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やっぱり、戦場の風は冷たいな。

目前に広がるのはニブルヘイム魔術騎士団の大群。数だけを見れば、聖騎士団とはいい勝負だ。

「部隊はどうだ?」

 サイアラスは副官にそう訊ねる。

「被害は極めて軽微です。何の問題もありません」

「フッ。まあ、予定通りだな」

 足元に転がる無数の魔術騎士団の骸。敵の士気にはかなりの陰りが見受けられるが、こちらは逆に高まっている。数で対等ならば、後は士気の差が勝負の明暗を分ける。両軍の差は決定的だ。

「新しい剣を持って来い。刃が欠けた」

「ただちに」

 少なくとも、既に五十人は斬り捨てた。剣には血糊がべったりと染み込み、使い物にならなくなっている。

これまでの戦争経験からすると、一度の戦闘ではせいぜいニ十人が限界だった。それ以上は体がもたないのだ。にも拘わらず、今はやけに精神的にも高揚し、体がまるで疲労感を忘れたかのように活力に満ちている。とても五十人も斬り捨てた後とは思えない。

「サイアラス様、新しい剣です」

「ああ」

 副官が持ってきた新しい剣を受け取る。

 ダモクレス・ソード。聖騎士団のみが持つ事を許される、正義の剣。

「これより敵軍殲滅に入る。俺の後に続け。作戦は要らん。連中はとっくに怖気づいている。」

「了解」

 サイアラスは副官の返事も待たず、敵軍に向かって単身突撃していく。

「来たぞ! 聖騎士団の団長だ! ヤツを討てば敵軍は総崩れになる!」

 すぐさま部隊長の指示が飛ぶ。魔術騎士団内に緊張が走る。

 一見すると、あまりに無謀な突撃だ。だが魔騎士達の緊張は、まるで自軍と同数のそれを相手にしているかのような

恐怖と闘争心が色濃く浮き出ている。

 横三列に並ぶ、魔術騎士団独特の陣形を取る。最前列が敵を足止めし、二列目が攻撃、そして三列目が追撃をかけとどめを刺す。後ろの列ほど攻撃までの時間があるため、よって魔術の詠唱に集中力をより多くさけるのである。

「誰を討つだと?」

 しかし、サイアラスは恐れるどころか顔には不敵な笑みすら浮かべ、魔術騎士団の織り成す陣形の中へ突進していく。

「来たぞ! 結界を展―――」

「うるせえ」

 最前列がサイアラスをその場に足止めしようと結界を展開する。だが、そんな事など構いもせず、サイアラスは目の前に展開された結界ごと最前列の魔騎士を叩き斬る。

 断末魔の悲鳴を上げる間もなく、雪原を真っ赤に染める魔騎士。

「怯むな! 囲んで一気に攻め切れ!」

 部隊長の指示に従い、三列に並んでいた魔騎士達はすぐさまサイアラスを取り囲む。

 この状態で例の戦術を用いれば、確実に討ち取る事が出来る。前後左右360度からの捕縛結界、魔術攻撃に囲まれてしまえば逃げ場など存在しないのだ。

 が、

「ふん」

 サイアラスは表情一つ変える事無く、とにかく前方に突き進んでいった。

「どけ! ザコ共が!」

 まったく自分が置かれた状況など気に留める様子のない自己中心的なサイアラス。そのあまりに戦場でのセオリーを無視しているにも拘わらず圧倒的な強さを見せつけるサイアラスに、理不尽としか言いようのない光景を目の当たりにさせられた魔騎士達の誰もが、これまでに感じた事のない深い戦慄を覚えずにはいられなかった。背中には冷水でも浴びせられたかのように冷たいものが走り、手足や歯が自分の意志とは無関係に震え出して止まらない。幾ら気持ちを戦う事へ向けようとしても、数秒で魔騎士数人を肉塊にしてしまうサイアラスを前にしては、気持ちは萎縮するばかりでただ一方的に恐怖に駆られるだけだ。

「うおおおおおっ!」

 魔騎士が剣を振り上げて向かってくる。その刀身には真っ赤に燃える炎を帯びさせている。魔術騎士団が得意とする、従来の戦闘術に魔術を複合させたスタイルだ。

 真っ赤に燃え盛る剣がサイアラスに向けて振り下ろされる。しかし、

「無駄だ」

 サイアラスはまるで飛ぶ虫を撃ち落すかのように、剣を下から上に向けて薙ぎ払う。

「ぐはっ!」

 サイアラスの剣は燃え盛る剣ごと、魔騎士の体を斬り伏せた。

「おのれっ! かかれ! 休む暇を与えるな!」

 しかし、その指示に従う魔騎士はほんの僅かで、大半以上は既にサイアラスの圧倒的な強さを目の当たりにさせられて戦意を喪失してしまっている。

 戦況は、たった一人によって左右されるようなものではない。

 これまで常識とされてきたその言葉が、今、目の前の人間によって覆されている。理不尽さよりも、深い恐怖とどうしようもない絶望感だけが心を支配していく。

「くそ! 魔力をありったけ注ぎ込め! 死ぬより暴走した方がマシだ!」

 辛うじて、人より闘争心が強かったため恐怖の感情に食い荒らされなかった魔騎士達は、自らの武器に理性が保てるギリギリの魔力を注ぎ込みサイアラスに次々と襲い掛かっていく。

「大道芸は飽きたんだよ」

 しかしサイアラスは、たとえそれが何であろうと構わず、ただ自分に向かってくるものは平等に自らの剣で斬り伏せ、左腕の手甲で瞬時に肉塊に変えていく。圧倒的なその攻撃力の前には、炎であろうと風であろうともはや関係ないのだ。

「無駄だ無駄だ無駄だ!」

 尚も果敢に襲い掛かる魔騎士達。だが、サイアラスにとってはまるで紙の人形も同然だ。

 ドス黒い感情が胸の内に湧き起こっているのがはっきりと感じられた。

 自分は『戦の興奮(ヘルモーズ)』という名の神に取り憑かれたのかもしれない。

湧き起こるその感情が、ただひたすら前へ前へと自分を突き動かす。

「何故だ!? 何故ヤツを止められぬ!? 向こうはたった一人なのだぞ!」

「これが力の差ってヤツだ」

 遂に包囲網を突破してしまったサイアラス。これまで周囲の後ろに陣取っていた部隊長を、何の感慨もなくただ斬り伏せる。部隊長は血潮を高く吹き上げ、雪原を赤く染めながら倒れ込む。

「一旦退くぞ!」

 何人もの魔騎士を斬り伏せている内に、視界が真っ赤に染まっていく。分かるのは、動いているものとそうでないもの。そして、右手に握り締めた剣の感触だけ。

 なんで俺は戦っているんだろうな……。

 気がつくと、まるで自分は獣になっていた。それも、ただ血を求めて徘徊する最も野蛮な生き物に。目の前の全ての存在が動かなくなるまでとどまる事のない、戦いに狂った、人の形をしたものと化していたのだ。

 守り抜くには、勝ち続けるしかないんだ……。

 国を守る事があいつの遺志だった。

 だからそれを受け継いだ以上、俺は負ける訳にはいかない。

 この戦争、勝つまで俺は後には退かない。

 決して。