* BAC

 

 

「1、2、3。1、2、3」

 私は繰り返しステップを踏みながら、頭の中にコンサートの風景をイメージする。

 基本的なコンサートの流れはこれまでと変わらない。だけど、一度として全く同じコンサートもない。どんなハプニングがあるのか分からないのだ。それすらも自分のものとして流れを作る技術がアイドルには求められている。だけど、私にはそういった才能は全くない。だから、歌と踊りだけでも完璧にこなせなくてはいけない。

覚えの悪い自分の体に完全に染み込むまで、私は何度も繰り返す。

 今日はどのぐらいの人が来てくれているだろう?

 初日にあんな事があったから、もう来てくれないんじゃないのかって心配してたんだけど。二日目も三日目も、チケットを買ってくれた人がみんな来てくれた。事務所の方にも応援のメールがいっぱい届いてたし。だからそれに応えるためにも、もっともっと私は頑張らなければ。

 コンコン。

 と、楽屋のドアがノックされる。

「俺だ。そろそろ開演の時間だぞ」

 ドアの外から落ち着いた男の人の声が聞こえてくる。

 オリオンさんだ。

 声だけでも私はそれが誰なのかすぐに分かる。日常的に聞いているからなのもそうだけど、それ以上に私がいつも気を向けて聞いているからだ。

「はい、今行きます」

 もう一度鏡の前に向かい、衣装や髪型をチェックする。それから楽屋を出た。

「予定より二分ほど押している。急ぐぞ」

 それだけを事務的に告げ、つかつかとステージの方へ歩き始める。私は慌ててその後ろをついていく。私とオリオンさんとでは歩幅が違うので、少し小走りにしないと追いつけない。

「今日はどのぐらい来てますか?」

「満員御礼だ。チケットもないのに入ろうとするヤツが大勢いて、そいつらの対処に思わぬ手間を取ってしまった。ファンに感謝するんだぞ」

 今日もみんな来てくれたのか……。良かった。

 私はデビューしてからずっとファンの事ばかり気にしていた。私はあまり歌がうまくないから、ボイスレッスンは人よりも沢山行ってきた。ダンスだってレッスンが終わっても、時間さえあれば楽屋で復習を繰り返している。だけど、それだけ頑張ったにも拘わらず誰も応援してくれなかったら、と考えると不安で仕方ないのだ。誰かに応援してもらいたいからやっている訳じゃないけど、やっぱり人に観られる仕事をやっているのだから少しでも多くの人に観てもらいたいし、誰も気に止めないなんていうのはちょっと寂し過ぎる。

 だから、今の自分がどれだけ恵まれているのか、携わった人のみんなに感謝しなくてはいけない。ステージに立つのは私だけど、立つまでには大勢の人の労力が積み重なっているのだ。それを背負った上で、私は最高のステージを作らなくてはいけない。それがスタッフのみんなのためであり、そして応援してくれるファンのみんなのためでもある。

 ステージが近づくに連れ、地響きのような歓声がびりびり聞こえてくる。コンサートの開始を今か今かと待ち望んでくれているのだ。空調が効いているはずなのに、額にじんわりと汗が浮かんでくるほどの熱気がここまで伝わってくる。

 さあ、いよいよ最終日の始まりだ。今日も出来る限り頑張っていこう。曲の順番は憶えている。歌詞もダンスもみんな頭に入っている。同じ内容で三日もやったんだ。今日だって大丈夫だ。

「どうした? また歌詞でも忘れたか?」

 ふと足を止めて振り返り、私を見下ろしながらそう微笑むオリオンさん。

「違いますよ。最終確認です」

「そうか。じゃあ、今日も大丈夫だな」

 微笑みながらポンポンと私の頭を叩く。

 またそうやって子供扱いする……。

 本当のところ、私をどう思っているのだろう? そりゃオリオンさんから見れば、私はまだまだ子供かもしれない。でも、これでも大人のつもりなのだ。時々じゃなくて、ずっと大人として扱ってもらいたいのに。

「オリオンさん……」

 私の頭とほぼ同じ位置にある肩に手をかけ、爪先立ちになって少しだけ背伸びをする。お互いの顔の距離がぐっと近づく。気恥ずかしさはあるけど、今更照れる事でもないはず。

 けどオリオンさんは、そんな私に苦い笑いを浮かべるだけだった。

「アイドルは恋愛禁止だろう?」

 それは事務所の社長にも言われた事だ。

 恋愛で失敗したアイドルは沢山いる。アイドルとはみんなのものであり、誰か一人のものになってはいけないのだ。だから、アイドルは恋愛を一切してはいけないのである。

 だけど私は、オリオンさんが好きだ。いけない事とは分かっているけど、隠れてこそこそ付き合うような事をしている。私のおねだりに付き合ってくれてるのではない。ちゃんとそこには双方のそういう合意がある。ただ、いつも最後は子供扱いされているような気がして、どこか釈然としない所があるけど。

 もっと時間さえあればデートだってしたい。それも大人の。でも、それは無理なのだ。それが発覚してしまったら、私はもう二度とアイドルとしてやっていく事は出来なくなる。アイドルと恋愛は決して両立する事は出来ないのだ。恋愛はいつでも出来る。だから私はこの世界に飛び込んだ目的を果たすため、今はアイドルでいる事を選んだのだ。

 オリオンさんはそんな私の気持ちをちゃんと知っていてくれる。だから今のオリオンさんは、私を守ってくれる最高のボディガードなのだ。

「でも、いつもはしてるじゃないですか」

「誰も見ていない所でな。ほら、ファンが待ってるぞ」

 オリオンさんは代わりにそっと頬を撫でる。

 ファンの歓声がより大きくなってきた。はっきりと私の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。

「打ち上げは、途中で抜け出そう」

「うん……」

 それがどういう事かが分かると、途端に胸がどくんと高鳴った。

 別になんて事はない。いつもと同じだ。一緒にゴハンを食べて、私の部屋の前まで送ってくれて、それで終わり。私が我がままを言って少し遠回りはさせるけれど、いつもそれ以上の事はない。デートと呼ぶのも躊躇われるような程度。私が有名だから、色々なメディアもスキャンダルを狙っているせいだ。それでオリオンさんも迂闊な行動はしない。おそらく事務所の社長にも言われているはず。

 今はそれだけなのだけど、私にとってはアイドルとマネージャーという立場ではなくて唯一二人きりになれる時間である。それが嬉しくないはずはない。

「じゃあ、行ってきますね」

「後の事は俺に任せておけ。思いっきりやってこい」

「はい!」

 その力強い言葉が、いつも私を安心させる。

 私の人気がある程度になってきてからは、しょっちゅう色々なトラブルに巻き込まれるようになった。命が危ぶまれるような危険にさらされた事だってある。だけど、いつもオリオンさんが私を守ってくれた。たとえどんな事が起こっても、必ずオリオンさんは守ってくれる。オリオンさんのおかげで私は何の心配もなく仕事が出来るのだ。

 さあ、開演だ。今日も思いっきりやろう。

 

 

Let’s Dance! Let’s Sing! I Wanna Enjoy With Us!