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 里の空気ががらりと変わり、いつも息苦しさのようなものを感じるようになった。誰も口には出そうとしないのだけれど、その理由は子供の僕にも何となく伝わってくる。けれど子供には話したくない意図が見えてしまうので、だから僕は敢えて知らない振りをしなければならなかった。
 父さんは許可が無い限り家から出られなくなっている。それは買い出しに行った他の面々も同じで、長老が最終的な結論を出すまで続くようだった。
 父さんにはどうしても気遣いをしてしまい、いつものように外へ遊びに出るのは気が引けた。けれど父さんは何も負い目がないのであれば普段通り過ごすべきだと言うので、だから僕は今日もいつも通りに家を出ると、一旦長老の屋敷で新しい教本を受け取って恵悟との待ち合わせ場所へ向かった。
 里を出て真っ直ぐ向かったのは、僕達の秘密基地のある川の上流だった。今の遊びの拠点はそこになるので、自然と待ち合わせ場所場所もここに移ったのである。どちらかと言えば里からも近く、その割には目にも付き難い場所なので、僕には都合が良いと言えた。
 基地の近くまで来ると、調度向かう先から煙が立ち上っているのが見えた。どうやら恵悟はもう来ているようで、暖炉に火を入れて温めているらしかった。あまり待たせてはならないと足を速める。
「おはよう、今日も寒いね」
「そうだね。ちょっと温まってからにしよう」
 恵悟は暖炉の中に家から持って来たらしい鉄鍋をかけていた。元々は乾燥対策のものであるが、こう寒い時は温かい飲み物を作って体を温める事も出来るので都合が良い。暖炉は焚き火と違って煙が中に篭る事は無く、燃え移って火事になる心配も無い。寒さが本格化していく中で日々有り難さが感じられた。
「そろそろ大晦日だね。年内に基地をもうちょっと拡張したいなあ」
「僕が思うに、棚とか家具があるといいと思うんだ。物を揃えるにしても、まずは整理が出来るようにしないと」
「さすがに棚までは運んで来れないよ。小太郎は作れるの?」
「まさか、作った事なんかないよ。でも、あえてやってみるのも面白くない?」
「それは確かに言えてる。ちょっとくらい不格好でも何とかなるかな」
 この基地のほとんどは僕達の手作りである。材料は全て付近から調達したものだし、道具もほとんど小刀や手頃な石を代用する事が多い。自分達で覚えた術を使っているからそれで済むのだけど、要はその術をどう使うのか、その応用だ。
「実はさ、来週ちょっとだけまた都会に行かなきゃいけないんだよね。冬休み前だけど。たかだか数日のために戻るのは面倒なんだけどさ、ちょっとこればかりは仕方なくてね」
「何かあるの?」
「試験があるんだ。今学期ちゃんと勉強出来ましたか、っていう奴。駄目だと落第させられたり、酷い時は放校って追い出されるんだ」
「ふうん。それで、大丈夫なの? 学校の勉強は」
「ぼちぼちかな。ま、僕には裏技があるから、真面目に勉強なんてしなくても大丈夫なんだけどね」
「裏技?」
「ほら、これこれ」
 そう言って恵悟が見せたのは、以前僕があげたあの石だった。
「これ使ってると、誰にも姿が見えなくなるからね。これならテスト中にカンニングし放題。誰が頭良いかぐらい分かっていればいいんだからね。後はもう真面目に勉強なんかしなくてもいいのさ」
「ちょ、ちょっと待ってよ。まさかそんな事に使ってるの?」
 恵悟は少し驚いたような表情を見せた。僕に反論されるとは思ってもいなかったらしい。
「僕はそういう事をするためにあげたんじゃないよ」
「冗談だってば。そんな事も分からないなんて、小太郎は子供だなあ」
 少しうろたえたようにも見えるが、依然として恵悟は笑いながら僕の反論を受け流す。もう少し真面目に聞いて欲しかったけれど、どれだけ押しても流されてしまいそうで、僕はこれ以上は強くは出られなかった。
 あの石は、都会の学校で恵悟をいじめる悪い奴らから確実に逃げるために作ってあげたものである。姿が見えなくなるという点を考えれば、確かに逃げる意外の事も出来なくはない。僕は、恵悟がそういう目に遭うのが嫌だからという理由で作ったのだ。それをこういう使い方をされるのはとても良い気分ではない。
「あんまり面白い冗談じゃないよ」
「悪い悪い。もちろん、そういう悪い事には使ってないよ。これはあくまで、身の危険が迫った時に逃げるためにしか使ってないよ」
「そうしてよ、これからもさ。本当に」
「信じろよ。僕は友達に嘘はつかないって。友達なんだから信用しろってば」
「ああ、うん……頼むよ」
 さほど気にも止めていないと言った素振りで恵悟は僕の背中を叩く。僕はそれにぎくしゃくとした笑顔で応えるしか出来なかった。
 不意に僕の頭を、里で起こっている事の経緯が過ぎった。長老は術を悪用したのではないかと、人間の町へ買い出しに出掛けた大人達を疑っている。そして僕は、恵悟にあげた神通力の宿る石を悪用しているのではないかと疑ってしまった。何となく、似ていると思った。
 一族の掟では、術は人間に伝えてはならない事になっている。僕は今までそれを、一族が人間と仲良くしてはいけない事になっているからだと思っていた。けれど本当は、それとはまた別な理由があって禁じているのではないか、そう思った。
 僕達天狗の一族と、恵悟の人間達。一見すると見た目も言葉も好き嫌いも良く似ていて、どちらがどちらと区別はつかない。区別が付けられるのかと疑問にすら思う。だけど、今恵悟が冗談半分に放った心無い一言。それは、僕らと恵悟では術や神通力に対する考え方が全く違っているから出たのではないだろうか? そしてその違いが、掟で術の伝承を禁じている理由なのかもしれない。