『何か私に言いたい事があるのでは?』
遠駆けに出た帰り、そうクルスはジュリアスに問い掛けた。
「え? 別にそんな事は」
『私に隠し事はするだけ無駄です。私は“神獣”ですよ? あなたの心の迷いが手に取るように分かります。それに、大体あなたの方から出かけようという時は、何か悩み事がある時ですもの。違いますか?』
「……ははは、そういえばそうでしたね」
しまった、と言わんばかりに苦笑するジュリアス。
確かにクルスの言う通りだ。自分は、何かもやもやする事があったりイライラする事があったりすると、必ずクルスと遠駆けに出かけている。それは、クルスの脚力が生み出す凄まじい風が、自分の胸に溜まっているものを吹き飛ばしてくれる気がするからだ。本当に吹き飛ばしているのは、その風ではないのだが。
もっとも、このぐらいの事はわざわざ心を覗くまでもなく分かる事だ。人間より鋭い洞察力を持つ神獣にとっては。
神獣とはクルスのような動物の事を指す。いや、本当は動物という表現はあまり相応しくはないのだが。
神獣の特徴を挙げると、まずはその外見だ。神獣は皆、自然には在りえないアルビノ種である。色素が極端に薄いため、体毛は純白に近く網膜の色は赤い。
それから次に、人間と同等の知性を持っている事が挙げられる。神獣は人語を解する事が出来、また自分の考えを伝える事が出来る。だが、身体の構造上人間と同じように言葉を話す事は出来ないため、それには別の感覚器官を使用する。テレパシーの一種に近い。
そして、神獣が持つ能力。神獣は通常の動物よりも遥かに優れた身体能力を持つ。クルスは普通の馬の何十倍もの脚力を持っている。更に、中には優れた身体能力以外に魔術的な特殊能力を生まれ持つ神獣も存在する。
これらを挙げると、神獣が凄まじい戦争兵器になりうると誰もが予想するだろう。意思の疎通が出来る、自立型の戦闘兵器。破壊力は魔術並かそれ以上。
だが、それの実現には一つの厚い壁が存在する。
神獣の最後の特徴。それは、神獣が人間に対して疑心的であるという事である。基本的に神獣が人間に対して敵対心を持つことはそう珍しくはない。人間が唯物的な思想に対し、神獣は自然思想であるからだ。人間と神獣では主義思想がまったくの正反対なのである。
だが、そんな神獣の中にも、クルスのような例外も存在する。その神獣の心意に適う事、つまり気に入られる事がごく稀にあるのだ。神獣側の表現をすると、その人間と自分との波長が合う、となる。神獣がある人間の気質を自分が尽くすに値すると判断した時、神獣はその人間に初めて心を開くのである。
『何を白々しい。さあ、早く話して下さい』
「はいはい。分かりましたよ。クルスにはかないませんね」
と、クルスはジュリアスが話しやすいように走るスピードを緩めた。これまで凄まじい速さで前から後ろへ流れていた景色が途端に穏やかな流れに変わる。
後ろに引っ張られていた髪がもとの位置に戻っていく。ジュリアスは戻りきれない髪を整えながら、静かにゆっくり言葉を選びながら話始めた。
「まあ、その、簡単に言いますと、自分が何のために剣を持つのかって事です」
『例のニブルヘイムの件ですか? 確かに私にも、少々事を急ぎ過ぎているようには思いますね』
「たとえ“国民を守る”という大義名分があろうとも、こちらが大量の犠牲を出すきっかけを作る事には変わりありません。戦争とは、死を覚悟した軍人同士だけで行われるものではありません。そこには必ず、国の意思とは無関係な国民の犠牲があるのです。今回の場合、ヴァナヘイムの侵略によって犠牲になるのはニブルヘイムの国民です。ヴァナヘイムの国民を守るためにニブルヘイムの国民を傷つけるなんておかしいとは思いませんか?」
『しかし、放っておけばいずれヴァナヘイムはニブルヘイムに攻め込まれるのでしょう? そうなれば、丁度立場が逆転します。争いというものがある以上、両方を助けようというのは不可能な話です。争いの決着には、必ず勝者と敗者がいるのですから。敗者とは常に傷つくもの。取捨選択と言えば言葉は悪いかもしれませんが、そういった選択は絶対に必要です。そうでなければ、結局は最後には何も守れずに終わってしまいますから』
ニ兎追うものは、という古い格言だ。多くを欲張るものは何も得られないのである。
クルスは暗にこう言っていた。両方を守りきるのは無理だから、片方を守る事に専念しなさい、と。だが、傷つく者を見れば放っておけないジュリアスにとって、そんな格言じみた言葉は無用の長物である。ジュリアスは、自分の知っている範囲の人間全てを守りたいと考えるような、ある意味では無謀で、ある意味では視野の広い人間なのだ。
「ニブルヘイムの国民は見捨てろ、と?」
『まさか。たとえ私がそう言った所で、あなたは聞きはしないでしょうに。私は戦略などはよく分かりませんが、そこまで深刻に考えなくとも良いのでは? 目標はあくまでニブルヘイムの王都。行政の機能停止ですから。まさか各地を荒らし回ったりなどしませんでしょう。盗賊集団ではないのですから。非戦闘員に手を出す聖騎士団ではありませんよ』
そんなジュリアスの気質をクルスは誰よりも理解している。クルスは、少しでも多くの人々を守ろうとするジュリアスの性格に惚れ込んだのだからだ。だからこそ、ジュリアスの不安も共有し合える。そして、それを消し去るのに最良の言葉も。ジュリアスの胸に溜まったものを吹き飛ばしているのは、空気を切る風ではなく、このクルスの一言なのだ。
「……そうですよね。そうです。侵略と言っても、それは単なる言葉のあやみたいなものですからね。うん、そうです。ちょっと考え過ぎでした」
憂鬱ぎみだったジュリアスの表情が一気に氷解し、普段の朗らかさを取り戻していく。
迷いがなければ、あとは突き進めばいい。自分の道が正しいと分かれば、立ち止まる必要はどこにもないのだ。突き進み続けるには勇気が不可欠だが、ジュリアスは十分過ぎるほどその勇気を持ち合わせている。
言葉だけで正義を語る中途半端な人間ではない。それだけの実行力があるからこそ、神獣をも惹き付けたのだ。力なき正義は正義ではない。だが、正義のない力は悪である。これはジュリアスのポリシーとも言える。
『でも私は、あなたのそういう所が好きですよ』
「ありがとう。私も、クルスがいてくれるおかげで随分精神的に救われていますよ」
そう言ってジュリアスは微笑んだ。
「さ、早い所王都に帰りましょうか」
『はい』
クルスは再び加速した。
それはまるで突風のように、野山を駆け抜けていった。