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 あれから、俺と九条の関係が変わった。

 あんなに互いを嫌悪し合っていたのに。今では、そんな固執は跡形もなく消え去ってしまっている。

 今のお互いの関係を呼ぶならば、おそらく友人だろうか?まあ、そんな事、恥ずかしくてとても口には出せないが。思うだけでも、誰かに聞かれやしないかと警戒してしまうほどなのだから。

 友人にしろ仲間にしろ、俺達はたった一日で随分気心を知れ合ってしまった。

 顔を合わせてからまだそんなに時間は経っていないにも拘わらずだ。

 あの時俺は、九条の言葉に、ある事に気がついた。

 それは、俺と九条が同類だという事だ。立場は天と地ほど違うかもしれないが。

 俺達は、ずっと周囲からの先入観と誤解に苦しんできたのだ。

 絶えず孤独感に苛まれ、孤独を孤独と感じなくなってきた自分達。

 だからこそ俺は、他人とは思えない親近感を抱けるのだろう。

 

 

「じゃ、今度は私の番かな?」

「は? 何が?」

 私の言葉に、彼は不思議そうな表情を浮かべた。

 その表情が、普段の彼からは想像もつかないほど無防備な表情であったため、私は思わず口元を綻ばせる。

「ほら、あんたばっかりに喋らせたらバツが悪いだろうって思ってあげてるの」

「へえ。そういう事なら聞いてやるかね」

 不自然に居丈高な口調。でも、それがただの照れ隠しだって事ぐらい私には分かる。それだけの心のゆとりが、今の私にはあるのだ。こんなに穏やかな感覚、果たして何年ぶりだろうか?

「私ってさ、ああいう生まれでしょ? そりゃ欲しいものはすぐに手に入るような生活だったけど、その分、絶対に手に入らないものだってあるの」

「手に入らないもの?」

「自由。私ね、自分で生きたいように生きられないんだよね、ホントの話」

「どういう事だ?」

 何だそれ、とでも言いたげな天野の表情。

 無理もないだろう。私の住む世界は、異常なのだから。

「まあ、つまり。この学校卒業しちゃったら、親にどっかのボンボンと結婚させられるって事」

「させられるって、お前、顔も知らないのにか?」

「顔どころか、何にも知らないわよ。どこの誰になるのかなんて」

 信じられない。

 口にこそ出さないが、彼の表情がそれを物語っている。

 そして、訪れる沈黙。

 彼は、先ほどのように顔を向こうの方に向け、そしてまたタバコを吸い始めた。今日は風が吹いていなく、辺りに彼の吸うタバコの煙の匂いが漂う。

 なんとなくこうなるのは予想していた。政略結婚なんて時代錯誤的な事が今も実際に行われているなんて知れば、大抵の人はこんな風にひくだろう。しかも、その本人を目の前にしている訳だし。

「お前、それでいいのか?」

 と、たっぷり間を空けて彼はそう訊ねた。しかし、視線は相変わらず向こうを向いたままだ。

 まるで私に、いい訳ないじゃない、とでも言わせたいような口調。

 私を気遣ってくれているのだろうか? でも、その問いに対しての私の答えは決まっている。

「いいも悪いも、もう決まっちゃってる事だから。どうしようもないのよ、私一人の力じゃ。仕方がないって、受け入れるしかないの」

 私の父は、良くも悪くも権力者。父にとって全ての人間はカードでしかなく、中でも私は非常に有効なカードであるから、ある程度は我侭を言っても聞いてもらえる。だが、そのカードが切られる時は、どんなに抵抗しようともそれ以上の力で切られてしまうのだ。カードは所詮カードでしかない。

「ま、そういう訳よ。だからね、それまでせいぜい楽しんでやろうって思ってるの。幸い、お金には困らないし」

「そうか……」

 せっかく重い空気を少しでも軽くしようと、わざと明るい口調で言ったのに。天野は先ほどよりも重苦しい口調で、そう短くうなるように答えた。

 ますます場の空気が重くなってきた。

 この重さに耐え切れなくなった私は、よりいっそう声を明るく張り上げる。少し不自然なぐらいに。

「私ってさ、今まで友達っていなかったんだ。周りにはかしずいてくれる人はいっぱいいたけど、対等に話してくれる人なんて一人もいなかったから。だから、結構孤独なのよねえ。それで、友達を作りたいなあってここに来たの」

 安易な考えだな、おい。頭に空気でも詰まってんのか?

 彼のそんな毒舌を期待し、わざと馬鹿みたいな口調で喋る。

たとえ少しぐらい険悪になっても、ぎゃあぎゃあと言い合っている方が性にも合うし、彼もその方が彼らしくていい。そうなるきっかけを作ろうと思ってたのに、彼は今度は一言も喋らず、ただ向こうを見ながらタバコを吸っている。

まるでおいてきぼりを食ったような気分になる。私一人、馬鹿みたいだ。

と、彼がふうと大きく煙を吐いた。吸った煙を吐くためではなく溜息をついたように私には見えた。

「どうかした?」

「いや、お前に金持ちの道楽とか言ったろ? その事で急に罪悪感が……」

 しょぼん、と小さくなる彼。

 意外な一面を私は見せられ、思わず吹き出してしまった。

「結構気にするタイプなのね。さっき謝ったじゃない。いいわよ、別に。私ってあんまり根に持つタイプじゃないの」

「そうか……なら、いいんだが」

 少しは口調が明るくはなったが、まだ陰々滅々といった感は否めない。

「男って、どうしてそう昔の事を引き摺るのかしらね。あーヤダヤダ。後ろ向き人間」

「うるせー。俺はお前とは違って、神経が繊細なんだよ」

「繊細? 変態の間違いでしょ?」

 いつもの調子が戻ってきた。

 ようやく戻ったこの感覚に、声と表情は荒げてはいたが、気分はとても心地良かった。

 またここに来ようっと。

 彼は鬱陶しがるかもしれないけど、それは以前のような鬱陶しがりさではないはずだ。

 それに、彼だって話し相手は欲しいはずだ。

なんとなくそんな気がする。いや、そう決めた。うん。