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 その晩、僕はまた寝付けないでいた。
 寝る前に考え事をするのはいつものことではあるのだけれど、それに熱中するあまり、寝そびれてしまうのがたまにある。今夜もそうだった。
 自分の身の上、か。
 ぽつりと呟き、真っ暗な天井に恵悟の顔を思い浮かべてみる。しかし何故か表情がうまくつけられなくて、冷淡な視線を向けられているような気分にさせられた。
 今まで、自分の一族についてあれこれと意識した事はなかった。ただ山の外は人間が住んでいて、僕達はそれと関わってはいけない、それぐらいの認識だった。しかし幾ら外界から隔てられた深山の里でも、人間の情報は僅かなりにも入ってくる。人間はどういう暮らしをし、どんな物を食べ、どんな事を娯楽にしているか。中でも子供がどんな遊びをしているのか、それが僕にとって何より興味深かった。段々と人間の社会には自分の想像も及ばない楽しいことや面白いことがある事を知り、羨望も抱いた。その先にあったのが恵悟という存在だと思う。だけど、まさか人間との距離が、ここまで遠かったなんて。いや、これほど遠いものだと具体的に自覚させられただけに過ぎないのか。
 寝付こうとする事に疲れた僕は、そっと寝床から這い出ると、裏手の蔵の中へ向かった。しばらくの間夜毎に通っていた蔵はすっかり自分に馴染んでいて、初めは暗くて不気味だったのも今では朝まで居られるほど居心地が良くなっていた。それに、あれを作って以来、あまり自分の気配を意識しなくても良くなった安心感もある。
 本棚を軽く物色した後、いつものように格子戸際の月明かりが入る所へ腰を下ろして手に取った書物を眺める。またしても難しい言葉ばかりが並ぶ難解な書物だったが、幸いにも解説図が多く挟んであったので、あまり退屈はしなさそうだった。目的の物は出来たのだから、わざわざ難解な書物をこれ以上読み漁る必要は無いのだけれど、今回の事がきっかけで急にこういう事が好きになった。恵悟の事が解決してからも、僕はきっと時折こうして難解な蔵書を読み漁ると思う。今は半分も理解出来ていない内容も、いずれは分かるようになるだろう。
 うちの御先祖様が残したというこの蔵書、実に様々な術や道具の作り方が記されている。ただ、普通では使い道が理解出来ないような物が決して少なくはなかった。この里で暮らしていくのなら、こんなに沢山の術は必要になるはずはない。単なる向上心や興味本位で作ったにしては、少し度が過ぎる気もする。確か御先祖様は、人間の真似をして食あたりで死んだ。もしかすると御先祖様は、僕と同じで人間の友達がいたのではないだろうか。それで普通の一族よりも、人間社会に接する機会が多かったのではないか。そんな事を思った。
 やがて書物を一冊読み終わる頃、急にまぶたが重くなってきた事を感じ、今夜は引き上げることにした。考えてみたら、ここ最近は夜の生活が急変している。これまでは一度寝てしまったら朝まで絶対に起きなかったのに。今は、寝るまでに考え事を延々としたり、こっそり夜更かしをしたりしている。大人になるというのはこういう事なんだろう。でも僕は今掟を破って恵悟と友達になっている。大人は掟を絶対に破ったりはしない。だから僕は大人になっているというよりも、まだなり切れていないだけだ。だけど、杓子定規に掟を守って恵悟と絶好するくらいなら、そこに無理にこだわる意味はないと思う。
 戻った布団はすっかり冷え切っていた。僕は一度体を震わせて軽く温めると、姿勢を戻して寝転がりながら天井を眺めた。
 明日はきちんと打ち明けようと思う。たとえ恵悟がどんな反応を示そうとも、絶対に動揺しない。それだけの覚悟は決めておくつもりだ。だけど僕は、恵悟はこれまで通に接してくれると信じたかった。恵悟は僕にとって生まれて初めての友達だ、僕が人間ではない、それぐらいのことで、僕達がどうにかなるとは思いたくはない。
 僕があれを作ったのも、恵悟を繋ぎ留めておきたいとかそういう下心ではない。恵悟が困っているから助けたい、ただそれだけなのだ。それ以上は何もない。恵悟が助かればそれで十分なのだ。そういうのが友達というものだと思うし、恵悟もそう思ってくれているはずである。
 きっと恵悟は受け入れてくれる。僕達は何も変わらないはずだ。
 それから僕は、明日は何をして遊ぼうかと少し考え、気が付くと眠りについていた。