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 学校の帰り道、沙弥はいつもの場所で友人と別れた。

 このT字路から家までは一直線だ。歩いておよそ五分弱といった所だろうか。

 この通りは歴史的に古く、昔からある店が多く軒並みを並べていた。傍から見れば単なる古臭い通りかもしれないが、沙弥はこの通りが好きだった。むしろ、流行を無闇に取り入れた結果、個性を致命的なまでに失った店に比べたら、よほど生活感と躍動感がある。とは言っても、買い物をするのは専ら個性のない方の店ではあったが。

 沙弥はいつもより早足で家に向かった。さっきまでは友人の歩みに合わせてはいたが、本当は家に早く帰りたかったのだ。それは、明日から夏休み前の期末試験が始まるからである。

 沙弥は普段から予習と復習を怠っていなかったため、成績はそこそこ良かった。しかし、何故か明日は沙弥が苦手とする教科ばかりが雁首を揃えていた。数学、物理、化学。まるで自分に恨みのある人物が時間割を立てたとしか思えない。かと言って、不平不満異議申し立てをした所で時間割は変わらない。せめて苦手教科が、一日に一つずつだったら良かったのだが……。

 さっさと帰ってテスト勉強を始めよう。とにかく何時までかかってもいいから、納得のいくまで勉強をしなければ。夜更かしをすると肌が荒れるが……背に腹は代えられない。休みに入ってからたっぷり寝ればすぐに元通りになる。どうせ若いんだし。

 一度、腕時計に目をやる。四時五分前。まずい、もうこんな時間だ。急がないと。

 沙弥は早歩きから駆け足に移った。取り敢えず、夕飯前に三時間ほどは勉強しておきたい。あ、でも、この暑さの中走ったら、家に着く頃には汗だくになっているなあ……。じゃあ十分だけ、冷水シャワーのために時間を割こう。

「あれ?」

 と、沙弥の視線がある店の所に止まった。

 そこは一人暮らしのおじいさんが営む骨董屋だった。沙弥とも顔馴染である。

 その店の前に、一台のトラックが止まっていた。その中に薄汚れた作業服を着た男達が荷物を積み込んでいる。その様子を店主であるおじいさんが寂しそうに見ていた。

「おや? 沙弥ちゃん、今お帰りかい?」

「こんにちは。あの、どうしたんですか?」

「そろそろ店をたたもうかと思ってな。業者に店のものを処分してもらう事にしたんじゃ」

「やめちゃうんですか……?」

「まあ、このまま続けてもしょうがないからのう」

 最近、この辺りも廃業する店が増えてきた。買い物客が街中の方ばかりに集中するため、売り上げが伸び悩んでの事が一番の理由である。これも時代の流れであるから仕方がないが、幼い頃からここに住んでいる自分にとって、見慣れた建物がどんどん減っていくのは見るに忍びない。

「おお、そうじゃ。ちょっと待っていなさい」

 突然、おじいさんは何かを思い出して店の奥へ姿を消した。

 チラッと店の中を覗き込む。すると、あれほどよく分からない物ばかりではあったが、様々な品々が所狭しとひしめいていた店内が、嘘のようにがらんとしていた。

 やっぱり、やめちゃうのか……。寂しげな風が胸の中に吹き込む。

 しばらくして、おじいさんは奥から再び姿を現した。手には真新しい白い箱を持っている。

「店の倉庫を整理していたらの、こんなものが出てきたんじゃ」

 そう言っておじいさんは箱の蓋を取って中を見せた。

「これは、天使……ですか?」

 箱の中には、緩衝材と一緒に天使の置物が入っていた。見た目は新しく綺麗だ。最近作られたもののようだが、デザインはあまり現代的ではない。

「うむ。見てくれからして最近仕入れた物には違いないんじゃが、仕入れた記録に書かれておらんのだよ。まあ、ワシがそれだけモウロクした事じゃろうがの。他の物はガラクタみたいなもんじゃが、これだけは新しくて綺麗な品だったので捨てるのがもったいないと思ってたのじゃよ。ワシは天使など飾る柄じゃあないから、沙弥ちゃんが貰ってくれんか?」

「私がですか? なんか、高そうですけど」

「かまわん、かまわん。高校の入学祝いもやらなかったからの、その代わりじゃ」

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせて戴きます」

 沙弥は箱を受け取り、あまり年嵩に似つかわしくないほど丁寧に礼を述べた。沙弥の母は礼儀に対しては鬼のように厳しかったためである。

 老人と別れた後、沙弥は再び家に向かって駆け出した。

 せっかくの気持ちだから、と受け取ってはみたが、今になって荷物が邪魔で走りづらい事に気づいた。かと言って放り捨てる訳にもいかず、仕方なくそのままひた走る。

「五分のロスか……ああ、もう!」

 予定通りに物事が運ばない苛立ちを、沙弥は走る事にぶつけた。

 

 

「お主が新入りかえ? 名は何と申す」

「はい、ルシフェルといいます。よろしくお願いします」

「万が一、住人と難事を起こした際は申し立てるがよい。妾が裁きを下す。それがこの家においてのルールじゃ」

「分かりました」