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 その日家に帰ると、父はいつものように囲炉裏に当たりながら湯呑みでお酒を呑んでいた。しかし、普段とは違って表情が暗く迂闊には話し掛け難い雰囲気だった。それでも僕の方を見ると幾分か笑みを浮かべ一言二言と話し掛けてくる。普段のような気安さは無く、僕でも無理に話しているのだと察する事が出来た。
 三人で黙々と夕食を食べ、それから僕は術の勉強のため教本を開いた。けれど、父の様子が気になって全く頭に入って来なかった。基礎もほとんどが終わり内容も随分と難しくなってきているから、集中しなければなかなか読み解く事は出来ない。その集中力が散漫になっているから、幾ら読んでも文字をただ追うだけにしかならない。
 そんな中だった。不意に父が母に何事か耳打ちすると、母は一つ頷き呑んでいたお酒を台所へ片付けた。
「小太郎、ちょっと来なさい」
 そして、神妙な面持ちで僕を呼び付けてくる。僕はそれに従い、教本を閉じると父の前に座った。
「里でも噂になってしまっているから、大体の事は分かっているだろう。長老との事だ。お前はもう術を覚え始めた男だ、父さんの事について話しておこうと思う」
 そう言って父は、火にかけていた鉄瓶から白湯を茶碗蒸しに注ぎ一口飲んだ。直後についた溜息はいつになく重苦しい。
「今、人間の住んでいる町で妙な事件が立て続けに起こっている。長老はその事で、父さんも含めた買い出しに出掛けた者達を吟味している。要するに、誰かが事件を起こしたのではないかと疑っているのだ。もちろん、その中にも父さんは含まれている」
「父さん一人だけじゃないんでしょ? 買出しに行った人達全員でしょ? それに、証拠も何も無いのに疑われるなんて」
「疑われているのは、単に町へ出掛けたからだけではない。父さん達は、出掛けるのに必要なある術が使える。それが事件を起こしたと長老はお考えになっているのだ」
「ある術?」
「自分の姿を相手に気付かれないようにする術だ。我々一族は、人間とは出来る限り無用な接触は避けなければいけない。当然、揉め事などあってはならない。だから、万が一にでも巻き込まれそうになった時に即座に逃げ出さなければならないのだ」
 その術が長老に疑われる理由。けれど、僕は納得がいかなかった。たとえその術が使えるから出来るとしても、実際に悪用したという証拠は何もないのだからだ。
「でもさ、父さんが犯人な訳無いよね? だって父さんは悪さするような人じゃないもの」
「いいか、小太郎。確かに父さんは、術を悪用したりはしない。天地神明に誓ってだ。だが、もしもこのまま犯人が見つからなかったならば。この件についてのお咎めは、父さんが代表して受ける事になる」
 予想外の言葉が父の口から飛び出す。僕は自分の耳を疑わずにはいられなかった。あまりに不条理で道理のかなわない事にしか思えなかったからだ。けれど、僕の後ろにそっと佇んでいる母が唇を噛むような気配があった。決して僕の聞き違いではなく事実なのだと、否が応にも身に染みさせられる。
「どうして? 何で父さんだけが? だって、疑われてるのは買出しに行った全員なんでしょ? どうして父さんだけが」
「この術を作ったのはな、吉浜五郎太殿、父さんの父親だからだ」
 つまり、犯人が分からないのであれば、そもそもの原因を作った者が罰を受けなくてはならない。父が説明するまでもなく、僕は直感的に理解した。だから次の言葉は父が説明するよりも先に飛び出していた。多分、僕自身生まれて逆上せたのだろう。
「それはおかしいよ! 悪いのは作った人じゃなくて、使った人じゃないか! それに、術は父さんが作った訳じゃないのに! 父さんだけがそんな目に遭うなんて!」
 思わず僕は声を張り上げてしまった。それほど僕は納得がいかなかった。切っ掛けからして言い掛かりにも捉えられるのに、犯人も特定しないまま父だけが謂れの無い罰を受ける。到底僕には受け入れられない事である。
「そういう掟だ。先祖の咎めは子孫が代わって受ける。そう昔から決まっている。父さんだけが従わない訳にはいかない」
「だけど!」
 掟だからと言って簡単に納得出来るはずがない。どんな罰にせよ、無実の者が受けるべきものは何一つ無いのだ。父だけが損をする理由はない、とにかく僕はそれを叫びたかった。
「小太郎ッ!」
 突然、父は僕よりも遥かに大きく声を張り上げ一喝する。今まで一度も怒鳴られたことの無い僕は、驚きで声を失いそのまま固まってしまう。
「お前の言いたい事はよく分かる。確かにそれが正しいのかもしれない。しかしな、我々一族は昔からの掟を守る事で今まで繁栄を築いてきたんだ。納得が出来ないとか、そんな理由だけで父さんだけが免れる訳にはいかない。例外を作ってはならないのだ。例外を作っては、掟そのものの意味が無くなる」
「でも……酷いよそんなの……」
 思わず目から涙がこぼれた。悲しいというよりも悔しい思いの方が強かった。長老に対する怒りが全く無いとも言い切れない。ただ一番強いのは、どうして父がこんなことにならなければいけないのか、という思いだった。
「よしよし、分かったなら泣くな。みっともない」
 口元を綻ばせた父は僕をぎゅっと強く抱き締めた。最後に間近で父の体温を感じたのは何時だっただろうか。そんな事を思うと悪い想像ばかりが掻き立てられ、余計に涙が溢れてきた。
「何もまだ犯人が見つからないと決まった訳じゃない。父さんだって罰は受けたくないし、長老だって無実の者を咎めたくはないさ。まだ、そうと決まった訳じゃないんだ。だから心配しなくていいんだよ」
 そう父が優しく諭すように言い聞かせながら僕の背中を撫でる。大丈夫だから心配はない、不安に思う事はない。そう何度も何度も繰り返して僕に言い聞かせる。僕は父の言葉を嘘だと思った。もし本当にそうなら、わざわざ打ち明けて不安がらせる必要は無いからだ。つまり、状況がとても悪く罰が現実味を帯びてきてしまっているから、今こうして話さざるを得なくなってしまったのだ。
 何か僕に出来る事は無いのか。父が罰を受けないために。
 事件は一族と関係が無いこと証明すれば父は罰を受けなくても良くなるのではないだろうか? だが、そのためにはまず都会に行って事件を調べなければならなくなるから、それは絶対に不可能だ。では真犯人を探し出して突き出せばどうだろうか。いや、それはもう大人達がしているだろうし、その大人達でも無理だったら僕には絶対に無理だろう。
 僕には出来る事は本当に無いのか。
 子供だから何も出来ない。そう思うと無性に悔しくて仕方なかった。