* BAC

 

 

 屋台街は昼時という事もあってか、やけに大勢の人間で溢れていた。

 絶望に彩られたアンダーエリアも、ここは昔となんら変わらず活気に溢れている。逆に言えば、ここまでが活気を失ってしまったら、いよいよアンダーエリアも救いがなくなるという事になる。

「オリオンさん、大丈夫ですか?」

 俺の腕にほっそりとした華奢な腕を絡めている彼女が、そう不安げに訊ねる。

 いつもロングヘアをなびかせている彼女だが、今はくるくると束ねて帽子の中へ隠し、ダーティブロンドのウィッグをつけている。マリンブルーのサングラスをかけ、アイボリーのコートを着込んでいる。普段とは全く違った雰囲気を醸し出している。

 言うまでもなく、アクエリアスはこのU−TOPIAでは万人が認める有名人である。こんな所をふらふら歩いていたら、あっという間に騒ぎになって大規模な混乱が起こってしまう。だからある程度はこうして変装してアクエリアスだと分からないようにしなくてはいけないのだ。人を隠すなら人の中、という古い格言があるが、それが正しければそうは簡単には見つかりはしないだろう。

「ああ、大丈夫だ。誰もお前と気づいてはいない」

 ポンポンと頭を叩く。するとすぐに不機嫌そうな視線をぶつけてきた。

「そうやって子供扱いしないで下さい。もうすぐ十七になるんですからね」

「分かってるよ」

 俺の肩ほどの身長しかない彼女がむくれる様に、思わず苦笑する。

 しかし、肉体年齢ではなく実際の年齢を考えると、俺の方が遥かに年下なのだが。そんな事を言っても信じてもらえる訳はないが。

 今は四日間連続で行われるコンサートの真っ最中だ。今日は三日目。疲れが最も出やすい時期だ。コンサート自体は初めての事ではなく、期間中の体調管理は特別気をつけなければいけない事は彼女も十分承知している。だが、昨日のコンサートではあんな事もあったため、俺は独断で僅かに空いた時間を縫って昼食も兼ねた気分転換に連れ出したのだ。僅かでも気持ちに陰りがあれば、それはすぐに歌に影響が出、そしてそれを敏感に感じ取るファン達にも要らぬ心配をかけてしまうからだ。

「昨日の傷は大丈夫ですか?」

「別に大した事はないさ。薄皮切られた程度だからな」

 昨日もまた、おそらくシリウスに関係する人間がアクエリアスの命を、それもコンサート中に狙ってきた。三十キロはあるかという照明器具を頭の上に落下させ、事故死を装おうとしてきた。もう少し気づくのが遅ければ、今頃は一大事になっていただろう。

 そいつにつけられた、体のあちこちにあるナイフの傷が今もしくしくと痛む。かなり訓練されたヤツのようで、体の急所を的確に狙ってきた。辛うじて急所を刺される事はなかったが、正直あまりやり合いたくないタイプの相手だ。アリエスほどではなかったが、やはり接近戦ではかなり負が悪い。

 一時はコンサート会場は蒼然としたが、予定を十分ほど繰り下げて問題なく盛況の内に終わった。チケットの払い戻しもなく、今後も当初予定した数通りの動員数が見込める。今後のアクエリアスの活動自体に影響はないだろうが、彼女の警備体勢は更に強化しなくてはいけない。単純に数を増やすだけでは、今回のように正面から堂々と入ってこられても気づかれにくくなる。やはり最終的には俺自身が彼女の身を守らなくてはいけない。

「でも、感染症とか破傷風とかだってありますよ? きちんと手当てはして下さい」

「俺の心配よりも、自分の心配をしろ。振り付けはしっかり憶えたのか? 歌詞はどうだ? 昨日のコンサートでは危なげな所が何度かあったぞ」

 心配性だな、と俺は微苦笑を浮かべる。だが、そういう俺の態度がアクエリアスには気に入らないらしく、余計なお世話だと言わんばかりに絡めていた俺の腕をつねってきた。

 どうやら、元気な様子を振舞うぐらいの元気はあるようだ。

 そして俺達は一軒の屋台へ。

 そこは相変わらず女性客の多い屋台だった。周りにあるテーブル席にも女性の姿ばかりが目立つ。逆に俺達のような男女の二人連れは見当たらない。これも全て店主の特殊な人徳の賜物と呼べるだろう。

「はいよ。特製エビの生春巻きでございます、お嬢さん」

 屋台には威勢のいい男の姿があった。他にも男の店員が二人、大忙しでオーダーに取り掛かっている。今日もまた、気まぐれな店長の下で朝から晩までこき使われているのだろう。それこそ、忙しい、と言う暇もないほどに。

 男は延べた皿を受け取る女性客の手を素早く別の手で握る。その仕草はまるで獲物を追いかける肉食動物のような鋭さだったが、タッチは卵を持つ時のような実に柔らかなものだ。

「ねえねえ、もし週末の予定が空いてたら、そこに俺の名前を入れてくれないかな?」

「ごめんねえ。もう先約があるのよ」

「ありゃあ、残念」

 がっくりとわざとらしい仕草で項垂れる彼の姿を、女性客はさも愉快そうに微笑んで見ている。

「相変わらずだな、お前も」

「ん? よう、お二人さん! 久しぶりィ!」

 と、彼はわざとらしく項垂れた頭を上げると、そのままガラッと仕事用の態度に切り替えてカウンター席に座るように促してくる。

「御無沙汰してます、アウリガさん」

「ああ、もう。逢いたかったよう。アクエリ―――」

 すかさず俺は、アウリガの両頬を右手で掴んだ。左右から圧迫されて頬が潰され、唇がアヒルのように変形する。

「アクア、だ。アクア」

 アクア、とは人前で彼女を呼ぶ時の偽名だ。アクエリアス、という名前で要らぬ注目を集め、そのせいで変装がバレないようにするための配慮である。

「分かってるってなあ、もう。ホント、相変わらずお前は神経質だよなあ」

「そういう性分に生まれついたものでな」

「なあなあ。こういうクソ真面目なヤツなんかほっといてさ、今度、俺とデートしない?」

 俺を露骨に避け、カウンターの向こうから思い切りアクエリアスに向かって身を乗り出してくる。突然接近された事に、アクエリアスは少々困惑気味の表情を浮かべる。

「アクアは仕事が忙しいんだ。第一、俺が餓えた狼に餌を与えるような真似をすると思うか?」

「ケッ。いいかい、アクアちゃん。こういう普段から真面目ぶったヤツが、無防備な姿を見せられた時に一番変貌しやすいんだからな。気をつけるんだぞ」

 お前の知ったことじゃない、と言わんばかりに俺を一瞥し、なおもアクエリアスに詰め寄るアウリガ。生まれ持った気性とはいえ、本当に呆れるほどしょうがないヤツだ。こんなヤツの下で働く気になった二人の従業員の気が知れる。

「そんな事ありませんよ。オリオンさんは優しいですもの」

「それがヤツの手なんだって。よし。今度、俺が護身術を教えてやろう」

「素人の護身術ほど始末に終えないものはないんだ。アクアの警護は俺が細心の注意を払ってやっている。料理屋さんはしゃしゃり出てくるな。もうその辺にしておけ。アクアが困ってるだろう」

 否定とも肯定とも取れる曖昧な微苦笑を浮かべるアクエリアス。どうも積極的過ぎるアプローチを繰り返すアウリガのようなタイプは苦手のようだ。

「ったく、ホント運の良いヤツだよなあ。アクアちゃんのナイト様になれるなんてさ。世の中ままならんねえ。さてと、アクアちゃん。なに食べてく?」

「じゃあ、今回はアウリガさんにお任せします」

「おう。だったらとびっきりの料理を食べさせてやるからな。まだコンサー……いや、特別ハードな仕事期間中だろ? スタミナがつくヤツを作ってあげよう」

 自信満々に威勢良く答えると、早速料理に取り掛かった。初めの頃は何やら危なげだった包丁を持つ手も、今では過剰とも言えるパフォーマンスすら交えるほどになっている。

 アウリガはほとんど独学で料理を勉強し、一人でこの屋台を経営し始めた。中身はこんなヤツだが、料理に対する姿勢は外見からは想像が出来ないほど直向でこだわりが強い。腕もかなりのもので、時々大手のレストランなんかから引き抜きが来るそうだ。無論、自分のペースで好き勝手にやりたがるアウリガがその誘いに乗ることはないのだが。

「ところで……。なあ、オリオン。前から訊きたかった事があるんだが」

「なんだ?」

「アクアちゃんの警護って、四六時中やってるんだろ? ぶっちゃけた話、それってどこまで? 着替えとか、風呂とか」

 なあなあ、と俺とアクエリアスの顔を交互に見合わせながら、あからさまに興味津々といった表情を浮かべる。

 やれやれ、また始まったか……。

 俺は溜息をつき、ゆっくりと上着の懐へ手を入れる。そこにはホルスターで吊っている愛用のリボルバーがある。

「ああ、分かった! 俺が悪かったって!」

「それでいい」

 顔色を変えてすぐに料理に戻るアウリガに、俺はうむとうなずいた。

 こんな所は昔と変わらないな。

 昔の自分達の姿を思い出し、俺は微かに口元を綻ばせた。

 あの頃はシリウスの走狗に成り下がっている事には気づいていなかったが、実に充実した毎日を過ごしていた。アリエスとアウリガと三人で、何度も死線を潜り抜けてきた。そんな緊迫した時間の合間に、良く息抜き代わりに戯れたものだ。俺はどちらかと言えば、すぐにハメを外したがる二人のお目付け役だったが、それはそれで楽しいものがあった。

 バタバタと料理に取り掛かるアウリガにアクエリアスはくすくすとおかしそうに笑った。その表情は、どこにでもいる十六歳の少女そのものだった。だが、その彼女にアンダーエリアのほとんどの人間が生きる希望を見出している。

 政府がシリウスに変わってから、このU−TOPIAは荒んでいく一方だ。犯罪発生率は倍以上に増加し、出生率は低下、生産能力も減少の一途を辿り続けている。更に平均寿命も六十歳代を切り、人口増加率も五年連続でマイナス傾向を継続している。

 悪徳ばかりが蔓延る世の中になってしまった。それはまるで、旧約聖書にあるソドムの再来とも呼べる。いや、そういえばこの世界は昔から『DEATH−TOPIA』と呼ばれていた。その名の通り、ここは死神に魅入られた背徳の世界なのだ。生まれながらに黒く染まっている人間はいないが、無垢が故に染まりやすいものである。犯罪が犯罪を、悲劇が悲劇を、絶望が絶望を呼ぶ破滅の連鎖は、もはや誰にも止めようがないのだ。

 だが。

 アクエリアスは、この灰色の世界に一筋でもいいから光を差し込ませようと、その小さな体で毎日駆けずり回っている。見た目からは想像もつかない無尽蔵のバイタリティと明るい笑顔を振り撒きながら、日々アンダーエリアの人々に様々なメディアを通じて強く生きる事を訴え回っているのだ。

 世界を変えるなんて、たとえ理論的には無理なのかもしれない。現実的には不可能なのかもしれない。けど、それでも自分に出来る事があるなら、それを続けていけば必ず世界は明るくなるはず。そうアクエリアスは信じているのだ。最後まで希望は捨ててはいけない。捨てた瞬間から、希望は消え去り、夢は文字通り醒めてしまう。だから叶う事を信じ続けていけば、きっと光が差す日が来るのだ。

 そんなアクエリアスの生き方に、俺は決心したのだ。

 彼女が決めた自分の道を少しでも歩みやすくするため、一度は退いた戦いの渦中に再び身を置く事を。

 

 

Fight It Out  For You