九条と同じ時間を過ごすようになり、既に半月が経ちかけていた。
それだけの時間があると、既に俺の中では九条が隣に居る事が当たり前になってきた。少々、恐ろしい事ではあるが。
この状況を当たり前と思う一方で、俺は感情が深入りしないように常に気を配っていた。
何度も九条は言っているが、九条に与えられた自由とは、たった三年間の限られたものなのだから。
三年も一人の人間にのめりこんでしまって、その後、いざ別れとなった時、おそらく俺はなんだかんだとごね出すに違いないのだ。自分では冷めた性格とは思っているが、冷静さを失わずにはいられない自信はなく、もしかしたら法に触れるような事すらもやってしまうかもしれない。
自分の精神の未熟さ、不安定さ、無鉄砲さは十分に承知しているつもりだ。
そういう年代の俺にとっての自制とは、即ち感情の爆発の元となるようなものを持たない事しかない。爆発した感情を抑えられるほど、俺は大人じゃないのだ。
そんな訳で、俺の中での九条の存在は不安定に揺れ動く微妙なものとなっていた。
存在感自体ははっきりしている。だけど、その居場所、位置付けが、いまいち定住しないのだ。
告白したくても出来ない?
いや、だから恋愛感情は持ったつもりはないんだって。
持たないようにしているだけ?
どうせ、先に待つのは別れだけだから?
今まで通りの淡白な人間を装っていた方が、そうなっても変なしがらみもなくてすっきりするしな。
特定の異性を大切と思う事は恋愛感情の延長線上にあるものなのか?
男女間の友情は絶対不成立なのか?
恋愛感情抜きで大切な存在だ、なんていうのは、どうせ建前だろ?
それがあるくせに、わざと目をそらしてるだけじゃないのか?
考えても見ろ。
俺はあの時、一生理解者なんかいなくたっていい、と決めたんじゃなかったのか?
それを引き換えに、孤独を孤独と思わず、一人でも如何なる状況も切り抜ける強さと覚悟を手に入れたんじゃなかったのか?
本当に理解者が必要で、九条を求めているのか?
いい加減、はっきりさせろよ。
天野 蒼士は、今もなお厳格な一匹狼なのか、それともあの時の決断は反故にしたのか。
これ以上曖昧なままにしていると、傷口が広がるぞ。
何にせよ、お前、九条がいなくなるのを恐れてるだろ?
ちぇっ。またコケにされた。
お前、料理が下手なのは生まれた環境のせいだけじゃないと思うぞ。
今日、あいつに言われた言葉を頭に反芻されながら私は帰宅した。
帰宅した所で、以前こそ特にやる事はなかったが、今は睡眠時間を削りたいほどやりたい事が沢山ある。
明日こそあの天野をぎゃふんと言わせてやるため、勉強や特訓もしたい。
授業に出てない分の勉強もしておきたい。
見たいドラマもある。
聞きたいラジオもある。
読みたい雑誌もある。
他にも沢山、日常の些末事だけどやりたい事があるのだ。
最近は不思議と何事にも意欲が芽生えるようになってきた。主電源を入れるのが面倒、という理由で見ていなかったテレビも見るようになったし、勉強が遅れちゃまずいなあ、という危機感もある程度出てきた。
自分の人生に対して前向きになれた証拠だ。
今まで惰性で生きる事が大きかったせいもあってか、随分えらい反動の大きさに自分でも驚いている。
もうちょっと時間があれば、一度通信教育というのもやってみたいと思っていた。別に特別習いたい事がある訳ではなく、通信教育というもの自体に興味があるのだ。
周囲の出来事に興味を持てるのはいい事だと思う。それだけで、明日も生きるのが楽しくて仕方がない訳だから。
やっぱり人生における満足度っていうのは、環境に左右されやすいんだろう。あと、もう一つ。心の持ち様も。
「さてと、まずは何から手をつけたものやら」
カバンをそこらに放り投げ、うろうろと歩き回りながら考える私。
だが、こうしている時間が一番もったいない事に気がつき、まずは今日の番組をチェックする事にした。
テレビ番組の事が掲載されている雑誌を広げ、今日の欄を見る。今夜見るドラマのチャンネルを確認し、最後に念のため新聞の番組欄とも照らし合わせておいて放送に変更がないかどうかも確認する。
よし、チェック終了!
そして次は、しばし迷った末に勉強をする事にした。確か今日は比較的苦手な数学の授業があったはずだ。それの要点だけでも理解しておこう。
あまり勉強は好きではなかったが、やはり今はやらないと不安になる。自分の精神状態としては良い傾向には違いないのだけれど、やっぱり勉強ははっきり言って嫌いだ。っていうか、好きで好きで仕方がないってヤツ、この世に存在するの?
私は一度放り投げたカバンを掴み上げ、机のある部屋へ。便宜上、自室とは呼んでるが、ここ自体が全て私の部屋になっている訳だから、ちょっと変な呼び方である。
カバンを机の上に乗せ、中から小奇麗なノートやらペンケースやらを取り出す。はりきって色々と新調した割にほとんど使う機会がないため、いつまでも新品のように綺麗なままだ。
さて、教科書教科書。
数学のやけにずっしりとした重みのある教科書を取り出し、ぱらぱらとページをめくる。真新しい教科書の匂いがどことなく心地良い。
と、その時。
「ん?」
突然、私の携帯が鳴った。
カバンの奥の方に入っていたそれをすぐさま取り出す。
けど、一体誰がかけてきたのだろう?
ここに来て、私はまだ番号は誰にも教えてないのに。あ、そういや天野には教える事は教えたけど、あんまり電話好きではなさそうだから、あいつがかけてきたとは思い難い。
じゃあ、あと考えられるのは……。
私は俄かに緊張し出した。
変な唾をゴクッと飲み込み、一度深呼吸した後、電話口に出る。
『優理子か?』
かけてきた人間は、案の定、父だった。
相も変らぬまるで機械のような父の声に、私の胸中に嫌な空気が込み上げ、思わず電話を切ってしまい衝動に駆られ、それを寸出の所でなんとか押さえる。
「何か御用でしょうか?」
めんどうな事になりませんように。
私はそう願いながら、極めて淡白に返事を返した。