俺は今日もいつもの高台に向かった。
この間まで読んでいた本は読み終わったが、昨日新しい本を買った。今日からはこちらを読む。
「あ、お先してマス」
と、高台に登った俺を出迎えたのは、九条の姿。
前までだったら、とっとと失せろ、などと言って追いやっていただろうが、今はそんな事はしない。九条は俺の唯一の理解者なのだから。それなりに大切に扱う。
好き、とかそういった恋愛感情は介入してはいないと思う。少なくとも俺の場合だが。ただ、どうしても失いたくない大切な存在、仲間意識のようなものは確かに強く感じている。それが恋愛感情なのでは? と言われてしまうと、俺は答えようがない。ただ、そういう浮ついたものではないと自分では思っている。感情の問題を論議する事は難しい。
「なんだ、もう来てたのか」
こいつが居ては読書にならないな。
そうとは思ったが、別に苛立ちや怒りは感じない。ああ、ヤレヤレ程度の感じだ。
「ねえ、実はね。最近、料理に挑戦してるんだ」
「へえ。門前の小僧がなんとやら、となればいいんだが。ま、せいぜいがんばれ」
「という訳で、今からキミに試食していただきます」
「はあ? なんでよ?」
「第三者の意見も聞かなきゃ、自分に足りないものが分からないでしょ?」
「足りないのは経験だ。食わずとも分かる」
「いいから食べる!」
随分と打ち解けたものだ。
以前の俺に、今の俺の姿なんか考えもつかなかっただろう。
心地良い。
こんな感覚は久しぶりに思えた。いつも何かに渇き、餓え、その憤りを周囲にぶつけていた自分が変わっていく。
その感触は心地良くも思えたが、ただ、心のどこかではそんな変わっていく自分に危機感を抱いていた。
今まで世を拗ねた視線で見て、何もかもに苛立ち、敵を作り、孤独な狼を気取っていた自分。
そんな過去の自分が今では矮小な存在に見えたが、ただ一つ、失ってしまって後悔しそうなものがある。
それは牙だ。
誰とも関わらない、とは、自分一人でも生きてみせる、という強さの現われでもある。理解者などなくともいい。いかに蔑まれたっていい。自分は自分として生きていく。たとえどんな厳しい環境であっても。
今の俺に、そんな牙があるのかどうか、正直不安だった。いや、それを感じている以上、既に牙は残らず抜け落ちてしまっているのかもしれない。
そう思うと、酷く一人になるのが怖くなった。
もし今、目の前の九条という理解者を失い、また元の生活に戻ったら。
果たして俺は、これまでの天野 蒼士でいられるだろうか?
はっきり言って、自信がない。
理解して欲しい。
もっと自分をかまって欲しい。
そんな欲望が、以前よりもひしひしと強く胸に渦巻いているのが自分でも分かった。
俺は、弱くなってしまったのかもしれない。
ったく、失礼なヤツ!
あんなに頑張って作ったのに、それに対しての評価が“味見しろ!”だなんて。まあ、確かに味見はしなかったんだけど……。やっぱり、一朝一夕にはいかないか。ま、ボチボチやりましょう。
明日が楽しみと思うのは久しぶりだ。そんな風に思ってたのは、最近では初めて学校に行く前日ぐらいだ。
どうなるのかが決まっている明日なんて、待ち焦がれる価値なんかない。
価値のある明日なんて自分には無縁と思っていた。
私の先には、終着駅までずっとレールが敷かれている。時々途中下車は出来ても、進路は変える事は出来ない。
先が見えている無味乾燥な人生しか自分は歩めないのだろうか?
そんな思いが、今は完全に払拭されていた。
期間限定、というのは分かっている。
だけど。
それでも、明日はどうなるのか分からない楽しさに、私は胸躍っていた。
明日がどうなるのかは分からない。
だから、自分で作らなくてはならない。
今の自分には『作る自由』がある。
それが、とても楽しみで楽しみでならなかった。
これも全て、天野のおかげだ。
なんか私と似ているあいつ。
だからだろうか、こうして話し相手として付き合っていると、自分と彼とはとても気が合うのだ。
初めの内はあんなに仲が悪かったのに。ホント、人生って何が起こるのか分からないものね。
あいつに惹かれている自分が居るのが分かる。
惹かれる、とは言っても、恋愛のそれとは違うと思う。
いや、絶対に違う。ああいうのは、正直タイプじゃない。友達としては大切な人には違いないけど。
私と対等に話してくれる人の存在が、こうも自分の人生を鮮やかに彩ってくれるなんて。
今までの人生はモノクロで、それがカラーになった感じだ。
何年か前は今よりも精神が不安定で、割としょっちゅうリアルに自殺とか考えてた。
でも、今だから私は言える。
あの時、実行に移さなくて良かった、と。
やっぱり、生きてナンボよね。いい事だってそれなりにあるんだから。
さて、もう一回レシピを読み直してみようっと。明日こそ、天野のヤツの生意気な口をきけなくしてやる。