* BAC

 

 

「よっ、旦那!」

 昼時。

 通い慣れた馴染みの店でいつものように昼食を取っていたその時。聞き覚えのある野暮ったい濁声が耳に飛んできた。

「お前か……」

 視線の先には、中年体型で御世辞にも清潔とは呼べないくたびれた格好をしている。顎には無精髭をはやし、頭はボサボサだ。視線は嫌らしく、全身から怪しさを醸し出している。

 俺は他人のせいで自分の予定が崩れる事を最も嫌っている。いや、たとえそうでない者でもヤツの濁声は、たとえ本人には悪意がなくとも聞く者の神経を逆撫でるには十分だ。

「まあ、連れねえこと言うなって」

 ヤツはそう下卑た笑いをしながら勝手に向かいの席へ陣取る。

 こいつはいわゆる情報屋というヤツで、アルタイルの通り名で通っている。こいつの情報量は他のヤツに比べて割高だが、その分速さと信憑性には定評がある。ただ、見た目通りえげつないやり口から評判が良くない。

 そんなこいつと、何の因果かとんだ腐れ縁に俺はなってしまった。どうも俺はこの金の亡者に気に入られてしまったらしい。もっとも気に入られる理由なんて、金になるから以外に他ない。

 ちなみに、こいつは俺を旦那呼ばわりしているが、年齢はヤツの方が一回りも上だ。

「で、何か用か?」

「冷たいねえ。御得意さんとコミニュケーションとるのに理由が欲しいってか?」

「金づるとの癒着を強めたいんだろ」

「相変わらず手厳しいぜ」

 ゲッゲッと爬虫類を想像させる嫌な笑い声。聞いているだけで見る見る食欲を失う。

 アルタイルは勝手にメニューを注文し、いよいよ俺の向かい席に本格的に居座り始めた。仕事明けは一人ゆっくりと静養したいというのに。この男もそれは知っているくせに、俺に声をかけること躊躇う理由にはしていないのだ。厚顔で自分勝手、しかし頭はキレるときている。俺にとっては疫病神以外の何者でもない。

『皆さん、こんにちは! アクエリアス=ラーファです!』

 と、その時。店内に明るい声が響き渡る。

「おっ! ラーファちゃんじゃないの!」

 店の天井から吊り下げられたプラズマディスプレイに、いつもの挨拶で元気良くアクエリアス=ラーファが飛び出す。彼女の登場で、店内の雰囲気もパッと明るくなった気がする。

 番組はスタジオではなかった。どこかでロケをしているのだろう。どうやら公園のようだ。そこに小さいがはっきりとした明色のステージを特設している。

「いいねえ、ラーファちゃん。俺っちにはたまらんねえ」

 へっへっへ、と嫌らしい目をディスプレイの向こう側のアクエリアスに向けるアルタイル。ヤツの言っている意味と彼女のファン達の言っている意味との間には、深く大きな隔たりがある。ヤツの発する言葉には、初めから品性など期待はするだけ無駄だ。

「そんな下世話な話をしに来たのか?」

 だったら帰れ、と言わんばかりに、俺は冷たくアルタイルをねめつける。

「そう睨むなって。旦那は興味ないのかい? 今、大人気のアイドルスターにさ」

「その情報も誰かに売るのか?」

「へっ、かなわねえなあ」

 アルタイルは苦笑してあたまをボリボリかく。

 と―――。

『伏せろ!』

 突然、ディスプレイに男の怒声が響いてきた。続いて何発もの銃声が聞こえてくる。

 アクエリアスの登場に和んでいた店内の空気が、一瞬で破裂せんばかりに張り詰める。

 ディスプレイには、いつのまにかステージの上に一人の男が現れ、アクエリアスを無理やり床に伏せさせていた。首から芸能関係者である事を示すパスを吊るしている。おそらくアクエリアスが所属している事務所の人間だろう。

 そしてその男は、まるで手品のようにどこからともなく拳銃を取り出して右手に構えた。六連装のリボルバーだ。銃口はステージの右袖の方へ向いている。

 瞬間、銃口が三度火を吹いた。快音が三発、店内にも生々しく伝わってくる。

 カメラが僅かに遅れて、男が発砲した方向へ動く。そしてディスプレイには、それぞれ胸の辺りを赤く染めた極普通の男が三人、今まさに倒れるようとしている瞬間が映し出された。いや、格好こそ只の一般人だが、それぞれが片手に短銃を持っている。デリンジャーのようなオモチャではない。オートマチックの二十連装型の銃だ。こんなものを、ただの一般人が持っているはずがない。

 だが、俺はそんな事よりももっと別の事に驚いていた。

 先ほどの男が銃を構えて発射するまでの時間は一秒もかかっていない。まるで水の流れのような自然でかつ緻密な動作。ちょっとやそっとの訓練では、あそこまで洗練された動きは出来ない。

 プロだ……。

 そう思っている間にも、また更に銃を持った一般人の格好をした連中がぞろぞろと現れた。

『セットの影でおとなしくしているんだ』

 しかし彼は少しも動揺などせず、アクエリアスを自分の体でかばいながらセット裏へ逃がす。

『性懲りもなく、また現れたか』

 残りの三発の弾丸を連中に向かって撃ち放つ。弾丸は寸分の狂いもなく、比較的前列の三人の胸にそれぞれ命中する。一度に三人も味方を失った連中の顔に、はっきりと分かる驚愕の色が浮かぶ。

 連中の躊躇を見るや否や、男は素早い動作でアクエリアスの後を追ってセット裏に向かった。

 男のあまりの洗練された動作に、俺は思わず見入っていた。同業者にもああいう短銃の使い手はゴロゴロいる。しかし彼の動きは、彼の実力をその中の誰よりも遥かに上である事を強く認識させた。その事実をはっきりと認識させられた俺は、思わず鳥肌が立った。

「あんにゃろう! 俺のラーファちゃんにまた手ェ出しやがって!」

 アルタイルは興奮してディスプレイに叫んでいた。

「あいつらって誰だ?」

「政府のヤツらさ」

 そうこうしている内に放送が中断された。非常事態により一時配信を中断します、と代わりに表示される。

 急に店内の雰囲気が重苦しく静かになった。まるで太陽が落ちたかのような落胆振りだ。つまりアクエリアスはそれだけ多くの人間に浸透し心を掴んでいるという事だ。その彼女が、たとえディスプレイからでも消えてしまえば、後はまた日常という名の地獄がやってくる。暗くなるな、という方が無理な話だ。

 いつの間にか拳を硬く握り締めてディスプレイを見つめていた俺は、その文字が出た事でようやく我に帰り、普段と変わらぬ自分を装う。

「政府? 何故、政府の連中がアイドルを狙うんだ?」

「有料だが聞くかい?」

 ニヤッとアルタイルは笑みを浮かべる。

 仕方がない。俺は溜息をついてそれに応えた。

「まあ、早い話。民衆の心を異常なまでに掴んでいるラーファちゃんに脅威を感じているんだろうな。たとえ本人にその気がなくとも、利用するヤツは居ないとは限らないからな」

「なるほどな。人心を掴む存在は、シリウスにとっては反乱軍の構成を促進させる危険分子って訳か。ああも強引な手段を使ってるのを考えると、随分とまあ人気アイドルも警戒されているようだな。ところで、あの銃を構えていた男については知っているか?」

「まあ、知っていると言えば知ってるし、知らんと言えば知らん」

 そう言って思わせぶりな表情を返すアルタイル。

 ……チッ。

 俺は舌打ちをし、

「幾らだ?」

「ヘッヘ。いつもすみませんねえ」

 アルタイルはエサにありつけたノラ犬のような表情を浮かべる。こう金を絡めそうな事には目ざといのだ。その目ざとさが情報屋として高い評価を受ける由縁なのだろうが、それを金問題にまで向けてしまった事が金に汚いという悪名を先行させてしまっている。

「あれはな、ラーファちゃんの忠実なナイトさ」

「ナイト?」

「早い話、護衛役さ。出身や生い立ちは俺も知らねえが、腕前だけは本物だ。あれだけのヤツはそうはいねえ。事務所の方もその腕を高く買って、マネージャー兼護衛役を全面的に任せてるのさ」

「名前は?」

「確か”オリオン”っていったな。もっとも、本名かどうかも分からねえけどな」

 経歴が一切不明なんてヤツはそれほど珍しくはない。

 国民総背番号制の名残で、社会において身分証明証を持たない人間は自らが本人だと証明する事が出来ないのだ。それを逆に考えれば、自分とは別人の身分証明証があればその人間に成り代わる事だって可能なのだ。つまり、人間ではなく身分証明証で個人個人を認識している状態なのだ。この風潮をうまく利用し、自分の経歴を意図的に隠蔽したり改竄する事が現実に可能なのだ。俺のように、自分の情報をあまりもらしたくない仕事をしている者達の間では当たり前の手段なのである。

「ところで、旦那。一つ、耳に入れておきたい事が。こいつはサービスだ」

「なんだ?」

「今、シリウスの連中はラーファちゃんを排除しようとやっきになってるんだが―――」

「自分の部下があまりに不甲斐無いから、プロに仕事を頼むって事か?」

 アルタイルの言葉に自分の言葉を被せる。おや、と驚いた風な表情を浮かべたが、またすぐにいつもの品のない表情に戻った。

「まあ、そういうこった。もしかすると旦那にお鉢が回ってくるかもしんねえぜ? 旦那の仕事ぶりは、シリウスの連中には好評らしいからな。ボスもさぞかし鼻が高い事だろうよ」

 ボスというのは、俺が属している暗殺ギルドの最高権力者の事だ。

 裏社会というものは広いようで、実は狭い。違法な事柄を扱う以上、お上の目に触れないような管理は必須なため、最低自分の足を突っ込んでいる事に関しては視野を広くしておかなければならない。

 暗殺は言うまでもなく違法行為。それを生業とする者が乱立していては、全ての事実がすぐに明るみになってしまう。それを防ぐ意味で、暗殺を一括して統制するためにギルドが作られた。ここに属さぬ暗殺者はよほど腕が立たぬ限りはすぐ同業者に排除されてしまう。反面、ギルドに属していれば実力に見合った仕事を定期的に与えられるため、食いっぱぐれる事はない。

「で、どうよ? もしラーファちゃんの暗殺なんて仕事が回ってきたら、旦那はどうするんだ?」

 まるで俺の反応を楽しむような視線を向けてくる。

 俺が見っとも無く返答に困って狼狽する姿でも見たいのだろうか? 生憎だが、俺には迷う要素はひとかけらもない。

「俺はプロだ。与えられた仕事は速やかにこなす。それがなんだろうとな」

 俺の毅然とした口振りに、ひゅうっ、と口笛を鳴らす。

 それは、徹底したプロ意識を持つ俺に対する讃辞か、それとも、ただの虚勢にしか過ぎないと踏んでの嘲りか、俺には分からなかったが、本当の所どちらなのかにはあまり興味はなかった。

 ……気は進まないがな。

 危うく最後にそう付け足しそうになったのを、寸出の所で飲み込んだ。

 アクエリアス=ラーファは、アンダーエリアに住む人間にとってはまさに生きる勇気の象徴とも言える存在。それには、俺自身も例外ではないのだ。

 ただ、心の底では感覚的に認めてはいるクセに、意固地な表層意識はそれを認めたがらないだけで。