キャンサー通りの一角にそびえる、とある大手TV局。
その正面玄関には大勢の人だかりがあった。彼らは非公認のアクエリアス=ラーファのファンクラブ会員で、一目彼女の姿を見ようと集まっているのである。ここで彼女が番組の収録を行っている事を、どこからか彼女のスケジュールを入手して知っていたのだ。そういった内部情報を会報と称して流してもらえる事が会員特典らしい。
警備員が対処に困っているその最中。建物の裏口から男女二つの人影が静かに現れる。
二人の前に一台の黒い車がやってきて止まる。人影の内、男の方は局のADらしき青年だった。彼は後部座席のドアを開けて丁重に女を乗せると、ファンがこちらに気づいていない事を確認してドアを閉め、運転席に向かって合図を出す。そのまま運転手は、混乱する正面玄関とは逆方向に車を走らせた。
「やはり、誰か内部情報を売っているヤツがいるな。そうでなければ、こうも秘密にしているスケジュールを一般人に知られるはずがない」
と、ハンドルを握る青年は苦々しく呟いた。
「でも、別にいいじゃないですか。誰も迷惑はしてませんから」
「だがな、こうも毎回こそこそと移動して回ってると、まるで逃亡者のような気分になってくる」
「有名税ですもん。仕方ないわ」
そう彼女、アクエリアス=ラーファはやや疲れの浮かぶ顔に微笑を浮かべる。
「次はオーロラプレゼンツだ」
「はい」
アクエリアスは車内に設置されている小型ディスプレイの電源を入れる。そこには、各局から送られてきた今日の分の仕事の台本データリストが映し出された。その中から、オーロラプレゼンツのリストを選択して表示する。
この後、十三時からトーク番組の収録だ。あらかじめ決められている司会者からの質問リスト、大まかな番組の流れ、誕生秘話と銘打った過去の暴露。プログラムは在り来たりではあるが、それでも視聴率は常に20%台をキープしている人気番組だ。
「少し食べた方がいい。しばらくまとまった休憩時間がない」
と、運転しながら彼は助手席から紙袋を後部座席へ差し伸べた。
「ありがとう」
アクエリアスは紙袋を手に取り膝の上に乗せた。じんわりと袋の中から熱が伝わってくる。まだ作りたてのようである。紙袋には見覚えのあるプリントが施されている。それを嬉しそうに撫でる。
紙袋を開けると、中には点心と紙コップ入りのスープがあった。どれも温かで良い香りがする。
「アウリガさんはお元気ですか?」
アクエリアスは点心を一つ取り、舌を火傷しないように冷ましながら口にして嚥下する。温かい感触が喉から体の中へ染み渡っていく。
「相変わらずだ。世界で一番の愛を込めて応援してるよー、だとさ」
涼しげな風貌の彼がする不似合いな口真似に、アクエリアスは思わず吹き出す。彼がそうやっておどけて見せるのは滅多にない事だ。それだけに余計におかしい。
「さて。新曲のレコーディングもそうだが、来週からはコンサートがある。四日連続でステージに立つ事になるから、体調管理はしっかりしておくんだぞ」
「大丈夫ですよ。私、生まれてからまだ一度も風邪も引いた事がないんですから」
「その油断が禁物だ。気を抜いていいのは、コンサートが終わった時だ」
「オリオンさんはいつも厳しいですね」
「慎重、と言ってもらいたいな。マネージャーは、担当する人間をスケジュール通りに働けるように管理するのも大事な仕事の内だ」
車は大通りに入る。
車線が六つに増え、対向車と並走車の量が段違いに増えた。今は昼時であるため、丁度車の数も増える時間帯だ。
オリオンは手元のマジックミラーのスイッチを入れた。この車のフロントガラス等は全て防弾加工の施されたマジックミラーになっている。ある特殊な精製法で作ったガラスは、一定の電圧を与える事によりスモークがかかる。加電をやめると、また元のガラスに戻る。
車内の二人には分からないが、今スイッチを入れた事により、外からは車内の様子が見えなくなっている。アクエリアスは、言うまでもなく圧倒的な人気を誇るアイドルだ。こう無闇に顔をさらして動いては、寄り集まってくる群衆のせいで移動の妨げになったり、もしくは政府の末端兵士に襲われる可能性を高めてしまう。
「今日の収録は全部スタジオで行われる。この間のようにシリウスの連中が襲ってくる事もないだろう。安心していい。念のため、俺もスタジオ内には張っているが」
「はい……でも、大丈夫かな?」
「俺の事か? それとも、コンサートか?」
「両方。この間だってオリオンさん、撃たれてケガしたじゃないですか」
「肩を掠めただけだ。その程度、ケガの内には入らない。それにコンサートの方は、俺の完全監督の元で厳重な警備体制を敷く。たとえ政府等の襲撃があっとしても、被害はごく最小限に抑える。だから君は何一つ心配する必要はない」
「でも……このまま続けてたら、いつかオリオンさんだって……。私が芸能活動続けてると、どんどん沢山の人が傷ついてく。だったら私、もう―――」
と、前方に停止シグナルが点灯しているのを見たオリオンはゆっくりブレーキを踏んだ。静かに車は走行を停止しする。車内には僅かな駆動音が響く。
オリオンはサイドブレーキを引き、ゆっくりと運転席から後ろを振り返った。
「みんなが少しでも笑って暮らせるように歌い続ける。君はそう決心してこの世界に飛び込んだんじゃなかったのか?」
「でも、なんだか怖くて……」
「臆するな。怯えたままでは、何一つ成し遂げられない。誰が襲って来ようと、君も、君のファンも俺が必ず守る。だから迷うな。自分の選んだ道を進むんだ」
「うん……」
オリオンは僅かに身を乗り出すと、そっとアクエリアスの頭を引き寄せる。
素直に従ってアクエリアスも自ら体を乗り出す。そのままオリオンは唇を重ねた。
「露払いは俺の役目だ。けど、歩くのは君だ」
優しいオリオンの言葉に、アクエリアスは心地良さそうに目を細め、頬に触れる彼の手に自分の手を重ねた。
Yes,I Continue To Sing