BACK

 ルポルタアジュというその書物は、主に人間の社会で起こっている事件を取材した結果を書いているものだった。人間は世の中の流れを知るために新聞というものを読んでいるそうだけれど、それよりももっと特定の出来事に突っ込んで調べたもののようである。だから題材になっている事件は、すぐには詳細の分からない複雑なものばかりだ。
 赤線の引かれたその記事は、連続して集中的に調査したある事件についてのものだった。
 事件のあらましはこうだった。
 今年の夏、都会のとある学校の生徒が変死する事件が起こった。その生徒は自宅の自室で発見されたのだが、現場は実に奇妙な状況だった。生徒は胸を刺された事による失血死、凶器と思われる包丁は部屋の机の上にあったが、それと一緒に本人の筆跡による遺書がしたためられてあった。遺書があるのであれば自殺とするのが普通である。しかし、この事件は自殺と断定はされなかった。生徒の刺し傷は正面からではなく背後、つまり自分で刺すには限りなく不可能に近い位置だったからである。
 自殺に見せかけた他殺とするのが妥当だろうが、初動から捜査の状況は不可解になった。初めから自殺に見せかけるつもりだったのなら、背中側から刺しては意味がない。衝動的に殺してしまい咄嗟に偽装したのであれば、本人の筆跡による遺書の存在が説明出来ない。
 最終的に警察は、偽装自殺に失敗した殺人事件、そう結論付けた。しかし問題の本筋はここからが始まりだった。事件から半月後、全く同じ状況の事件が起こったのである。自殺に見せかけて失敗した状況は元より、残された遺書の文面も同じ、使われた凶器も同じ、そして被害者も同じ学校の同じ組の生徒だったのだ。
 犯行の手口が同じというのであれば、犯人も同一犯の可能性が高い。そして、被害者が自分の部屋へ招き入れたのだから、元々親交のあった人物の犯行なのだろう。警察はそう方針を定めて捜査を始めたのだが、有力な容疑者は遂に浮かんで来なかった。分かったのは、被害者二人が普段から一緒の遊び仲間で、その徒党が組の中でも中心的だったという事と、交友関係があまりに広く犯人の特定が非常に困難という事だけだった。
 こうして捜査が難航する中、まるで警察を嘲笑うかのように三件目の事件が発生した。警察の詳しい発表は無かったものの、三件目と数えている所から、内容は推して知るべしである。
「……うっ」
 その時、ここまで記事を読んだ僕は急に気分が悪くなり、一旦書物を閉じて棚へ戻した。喉の奥が焼けるような気分の悪さがしきりに込み上げてくる。夕食時も近く空腹だったはずの胃はすっかり意気消沈し、痛いほどの空腹は額の奥からくる鈍痛に変わっていた。どれもこれも、この気持ち悪いとしか言いようの無い、記事を読んだせいである。
 この里で人間の書物を実際に読む機会などまずありはしなかった。そもそも掟で禁止されている事で、子供ならば尚更許可など下りようがない。それは単に、一族の者が人間の町へ憧れを抱かないようにするためだと僕はずっと思っていた。だが、今ではそれが違うとはっきり断言出来る。人間の書物には、僕達一族にとって想像も出来ないほど常軌を逸した悪意が溢れているからだ。
 僕は蔵の中の冷たい空気を二度三度繰り返して吸い、しきりに軋む額と胃を落ち着けさせようとした。気休めにしかならないだろうが、この気分の悪さは気の有り様の問題である。だから気休めが丁度いいのだと思った。
 少しだけ落ち着いた思考で、今読んだ記事の中身について反芻してみる。まだ途中までだったが、書かれていたのは人間の町で起こった事件についてである事はもう疑うまでもない。しかもその事件は、鶏や野菜を盗むといった類ではない。人が人を殺し、しかもその手段には容易に想像出来ない創意工夫が凝らされている。一体これはどんな生き物なのかと率直に僕は思った。どんな思考をすればこんな事件を起こせるのか、とても想像がつかない。人間は人間同士でしょっちゅう殺し合うという事は知っていた。その野蛮さが僕達一族との違いだと誰かが言っていたのも覚えている。僕は今までその野蛮さというものを、もっと動物じみたものと解釈していた。けれど、実際は全く違う。これは野蛮ではない、ある種の病気である。同族を殺す事に創意工夫を凝らす、心の病気だ。そうとしか思えない。
 恵悟は、都会では理解に困る事件など普通に起きるものだと話していた。子供が親を殺すとか、大人が子供を殺すとか、想像もしたくはなかったが、人間の社会ではそれは本当に当たり前の事なのだろうか。そんな疑問とも希望ともつかない事を考えながら、再度書物を手に取って続きを読み始めた。
 事件は凶悪な連続殺人事件として捜査が続けられたものの、有力な手掛かりは依然として見つからず捜査は難航を極めた。そして事件もまだ引き続き起こり、その後同じ組の生徒が三人も死んだ。どれも全く同じ手段だった。特に最後の被害者は地元の名士の息子で、当日は自宅に何人もの私兵を警戒させていたにもかかわらずに事件は起こったのだという。
 そこで事件の記事は終わっていた。どうやら続きは次号に掲載されるているらしい。僕はすぐさま本棚を漁り、平積みの中から数字が続きになっている書物を探した。書物は何なく見つかった。目次を見るとまた同じように赤線が引かれている行があり、僕は早速その頁をめくった。特集の題目は前と同じ、後編と添えられている副題から鑑みるに、前号と今号の二つに分けた特集なのだろう。前号ではあれだけ人が死んだというのに、また同じくらい死ぬのだろうか。そんな不安を覚えつつ読み始めた。
 今回の被害者である生徒は、著名な名士の長男である。名士というのは人間の社会で財産を沢山持っていたり、社会的に地位の高い一族の事を差すようである。そんな人物の長男が奇怪な事件の被害者となったのは相当な大問題だったらしい。この事件を切っ掛けに捜査員は大幅に増員され、新聞などでも目撃情報を大々的に募ったものの、それでも尚事件の捜査は進展しなかった。しかし、それを境に事件はぱったりと起きなくなってしまった。犯人があまりの捜査体勢に流石に尻込みしたのか、もしくは生徒の中でも頭の存在である最後の被害者が死んだ事によって目的が達成されからか、様々な憶測が飛び交った。犯人は捕まえられないでいるものの、少なくともこれ以上の事件は起こらない。それが大勢を占めるのにはさほどかからなかった。
 再び事件が起こったのは、ある立冬の朝の事だった。その後続報が報じられなくなり世間は忘れかけていたが、まるであの事件の犯人が再び動き出したとしか思えない不可思議さは全くそのままだった。被害者はやはり自室で発見され、刺し傷や凶器に遺書までも同じだった。そんな中で唯一以前と異なっていたのは、被害者はあの学校であの組の人間であるのは同じなのだが、今回は生徒ではなく担任の教師だった事だ。
 次は生徒ではなく学校の教師を標的にしているのか。そんな事を思ったその時だった。
「おーい、小太郎君。どこにいるんだい?」
 突然蔵の外から惣兄ちゃんの呼ぶ声が聞こえてきた。驚いた僕はすぐさま読んでいた書物を閉じて本棚へ突っ返すと、恐る恐る蔵の中から外の様子を窺った。自分では気付かれないように開けたつもりだったが、窺った直後に惣兄ちゃんと目が合ってしまった。初めから蔵の辺りを疑われていたのかもしれない。
「こんな所にいたんだ。そろそろ帰るから、小太郎君も家に入ろうね。ここにずっといたんじゃ風邪引いちゃうよ」
「あ、その、うん。分かった」
「じゃあ早く戻って。ここにいた事は黙っててあげるから」
「うん、ありがとう」
 僕は惣兄ちゃんにお礼の言い残し、家の表の方へ駆けて行った。
 最後まであの記事を読む事が出来なかった。しかし、大体どんな事が起こったのかは把握出来た。これが父が言っていた、都会で起こったという異様な事件の事なのだろうか。改めて思うのが、とても父が犯人とは考えられない内容だった。けれど、この事件を長老は何故注目したのかが疑問に思う。あんな書物が作られるほど、人間の社会では異様な事件が頻繁に起こっているはず。今回に限ってこんな大事に発展したのは何故なのだろうか。僕はどうしてもそれが引っかかってならなかった。