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「なあ、何か元気ないけど調子でも悪いの?」
 昼に差し掛かり、基地の中で釣った寒バヤが焼きあがるのを待っていた時、ふと恵悟がそんな事を言ってきた。
「別にどこも悪くないよ」
「でも、いつもと様子がおかしいよ。熱があるようでもないけどさ、なんかボーッとしてるし」
「うん、まあ。ちょっと色々あってさ」
 冬のハヤは脂を蓄えているため夏と比べると段違いにうまい。しかも今日は運が良かったのかハヤが短時間に五匹も連れてしまった。いつもなら地に足がつかなくなるほど喜ぶところなのだけれど、今日はそんな気分にはなれなかった。確かに恵悟の言う通り、今日の僕は様子がおかしい。
「何だよ、相談してみろって。友達じゃないか。何か困ってるんだろ?」
「困ってるというか……うん。ちょっと」
 恵悟に隠すつもりは無かったけれど、自分でもどう話していいのか分からず自然と口篭ってしまう。そもそも自分がどうしてこう落ち込んでいるのかもよくは理解出来ていないのだ。自分をきちんと整理出来ていないのだろう。
「今さ、僕の里のことなんだけど」
「ああ、確か山の向こうに住んでるんだっけ」
「うん。その里で一番偉い長老なんだけど、今それで問題が起きててさ」
「問題?」
「僕は子供だからあまり教えてはくれないんだけどさ。長老が大人達を集めて凄い怒ってるんだ」
「怒ってる? どうしてまた?」
「僕の一族って、たまに人間の町に買出しに行ったりするんだけど、その時に何か問題が起こったみたいで」
「問題ねえ。まあ、恵悟みたいに世間知らずなのが来たら何か起こすかもしれないけど。大人達ってある程度は分かるんでしょ?」
「うん、それはそうなんだけど……」
 そのはずが、実際は違っていた。あくまでそれは断定されたものではなく、僕の想像でしかないのだけれど。里で流れる噂は既にそうと決めかかっている。誰かがそうと口にしている事を想像すると気分が悪い。
「ねえ、恵悟が前に住んでた都会の事を訊いてもいい?」
「何だよ突然」
「実はその事なんだ。長老が怒ってるのって」
「都会のこと?」
「うん。都会で変な事件起こってない? ここ最近じゃなくて、少し前からずっと続いてるらしいんだけど」
 ふむ、と眉をひそめながら恵悟は首を傾げる。
「まあ、無くはないかなあ。でもさ、小太郎は知らなくて当然なんだけれど。都会って凄い沢山の人間が住んでるんだよ? だから事件なんて毎日幾つも起こってるし、それを数えてたらキリがないよ」
「その中で変な事件があったって言うんだ。それで、その事件は里の中の誰かが関わったんじゃないかって」
「事件ってどんな?」
「さあ、そこまでは分からない。子供だから訊いても教えてくれないし」
「とにかく変な事件、ね。正直な話、そういう理解出来ないような事件なんて珍しくないんだぜ? 資産家が見ず知らずの人間を誘拐して何人も自宅の庭に埋めたとか、姉が弟に何となく毒を飲ませて殺したとか、書生さんが夜道で通りかかった人に薬品をかけて逃げたとか。それぐらいじゃ誰も驚かないくらい、都会って物騒なんだよ。そん中の一つがたまたま気にかかっただけかもしれないけど、考え過ぎだと思うなあ。都会生まれの都会育ちの意見としては」
「僕もそういうのは噂でちょっと聞いた。だから考え過ぎじゃないかって言う人もいる」
「小太郎は関係無いんだろ? だったら別に気にしなくていいじゃんか」
「でも、うちの父さんもそれで疑われてるんだ……」
 長老が疑っているのは、人間の町へ買い出しに出掛けた面々だ。父もそれに含まれていて、当然疑いの対象になっている。元々買い出しへ出掛けるのは一族の掟でも例外的な事だから、選ばれるのは長老の信頼が特に厚い者だ。それを裏切るような事件かもしれないのだから、少しでも可能性があれば執拗に問い詰められる。父もそういう目に遭っていると思うと、とても気が気ではない。
「どうせ子供は蚊帳の外、結局は大人だけでどうにかするんだから。あんま気にするなよ。それに、小太郎のお父さんなら悪い人じゃないだろうし。人間の社会でもさ、よくあるんだよ。特高が言い掛かりつけて怪しそうなのは片っ端から捕まえてさ、初めから犯人呼ばわりするようなのが。長老って特高ほど悪どくはないんだろ? だったら心配しなくてもいいさ」
「うん……ありがとう」
「あんま気にすんなよ。お、そうだ。あの時の写真、出来たから持って来たぞ」
 恵悟が油紙の封筒から数枚の厚紙を取り出した。そこには白黒で映った、まだ基地を作り始めたばかりの時の僕の姿が写っていた。やけに表情がぎこちなく不安げなのは、きっと初めて見るカメラに緊張しているからだろう。二枚目の写真に写る恵悟は、如何にも撮られ慣れていると言わんばかりで表情に随分と余裕があった。
「もうちょっと良い顔すればいいんだけどねえ。ま、基地が完全になったらまた撮ろう。その時はちゃんと格好良いポーズ考えておくんだぞ」
「格好良いって言われても、よく分からないよ」
「うーん、小太郎はそういうのセンスないからなあ。よし、今度は剣戟スターのプロマイド持って来てやるから、それで研究しろよ」
「研究って。それよりも、術の勉強の方で忙しいよ」
「ああ、そうだ! そうそう、それすっかり忘れてた。ほら、これ」
 声を上げながら恵悟が取り出したのは術の教本だった。恵悟が都会へ行く前に貸していたものだから、もう随分経っている。
「ようやく読み終わったからさ。ま、そういう訳だから早く次の貸してよ。明日にでも、忘れないで」
「分かってるよ。僕は忘れないから」
「何だそれ、嫌味か?」
 恵悟が苦笑いしながら小突いてくる。僕はそれに応じて笑いながらも小突き返した。そんな事を二度三度と繰り返している内に、ようやくいつもの調子を取り戻せたような気になった。やっぱり友達というのはいいものだとつくづく思う。ただの遊び相手ぐらいにしか最初は思っていなかったけれど、同じ事で競い合ったり、辛い時には慰め合える、家族とはまた違った意味での掛け替えの無い存在に今ではなっている。恵悟がいなかったら、きっと僕はこの事を誰にも相談出来ず落ち込み続けていたに違いない。
 と、その時。ふと焦げ臭さを嗅ぎ取った僕は、はっと息を飲んだ。同時にそれに気づいたらしい恵悟とそのまま顔を見合わせる。
「あ、魚焦げてないか?」
「まずい、早く取ろう」
 慌てて暖炉の方へ飛び出していく恵悟。僕もすぐにそれに続こうとして、持っていた写真入りの油紙に気付き足を止めた。燃えやすいものは暖炉の傍に持って行かない方がいい。僕はそれを無くさないよう大事に教本の間に挟んだ。