今日も天気は突き抜けるような快晴だった。適度な日差しと柔らかな風が実に心地良い。
いつもは一人でごろごろしている屋上の高台だが、
「きゃっ!?」
今日は九条もいる。俺が連れてきたのだ。
九条は風にスカートをめくられ、慌ててそれを押さえる。高い所の風が幾分か強いせいだ。
「ちょっと、今、見たでしょ?」
やけに挑戦的な口調で九条は俺をねめつける。
そういえば、こいつは俺に話し掛ける時はいつも攻撃的な口調だ。まあ、第一印象が最悪だから、それも無理もないか。
「いや、見逃した。ただ、青はちょっと似合わないと思う」
「見てるんじゃない!」
鬼のような形相で九条はカバンを投げつけた。何となく予想していた俺は難なくそれを受け止める。前の時のように、カバンの角を打撲傷にぶつけるようなヘマもしない。
俺はコンクリートの上にあぐらをかいて座る。
しかし九条は、スカートを押さえながら警戒心に満ちた目で俺をじっと見下ろしている。
「どうした? 座れよ」
「何の用なの? 話って。昨日の続きでもしたい訳?」
「別に。ただ、話があるだけ。立ってるのも疲れるだろ? いいから座れよ」
どこか納得のいっていない様子だが、訝しげな目つきをしたままゆっくりと俺の前に距離を置いて座る。
随分と嫌われたものだ……って、先にはねつけたのは俺の方だったな……。
「で、何が話したい訳?」
早く話せ、とでも言わんばかりに、相変わらずの攻撃的な口調で催促する。
俺は少しバツの悪そうな顔でうつむき、しばし逡巡。
が、こうしているのも不自然と気づき、決心して、顔をうつむけたままではあったが口を躊躇いがちに開く。
「あのさ、昨日の事で」
「昨日の? なに? まだ言い足りない訳?」
「いや、そうじゃなくてさ……。その、言い過ぎて悪かったと思って……」
語尾が消え入りそうな声ではあったが、はっきりと俺はそう言った。と言うより、言ってしまった。
「な、なによ今更。気持ち悪い」
俺の言葉に驚いたらしく、九条は言葉を詰まらせた。
「そんな言い方はないだろ。一応、自分の言った事に反省してるんだから」
多少凄んでは見せたものの、どうも気後れしているせいかいまいち言葉に迫力がない。これではまるで、大人に勇む子供のようだ。
「ふーん、反省してるんだ?」
そんな俺を前にして更に増長する九条……と思いきや、攻撃的な言葉とは裏腹に口調はやや狼狽気味でいる。
「あ、そ、それとさ。昨日、倒れてるとこ助けてもらったろ? それなのにさ、礼もしなかった。だから、その……」
その言葉は、謝罪の言葉以上に言いづらかった。
気心の知れたヤツにならば、もっと気軽に言えるだろうその言葉。だが、そうでない相手には謝罪の言葉よりも遥かに言いにくいものだ。
しかし、言うのを拒むのは、俺の良心が許してくれなかった。昨夜から、ずっと俺をキリキリと締め続けているのだ。
そして俺は、先ほどにも増して躊躇いがちに、消え入りそうな声を放つ。
「昨日はありがとな……」
今にもこの場から逃げ出したい気持ちでいっぱいになる。カーッと顔が熱くなる。こんな事は初めてだ。
恐る恐る顔を上げて九条を見る。九条は思った通り、露骨に訝しい表情を浮かべていた。
「あんた……ホントは打ち所まずかったんじゃない?」
「……そうかもな」
ふう、と大きな溜息をつく。と、同時に、何やら胸のつかえが取れたような清々しさを感じた。急に背中の重荷が降りたような感じだ。
「どうかしたの? 急にこんな事、言い出してさ」
「さあ……? なんとなくだ、なんとなく」
と、ふわっとそよ風が吹き付けてきた。
丁度風下にいた俺は、風で乾いて痛くならないように目を細める。
「ねえ、なんでケンカなんかするの?」
ふと九条が、風で広がる髪を押さえながらそんな事を問うてきた。
どうしてケンカを?
そういえば、そうだな。
俺はどうして今みたいになったんだったけ?
記憶の海へ、思いを潜らせる。
忘れた、いや、忘れてしまった事にした、過去の自分の姿を探して。
そんな俺を見ている九条の表情には、既にあの訝しさはなくなっていた。浮かんでいるのは、ただの純粋な疑問だけ。
何の先入観による確信のない、こういう視線を向けられるのは久しぶりだ。
「あんなケガしたのって初めてじゃないんでしょ? 保険医の先生から聞いたわよ」
信じがたい話だけど、天野は週に一回は保健室の世話になっているそうだ。
暴力沙汰は日常茶飯事、校内でも校外でも、素行は終始荒んだものらしい。
しかし、目の前に座っている彼の表情は、とてもそんな事をしている人物とは思えないほど穏やかなものだった。
いや、穏やかというよりも、どこか刹那的で今にも消え入りそうな危うい表情をしている。
「知りたいか……?」
自嘲気味の微笑を浮かべ、天野はそう訊ねる。
「まあ、ちょっとだけ興味があるわね」
今まであんなに覇気を放っていた彼なのに、今はやけにおとなしくて思わずたじろいでしまった。達観したような表情に、どこか不安をかきたてられる。
と、天野は高台の端の方へ行き、わざとこちらに背中を向け、足を投げ出して座る。そして制服の上着のポケットに手を突っ込み、そこからタバコの箱とライターを取り出す。箱の中から一本だけ取り出し、口にくわえて火をつける。
スーッ、と大きく煙を吸い込み、そして吐き出す。まるで自分を落ち着かせているようにも見える。
「俺がさ、まだ小学生だった頃の話だ」
そう言って、また煙を吸い込み吐き出す。
「小学校の頃ってさ、割にアウトドア派とインドア派が半々なんだ。だから、休み時間となると校庭に出て遊ぶヤツらは結構いるんだ」
確かにそうかもしれない。小、中、高、と学校を上がって行く内に、外で遊ぶ人は減っていっている。
とは思ったが、話の腰を折るのも悪いので口には出さない。
「その頃の俺は、よく友達とサッカーやってたんだ。俺を含めて六人、じゃんけんで三対三のチームに別れてさ。けどな、校庭にはサッカーのゴールが一組しかなかったんだ。だから他の連中に先を越されないように、いつも走って教室を飛び出してさ。毎日そんな競争してた。で、そんな時、ちょっとした事があってさ」
「ちょっとした事?」
「上級生とのイザコザさ」
そこで間を空け、天野はタバコを吸う。
「始まりは大した事じゃない。俺達のグループとそいつらと、一体どっちが先にゴールに着いたのか、ってな。くだらない言い合いだったけどさ、あの時は必死だったんだ」
こいつにもそんな可愛気のある時代があったのか……。今のガラの悪さからは想像がつかない。
「こっちが先だこっちが先だってさ、そんな堂堂巡りの問答を繰り返した所で何も解決しないだろう? それで最後には殴り合いのケンカになったんだ。もっとも、先に手を出したのは俺だけどさ。生まれつき血の気が多かったからな。で、そのケンカの最中に誰かが石を投げたんだ。それがたまたま上級生の一人に当たってさ。そいつは病院で何針か縫う大怪我をしたんだ。当然、事件は学校で大騒ぎになってさ。俺達も校長室に呼び出された訳なんだが、何故か石でケガをさせた犯人が俺になってたんだ。周囲からそういう証言があったそうだ。無論、俺はそんな事はやった憶えがないから必死で弁解したけどさ、誰も取り合っちゃくれないんだ。どうやら、俺達のグループのリーダーが俺だと思われてて、だから俺が犯人にされたみたいなんだ。その事件以来、どうも俺に対する周囲の評価が変わってさ。みんなの親も何か言いつけたらしく、それから俺は自然と孤立していったんだよなあ」
私はその一部始終を、じっと彼の背中を見詰めたまま聞いていた。
ここに来る時に感じていた憎々しさも苦々しさも感じてはいなかった。
彼の背中は、大きくもどこか寂しげだった。まるで群れからはぐれてしまった狼のような雰囲気だ。
「今思えば、それがきっかけだったんだろうな。で、みんなにそういう目で見られるぐらいなら、みんなの言う悪者ってヤツになってやろうなんて思ってさ。ガキじみてるよな、考え方が。自分でも気づいていなかった訳じゃないけどさ、変な片意地張ってさ。惰性でズルズルと今日までやってたんだ。退くに退けなくなったのか、今更変わるのが嫌なのか、その辺はよく分かんないけどさ」
それって、誤解されてたって事じゃない? 勝手に周りから危ないヤツだって思われ、疎まれて、避けられて。
たったそれだけの事で、彼は自分の全てに一律の評価を下されて不当な扱いを受けたんだ。
可哀相。
まず頭に浮かんだのはそんな言葉だった。
でも、きっと彼はこんな言葉なんか望んではいないだろう。同情して欲しくてこの事を私に話したのではないはずだから。
話すだけで楽になる、心の膿みたいなものだってある。
彼はきっと、それを溜めつづける事に疲れていたのだろう。
それが、彼をああも刹那的な姿に駆り立てていたのかな?
「やれやれ、つまらん話をしたもんだ。忘れてくれ。俺だって一応イメージってモンがあるからな」
「イメージって?」
「ナチュラルボーンキラー」
「バカじゃない?」
「お前に言われたくはない」
「あんたにお前呼ばわりされる筋合いなんかないわよ」
「そのセリフ、そっくりそのまま返してやる」
天野はタバコの火を消し、いつもの癇に障るムカツク笑みを浮かべて私の方を向く。
私は反射的にキッと睨んだ。
が、どちらからともなく、互いの表情が苦笑に変わった。