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 まるで稲妻のような身のこなしだった。
 滑り込んだ影はそれぞれの手で、腰に吊り下げていたホルスターから二丁の拳銃抜いて構える。そこまで、時間にして凡そ一秒半。ロボットの私にしてみれば特筆するほどの動作でもなく、やれと命令されれば全く同じ事が出来ただろう。しかし、驚く事にその滑り込んできた影の主はマイケル=グランフォード氏だったのだ。私の感覚はあくまでロボットの感覚であり、まさか人間がこれほど迅速で機械的な動作が咄嗟に出来るなんて、その事実を初めて目の当たりにし、驚きを隠せなかった。
 ほぼ同時に、アスラはまるで弾丸のように大統領に向かって踏み込んで来る。時間的にマイケル=グランフォード氏が間へ割り込んで来た事は認識出来ているはず。にも関わらず踏み込んで来たという事は、おそらく二人をまとめて始末出来ると判断したのだろう。その判断は間違いではない。アスラの質量と踏み込んだ加速度、これらを乗じたエネルギーをたかが二丁の短銃で跳ね返せるはずがないからだ。
 戦闘型ロボットを生身の人間が相手にするなんて不可能だ。カオスは戦闘型ロボットとの戦闘に長けてはいるが、それはあくまでチーム連携によるものである。人間の戦闘能力が訓練で戦闘型ロボットを凌駕する事は決して有り得ない。予め決められた限界というものに圧倒的な差があるからだ。
 今、この場でアスラと対等にやりあえるのは私しかいない。しかし、私があの場所へ辿り着くにはあまりに時間が足りない。おそらく近づけてもこの場から十歩にも満たない距離だ。丸腰である私にここから有効な援護は出来ない。
 アスラは右腕を振り上げ拳を固め、マイケル=グランフォード氏は構えた二丁拳銃の引き金を引き始めている。その視線は驚くほど真っ直ぐにアスラを見据えている。それはアスラを倒せるという絶対的な自信があるからなのか、それとも大統領を守らなければならないという使命感からなのか。どちらにしても結果は同じだ。
 アスラの後方に位置していた隊員達が左右に飛び込みながら散開した。今のままの位置では弾丸が命中しなかった場合、自分達に向かってくると判断したからだろう。しかし、結局弾丸は命中しても弾き飛ばされるのだから、跳弾の危険性はどこにいてもほぼ一緒だ。
 二丁の拳銃から同時に弾丸が発射される。弾丸は螺旋状に空気の層を抉りながらアスラに向かって一直線に突き進んでいく。既に前方へのベクトルを己に与えてしまっているため、アスラは横にそれて回避する事は出来ない。だが、短銃の威力を考えればわざわざ回避する必要も無い。戦闘型ロボット特有の強固な外殻によって弾き飛ばされてしまうからだ。
 放たれた二発の初弾がそれぞれアスラの右肩と左肩へ着弾した。けどそれはあくまで命中しただけで、弾丸は外殻を突破する事は出来ない。この程度の弾丸では戦闘型の外殻を突破するにはあまりに非力なのだ。
 と、次の瞬間。
「あっ!」
 思わず声を上げてしまった私。それは、突如金属を引っ掻くような音と共にアスラの両腕が肩から分離したからである。
 そのまま立て続けに銃声が響き渡り、無数の弾丸が次々と空気を穿つ快音と共に放たれる。放たれた弾丸は精確にアスラを捉え、命中した箇所をごっそりと小削ぎ取っていった。アスラの輪郭は見る間に崩れていき、猛然と進むその突進力すらも失われていく。
 あまりに予想外の出来事に驚くものの、説明の付けられない事態では無かった。ただ、発射された弾丸が貫通力と破壊力の二面に優れていて、アスラの外殻を突き破り内部から破壊したからこうなったのだ。それに、幾ら初速が速くとも加速する前に体を解体されてしまえばそれ以上のスピードは出ないし、疎らに崩される事でバランスも崩しスピードは殺される。その上、単純に弾丸の威力が加速度を上回っていれば減速するのは当然の事だ。唯一つ、私の知る限りでそれほどの威力と連射性を両立させた短銃など、この世には全く存在しないという前提を除いては。
 ついにはメインフレームを僅かに残し、上半身のほとんどを破壊されたアスラは、微かな慣性を頼りにふらふらと前へ進み続ける。攻撃能力は皆無に等しいと判断したのか、弾倉の中身を撃ち尽くしたマイケル=グランフォード氏は後ろ足で体を蹴り出して前へ踏み込むと、両腕を振り上げ、そこへ全体重をかけてアスラへ叩きつけた。銃の底とメインフレームが激しくぶつかり火花を散らす。コンクリートの上に突っ伏したアスラは未だに微かな動きを見せるものの、もはやそれ以上の余力は無く、二度と立ち上がる事は無かった。
 思わず息を飲む。私が人間ならそう評する光景だった。
 ただ純粋に驚く他無い、戦慄の様相である。戦闘型ロボットを人間が短銃だけで倒してしまったのだ。通常、短銃は破壊力が増せば増すほど反動も大きくなり、訓練した人間でなければ肩を脱臼すらしてしまう。ましてや、そんな大口径の銃を二丁も持って連射するなど不可能な事だ。しかし現に彼はアスラを拳銃で倒してしまったのだから、その不可能が現実にあった事を認めるか、もしくは現実的な代替要素を考えるべきだろう。短銃の破壊力は拳銃だけで決まるわけではなく、むしろ弾丸の性能に拠る部分が大きい。もしかすると、反動は限りなく軽く、破壊力に優れた特殊な弾丸が開発されて用いられたのかもしれない。実に都合の良い解釈だが、それが最も現実的でもある。
 けれど、本当に驚くべき事は彼の拳銃ではない。アスラの行動パターンを瞬時に予測し、最も確実な方法を判断し、それを恐れもせず行動に移した行動力だ。人間は訓練によって無意識と呼ばれる領域を拡張する事で、特定の行動を反応と反射によって行えるようにする事が出来る。だが、自らの生命の危険と直結している場合は、よほど精神をコントロール出来ない限り必ず躊躇いが生じる。つまり、それだけマイケル=グランフォード氏は優れた戦闘能力の持ち主であるという事だ。少なくとも、アスラぐらいの戦闘型ロボットならば、たった一人でも物ともしない程に。
 そして。
 一瞬の静寂の後、辺りは爆発的な歓声によって埋め尽くされた。
『な、なんという事でしょう! 今、私は驚くべきものを目の当たりにしました! 大統領に襲いかかったロボットを、たった一人の勇敢なカオス隊員が瞬く間に倒してしまいました!』
『素晴らしい、実に見事な戦いでした! しかし何よりも、己の命を顧みぬその勇敢さを称えるべきでしょうか! 大統領は我が身に代えても守り通す、これこそが衛国総省のあるべき姿と言えるでしょう!』
 熱狂は全て、一瞬にしてアスラを倒して大統領を守ったマイケル=グランフォード氏への称賛だった。戦闘型ロボットの脅威というものが徐々に身近なものになっている今だからこそ、逆にそのロボットをものともしない人間の姿はあまりに衝撃的だったに違いない。元々、国民性にはヒロイズムが根付いている。それを少しでも刺激する対象にカリスマを感じるのがお決まりのシナリオなのだ。
 そんな中、一瞬にしてアスラに殺されてしまったビスマルク氏と、もう一人のアスラを全く気にも留めない周囲の人間を、私は苦々しく思った。確かにビスマルク氏は悪役の立場だが、誰一人その死を気にかけないのはどうしてだろうか。アスラはロボットであるからまだ納得がいく。けれどビスマルク氏はロボットではない。皆と同じ人間なのだ。
 人間の死は元より、ロボットが誰かに壊される事も私にとって胸の痛むものだった。アスラは自分達を人間であると認識した。それほどまでに人間とロボットとの境界線は限りなく迫っている。私はその境界線をはっきりと認識しているが、私にとって人間の死もロボットの死も同義である。人間にとってロボットの死はゴミを捨てる事とさして変わらないにも関わらずだ。その価値観の差は、相互の立場に拠る部分が大きいと私は思う。
「大統領、お怪我はございませんか?」
「君のおかげで全くの無傷だよ。ご苦労だった」
「これが私共の仕事ですから」
 マイケル=グランフォード氏は恭しく大統領に向かい一礼する。あれほどの活躍をしておきながらおくびにも出さないその態度は、自己主張の強いこの国の人間にしては珍しいものである。
「さて、モーリス君には残念な結果になってしまったな」
 と、大統領は視線を横たわるビスマルク氏の遺体へ向け、眉間へ僅かに皺を寄せた。
 本来なら、モーリス氏が自らの手で連行し法廷へ突き出す筈だったのだが、あのような事になってしまってはそれももはや敵わなくなってしまった。私は死というものを客観的にしか認識出来ないが、必ずしも死が最も苦痛なものであるとは思っていない。生き地獄、というたとえがあるように、死ぬよりも苦痛な事は幾らでもある。そういう意味で考えると、数々の犯罪を犯していながらも一瞬の苦痛だけで済んだビスマルク氏は恵まれているだろう。だが、何年も苦汁を味わわせ罪を償わせたかったモーリス氏にしてみれば、後一歩の所で二度と手の届かない所へ逃げられてしまったのだからさぞかし無念に違いない。
「しかし、どうしてこんな事になってしまったのやら。テレジアグループ製のロボットは正常稼働率の高さで有名なはずだが。どう思うかね? モーリス君」
「彼は自分が含まれている事を忘れていたのだろう。普段なら主人を殺す命令など確認も取らずに行う事はありえないのだが、迂闊に思考規制を解除した事が仇になったな。まあ、悪人らしい最後ではある」
 そうモーリス氏は重苦しい声で答えた。
 モーリス氏の声はビスマルク氏を法律によって裁けなかった悔しさに満ち満ちている。正義を論ずる場合、それは必ず相対的、主観的なものになる。正しいとか正しくないかとか、結局は社会通念であって歴史的に普遍の観点ではない。だが、少なくともこの国の正義とは、犯罪者には犯した罪に比例した処罰を受けさせる事だ。一角の地位を担うモーリス氏であれば、尚更それを果たせなかった事への悔やみは大きいだろう。
「後の事は部下に任せるとして。私は最後の仕上げにかからせてもらうよ」
 そう大統領はポンとモーリス氏の肩を叩くと、不意に私の方へ向き直った。期せずして視線と視線とがぶつかり合う。咄嗟に私は最初と同じように、ココを自らの背の後ろへ隠した。大統領と目が合った瞬間、メモリ内を説明のつけられない嫌な予感が過ったからである。
 大統領は大袈裟に右腕を掲げ、パチンと指先を鳴らした。その音に気づいた各メディアは一斉にカメラをこちらへ向けてきた。
 そう、全てはまだ収集がついてはいないのだ。元々この騒ぎは、私が暴走しココを人質にこんな所へ立て籠もった、という事から始まったのである。
 しかし、既に事件は解決したと認識してしまっているためか、報道陣の行動をカオスは制止しようとはしなかった。周囲にはこれまでの緊張感は無く、むしろ和やかな何かを見守るように撮影している、そんな空気だった。
「君の名前はラムダと言ったか。この通り、もう全て終わったよ。君は良く頑張った。これほどの悪党とたった一人で戦い抜くなんて、素晴らしい活躍だ。もう君の戦いは終わったんだ、そちらのリトルレディと共にこちらへ来たまえ。何か温かいものを用意させよう」
 大統領は大きく手を広げ自らを誇示するように声高らかに意気揚々と話しかけてきた。あまりに出来過ぎたその笑顔は、最初にも増して揚々と輝いて見える。レンズ越しに見る分にはさほど感慨もないのだろうが、直視する私にとってそれは警戒心を煽る以外の何物でもなかった。
 今、ここで従えばまた流される。
 不意に浮かんできたその言葉を噛み締めるなり、返答は私の口から飛び出していた。
「私は……行きません」



TO BE CONTINUED...