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 今日も隣の彼は、ホームルームが終わるなりさっさと教室を後にした。私も随分と嫌われたものだ。

 どうして私はこんなに避けられなきゃならないんだろ?

 生まれながらにして嫌われなくちゃいけない運命だったの?

 運命だとかそういうの、私、嫌い……。

 この何でもない教室が、私にはまるで針の筵だった。

 あ、そうだ。

 こんなに辛いなら、無理にここにいる必要なんかないんだ。隣の彼みたいに、どっかに行けばいい。私の肩書き上、どうせ進級出来なくなったりする事なんかない。だったら好きにすればいいのだ。

 私はサッと荷物をカバンの中に突っ込み、一時間目のチャイムが鳴るのと同時に教室を後にした。

 

 

 やれやれ、傷に染みるなあ……。

 寝転がりながらタバコをくわえ、俺はずきずきと痛む体にイライラしていた。一晩経って、痛みが余計に酷くなっていたのだ。吸っている間はまだ楽だったが、口から離すと途端にしくしくすすり泣くかのように体が痛み出す。

 今日はあいつらは来ないだろう。っていうか、二度と来ないはずだ。俺の事をさっさと見捨てていったのだ。顔を合わせづらいというのもあるだろうが、大体、そんな薄情なヤツらなんかこっちから願い下げだ。

 とは強がってみたものの、物寂しさを覚えているのも事実だ。心のどこかでは、あいつらと居る事が楽しいと思っていたのだろう。考えてみれば、他にまともな話し相手がいない訳だし。

 結局、俺は一人なんだな……。別にいいさ。

 さて、今日も街に繰り出すかな。気晴らしに適当に遊んで帰ろう。相手だけには困らないしな。

 俺も、いい加減ケンカなんかやめれば、人に避けられなくて済むのかね? まさか。やめた所で同じ事さ。誰も俺の事なんか分かっちゃいないんだ。人の視線は変わったりしない。いつまでも軽蔑のままさ。

 くわえていたタバコが短くなってきた。俺は床に押し付けて火を消し、空き缶の中へ突っ込む。途端に体がしくしく痛み出した。思わず顔を歪め、ポケットの中に手を突っ込んでタバコの箱を取り出す。中を見ると残り一本しか入ってなかった。しばし考えた末、俺は箱をポケットの中に戻した。

 仕方ない。本でも読んで気を紛らわせるか……。

 カバンを手繰り寄せふたを開ける。

 と、屋上のドアが開く音。

 ん? ヤツらか? チッ……人の事置いてきぼりにしといて、一体どのツラ下げて来たってんだ。

 舌打ちし、俺は体を仰向けからうつ伏せに変え、その体勢のまま高台から下へ視線を落とす。

 眼下から現れる人影。

 だがしかし、現れたのはあいつらではなく、一人の髪の長い女。

「ん? あれは確か……」

 

 

 誰にも干渉されず、また誰の声も聞こえない場所。そんな所を求めて校内をうろついている内、私は屋上に辿り着いた。

 ここならば授業を抜け出した事を咎める者もいない。生徒達の喧騒も聞こえない。あったとしても、せいぜい何十メートル下の校庭で行われる体育の授業の声ぐらいだ。

 手すりの所まで歩き、その上に腕を置いて体重を預ける。

 視線をグラウンドに落とす。グラウンドには運動着に着替えた生徒達がぐるぐるとトラックを回る姿が見える。表情まではよく見えないが、きっとただ走るだけという事をやらされてつまらなさそうな顔をしているだろう。

 だが、私はその何倍もつまらなさそうな顔をしているはずだ。何かに映して見なくとも、先ほどからの溜息の数で良く分かる。

 あーあ、つまんないな……。

 苦痛を逃れるためにやってきた訳なんだけど、今度は逆に寂しさが身に染みてきた。とっくに慣れてしまった感覚だ。

 生まれてこの方、友達らしい友達なんていなかったなあ。

 一日のほとんどの時間を一人で過ごして来た私にとっては、一人でいるなんてのは至極当たり前の事だ。小学校中学校は私立の大きな学校に入れられたが、そこでも私の扱いは今と大して変わらない。皆、親が九条の傘下にある生徒ばかりで、畏敬するか取り入ろうとするかのどちらかだ。親の権威を振りかざして手下のように引き連れる事も考えたけど、そんな事をした所で何の意味も成さず虚しいだけだ。

 悲しみや寂しさをそう感じなくなる事ほど人間として悲しい事はない。

 私はまだ、寂しいという感情はある。

 だけど、それが当たり前と思えるほど慣れてしまっている。

 初めはそんな自分に危機感を憶えはしたが、最近はなんかどうでも良くなってきた。むしろ、苦しみを生み出す感情なんてなくなってしまえばいい、とまで思うようになってきた。

 私は楽になりたいのだろうか?

 だったら、ここから落っこちればすぐだ。

 私は手すりを掴み、そこに力を入れ体を浮かせる。

 なーんてね。する訳ないじゃん。

 と―――。

「あっ」

 背後から、別の声。

 ハッと私は振り向く。

 屋上には誰もいない。

 気のせい?

 いや。

入り口の高台の上に、人影が見える。

「あ……」

 それは、私の隣の席の彼。

 

 

 やっばいなあ……。見つかっちまった。

 俺が声を出したりなんかしたからだが、それは仕方がない。一人しょぼくれたヤツが手すりから体を乗り上げたりなんかすれば、誰だって普通は自殺だって思うに決まっている。

 ヤツ―――九条は、俺を見つけるなりつかつかとこちらへ歩み寄ってきた。

 と、九条は高台の下まで来ると辺りをきょろきょろ見回す。

「ねえ、どうやって上がったの?」

 こちらを見上げ、そう訊ねる。

 なんだって? ここに来る気かよ。

「何か用か?」

「ヒマなの」

「ああ、そうか。達者でな」

 鬱陶しい。俺は再び仰向けになり寝転がる。

 授業をサボってまで何をしてるのやら。御嬢様の考える事は理解しかねる。

 と。

 トントントンと金属を踏む音。

「なんだ、こんな所にハシゴあるじゃない」

 ハッと頭を上げると、そこには既にここに足を下ろした九条の姿。

 咄嗟に俺は体を起こす。

「何か用なのか?」

「ねえ、そんなに私の事嫌い?」

 質問に質問で答えるな。思わず舌打ちする。

「別に私は嫌われるような事した憶えはないのに。なにか癇に障ったなら謝るけど」

「うるさいな……用がないならとっとと授業に戻れよ、御嬢様(・・・)

 皮肉をたっぷり込めてそう言い捨てる。

「やめてよ、その呼び方」

 すると、途端に九条は表情を歪め、手にしたカバンを俺に目掛けて投げつけた。

 咄嗟に受け止めてしまう俺。

「ッ……!」

 運悪く、カバンの角が打撲傷の一箇所に当たって鋭い痛みが体に走った。まるで雷に打たれたような衝撃を受け、思わず顔を歪める俺。

「何? 体痛いの? あ、分かったケンカしてるんでしょ」

 あからさまに俺の容姿を見ての言葉。確かに間違いはないが、先入観だけで言われたようで腹が立つ。

 そうだ、俺はその先入観が嫌いなんだ。

「うるさい。どっか行けよ、お前。何で嫌いかって言ったな。じゃあ答えてやる。俺はお前みたいな、立ってるだけで周りからちやほやされるような御嬢様は大嫌いなんだよ。同じ空気も吸いたくない」

 少し冷た過ぎるかと思うほどの言い方だったが、この手の馬鹿はこのぐらい言わなければ理解しないのだ。

 と、九条は真っ直ぐ俺に向かって手を差し出した。

「ん?」

「カバン」

「ああ」

 ぶつけられたカバンをわざわざ丁寧に差し伸べる。すると九条は奪い取るような勢いで俺の手から自分のカバンを取った。

「立っているだけでちやほやされる? ふざけないでよ! いい加減な事言わないで! 私の事なんて何にも知らないクセに、勝手に決め付けないでよ!」

 突然、九条は俺に向かってそう叫んだ。

 そんな九条の態度に俺はケンカを売られたような気分になり、咄嗟に言い返した。

「ああ知らないね! 知りたくもない! 金持ちの道楽なんかさっさとやめてどっか行けよ!」

 クッ、と奥歯を噛む九条。

 そして何かを言いかけ、やはり思い留まる。最後に俺をじろっと敵意剥き出しで睨みつけ、そして高台から降りていった。

 バン、と下で乱暴にドアが閉められる音がした。それを最後に、辺りに平穏が訪れる。

 ったく、何考えてんだよ。皐月病か? 鬱陶しい。

 とは思いつつも、俺の胸中には罪悪感が残っていた。何もあんな言い方をしなくても、と。

 別にいいや。ああいうヤツは邪魔で仕方がない。

 でも……。

『勝手に決め付けないでよ!』

 最後に九条が言い放った言葉が、俺の意思とは無関係に頭の中で復唱される。

 うるさい、やめろ!

 急に胸が掻き毟られるように苦しくなる。

 何だって言うんだ。関係ないだろ?

 そして俺は、自分を落ち着かせるため最後の一本に火をつけた。