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 カチコチカチコチ……。

 沙弥の部屋は相変わらず時計の音とペンが走る音ばかりしていた。溜息も出なくなった。それは、勉強に大体の目処がついたからなのか、それとも単に諦めただけなのかは定かではない。

「あ……」

 芯の先が折れた。

 沙弥は特別筆圧が強い方ではない。芯が折れるのは珍しい事だ。

 どうやらイライラしていて、ついペンを握る手に力が入ってしまったようである。仕方のない事とはいえ、どうしても自信のないテストの前日はイライラしてしまう。

 そろそろ、一旦休憩して気分転換した方がいいかな。

 と、思ったその時、

 コンコン。

 穏やかなノックの音。世羅だ。

 ペンを置いて立ち上がり、ドアへ向かって開ける。

「お姉様、よろしいでしょうか?」

 やはりノックの主は、普段通り柔らかな物腰の世羅だった。その手には小さな盆の姿がある。

「そろそろお疲れになられているかと思いまして」

 世羅の持ってきた盆の中には、ティーポットと伏せられたティーカップ、そして簡単な食べ物が乗せられていた。

「あ、サンキュ。ちょうど今、休憩しようと思ってたトコなの」

 沙弥は世羅のタイミングのいい差し入れに笑顔を浮かべた。

 こういう所がホントに可愛い。よく気がつくし、いつも笑顔だし。小憎らしい忍とは正反対だ。

 世羅からの差し入れで十分ほどの休憩を取り、気分をすっきりさせた所で勉強を再開する。

 新たな気分でペンを持ち、机に向かう。が、

「……っと」

 ハッ、と顔を上げ、慌てて頭を振った。

 いつの間にかまぶたが下りていたのだ。どうやらリラックスし過ぎてしまったらしい。眠くなってきた。

 眠気を振り払うため、世羅が淹れたお茶を飲む。しかし、それでも効果はあまりない。飲めども飲めども眠気は覚めず、腹がもたれてくるだけだ。その内、ティーポットの中身もなくなってしまった。

 眠っちゃだめだ。明日のテストは苦手なヤツばっかりなんだから。まだまだ不安要素はいっぱい抱えてる。最低でも、それらを全部勉強するまでは……。

 眠っちゃだめだ。そう何度も自分に言い聞かせていたが、ペンがノートに意味のない線を描き、やがて手から転がり落ちた。同時に沙弥のまぶたも完全に下り、意識が遠のく。

 頭ががくっと下がった。

 

 ガタガタガタ……。

 意識のどこか遠くから何かが震える音がする。

 一体なんだろう? うるさいなあ……。―――あっ?!

 突然、沙弥は自分が眠ってしまっている事に気づいた。ハッとして頭を上げ、重いまぶたを無理やりこじ開ける。

「まずいなあ。今何時―――あれ?」

 うっかり眠ってしまった事を後悔しながら目を開けると、何故か部屋は真っ暗だった。部屋の照明も机のスタンドの電気も消えている。自分で消した憶えはないのに。誰かが入ってきて消したのだろうか? いや、それならまず自分を起こすはずだ。

「それより今何時だろう」

 そう思って、目の前のデジタル時計に視線を向ける。

「……え?」

 沙弥は思わず唖然とした。

『よう、新入りかい?』

 時計があったはずの場所には、まるで絵本に出てくるような小人が立っていたのである。

『まあ、楽にしてくれや』

 果たして自分は夢でも見ているのだろうか? 常識で考えて、こんな生物が現実に存在する訳がない。

 ガタガタガタ

「あれ?」

 自分を起こしたあの音がまだ聞こえてくる。そういえば、この音は一体何だ?

「……あ! 窓!」

 沙弥は目の前の小人はあえて無視し、窓の方へ駆けた。

『誰かーっ。おーい、開けてよーっ。誰か居るでしょーっ』

 窓にはカーテンがかかっている。下から足が出ている訳ではない。だが、確実に人の声が聞こえてくる。カーテンと窓の間に誰もいない以上、その声は、あまり考えたくはないが、窓の外から聞こえてくるのだろう。

「まさか……変質者?」

 沙弥はぞっと背筋が寒くなるのと同時に、顔がカッと熱くなるのを感じた。その熱は、いわゆる怒りである。

 沙弥はぐっとこぶしを握り締め、カーテンの端を掴む。が、一度離して反対側の端を掴み直した。逆を掴んでいたのである。

『おーい、ホントに開けてってばあ。下はカギがかかってて開かないんだよーっ』

 聞き取りようによっては、狂気じみているようにもただのマヌケにも聞こえる。だが、今はそんな事はどうでもいい。窓の外の変態に一発かまして、警察に電話する事が先決だ。

 意を決し、カーテンを開ける。すると、

『あ! ねえ、ちょっとここ開けてよ!』

 再び、沙弥は茫然とした。

 窓の外に居たのは、はしごに登った変質者ではなく、自らの背中に生えた羽で宙に浮かんでいる人間だったのだ。