ちっ……。シャレになんねえな……。
心臓が激しく波打っている。喉は酸素を求めて拡張しっ放しだ。口の中はからからに乾いているのに、額からは滝のようにだらだらと汗が流れ落ちていく。
体の疲労はピークを迎え、全身の筋肉が細かく震えて止まらない。まとっている甲冑は、所々が吹き飛んで軽くなっているにも拘わらず、背中にずっしりと、まるで大きな岩の塊でも背負っているかのような重圧感が圧し掛かっている。うっかり気を抜いてしまったら、その場にばったりと倒れ、おそらくそのまま立ち上がれなくなるだろう。肉体の限界はとっくに超えている。今は、辛うじて灯っている精神力だけで立っていた。
「フォーメーション・デルタ! 突貫!」
目前には、ニブルヘイム魔術騎士団本隊の魔騎士の一群。
魔騎士達が一人を先頭に、後ろに二人従えて突撃してくる。
もう、何度も味わった戦法だが、かと言って具体的な弱点を見つけた訳でもなく、ただ自らの経験から来る機転のみで切り抜けてきた。しかし、そんな消耗戦を続けるには、そろそろ体が持たなくなってきた。
「くそっ!」
サイアラスは剣を構え、三人の突撃を迎え撃つ。
まずは先頭のヤツが捕縛結界を張る。そこを狙って後ろの二人が、左右、または前後から挟撃を仕掛けに来るのだ。
「縛!」
掛け声と同時に、自分の体を透明の多面体が拘束しにかかる。無数の多面体は寄り集まり、更に大きな多面体を構築する。サイアラスの体が多面体に覆われていけばいくほど、同時に自由を奪われていく。
「うぜえっ!」
単純な物理的力により、強制解除。だが、同時に著しく体力を奪われどっと疲労が押し寄せる。疲労に押し潰されぬよう、精神を強く張り詰めさせ体を支える。
「爆ぜろ!」
「凍てつけ!」
すかさず、左右からの魔術攻撃。手のひらに魔力を集中させ、零距離から放つ打撃に近い性質の攻撃だ。
一人は右手に炎、もう一人は氷。
『砕!』
まるで双子のような、息の合ったコンビネーション。
「くっ!」
避けるのは無理と判断したサイアラスは、炎を左手の手甲で、氷を右手の剣で防御。
が、
ドォン!
刹那、周囲に爆発が起こる。炎と氷がぶつかりあった事により、水蒸気爆発が起こったのだ。
「やったか?」
と、次の瞬間。
煙の中から真っ黒な影が飛び出す。サイアラスだ。
「?!」
サイアラスは猛烈な勢いで肩からぶつかっていきながら、炎の使い手の胸を剣で貫く。
「貴様ッ!」
すぐさま氷の使い手は右手に魔力を集中し襲い掛かる。それを受けるサイアラスは、背を向けたままで、しかも剣を胸に突き刺さしたままだ。
「おああああっ!」
サイアラスは轟と吠え、両腕の筋肉を膨張させる。
「何ッ?!」
突き刺さったままの剣を持ち上げ、そのまま強引に、体の捻りを加えて振り向きざまに横に薙ぐ。
ぐしゃっ、という音と共に雪原に叩きつけられる。
「ったく、面倒かけやがって」
二つ折り重なった肉塊を踏みつけ、ずぼっと剣を引っこ抜き、再度突き入れてとどめを差す。
「食らえっ!」
と。
捕縛結界を放った魔騎士が叫びながら、手刀に構えた腕を下から上へ振り上げる。
ピッ、という鋭い音。音は地面を切り裂きながらサイアラスに向かって駆ける。
咄嗟にサイアラスはその場から横に飛び退く。直後、先ほどまで踏みつけていた肉塊がバラバラに切り刻まれる。
「風の魔術か……」
本隊との交戦を始めてから見かけるようになった属性の魔術だ。これはかなりタチが悪い。術者は無数のカマイタチを自由自在に操り、一瞬にして相手を切り刻む。その上、風という性質柄、攻撃を視覚で捉える事はほぼ不可能に近い。見えない刃では、防御は困難を極める。
「切り刻んでくれる!」
周囲の気圧が変わっていくのが肌に感じる。
これまでの経験からすると、この手の敵は一気に懐に飛び込んで倒すしかない。相手の間合いにいては攻撃はおろか、防御すらままならない。
サイアラスは剣を構え、疾と踏み込む。
「死ね!」
空気を切り裂く鋭い音が、周囲から無数に聞こえる。
このカマイタチは自然現象のそれではなく、あくまでも人間による人工物。ならば。
「ここだ!」
おもむろにサイアラスは空を薙ぐ。ピッという鋭い音と共に、剣からは何かを斬った手応えが伝わってくる。
鋭い音を発しながら向かって来た風の刃はサイアラスの剣によって分断され、雲散してただのそよ風と化す。
人工物ならば、破壊が可能なのだ。
「馬鹿な?! 風を斬っただと?!」
「見えなくてもな、音で大体分かるさ」
薙いだ剣を一挙動で横に構え、止まる事無く更に突進。
「くそ!」
魔騎士が障壁を作り防御体勢を取る。
しかし、
「うらあっ!」
障壁ごと、魔騎士の胴体を二分する。
先ほどの何倍もの疲労が地獄の重圧として肩から圧し掛かってきた。不覚にも雪原に剣をつき、自らの体を支える。
ちくしょう、なんなんだコイツラは……。これまで相手にしてきた雑魚とは比べ物にならねえ。
本隊の実力はこちらの予想を遥かに上回るものだった。あれほど軽視していた魔術が、今になってようやくその恐ろしさが身に染み始めてきたのである。
戦況は明らかにこちらが不利だ。先ほどの戦況報告では、既に味方の三分の一がやられてしまっている。下っ端の魔騎士でさえこの強さならば、他の聖騎士達には負が悪過ぎるだろう。
「待たれよ! 貴公の戦い振り、名もある武人とお見受けした!」
と。目の前に何者かが颯爽と立ちはだかる。
一目で分かる、他の魔騎士達にはない重厚な甲冑に身をまとい、右手には巨大な戦槌を手にしている。
明らかに、周囲よりも風格が何段も上だ。それに伴い、全身から溢れる闘志もけた違いである。
どうやら、本隊のトップクラスの一人のようだ。
「私はニブルヘイム魔術騎士団第三部隊隊長、ティホル・マッケート!」
どうやらビンゴのようだ。丁度いい。この状況を打破するには、敵の頭を片っ端から潰していくしかないと思っていた所だ。
「俺はヴァナヘイム聖騎士団、第十四期聖騎士団長サイアラスだ!」
「やはり、貴公が名高い聖騎士団のトップであったか。しかし、今となってはただの侵略者の一人にしか過ぎぬ」
ぶん、と戦槌を振り上げ、戦闘態勢に入る。
「いざ、尋常に勝負!」
ティホルは戦槌を構え、突進してくる。重装備をしているにも拘わらず、そんな事などものともしない軽快な足取りだ。
さて、まずこいつを殺ればだいぶ有利になるな。
サイアラスはゆらりと上体を上げ、剣を構える。
「せいやーっ!」
ぶん、と振り上げた戦槌を頭上から振り下ろす。
あれを受け止める訳にはいかないな。
サイアラスは横に飛び退き、その一撃をかわす。
ドォン!
直後、戦槌を繰り出したティホルを中心に凄まじい爆発が起こった。いや、爆発というより、振り下ろした戦槌のあまりの威力に、付近の地面が吹っ飛んだのだ。
「とりゃーっ!」
今度はサイアラスのこめかみ付近を狙って横薙ぎに振り抜く。これを体を沈めやり過ごす。
「まだまだーっ!」
すかさず、第三撃、第四撃、第五撃と、目にも止まらぬ速さで次々と攻撃を繰り出してくる。サイアラスは防戦に回るばかりで、少しも反撃する暇を与えられない。
あの、まるで巨大なスプーンでえぐったみたいに吹き飛んだ地面。凄まじい威力だ。それだけじゃねえ。単純に攻撃が恐ろしく速ェ! しかも狙いが正確だ。こいつはやっかいな相手だ。
「どうした?! 逃げてばかりだぞ!? 遠慮は要らぬ! かかってくるがいい!」
ケッ。うるせえよ。
とにかく、こちらから反撃しない事には始まらない。少々危険だが、あの攻撃を受け流してヤツに隙を作るか。そのまま、一気に畳み込んでやる。あんな鎧を着てようと俺には関係ない。
「さしもの聖騎士団長も、私には及ばぬようだな!」
肩口を狙って振り下ろされた、戦槌の一撃。
「調子に乗ってんじゃねえ!」
サイアラスはその一撃に狙いを定め、剣を斜めに構える。
前にあいつが言っていた。技術が伴えば、受け流す武器の質量差は関係ない、と。
「ぬうっ?!」
突然、がくん、と体のバランスが崩される。驚愕の表情に変わるティホル。
「うらあああっ!」
体を一回転させ、遠心力と腰のバネを剣に乗せ、渾身の一撃をティホルの腹に叩き込む。
「ぐぼうあっ!」
ガギン、という金属の擦れ合う音と共に、ティホルの足が地面を離れ、そのままもんどりうって後方へと吹き飛ばされる。後には砕けた甲冑の破片が散らばる。
「けっ……てめえなんぞに、負ける訳にはいかねえんだよ」
満身創痍のサイアラス。だが、その体のどこにそんな力が残っているのか、と周囲はこの光景に驚愕する。
「む……さすがは聖騎士団長」
吹き飛ばされたティホルがゆっくりと立ち上がる。
チッ……さすがに甲冑に守られたか。
「私も全力を持って相手せねばなるまい!」
と、次の瞬間。
カッ、という眩しい光と共に、周囲に轟音が鳴り響く。
「な、何だ?」
見ると、ティホルが手にしていた戦槌が激しく輝く青白い光に包まれている。それはばちばちと音を立てながら、空気を焦がして暴れている。
それは、雷だった。
「これぞ、我が神器『トール』の本来の姿! これを使わせた相手は実に久しぶりだ!」
ティホルは強敵に巡り会えた嬉しさに表情を歓喜に歪め、雷を湛えた戦槌を構え猛然と突進する。
恐れるな。あれは単に魔術の延長線だ。威力や戦法が変わる訳じゃない。
サイアラスは剣を構える。
「くらえ! 雷神の一撃を!」
戦槌を振り上げ、袈裟斬りに振り下ろす。
速い!
その振り下ろす速さは、先ほどまでとは比べ物にもならなかった。咄嗟にサイアラスは左手の手甲を構える。
バァン!
そんな破裂音が耳の奥から聞こえる。
戦槌を受け止めた左手の手甲は、一瞬にして砕け散った。これまでどんな武器や魔術を受けてもヒビ一つ入らなかったはずの手甲が、跡形もなくなってしまったのだ。
「?!」
同時に、全身へ凄まじい激痛が駆け抜け、本当に一瞬だが意識が遠のいた。
トールの雷に感電したのだ。
「ぐわ……」
思わず膝をつくサイアラス。予想だにしなかった衝撃に、驚きよりもダメージの方が酷い。
「去ねえい!」
ティホルはすかさずサイアラスの頭を目掛けて戦槌を振り下ろす。
「くそっ……」
が、それよりも僅かに早く、サイアラスは横に転がりその一撃から免れる。
「往生際が悪いぞ! 貴公はこの神器を前に善戦した! その事を死後の世界で自慢するがいい!」
更に容赦なく襲い掛かる戦槌。
「まだだ!」
膝をついたまま、サイアラスはその一撃を剣で受け止める。
「ぐああああああっ!」
直後、全身に針を突き刺すような激痛が駆け巡った。
「愚かな。トールの一撃を受け止めたところで、聖なる雷にその身を焼かれるだけよ!」
あまりの激痛に意識が薄らいできた。腕の力が抜けていく。
まずい……このままでは殺られる……。
「さあ、往生しろ!」
ティホルは戦槌を振り上げ、とどめを差しにかかる。
今だ!
サイアラスは薄れ掛けた意識を取り直し、素早く剣を構える。そしてティホルの脇を駆け抜け、そのすれ違いざまにティホルの左足を斬り落とす。
「ぬおぅ?!」
戦槌を振り下ろした勢いと重なり、前にのめり込むように倒れるティホル。
その間にサイアラスは立ち上がっていた。
「負けねえ、って言っただろ?」
そのまま立ち上がろうとしたティホルの背を踏みつけ、甲冑の間から首を貫く。
がくっ、と地面に突っ伏すティホル。動かなくなった事を確認し、ようやくサイアラスは深く溜息をついた。
「連中の親玉となると、とんでもねえな」
ぶん、と剣を振り血を払う。
「テ、ティホル殿がやられた……?」
「まさかそんな……」
魔騎士達の間に戦慄が走る。このティホルという男がそれだけの実力者だったという事なのだろう。
これで少しは戦況が変わるはずだ。恐怖が伝染すれば、三分の一でも勝つ事は可能だ。
と、
「まさかティホルを倒す者がいるとはな」
ハッと振り返ったその先には、一人の魔騎士が立っていた。
ティホルとは違い、重厚な甲冑こそつけてはいないものの、他の魔騎士達とは違ったデザインの鎧を身にまとっている。
そして、なによりもこの雰囲気。これはただ者じゃない。
「私はニブルヘイム魔術騎士団第一部隊隊長、エフル・マックイールだ」
男はそう名乗り、ゆっくりと自らの武器を構えた。
それは、一本の銀色の槍。あれもおそらく神器だろう。
第一部隊隊長か……。どうやら今度も、すんなりとは勝たせてはくれないようだな……。
サイアラスも相対し、剣を構えた。