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果てしなく長く思える苦痛な時間から開放される。ようやく一日の授業が終わったのだ。

 学生にとって放課後とは楽しいものだろうが、私には特別そういった感慨はない。ただ、家に帰るだけ。それだけの事だ。日によっては途中で買い物をする事もあるが、違いなんてそんなものだ。

 今現在、私は実家ではなく与えられたマンションで生活している。実家のようにお手伝いさんなどの使用人はいないが、食事は毎日、有名な店から直接届けられるし、洗濯物はクリーニング屋が取りに来ている。自分でやらなければならない事なんてほとんどない。というより、自分で出来る事なんてほとんどないのだ。つまり生活能力がないのである。こういう時、自分がいかに変わっているのかを思い知らされる。

 隣の彼、天野に、屋上で突かれた痛い一言。

『金持ちの道楽』

 やはり、私のしている事はそれなのだろうか? 普通の生活がしたい、とか、対等の友達が持ちたい、とか、そんな我侭を押し通した結果がこの現状だ。お世辞にも生活は普通とは呼べず、友人どころか話し相手すら出来ていない。私のこの姿を見た普通の人には、やはり金持ちの道楽にしか見えなかったのだろう。意識レベルでは普通のつもりでも、行動が何一つ伴っていない。それが、まるで雲の上から周りを見下ろして“私はみんなと同じよ”と言っているように見え、天野を苛立たせたのかもしれない。

 廊下を歩けば、黙っていても道を開けられたりする。それがひどく不愉快だった。別にとうせんぼ(・・・・・)をして欲しい訳じゃないけど、もっと自然に接して欲しい。これもまた、無理な要求なのかもしれないけど。

 はあ……。どこに言っても私は特別扱いだ。あんな家に生まれてしまったばっかりに。

 私だって普通の女の子と変わりないのに。みんなと流行のドラマの話とかしたいし、一緒に街に繰り出して遊び回りもしたい。

でも、私がそんなものとは無縁だとみんなが思ってる。

 違うよ? 私だって、みんなと同じなのに。

 どうして分かってくれないんだろう?

 どうしてそんな目で見るの?

 落胆の気持ちをかみ殺し、私はすたすたと、ただ機能的に玄関を目指して歩いていった。

 

 

「放課後か……」

 最終授業の終わりを告げるチャイムがなり、俄かに学校中が騒がしくなった。

「さて、俺もそろそろ帰るとするか」

 体力は有り余っているものの、部活動なんて軍隊予備軍みたいな事をするガラでもない。放課後の予定なんて言えば、街を一通りブラついて、気に入らんヤツがいればブン殴って、後は帰るだけだ。

 高台から飛び降り、肌寒い屋上を後にする。

 放課後の校内は昼休み以上に喧騒で賑わっている。やかましい、の一言だ。

 そろそろ口寂しくなってきた。やっぱり最後の一本は取っておくべきだったな。

 早いところ自販機を見つけて補充しなければ。さすがにこれだけは学校の売店では売っていない。もし売り出せば、きっとかなりの売上が見込めると思うのだが。

 普段とは違い、今日はいつものツレがいない。だが、特に俺はそれについての感慨はなく、極めていつも通りの空虚さが旨に渦巻いている。それは嵐のような激しいものではなく、むしろ木枯らしと呼んだ方が近いだろうか。

 踵を踏み崩した上履きを履き替え、待ち人で溢れている玄関口を通り抜けさっさと校舎の外へ出て行く。

グラウンドでは既に運動部の連中が練習を始めていた。

互いに切磋琢磨し合い、共に同じ目標に突き進む。勝っても負けても、それだけで素晴らしい。自分達は精一杯頑張ったのだから。悔いなどあるはずがない。

アホらしい。

 青春とかいう熱病にかかるとこういう後ろ向きな思想に染まってしまう。やるかやられるか、に日々明け暮れている俺にとってみれば、オママゴトにしか見えない。

 そういえば、あんな風に夢中になってた頃もあったな……。

 一つのサッカーボールを、友達とみんなで日が暮れるまで追い回していたっけ。まだ十歳かそこらの頃。

 っと、くだらん感傷に浸ったところでしょうがない。

 俺は校外へ出、まっすぐ街中の方へ。

 体は本調子ではないものの、その辺でたむろっている連中ならば相手にもならない。体に重りを背負ってやるようなものだ。少しムキになれば大した労力は必要としない。

 毎日毎日、まるで巡礼者のように俺は繰り返している。律儀なのか、他にやる事がないからか、それとも単に好きなだけなのか。まあ、少なくとも正常とは思えんな。

 と―――。

 ん? あいつら……。

 校庭と歩道を隔てる壁沿いの向こうに、見慣れた顔が四つ。

 昨日まではよくつるんで街に繰り出していたあいつらだ。

 何か用なのか? ま、関係ないさ……。

 俺はいちいち相手にするのもわずらわしく思え、特に声をかけることも表情を変えることもせず、さっさと横を通り過ぎた。

 が。

「待てよ。なに怒ってんだよ?」

 妙に馴れ馴れしい口調で俺を呼び止める。

 仕方なく俺は立ち止まって振り返るものの、表情は決して崩さない。

「だってしょーがねーべ? 自分のことだけで精一杯だったんだからよお」

 大体、ケンカ売ったのはテメーらの方だったんじゃなかったのかよ。

 ふん、元々期待なんかしてねえけどさ。

「用はそれだけか? ないんなら行くからな」

 今更謝ったって知らねえ。普通謝るんなら、もっと早く来るもんだろうが。

 そもそも俺は、一人の方が性に合ってるんだ。

「おい、待てよ」

「るっせーな。あのな、テメーらだけでシメられねえんなら、初めっから手ェ出すなってんだ。人ばっかり頼りやがって。結局テメーらは、自分じゃなんにも出来ねーんじゃねえか」

 そう俺は吐き捨て、くるっと踵を返した。

 ったく、なんで今まであんな連中と俺はつるんでいたんだろうか? アホらしい。 こうやってさっさと袂を別っていれば良かったんだ。

 思いもよらぬケチがついた。今日は少し派手に暴れないと気が済みそうも無い。

 と―――。

 ガンッ!

 不意にそんな衝撃が俺の後頭部を襲った。視界が激しく揺れ、鈍痛の走る後頭部を咄嗟に手でかばう。

 チッ……警棒なんか持ってやがったのか。

 衝撃のあまり俺の足は言う事を聞かず、がっくりと膝から崩れ落ちる。

「調子こいてんじゃねーぞ、テメエ!」

 膝立ちになった俺の背中に容赦なく蹴りが入れられる。俺の体はあっけなく歩道の上にばったり倒れた。

「せっかく哀れんでやったってのによ!」

「オラッ、立てよ! テメエは一人で何でも出来るんだろ?!」

 立ち上がる暇も与えられず、俺は背中を踏まれ腹を蹴られ。とにかく四人にやたらめったらにやられた。

「オラッ!」

 ガン、と頭をサッカーボールのように蹴られた。

 どうやらそれが決定打になったらしく、意識が薄らぎ始めた。

 蹴られるボールはこんな気持ちなのだろうか?

 そんなくだらない事を考えながら、俺は落ちた。

 

 

 グラウンドに出ると、そこでは部活動が始まっていた。

何やら楽しげにみんなは体を動かしている。勝つためにどうこう、というよりも、スポーツを楽しんでやっているみたいだった。

私は意識して目をそらし、足早にその場から離れた。あまり見ていると、自分もやりたい、なんて本気で思うようになってしまうからだ。

さて、今日はどうしようか?

特に買いたいものはない。不足してるものもない。欲しいものもない。他に用事がある訳でもなし、だったらさっさと部屋に帰ることにするか。

部屋に戻った所で、やる事なんていったら大したものは無い。テレビをつけるか、ラジオを聞くか、そんなものだ。考えてみれば、本当にやる事が無い。宿題をやるにしても限界がある。予習だって同じだ。

途中で暇潰しになるような本でも買おうか? それともビデオでも借りようかな? そういや、今週に入って三冊も消化しちゃったなあ……。

一人遊びなんて本当に限られたものだ。しかも、遊びといっても楽しくてやっているのではなく、他にやる事がなく、間が持たないので埋め合わせ的にやっているようなものだ。それは作業と読んでも大差ない。

ま、歩きながらぼちぼち考えるか。

と―――。

「え……?」

 丁度校門を出て曲がったその時、歩道の上に何かの影。

 人だ―――!

 私は弾けるようにその場を飛び出し、うつ伏せに倒れている人の元へ向かった。

 着ているのはこの学校の男子の制服だ。ほぼ間違いなくここの学校の生徒だろう。

「ねえ、大丈夫?!」

 取り敢えずそう大声で訊ねてみる。しかし、それは無意味な問いかけだとすぐに分かった。頭から血が流れ、歩道に溜まりを作っているからだ。

 どうしよう……これって死んじゃうんじゃ……。

 嫌な予感が頭を過ぎる。まずい、ここで慌ててしまったら駄目だ。とにかく落ち着いて……。

 と、そこへ誰かが通りかかる。私は振り返り、

「ねえ、この人、ケガしてるの!」

 通りかかったのは同じ学校の女生徒二人。私は二人に向かってとにかくそう訴えかけた。

「え……?」

「でも、ほら、その人……」

 一瞬、ハッと何とかしなければ、という顔つきにはなるものの、すぐに二人は怪訝そうな表情を浮かべ、そして足早にこの場を去っていった。

「ちょ、ちょっと?!」

 人が死にかけているっていうのに、どうして逃げてく訳?!

 考えている場合じゃない。こうなったら、とにかく自分でなんとかしなきゃ。

 ここから一番近い医療機関は……そうだ、学校の保健室だ! そこまで、なんとか担いで行こう。

 私は邪魔にならぬよう袖をまくり、倒れている人の体を抱き起こす。しかし、さすがに男の体は重い。

「あ―――!」

 と、その時。倒れていた人の顔が見える。

 血に汚れたその顔は、紛れも無い私の隣の席の彼、天野の顔。

 ふと、あの時の言葉が頭を過ぎる。

 しかし、頭を振ってその言葉を捨て去る。

 とにかく、今は保健室に運ぶ事だけを考えなきゃ。

 スーッ、と深呼吸し、

「よっ……と」

 全身の筋肉を緊張させ、彼の体を持ち上げる。いや、足はまだ道路を引き摺ってはいるが運べる事は運べる。

 さ、急がなくちゃ。

 私は彼の体を抱えた重い足取りで保健室へと急いだ。