パアン!
快音と共にスコープ内の空き缶が弾け飛ぶ。僅かな衝撃がバットプレートから肩に伝わってくる。実に心地良い感触だ。
「よし……」
俺はライフルをその場に置き、ゆっくりと立ち上がる。
およそ百メートル先に並べた十個の空き缶。それら全てが一発で撃ち抜かれている。射撃は久しぶりだったが、さほど腕自体は落ちていないようだ。
百発百中の距離がたった百メートルちょっとというのは、少々心細い射程距離だ。ライフルを得物にしている暗殺者達にとって、三百、四百は当たり前、中には一キロメートル以上の距離を成功させるスナイパーだっているぐらいだ。俺の百メートルなんて、それに比べたらお遊び程度でしかない。
しかし、現時点ではそれが最も確実性のある手段なのだ。俺の得意とするパイクやナイフを使った暗殺は、ターゲットに接近するまでが全てだ。一度接近してやり損ねた以上、今後アクエリアスの周辺の警備はよりいっそう厳しくなると見て間違いはない。となれば、俺が最も得意とする方法で暗殺を行うのは不可能に近いのだ。それに現実問題、オリオンに撃たれた傷の事も考えると、素早く機敏な動作は行えそうにもない。
これにより、後の手段は必然と限定されてくる。間接的に殺す方法もなくはないが、いまいち信頼性と確実性に欠ける。俺に出来る範囲で一番確実性がある方法。それはもはや遠距離からの狙撃しかないのだ。
もう少し命中精度を上げなければ……。
空き缶は全て一発で撃ち抜かれてはいるが、弾丸が通った場所がまばらになっている。本当は皆、空き缶の真ん中を狙って狙撃したのだ。だが、実際に命中したのはたったの三発。成功率は三十パーセントという事になる。まったく話にならない。狙撃は九十パーセントでも九十九パーセントでもいけない。標的の狙った個所に百パーセント命中させなければいけないのだ。
人間の生命力は、時として頭部を半分吹っ飛ばされても生き延びるほど強靭でもある。人体の急所を的確に破壊しなければ、人間は生き残る事が出来るのだ。そのため、狙撃する場合は必ず急所を撃ち抜かなくてはいけない。パイクやナイフとは違い直接自分の体を用いて攻撃する事が出来ない狙撃にとって、弾丸の威力云々よりも命中精度が重要だ。撃ち出す弾丸が自分の体の一部となりうるほどまで精度を高めなくてはいけない。
撃ち抜いた空き缶を除け、新しく缶を並べる。ここは郊外の人気のない開発途上エリアだ。幾ら発砲音が響こうが気に止める人間はいない。思う存分、射撃訓練が出来る。
アクエリアスのコンサートは明日が最終日だ。今日一日かけて、自分の射程距離を少しでも伸ばさなくてはいけない。
スコープにターゲットを捕捉して、引き金を引く。
ヒット。
スコープにターゲットを捕捉して、引き金を引く。
ヒット。
スコープにターゲットを捕捉して、引き金を引く。
ヒット。
そんな動作を何度も何度も俺は繰り返す。
つまるところ、射撃なんてものは同一の機械動作だ。機械が一定の動作を繰り返すように、人間の体も同じ動作を繰り返せば、常に同じ結果を量産する事が出来る。
何度も何度も。
繰り返し同じ動作を続ける。
自分が暗殺機械と化すまで。
スコープにターゲットを捕捉して、引き金を引く。
ヒット。
スコープにターゲットを捕捉して、引き金を引く。
ヒット。
スコープにターゲットを捕捉して、引き金を引く。
ヒット―――。
翌日、俺は三日ぶりにアクエリアスのコンサート会場の近郊にやってきた。
会場周辺は前回にも増して物々しい警備体勢になっていた。ターミナルや通りのそこかしこには、私服ではあるが明らかに一般人ではない通行人の姿が見かけられる。左肩も微妙に下がっている事から、どうやら拳銃を携帯しているようだ。ほぼ間違いなく、アクエリアスのコンサート主催者辺りが用意した警備会社の人員だろう。
コンサート会場にやってくると、そこは更に十メートル間隔で銃器を持った警備員が配置される物々しい警備態勢だった。彼らは油断なく行き交う人間一人一人に鋭い視線を向けている。一般人に成りすます事も訓練している俺が奴らに見つかる事はありえないが、それでもあまり気分の良いものではない。早々に俺はその場を立ち去った。
前回のようにまともに正面から入ったら、ほぼ間違いなく捕まる。ただでさえライフルの入っている怪しげなアタッシュケースを片手にぶらさげているのだ。もしかすると俺の顔は向こうに知られている可能性だってある。
俺は会場近くのホテルに入った。フロントで予約の確認をし、部屋のカギを受け取る。301号室。俺の指定した通りの部屋だ。
部屋に入って窓から外を確認する。
そこからはアクエリアスのコンサート会場が見えた。ここは丁度コンサート会場の裏手に位置している。この位置にホテルがあったのは幸運だった。おかげで狙撃場所の確保には大した手間がかからなくて済んだ。
前にボスから貰った資料で、会場の見取りは頭に入っている。会場の丁度裏手には楽屋があるのだ。その楽屋にアクエリアスが入ってきた所を狙うのだ。この距離からでは視覚で確認する事はほぼ不可能だろう。
俺は早速アタッシュケースを開け、中から分解されたライフルを取り出す。あまり慣れた作業ではないため少し組み立てには手間取るも、さしたる時間はかからなかった。
窓を開け、窓枠にマズルを僅かにかけて構える。そしてスコープに目を当ててコンサート会場を覗く。しかし、スコープ越しに見えた風景は霞みがかったようにぼやけている。レンズを調節し光量をしぼってピントを合わせる。
さて、アクエリアスの楽屋はどれだろうか?
俺は窓を一つ一つスコープで覗き始める。時刻は十時半。そろそろ会場入りしてリハーサルを始めるはずだ。まず最初に向かうのは、まず間違いなく楽屋のはず。俺の狙いは間違ってはいないはずだ。
「む……」
と、その時。
通り過ぎたスコープの一つに、何者かの人影が現れた。すぐさまスコープをそちらに戻してピントを合わせる。
アクエリアスだ。やはり俺の狙いは間違っていなかったようだ。
服装は普段着だった。どうやらこれからステージ衣装に着替えるようだ。ピーピングは俺の趣味じゃないが、目的は彼女の暗殺の方にある。俺はスコープを覗き続ける。
狙撃するなら今がチャンスだ。着替えならば、最も注意しなければいけないオリオンもいるはずがない。
ただスコープで覗くために構えていたライフルを構え直す。スコープの明度を更に明確に調節し、レンズに写る十字の黒線の中央にアクエリアスの頭部を捕捉する。
狙うは額の中央だ。そこから脳を通り後頭部までを貫通させられたら、さすがに助かる見込みはないはずだ。脳漿をぶちまける、御世辞にも綺麗な死に様とは呼べないが、確実に息の根は止められる。
俺はひたすら狙撃のタイミングを待った。少なくと動いている内は、俺の腕では狙撃する事は出来ないからだ。
アクエリアスは手にしていたカバンから何かを取り出したり、楽屋の中を掃除して回っている。意外にも几帳面な性格のようだ。いや、案外オリオンが、楽屋に何か仕掛けられているかもしれないからと、必ず入念に調べるように入れ知恵したのかも知れない。
なかなか狙撃出来るチャンスが訪れなかった。俺の理想とする瞬間は、ここから姿を確認できる姿勢で、かつ頭部に限らず急所を狙える態勢である事だ。かなり贅沢な要求かもしれないが、俺の狙撃技術ではそれだけの条件が揃ってなくては百パーセント成功させる事は出来ないのだ。
と。
「あ」
やがてアクエリアスは一通り終えたのか、カーテンを閉めてしまった。これでは中の様子が分からない。考えてみれば、着替える時は普通カーテンを閉めるものだ。
チッ……。まあ、いいさ。まだチャンスはある……。