* BAC

 

 

 朝か……。

 俺はそう頭の中で呟きながらベッドの上で目を覚ました。

 俺の目覚めは、ディスプレイに電源を入れた瞬間のように突発的なものだ。職業柄、いつ、寝所に賊が忍び寄るか分からない。だから俺は、即座に目を覚まして対応できるように自分を訓練したのだ。枕の下には二十四口径の銃を常備し、体にもダガーを隠し持っている。

 起き上がってベッドに腰掛け、ローテーブルの上のディスプレイの電源を入れる。

『―――で、三人が死亡しました。続いて、次のニュースです』

 ニュースキャスターが淡々とした口調でニュースを読み上げている。画面の左上に現在時刻と今日の日付が表示されている。仕事を終えた翌日だ。時刻は午前六時三分。いつもの起床時刻だ。

 ベッドから立ち上がり、部屋の隅の冷蔵庫へ。中から紙パックの牛乳を取り出すと、開け口から直接飲む。冷たい感触が食道を伝わり、空っぽの胃へ染み渡るのが分かる。

 俺は洗面所に向かい、水で顔を洗い僅かに寝乱れた髪をほぐす。それからスェットスーツに着替えてディスプレイの電源を落とし、部屋を後にする。

 早朝のランニングは、俺の毎日の日課だ。職業柄のトレーニングのためという訳ではない。ずっとガキだった頃からの習慣で、これをやらないと何となく体の調子が良くないのだ。

 行き交う人の群れを掻き分けながら、俺は埃っぽい通りを黙々と走り続ける。

 昨日はあっても明日はない。今日、この瞬間だけが全てのU−TOPIA。そんな中、黙々と走り続ける俺の姿はある種異様だろう。

 目的もない単調なランニング。けど、少し前までは確かな目的があった。

 と―――。

 うあああああああっ!

 狂ったような叫びをあげながら、己の膝を拳で何度も叩く少年。満面の怒りを浮かべ、とうとうと涙を流しながらもひたすら膝を叩き続ける。

「……チッ」

 ふと頭を過ぎった過去の幻影を、俺は舌打ちをした後、がぶりを振って追い払う。

 あの頃の俺は、現実と幻想の間を行き来する青臭いガキだった。

 信じればきっと実現する。

 一生懸命進み続ければ、夢は現実になる。

 それだけを心の糧に、我武者羅に走り続けていた毎日。

 当時からU−TOPIAでは、夢も希望も口にするヤツは変人扱いされていた。明日をも知れず、今日この瞬間だけが全てのU−TOPIA。一寸先は深い深い闇に覆われ、やってくるのが生か死かすら曖昧な日々。先を見る事を諦めた者達は、こぞって不相応なものを自分に求める人間を笑い飛ばす。そんな風潮が、人々を刹那的な生き方に駆り立てた。

 でも、僅かだが夢も希望も信じる連中は確かにいた。かつては俺自身もその夢想家の一人で、夢と現実との温度差に打ち据えられた一人でもあった。

 夢を信じて。

 希望を抱いて。

 奇異の視線を背中に集めながら走り続けてきたその結果、俺を待っていたのはあまりに非情な挫折の二文字だった。

 こんなに腐った世界ではあるけど。夢を諦めずに信じ続けて、遂に掴み取ったヤツはいない事はない。今、話題のアクエリアスだってその一人だ。アイドルになりたいなんて願うヤツは、こんな世情でも掃いて捨てるほどいる。しかし、現実に夢を掴み取れたのはほんの一握り。爆発的に売れるのは、更にそこから一つまみだ。

 人生において、勝ち組みと負け組みの人間は必ず存在する。

 そして俺は、負け組みの人間だ。

 未だに毎朝走り続ける自分自身を、未練がましいと嘲り笑った。体の調子が悪くなる、なんてただの言い訳だ。単に俺は、走り続ける自分の姿に固執しているだけなのだ。

 

 

 

『おはようございます! アクエリアス=ラーファです!』

 帰ってきた俺は、またディスプレイの電源を入れた。その直後に待ち受けていたのは、朝番組のワンコーナーにたまたまゲスト出演していたアクエリアスの笑顔だった。

 連日、あらゆる番組やメディアで彼女の姿を目にする。アイドルの人気なんて一過性の熱病のようなものだ。ある境を過ぎれば、嘘のように鎮まっていく。

 タオルで汗を拭いながら、ドサッとベッドの上に座る。

 華のある内は、どこでも引っ張りだこだ。そのため彼女のスケジュールはより過密していくだろう。事務所も、金を稼げるだけ稼ぎ、売れなくなれば後は用済みと言わんばかりに捨てるだけだ。アイドルなんて所詮は使い捨てなのだ。

 だけど、彼女がそんな陰りや仕事疲れを顔に表す事は決してなかった。自分なりのプライドなのか、はたまた事務所側がそう強制しているのか、もしくはメディアが綺麗な部分だけを見せるために編集しているのか。

 なかなかうまいものを作ったものである。生き生きとした表情を絶やさず、溢れんばかりの活力に満ちた彼女は、アイドルという枠を通り越して、さながら新興宗教の教祖のようだ。自分達と同じ人間とは思えない人間を演出する事により、一種のカリスマ性を作り出しているのだろう。彼女の人気なんて、そんな作られたものだ。

 ディスプレイを見つめる俺の目は、やけに冷めていた。

 スタジオで笑顔を振り撒く彼女と、ディスプレイにかじりつく民衆。

 これが、勝者と敗者の縮図だ。

 俺はゆっくり部屋を見渡した。相変わらず、必要なもの以外は何もない殺伐とした自分の部屋。

 だがその一角に、自分でも不自然に思えるほどそれはあった。

 西日が差さない位置に設置された簡素な棚。その上に、古ぼけた楯や杯が並んでいる。金のメッキは所々が剥がれ落ち、黒い下地を覗かせている。

 あれは確か、もう十年も前のヤツだったな……。

 視線の先には、一際汚れた優勝カップの姿。プレートには、”アンドロメダカップ”と彫られている。

「フン、くだらねえ」

 急に苛立ちを覚えた俺は、ディスプレイの電源を切った。