志がそれを雄弁に物語っている。

 竜虎相打って、既に一時間が経過しようとしていた。

 竜の名はジュリアス。

 虎の名はサイアラス。

 共に、ここヴァナヘイムが世界に誇る聖騎士団の次期団長の最有力候補だ。

 ぽたり。ぽたり。滝のような汗が額から鼻頭を伝い、床に落ちる。だが二人とも、そんな事は気にもならないほど、目の前の敵に向かって集中力を振り絞っている。

 と。

 疾、と踏み出し、颯爽と間合いを詰めたのは白い鎧を身にまとった男、ジュリアス。

 黒の鎧を身にまとった男、サイアラスは、それを正面から迎え撃つ姿勢を取る。

 一瞬、小鳥のさえずりのような鋭い音が響く。ジュリアスの目にも止まらぬ速さの凄まじい斬撃が、幾つもの見えない空気の断層を切り裂きながらサイアラスに襲い掛かる。

 が、サイアラスはその一撃を、まるで落雷したかのような音を立てながらも難なく剣の背で受け止める。

「うおおおっ!」

「?!」

 拮抗していた力のぶつかり合いが、サイアラスの雄たけびと共に荒々しく崩される。自分の力との相乗効果により、ジュリアスの体が背後に飛ばされる。

「く……っ」

 何とか着地するも、表情には影。一瞬ではあるが、バランスを失った。

 その一瞬を見逃さず、すかさず斬りかかるサイアラス。

 振り上げ大上段に構えた剣を、ごうっ、と振り下ろす。

 咄嗟に剣を捨て、横に転がって攻撃をかわすジュリアス。直後、先ほどまで自分がいた床がサイアラスの一撃により粉砕される。

 間を空けず、攻勢に出るジュリアス。剣は持っていなかったが、サイアラスはまだ次の攻撃態勢には入れていない。

 ジュリアスは体を捻り、鋭くしならせる。そこから放たれたのは、しゅ、と音をたてた、鮮やかな回し蹴り。

 正確にこめかみを狙って放たれたその一撃を、サイアラスは咄嗟に左手を上げ防御。

 そしてそのまま、一挙動で攻撃態勢へ。剣を中段に構え、ジュリアスの胴体を二つに分断せんばかりの鋭い横薙ぎ。

 が、ジュリアスの体はそれよりも早く、剣の軌道よりも深く沈み込み、体勢を整えている。

 その手には、先ほど捨てた剣が。

 再び、疾、と踏み込む。

 すれ違う、両雄。

 破砕音。

 そして、サイアラスはその場に崩れた。

「しょ、勝者、ジュリアス・シーザー!」

 その言葉とほぼ同時に、群集の歓声が辺りに響き渡った。

 

「う〜ん、優勝したよ〜」

 控え室。そこではジュリアスを担当するの五人のメイドが待っていた。

 息を殺してそっと部屋に入り、変な声を上げながら、まるで不意打ちするかのように彼女達に飛びつく。が、

「はうっ?!」

 ジュリアスの視界がぐるっと回転する。そして背中を床に強打。腕を取って捻り相手の向かってくる勢いを利用して投げる、関節技と投げ技の複合技である。

 ヴァナヘイムにおいて、王宮に仕える全て使用人は何らかの武道の心得がある。それは、有事の際、家臣一同が体を張って国王を守るための、昔からの伝統である。無論、彼女らとて例外ではない。

「あら? ジュリアス様ではありませんか」

 投げ飛ばしたメイドが、そこでようやく彼だと気づき、きょとんとした表情を浮かべる。

「ひどいや……。私が何をしたというのですか?」

「あなたが唐突な行動をするからです」

 きっぱりと強い口調で別のメイドが言い捨てる。年の頃は、他のメイド達に比べて二つ三つ年上のようだ。しかも、メイドに似つかわしくない、異様な落ち着きと迫力がある。どちらかと言うと、武人に近い空気の持ち主だ。

「私は皆を驚かせようと思って……」

「十分、驚きましたわ。あなたのアホさ加減に」

 呆れの溜息。

「ひどいやシャルル。昨夜はあんなに優しかったのに……」

「誰がですって?」

 ぐっ、と握りこぶしを作って見せ、暗黙の内に今の発言に対する訂正を強要する。

「すみません。嘘です……」

 この、シャルルという男の名を持つメイドは、現聖騎士団団長の孫娘に当たる人物である。れっきとした女性であるにも拘わらず男の名前をつけられたのは、男の子が欲しかった団長は息子に恵まれなかったため孫に期待していたのだが、結局孫も全て女の子だったためである。それでやむなく、団長が昔から考えていた名前が、生まれた当時一番体格の良かった彼女に命名されたのである。

「さあ、優勝者には国王との謁見があるでしょう? 早々に仕度を始めますよ。そちらの部屋に湯浴みの用意をいたしましたから、体の汚れを洗い落として下さい」

「でも、皆で入るには少し狭いのでは?」

「……怒りますよ?」

 そんな彼らのやりとりを、扉の外でサイアラスは苦笑いを浮かべながら立ち聞きしていた。

「俺は、あんなヤツに負けたのか……」

 ジュリアスとの付き合いは長く、彼のこういった性癖については誰よりも熟知していた。しかし、今日のような大舞台で敗北を喫した後にこのやりとりを聞いてしまっては、そうしてもこんなセリフが漏れざるを得なくなる。

 腹にくっきりと出来た痣がずきずき痛む。先ほどの試合で、ジュリアスにつけられたものだ。

 刃の焼入れがなされていない模擬剣とは言え、凄まじい破壊力である。

『そ、それじゃあ、今日はシャルルとアンジェラの二人で―――』

 直後、こだまする悲鳴。

「何で俺は負けたかな……」

 はあ、と再び溜息を漏らした。