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どうも、今までに会わなかったタイプの子だ。いや、会った事はあるにはある。だが、それは全て二十を越えている大人の女性だ。こんなに幼くはない。

さて、それはさておき、ここは一体どこなのでしょうか……?

仰向けになったまま、僅かに動かせる首と目玉を目いっぱい動かして周囲の状況を窺う。

部屋はヴァナヘイムの家屋とは大きく違った独特の作りである。ニブルヘイムではよく見られる伝統的な建築物だ。前にも何度かニブルヘイム作りの家には触れた事がある。

この作りでは、基本的に建物の中では履物は脱ぐ。それは、居間などのくつろぐためのスペースの床に使われている畳という植物から作ったものが痛みやすいからだ。

周囲をよく見れば、どれも自分が知っているものばかりだ。障子、襖、布団、掛け軸。そうそう、あの部屋に彩光を取り入れるための、あの天井近くの特殊な作り。これは確か欄間というものだ。

となると、ここはニブルヘイムの人の家?

と、その時、廊下の方から誰かの足音が聞こえてくる。歩幅が短い。おそらく女性だろう。

足音が障子の前で止まった。足音の主はそこで一旦床に座り、スーッと静かに障子を開ける。

「あら? お目覚めになられたのですね」

 入って来たのは、一人の歳若い女性。

 彼女の顔はよく憶えている。確か私に薬を飲ませてくれた人だ。声も全く同じ。間違いない。

「お加減はどうですか? 傷は痛みませんか?」

「いえ、もう大丈夫です」

「それは良かったですね。今、お医者様をお呼びいたしますので、傷の具合を見ていただきましょう。さ、モミジ。お邪魔をしてはいけませんよ。この方はお怪我をなさっているのですから」

「えーっ」

 露骨に不満そうな表情を浮かべる。だが彼女は、微笑をたたえた表情を崩す事無くそんなモミジに何やら言い聞かす。

 そういえば、この二人。顔立ちが非常によく似ている。多分モミジが後5年経ったら、彼女のように美しくなる事だろう。きっと姉妹なのだろう。

「結構ですよ、お姉さん。ただ一人で寝ているのも退屈ですから。話し相手が欲しかった所ですので」

 が、何故か二人は突然きょとんとして、不思議そうな顔でジュリアスの方を向く。

 あれ? 何かおかしな事を言ったかな……。

「あの、それは私の事ですか?」

「ええ、そうですが。何か?」

 そう訊ねると、彼女はさもおかしそうにクスッと笑った。

「私は、この子の母親ですよ? 姉に間違えていただいたのは光栄ですけど」

「え……? お母様でいらっしゃいましたか……」

 思わず我が目を疑わずにはいられなかった。彼女は、モミジぐらいの大きな子供がいるようには見えないのである。見た目の年齢では二十代前半ぐらい。いや、十八、九でも通用するかもしれない。

「ご挨拶が遅れましたわね。私はモミジの母のアオイです」

「私はジュリアス・シーザーです。よろしくお願いします」

 丁寧な物腰、穏やかな雰囲気、どれを取っても気品に溢れ奥ゆかしさが漂っていて、思わず溜息が漏れそうになる。しかし、どう見ても一児の母には見えない。一体幾つなのだろうか? それを訊ねるのは幾らなんでも失礼千万な事だが、やはりどうしても気になってしまう。

「それでは、私はお医者様を呼んできますので。モミジ、ジュリアスさんに御迷惑をかけてはいけませんよ」

「はぁ〜い」

 嫌々ながらもちゃんと言いつけを守る気なのか、それとも、元からそんな気はさらさらないのか、モミジの返事はやけに間延びしていた。

 アオイが静かに部屋を出て行く。

 と、ジュリアスは、しまった、という風な顔をする。自分は目覚めたばかりで状況を全く知らないのだ。医者よりも先にその事を聞いておけばよかった。

「ねえ、ジュリアス。これで二人っきりね」

 熱い視線を送りながら、必要以上に顔を近づけてくるモミジ。

 まあ、確かに可愛い事は可愛いのだが、はっきり言って自分は子供を恋愛対象とはしていないので、特に何も感じない。強いて言うならば、どうやって傷つけずにかわしていこうか、と悩むぐらいだ。

「驚いた? 私のお母さん、すごく綺麗でしょ?」

「ええ。目も覚めるようでした」

「私も将来、あんな風になるのよ?」

「……それで?」

「ふふふ。やあねえ、照れなくてもいいのに」

 そう言って、モミジはクスクスと笑った。その笑い方はアオイによく似ている。

「あの、ところで私の馬を知りませんか? 真っ白で赤い目をしているのですが」

「私の事を乗せて行った馬でしょ? 知ってるよ。裏にいるよ。なんかずっと元気なさそうだけど」

「私の事を心配してるのでしょうね。後で顔を見せに行きませんと。ところで、私が眠っている間に何があったのですか? いまいち状況が分からないので、知っている範囲でよろしいですから教えて下さい」

「んっとね、じゃあ最初の方から話すね。ジュリアス達がいたあの村、憶えてるでしょ? 私はその村に、おじちゃんと一緒に行ってたんだ。何か用事があったみたいで。で、そのまま足止めされてたの」

「おじちゃん?」

「うん。私のお父さんの弟。今はどこかに出かけていないけど、その内に帰ってくるよ。それでその後、あの事件が起こって私はおじちゃんとはぐれてしまったの。どこに行けばいいのか分からなくなったその時、ジュリアスが颯爽と現れて助けてくれたの。ここ、すごく重要だけど、もちろん憶えてるよね?」

「まあ、一応は。それで?」

「私はジュリアスの馬に乗ってこの村まで逃げてきたの。ここは私の村なんだ。元々、あの村とは親交が深かったから、今もあの村の人はみんなここにいるよ。それで、私を連れてくるなり、あの馬、すぐにどこかへ飛び出しちゃって。それでおじちゃんとかがその後を追ってったの。そしたら、傷だらけのジュリアスを連れて帰って来たからビックリしたの」

 なるほど、とジュリアスは一応は分かった振りをした。

 モミジの言いたい事はなんとなく分かるが、文章構成とかが無茶苦茶でいまいちはっきりと分からない。取り敢えずはっきりしたのが、私がこの村の人に助けられた、ぐらいだろうか。詳しい話は後から大人の人に聞こう。

「ねーえ、ジュリアスぅ」

 なんだかひどく甘えた声色だ。子供が親におもちゃをねだる時のそれに似ている。

「何ですか?」

「私って可愛い?」

 自分で言わなければ、もっと可愛いと思うのだが。まさかそんな酷い事など言えるはずもないが、性格はあまりアオイには似ていないなあ、となんだか妙に惜しい気持ちになる。

「ええ、可愛いですよ」

「ホントに?」

「本当です」

「だったら、私と結婚して! 私、ジュリアスの奥さんになるって決めたの!」

「は?」

 突然の思わぬモミジの発言に、さすがにジュリアスも驚きを隠せなかった。子供に少し好かれてしまっただけ、と思っていたのに、まさかそんなリアルな事まで考えていたとは。いささか不意をつかれた気分だ。

「決めたの、って言われてもねえ」

 と、微苦笑。だがモミジは一向に引き下がる気配がない。

「ジュリアスが私の前に颯爽と現れた瞬間、私は確信したの。この人が自分の運命の人なんだって! ホント、全身が痺れるような思いだったわ! だから、しよう! きっと私達、結ばれる運命なのよ!」

「だからって、第一、あなたはまだ子供じゃありませんか。結婚なんてまだ早いですよ」

「子供じゃないモン! 私だって、もう赤ちゃん産めるんだから!」

「いや、だからって大人という訳ではなくてね。結婚というのは、そもそも―――」

 必死でモミジを説き伏せようとするジュリアス。だが、モミジは芯が強いのか単なるワガママなのか、ジュリアスの言う事に耳を貸すどころか余計躍起になって結婚をしつこくせがんでくる。女性に追いかけられるのは男冥利に尽きると嬉しいものだが、それも相手の年齢によりけりだと自分は思う。

 早く誰か帰ってきませんでしょうか……。

 家族の帰りを、ジュリアスは心の底から深く願った。