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 ふう。やっぱりここは落ち着くな……。

 ようやく梅雨が明けたので、最近また来れるようになったここ。

 俺はごろんと寝転がり、持ってきた文庫本を読み始めた。

 ここは、屋上への出入り口がある高台の上だ。

 俺は授業をサボる時はいつもここに来ている。ここなら誰にも干渉されずに済むからだ。家の部屋でも、両親がやってくる事もあるから完全には落ち着けない。

 生ぬるかった風が、本格的に暖かさを増してきた。夏が近い証拠だ。

 夏の間はコンクリートが熱いので下にシートを敷く。それか、この高台を降りて日影の所に寝そべる。

 学校の敷地内を勝手に自分のものとして俺は使っている。それに、屋上に来る生徒はごく限られている。俺のような、問題児のラベルをつけられた生徒の事だ。

 連中も、あと一時間ほどすれば登校してくるだろう。それまでの間、じっくり読書をしていよう。もう少しで読み終わるのだ。

 

 

 何なのアイツは……最低ッ!

 どうしようもない憤りを覚えながら、一時間目の授業を受ける。

 くだんのアイツは、ホームルーム終了早々、どこかへ消えてしまった。まるで、私の傍に居たくないとでも言わんばかりに。

 私だって同じよ。アンタみたいなヤツの傍になんか居たくはないわ。

 なおも残る怒りを必死に胸の奥へ押し込みながら、担任の教師が教鞭を取る要領の悪い授業に集中する。

 ったく、幾らなんでもあれはないんじゃないの? 自分で自分の事を可愛いとは言わないけど、普通、女の子に話しかけられて“黙れ”なんて言う? 脳みそ腐ってるとしか思えないわ。

 と、いつの間にか先ほどの事をまた考えてしまっている自分に気がつき、慌てて授業に気持ちを戻す。

 とにかく、なにもあれだけがクラスメートじゃないんだから気を取り直さなきゃ。休み時間にでもなったら、誰か他の“普通”の人に話しかけてみよう。私がよほどムカつく態度を取らない限り、すぐに仲良くなってくれるはずだもの。

 まずは第一の野望、“友達を沢山作る”の達成を目指そう。それが終わったら、携帯に百人分の番号を入れる。そして最後は、ここに来た事を後悔しない、いつ思い出しても気持ちが安らぐようないい思い出を作る。

 早くこのつまらない授業が終わらないだろうか。

 私はそわそわと時計を見つめる。

 授業終了まで、後、三十五分。

 

 

「よう、天野。相変わらず定時に登校か?」

 突然かけられたその言葉に、俺は本の世界から無理やり引き摺り戻された。

 声がした方へ視線を向けると、高台に上って来るための梯子からガラの悪い連中がわらわらとここへ上ってきていた。まあ、俺も人の事を言えるほど、お上品な格好をしている訳ではないが。

「出席日数が危ねえんだよ。お前らこそ大丈夫なのか?」

「いざとなったら、問題用紙を盗んでギリギリ追試を逃れるって」

 なるほど。俺はうなずいた。

「昨日のヤツは傑作だったな。『おい、今テメエ、ガン飛ばしたろ?』だってよ。今時そんな事言うヤツいねーっつうの」

 妙な声色を使いながら、昨日俺が病院送りにしたヤツの真似をする。

「ギャッハッハ。そういうテメーがガン飛ばしたんじゃねえか」

「あれ? そうだったっけ? ま、うちには天野がいっからよう、街では相当デカいツラして歩けるからな。つい、若気の至りってヤツ?」

 向こう見ずなヤツが過ちを犯した時、自らの行動を省みる言葉。

 だが、こいつには一片も反省の色がない。そんな真剣な話題自体、こいつらとは無縁だ。俺も含め、こいつらは今が楽しければそれでいいのだ。刹那主義というヤツだ。なんとかなるだろう、という安易な気持ちではあるが、前向きに生きているのかも知れない。

 ただ、俺だけはいつも“楽しい”と思った事がない。強いて言えば、誰かと殴り合っている一瞬の緊張感が楽しいぐらいだ。

 こんな風にくだらない話題でゲラゲラ笑ったり、つまらないジョークで腹を抱える事も俺には無縁だ。

 俺の心は楽しいという感情が切り落されたかのように乾ききっている。何をしても満たされない。

 慢性的な孤独感がいつもあるのだ。しかも、その孤独感が一体何に起因するのか分からず、俺はただ当て所なく彷徨っている。

「んじゃ、今日もシメに行くか?」

「ああ、そうだな」

 今はただ、この緊張感の中に身を置こう。

 こいつらといる内は、自分を見失う事はないのだから。

 

 

 どうして?

 そんな疑問が頭を何度も過ぎる。

 それでも私は、無理に話しかけてみた。

 結果も、理由も、本当は分かっているのだけれど。

 ただ、認めたくないだけ。

「え……いや、ちょっと、これから用事があるので……」

 この学校のどこに何があるのか分からないから案内して。

 ただそれだけなのに、誰もが私を避ける。

 どうして?

 いや、それは分かっている。

 私が九条の娘だから。

 何かあった時、報復されるとでも思っているのだろう。

私の父は、利益のためには手段を選ばないやり方で評判が悪く、新聞やニュースにもよく取り立たされる。

 そんな人間の娘だから、考え方も同じなんだと思われているのだろう。

「うちの父は九条さんの所の会社に勤めていますので、もし失礼があったら……」

 父に頼んで、一家離散に追い込むとでもいうの?

 違う。

 私がそんな事をする訳がない。

 私はただ、みんなと仲良くなりたいだけなのに。

 なのに。

 誰もが私を避ける。

九条さん。

 九条さん。

 九条さん。

 誰もが私にかしずき、一線を引く。

 まるで、別世界の人間を見ているかのような目で私を見る。

 やめて!

 私はただ、みんなと仲良くなりたいだけなのに!

 どうして?!

 どうしてこうなるの?!

 どうして……。

 やっぱり、普通の学校に通うのは無理だったのだろうか?

 堪えに堪えてきたその言葉を、遂に私は脳裏に浮かべてしまった。