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「これは何かしら?」
朝食。
ダイニングテーブルを囲む私達の中、一人テレジア女史は訝しげな表情を浮かべている。
「はい、本日の朝食はカツ丼です。カツには豚ロースを使用しました。ロース肉は脂が多く、一見すると健康に悪いイメージがありますが、ビタミンB1が豊富に含まれ、コレステロールも鶏肉並で健康に良いのです。榎茸と豆腐のお吸い物も一緒にどうぞ」
今朝の献立は、カツ丼とお吸い物、そして浅漬けの三品である。本当はもう一品、温野菜の煮付けを加えたかったのだけれど、思ったより時間がかかってしまったため、あえなく断念してしまったのである。しかし、今日のカツ丼には自信があった。スーパーで売っていた肉はかなり新鮮で質が良く、値段もそれほど高くは無かった。その肉を使ってさくさくに揚げた豚カツを、タマネギを加えて鰹で取ったダシ汁でさっと煮込んで炊き立てのご飯の上に乗せる。仕上げに三つ葉を飾れば完成だ。とにかく迅速さと温度との勝負になる丼ものだが、今朝の出来栄えはどの丼も完璧と言って良いほど我ながら見事な仕上がりだったのである。普段とは違う使い慣れないキッチンでの調理に多少の不安はあったのだけれど、逆にそのせいで緊張していたからうまくいったのかもしれない。
「そういう事ではなくて。あなたの家では、このような朝食が普通なのですか?」
「んな事言われてもなあ。私、カツ丼は好きだし。うちではひいじい様の代から縁起が良いって良く食べてたんだぞ。カツを食べて勝つってね」
マスターはいつものように丼の真ん中から食べている。それは丼の形状上、汁は必ず中心に集まって来るため、そこからご飯がふやけて俗に言うところの死んだ状態になってしまうからだそうだ。だからカツ丼は真ん中から食べるのが通らしいのだけれど、マスターが言うのだからきっと本当なのだろう。
「うん、これおいしいよ。幾らでも食べれる」
ココはカツ丼自体初めて食べるようだが、よほど気に入ったらしく噛むのも煩わしいといった勢いで食べている。丼ものは本来器を持ち上げて口の中へかき込むようにして食べるのが正しい食べ方だそうだけれど、その食べ方をしているココを見る限り、あまり行儀は良いようには見えない。箸やフォークを使って食事をするのが当たり前の人達にとって、手を使って食事をする人達の文化が理解し難いのと同じ理由なのだろうか。
議論にならない。
二人の反応にテレジア女史はあきれた表情をしながら溜息をついた。
一体何をそんなに気にしているのだろうか。献立を決め調理をした自分は、いわば朝食という業務の責任者である。だからとても見過ごす事が出来ず、けれど下手に出ながら思い当たる理由を交えて問うてみた。
「あの……卵でとじた方が良かったでしょうか?」
すると、テレジア女史は一瞬、呼吸を飲み込んだような不思議な表情で私を見つめ返した。そして、
「あなたにそういう顔をされると、たとえ的外れな事を言われても敵いませんわね」
テレジア女史は肩をすくめながら微苦笑を浮かべた。
言っている意味が良く分からなかったが、そうですか、と私は曖昧に微笑んだ。理解出来ません、と正直に答えるよりも角の立たない万能の返事だ。
「私、箸は苦手ですの。フォークとスプーンを戴けますかしら?」
「はい、ただいま」
すぐさまキッチンから大きめのフォークとスプーンを持って来て差し出すと、テレジア女史はいつもの悠然とした笑みを浮かべて受け取り、マスターやココとは対照的に優雅な手つきでカツ丼を食べ始めた。
出したのは全く同じものだというのに、食べる人やその食べ方でこうも印象が変わるものだろうか。まるで違うものを食べているように見えるほど、思わず我が目を疑ってしまうような、そんな光景だった。
「それにしても、ラムダはいつもこうやって栄養の事を考えながら食事を用意しているのかしら?」
「まあ、大体そうね。食事に関してはほとんど任せっきりだし、暇さえあれば情報集める健康オタクでね。たださ、時々訳分かんないもの作ったりするんだよね。いつの間にか得体の知れない液体がたっぷり入ったボトルが、冷蔵庫にずらっと並んでたりしてさ。いやあ、焦る焦る」
「あなたが日頃不摂生していますから、心配しているのでしょうに」
「それだけならいいんだけどさ。なんちゃら体操だの、なんちゃら健康法だの、よくもまあ見つけては勧めてくるんだわ。どこまで信じられるのか知ったもんじゃないのに」
マスターとテレジア女史の会話を傍から聞いていた私は、その言葉に思わず愕然としてしまった。今のマスターの発言は、私の仕事に対する不満や疑問のように聞こえたからである。
「で、でも、マスター。あれらはきちんとその道の権威の方が勧めているものですよ」
すると、
「ラムダ、その権威とは必ずしも世間的に認められたものとは限らないのよ。大半が自称。ワイドショーに出てくる評論家と同じレベルなの。健康法というものの大半は人気商売、一過性の熱と一緒ですわ」
テレジア女史に悠然とした笑みで窘められる。
その言葉に反論の余地は無く、私は自分の無知さを自覚する他無かった。乗り出してしまった半身の置き場所が無く、すごすごと小さくして元の席に戻す。
でも、どうしてマスターは不満に思うのならすぐに指摘してくれなかったのだろうか。私はただマスターには進言するだけで、強制するような事はしない。私は従者なのだから、何もマスターが私に合わせなくても良いのに。それとも、マスターは私に遠慮をしていたのだろうか? 決して考えにくい事でもない。マスターはロボットの気持ちの分かる人間だから、私の気持ちも同じ人間として尊重したとしても全くおかしな事ではないのだから。
「素直なのは可愛くていいんだけどね。素直すぎるから何でもかんでも信じちゃうんだよなあ」
マスターはそう笑いながら私の頭をぽんぽんと叩いた。
既にマスターの丼は空になり、吸い物の器には榎茸の小さな破片が残っているだけである。マスターの手が私の頭から離れるのを見計らうと、すぐさまキッチンに向かって保温機にかけておいたコーヒーをカップに注ぎマスターの前へ出した。マスターはブラックで飲むので、他には何も用意する必要は無い。
「科学の結晶が非科学的なものを信じるなんて面白い事ではなくて? ラムダほどではありませんが、シヴァも同じような事はしょっちゅうですわよ。成長段階で言えば初期ですからね。まだまだ真と嘘との区別はつけられませんわ」
そう微笑みかけられた傍らのシヴァは、なんとも気まずそうな渋い表情を浮かべた。私には稼動初期の記憶が存在しないため自分との比較は出来ないのだけれど、何となく今のシヴァの心境は推測する事が出来た。自分が正しいと思う事が他者に、特に人間にとっては違和感のあるものだという事を理解し難いので、自分が周囲から取り残されたような気分なのだろう。けど、シヴァのエモーションシステムはまだまだ成長期の段階なのだから、この先経験を積んでいきいずれは理解できるようになるだろう。それでようやく、人間社会に差異無く溶け込めるのだ。
やがてテレジア女史とココも食べ終わり、私は器を下げて二人の分のコーヒーを用意した。テレジア女史はノンカロリーの砂糖を一包入れ、ココは同じものを三つ、更にポーションのミルクを二つ入れた。子供の味覚にコーヒーは馴染まないのだろう。
「で、今日の予定なのですけれど。午後一でマスコミの取材の席を用意しておきましたわ。ただその前に警察からの事情聴取がありますので、準備をお忘れ無く」
「ちぇっ。連中、さぞかし美味いネタが出て来たって思ってんだろうなあ。じゃあ、保険屋への連絡は後回しか」
「なんでしたら、こちらで代理人を手配いたしましょうか。それにあなたですと、足元を見られるのではなくて? ただでさえ交渉下手なんですもの」
「偏見は死に至る病ってのは本当なんだな」
マスコミや保険会社に関する事項は、法的に責任能力を認められないロボットには入る事の出来ない問題だ。
二人の会話に入る事が出来ないと思った私は、同じく話し相手の居ないシヴァに声をかけた。
「あの、シヴァ。昨夜、トラックを前にして言っていたあれは何ですか?」
それは昨夜の襲撃事件の出来事だ。シヴァをはね飛ばそうと向かってきたトラックに対し、シヴァは事もあろうにコメディ番組のセリフをぶつけたのだ。あの状況でそれが何かを意味するとは到底思えず、結果的に離脱には成功したものの私にとっては不可解極まりない行動である。
「老騎士冒険奇譚、という番組を知っていますか?」
「はい。あのセリフはその番組のものですよね。でも、一体どうして?」
「なら分かると思うが、見ての通り彼は不死身なのです。如何なる災害に見舞われても、あの決め台詞があれば必ず生きている。私もその恩恵にあやかりたいと思った訳です」
ああ、シヴァは何を言っているんだ。
私は思わず溜息をつきそうになった。
はっきり言って、シヴァは現実とフィクションの境をまるで理解していない。あれは特殊撮影で毎度派手な事故に遭ったように見せかけているだけにしか過ぎないのだ。当然、セリフを真似ただけで不死身になれる訳でもなく、あやかれるものも全くない。エモーションシステムの積んだ経験の差はこれほどの価値観の差を生み出すのか。私は愕然とするよりも、あのシヴァが真面目な顔でこんな事を言うのがおかしくてならなかった。御加護とか縁起担ぎとか、物理的に干渉するような力ではないというのに。
だけど、どうして区別する力が無いのに、あやかる、などという複雑な概念は知っているのだろうか。シヴァの成長にはどうも偏りがあるような気がした。人間が自分の好きな方面へ傾倒しがちであるように、シヴァにも同じような嗜好の方向性があるのだろう。嗜好は後天的なものだから、テレジア女史との生活の中でその方向に確立されたのかもしれない。
だけどよく考えてみれば、健康のそれ意外にも私は日常的に非科学的なものを信奉して生活している。近所の猫が顔を洗っているのを見れば思わずハッとして洗濯物を取り込むし、良くない事が起こった場所には必ず塩を振り撒く。理由は単なる習慣、言い伝えに従っているだけなのだけれど、そんな事をしてみた所で何かが変わる訳ではない。何の科学的根拠もない、儀式のようなものだ。
オカルトを信じるロボット、か。
多分、マスターには私がこんな風に思えるのだろう。私もシヴァの事ばかり笑ってはいられない。自らの精進に努めなければ。
人間に従事するロボットにとって、人間らしさというものは非常に大切だ。人間と同じ感性が無ければ、人間とのコミニュケーションが円滑にならないからである。つまり人間らしさとは、ロボットが人間社会で生きていくための重要なインターフェースだ。
TO BE CONTINUED...