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 その日は早く家に帰って来るように言われていたため、いつもは恵悟と日暮れ前くらいまで遊ぶのだけれど、今日ばかりは夕方になる少し前に明日の約束をしてから切り上げてきた。あれから毎日恵悟と一緒に遊んでいるけれど、未だに飽きたという感覚は無い。だから、その貴重な時間を削られるのは本当は腹立たしい事なのだ。しかし、素直に応じたのには理由がある。今日は、先日人間社会へ買出しに出掛けて行った大人達が帰ってくる日だからだ。
 家に着くと、中には父親も母親も姿が無かった。どうやら一足先に長老の屋敷へ行ったのに違いない。僕はまず井戸の水を汲んで顔と手足を洗い流すと、早速長老の屋敷へと急いだ。
 今日の里はどこの家も人気が無い割に、雰囲気が浮かれているような楽しげな印象がある。それは、買出しに行った大人達が戻ってきた時は長老の屋敷で労いの寄り合いが催されるからだ。村中の人がその準備のため長老の屋敷に集まっており、だから人気が無くとも妙に浮かれた雰囲気になっているのである。僕としては村の行事よりも友達を大事にしたいと見栄を切りたいのだが、父親がその買出しに行った一人であるから、まさか身内として反故にする訳にもいかない。
 長老の屋敷は里の中でも少し小高い丘の上に建っていて、おおよそ里の中からならすぐに見つける事が出来た。長老の屋敷からは釜の湯気が幾つも昇っていて、時折風に乗り香ばしい香りが伝わってくるのが分かった。準備は順調に進んでいるようである。
 僕はこの寄り合いが好きである。それは、普段は食べられないような御馳走が並ぶ事もあるのだけれど、何より人間社会で買ってきた物を見る事が出来るからだ。大概は触る事は出来ず遠目から眺めるばかりだけれど、それでも憧れの世界の物は何より輝いていてそれだけで僕は満足だった。
 長老の屋敷へ着くと、僕は大広間の方へと回された。その大広間では宴会の準備が進められていて、子供の僕は邪魔になると庭へ追いやられてしまった。恵悟との遊びを早く切り上げさせられた上に邪険にされるのは腹立たしさがあったものの、どうせいつもの事だからとすぐに諦める。
 長老の屋敷の庭は広く、立派な池もある。そこには鯉も何匹か棲んでいて、僕はそれを眺めた。寄り合いが始まるまではいつもこうしている。別に鯉など眺めていても面白くはないのだけれど、少なくとも雲よりは動きが活発だから見応えはマシである。
「よう、小太郎じゃないか。何してる?」
 ふと背後から声をかけられ、びくりと耳を震わせ僕は振り返る。
「惣兄ちゃん! お帰り。町はどうだった?」
「ただいま。いやあ、相変わらず面白いとこだったよ。まあ、ごみごみしていて息は詰まるんだけどな」
「町は人が多いって言うからねえ」
 そう笑う彼、僕は昔から惣兄ちゃんと呼んでいる近所の親類だ。歳は僕よりも一回り以上も離れてはいるけれど、何かと親しく付き合っている。そして惣兄ちゃんは、町へ買い出しへ出掛ける事が許されている一人でもある。その中で一番若いということもあって何かと周囲から期待されるような人だが、本人はいたってざっくばらんで気さくな性格だ。
「今回は何を買ってきたの?」
「主に薬だな。ほら、最近何かと流行り病の話、聞くだろ? いざという時のためにな。だからそのおかげで、俺らさっきまで清めの護摩行やらされてたんだぜ」
「ああ、だからどうりで顔が赤いんだ」
「まさに干物の気分だ」
 長老の屋敷からは幾つも煙が立ち昇っているけれど、確かに良く見ると炊事のとは違う黒い煙の筋が上がっている。あれが護摩の煙なのだろう。僕は経験が無いので話で聞いた事ぐらいしか知らないけれど、相当勢いのある火を燃やして囲まされるらしいから、惣兄ちゃんの言う干物とは比喩でも何でもなくまさにそんな風に炙られるのだと想像する。自分も将来は人間の町へ出かけられるようになりたいけれど、こういう行をやらされるのにはかなりの躊躇いがある。
「ところで、最近何か良い事でもあったか?」
「え、何で?」
「随分機嫌良いからな。時折妙にそわそわしているし」
 唐突に振られた話題、そしてその鋭い指摘にぎくりと表情を固めてしまう。
 自分でも心当たりは多分にあった。恵悟と友達になって以来、いつも明日はどんな事をして遊ぼうかとそんな事ばかりを考えている。その様を周囲から見たらそう映るのかもしれない。
「そうかなあ。別に何でもないよ」
「本当かあ? 怪しいなあ。なあんて実はな、俺、分かってるんだぞ」
「え、何が?」
 まさか恵悟の事を知っているのか? 一体、いつ、どこで見られた?
 そう緊張で胸を高鳴らせていると、
「ほうら、これだ。お土産」
 そう言って惣兄ちゃんが取り出したのは、ブリキで出来た機関車の玩具だった。
「前から人間の玩具欲しがってたもんな。でも、みんなには内緒だぞ。こういうの買ってきちゃいけない事になってるからな」
 何だ、こっち事か。
 僕は急な安堵で腰が抜けそうになる。だがここで妙な反応を見せるわけにもいかず、僕は何でもないように意識して装った。
「うん、大事にするよ」
「それから、長老には気をつけろよ。長老の目は千里眼だからな。離れてても見つかるかもしれない」
「まさか。何でも見えるなんて出来る訳ないよ。それに、この玩具だってもうバレて怒られるんじゃないかな」
「どうもな、見えるけれど、見えてない振りをするらしいぞ。そういう意味じゃ、使い方が難しい術なんだと」