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 明くる朝、僕は意外にも父の声で起こされた。いつもは僕の方が先に起きていたから、それだけで何か変わった事が起こったのだと思った。
「これから一緒に長老の所へ行くぞ。早く支度しろ」
 起き抜けの鈍い頭で聞かされた父の言葉に、思わず問い返すように眉をひそめる。
 長老の所に? これから一緒に?
 僕はそのまま首を傾げた。父は長老から外出を禁じられているはずである。その長老が呼んでいるという事なのだろうか。もしかすると、遂に父の罰が決まってそれを告げられるのかもしれない。俄かに緊張感は高まっていった。
 身支度を整えた後、すぐさま長老の屋敷へと向かう。到着するとすぐに中へ通された。外はまだ薄暗く空気も冷たいけれど、既に程よく温められた部屋で僕は父と長老を待った。
「朝からすまんな、小五郎」
「いえ、とんでもありません」
 長老はさほど待たない内に現れた。父と一言二言挨拶をかわしながら腰を下ろす。父は長老と向かい合い、僕はその脇についた。何となく僕は自分が場違いなように思った。長老と父が大事な話をするのは分かるものの、そこに僕が呼ばれる理由は何なのだろうか。ともかく、僕は二人の邪魔をしないように終わるのを大人しく待つだけである。
「あれの事でな、そろそろ結論を出したい」
「はい、如何様にも」
「うむ、それでな。今、惣一郎を使いに出している。もう間もなく戻って来よう」
 惣兄ちゃんは長老の使いでどこかに出掛けているようである。しかし、それが何と関係するのだろうか。僕は率直に訊ねてみたかったけれど、子供がでしゃばる訳にもいかないので、依然大人しく聞いていた。
「只今戻りました」
 それからしばらくして、惣兄ちゃんが慌ただしく現れた。相当急いでやってきたらしく、息を激しく切らせ額も汗ばませている。外の寒さも相俟って、体からは湯気が立ち上っていた。
「御苦労であった。急がせてすまなんだな」
「いえ。こちらです、どうぞ」
 そう言って惣兄ちゃんは小脇に抱えるほどの紙の束を長老へ差し出した。僕はその紙束に見覚えがあった。大人達が長老の命令で時々調達してくる、人間の新聞である。
「一週間前までと、今日の朝刊まで手に入れました」
「よろしい。お主はもう下がって良いぞ」
「それでは失礼します」
 惣兄ちゃんはすっと一礼して部屋を後にした。
 長老は惣兄ちゃんに届けさせた新聞を早速広げて読み始めた。長老は時々人間の新聞を読む事で、人間の社会の情勢を知っておくのだという。そのために時々調達させてくるのだけれど、それを今読むのはどうしてなのか。何となく、昨日うちの蔵で読んだ人間の書物の事が頭を過ぎった。
 しばらくの間、無言が続いた。長老は黙々と新聞を読み、そして父はそれについて何口出しすることもなくじっと待っている。父は僕と違って、長老が新聞を読み始める事を疑問に思っていないようである。どこか合意の上であるかのような、そんな空気だった。
「さて、参ったものだのう」
 おもむろに長老が誰に聞かせるともなくそう呟き、溜息を漏らした。何の話だろうか、そう思って改めて顔を上げると、そこにはいつになく厳しい表情の長老があった。それも、普段大人達に向けているそれと同じものを、明らかに僕の方へと向けている。僕は反射的に心臓を高鳴らせる。
「小太郎よ、この事件が何か分かるな?」
 長老は一枚の新聞を掲げて僕に指し示す。そこに書かれている事件について、僕は問い質されているようだった。
 二も無く頷き返し、僅かににじり寄って記事の詳細を読む。大きく刷られた見出しには、また人が殺された事を現す文字が踊っていた。記事によると、ある学校で、進組の関係者ばかりが繰り返し被害者になっているそうだった。それが今年に入って立て続けに起こり、未だ犯人が捕まっていないという。
 ふと、昨日家の蔵で読んだ人間の書物の記事の事を思い出す。内容があれと非常に良く似ているのだ。もしかするとこの新聞の記事は、あの事件の続きなのだろうか。
「あの、これが何か……?」
「分かるな、と訊いておる」
 断定に近い口調で問う長老。それには、思わず首を縦に振ってしまいそうになる迫力があった。
 僕が人間の社会の事など何も知っているはずはない。少なくとも表向きはそうなっている。だから、どう答えれば良いものやらと悩み、即答が出来なかった。しかし、
「黙っておっては分からぬぞ。早う答えんか」
 長老が厳しい口調で三度訊ねる。もはやそれは詰問されているのに近かった。親が子供を叱るような生易しいものではない。普段向けられた事の無い怒気に慌てていた僕は、すっかり冷静な言葉選びが出来なくなっていた。
「いえ、よく分かりません」
「よく見ろ。お主は分かるはずだ」
 長老は掲げていた新聞を僕に投げ付けた。胸の辺りに当たって落ちたそれを拾い、どうすればこの場は収まるのかとばかり考えながらもう一度記事を読む。だが幾ら読んでもこれ以上の事は分からない。
 助けを求めて隣の父へ視線を向けるが、父はじっと目を閉じ正座したまま微動だにしない。僕は突き放された、そう思った。
 この事件は、むしろ父が調べていて詳しいのではないのか。何故僕が問い質されるのか。長老の詰問が理不尽でならなかった。そう僕が返答に困り果てていると、やがて長老は溜息を一つつき、こちらに向き直るよう促してきた。
「小太郎よ、お主はこの事件に関わったな」
 これで四度目になる。だが言葉の言い回しは少し変わっていた。知っていると関わっているとでは大分意味が違う。僕はこの事件を本当に知らない訳ではない。けれど、関わりを持った事は決して無い。そもそも存在を知ったのは昨日の事で、関わるにしても理由も無ければ、この事件は人間の町での事だ。関わりたくても無理がある。
「僕はこんな事件に関わっていません」
 最初に比べて嘘を挟まなくて済む分、否定し易かった。僕は迷うことなくきっぱりと否定する。人間同士の事件なのだから、それが妥当な返答だと誰だって思うはず。長老もそれだけは承知のはず。そう思っていたのだが、驚く事に長老は、まるで今の僕の言葉を否定するかのように、ゆっくりと頭を左右に振った。表情は相変わらず厳しく、反論する余地を許さないと言わんばかりである。
 いよいよ長老が何を考えているのか分からなくなってきた。まさかまた、何か掟に関係してこういう理不尽な事を言っているのではないか。そんな事を考え始めた時だった。
「これに見覚えがあろう?」
 長老がおもむろに取り出したのは、僕が今術を覚えるために読んでいる教本の一冊だった。何となく見覚えのある表紙のしわから、それが既に読み終えて返した教本だと分かる。
 つい先日返したばかりなのだから、見覚えがあって当たり前だ。そう答えようとすると、長老はそれより先に教本を開き頁を幾つかめくった。やがて指が止まると、その頁の間から挟まっていたらしい何かを取り出して見せる。
「あ……」
 一瞬で頭が真っ白になるほど動揺したせいだろう、僕は無意識の内に声を漏らしていた。
 長老が取り出して見せたもの。それは、僕と恵悟の姿の写った写真だった。僕は、恵悟に貰った写真を挟んでいた事をすっかり忘れてた、そのまま長老へ返してしまっていたのである。
 どくりと心臓が強く高鳴る。今度は反射的ではなかった。状況の言い訳の無さをはっきり自覚してからのものだからだ。