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 一週間が経って、僕はまた恵悟との待ち合わせ場所へ毎朝通うようになった。けれど一向に恵悟は現れなくて、僕は一日中一人でぽつりと待ち続けていた。朝は来ていなくても昼になれば、もしくは夕方くらいに来るかもしれない。そう思ったからだ。
 苦心の末にようやく出来上がったそれを、少しでも早く恵悟に渡したかった。人間が使うのに何かコツが必要かもしれないから、その時は一緒に練習をしたい。実際に使う時の事もあるし、必要な説明だってある。とにかく、僕は恵悟との事で頭が一杯だった。
 そんな状態で来る日も来る日も恵悟を待ち続けていたけれど、一週間を何日過ぎても恵悟は一向に来てくれなかった。まさか、このまま都会に戻ってしまって此処には来ないのではないか。そんな事すら考えるようになり始めた頃だった。調度二週間めの朝、恵悟があの待ち合わせ場所に姿を現した。
「遅かったじゃないか! もう来ないのかと思ったよ」
 僕はいつになく声を張り上げて恵悟の元へ駆け寄った。それに恵悟は、またあの時のようにどこか力無く笑って応える。多分、また同じ事があったのだ。そう僕は察した。
「ごめんね、出席日数の事ですぐに帰れなかったんだ」
「でも連絡くらい欲しいよ」
「電報でも打ちたかったけどさ、こんな山奥まで送ってくれるの?」
「ああ、それもそうか」
 そう僕は笑い返す。僕は場の空気を温めようと無理にでも声を出して笑った。それに、笑っていれば学校での事を訊ねない不自然な会話も何とか形になるのではないか、そう思った。
「じゃあ早く遊ぼうよ。実はさ、向こうにアケビがなっているんだ。そろそろ食べられると思うんだ」
「アケビって何?」
「見たことない? 都会には無いのかなあ。こう歪んだ丸い形しててさ、熟すと真ん中からぱっくりと割れて甘い匂いがするんだ。とにかく行こう。見た方が早いから」
 僕は半ば強引に恵悟を連れていった。また恵悟の口から都会で何があったのかを聞かされるのではないか。それが怖くて一方的に引っ張ったのだけれど、そのせいで事を切り出す機会を無くしてしまった。本当はすぐに打ち明けて渡してあげるつもりだったのだけれど。
 そんな胸に支えた気分のままだったけれど、久しぶりに恵悟と遊んで、それはやはり楽しかった。恵悟のいない日常などとても考えられないと思う。この先、いついつまでも一緒にいたい。だが、恵悟は人間である。本当は遊ぶ所か口も利いちゃいけない。そういう掟なのだ。そんな事を考えてしまう自分、改めて恵悟は自分と違う存在なのだと実感する。
 気が付くと日は西へと傾き始めていた。今日はいつも以上に時間の経過が早かったと思う。二週間ぶりだから、あれもしたいこれもしたいと募ったものが多過ぎるのだろう。
「ちょっと休憩しよう。なんか疲れたよ」
「ん、時間はまだ大丈夫だよね?」
「大丈夫だけど、夕日になるまで休んでいきたいよ。小太郎は元気過ぎるから」
 そう苦笑いする恵悟に、僕はそんな事あるかなと首を傾げる。はしゃぎ過ぎたかとは思うけれど、恵悟が言うほど引っ張り回したつもりはない。単なる体力の違いだ、そう解釈する事にする。
「じゃあ、休みがてらに朝取ったアケビでも食べよう」
「あれ、苦労した割に酸っぱくて嫌だよ。こっちにしようよ」
 恵悟が鞄から取り出したのは、ガラガラと音のする手の平ほどの塗装された缶だった。油紙を一枚間に噛ませた蓋を外すと、恵悟は僕に手を水をすくうような格好にさせる。恵悟が缶の口をその中へ振ると、ガラガラと音を立てて粉を吹いたオレンジ色の小さな塊が出て来た。
「これってもしかして飴?」
「オレンジ味だね。えーっと僕は……うわ、ハッカか。外れだ。もう一回」
 恵悟も自分で缶を振って中から同じような塊を出す。恵悟が二回目に出したのは緑色をしていた。それを当たりだと喜びながら口の中へ放り込む。
「今のって何味なの?」
「メロンだよ。一番美味しいんだ。小太郎ってドロップも知らないんだ? 変わってるなあ」
 恵悟はさもおかしそうに笑う。まあ田舎だからと答え、僕も貰った飴を口の中へ放った。正直見たことも聞いたこともない得体の知れないものだったが、恵悟がくれたものだからさほど抵抗感は無かった。
「オレンジ味だっけ? なんか蜜柑に似てるなあ」
「親戚みたいなものだからね。海の向こうのアメリカってとこから来るらしいよ」
「外国の果物かあ。もしかして、さっきのメロンっていうのも?」
「そう。こっちはフランスらしい」
 僕は飴なんて砂糖を煮溶かしたものしか知らない。人間の世界には、こういう色々な果物の味を混ぜ込んだ飴が当たり前にあるようだ。
 そんな取り留めのない話をしている内に夕日が差し込んで来た。僕はすっかり恵悟に言い出す機会を無くしてしまっていた事に、今更ながら気づいてしまった。言い出しにくい事だから慎重に機を覗おうと思っていたのだけれど、そのせいで時間を無駄遣いしてしまったようだ。よくよく思い返せば、この二週間の間は目的の物を作ることで頭が一杯で、自分の身の上の事などほとんど算段を練っていなかった。それを今になって自覚したせいだろう、何だか急に喉が支えたような気持ちになった。
「んじゃ、僕はそろそろ帰るよ」
 恵悟は立ち上がってズボンを軽く払うと、大きな素振りでリュックを背負った。僕は反射的にそこへ手を伸ばす。
「あ、ちょっと」
「何?」
「明日も来るよね……?」
 恵悟はきょとんとした顔で静止し、小首を傾げた。僕が随分と突拍子も無い事を言ったのだと、すぐには気づく事が出来なかった。
「どうかした? 急に」
「いや、ちょっと……。その、明日、話しておきたい事があるんだ。大事な話」
「大事な話? 今じゃなくて、明日?」
「そう、明日」
 恵悟は再び首を傾げ少しだけ考え込むと、眉間に少し皺を寄せて苦笑いした。
「変なの。じゃあ、また明日ね」
 恵悟はそう言い残して手を振り山を降りて行った。僕もいつものように姿が見えなくなるまで手を振り替えし後ろを見送った。
 見送る僕の心境はいささか複雑だった。結局恵悟には目的の物を渡せなかった。僕はそれはもっと簡単な事だと思い込んでいたのかもしれない。だからいざとなって何も出来ないでしまったのだろう。
 明日は必ず恵悟に渡し、そして打ち明けよう。そう思った。