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 お手伝いさんに運ばれてきたお茶を口にし、話を一時中断する。その間、僕は酷く気持ちが揺れていた。事がとても大きく深刻になっているのは分かるけれど、あまりに大き過ぎてはっきりとは捉え切れていない。ただ分かるのは、僕は今、選択を迫られているという事だ。有り体に言えば、一族を取るのか恵悟を取るのか、そういう選択だ。
「迷っておるのか?」
 ふと長老に訊ねられ、ぎくりと肩を強張らせた。長老が僕の心中を覗いたのかと初めは思ったけれど、多分誰が見てもはっきりそうと分かるほど迷いが顔に出ていたのだろう。
 迷う。それは僕にとって恵悟の存在が、一族と天秤にかけられるほど大きくなっている事を意味する。考え無しに即断すれば必ず後悔する。しかし、熟慮を重ねた上にどちらかを選択しても後悔はつきまとうのではないか。その恐れが僕を迷わせた。
「五郎太が人間の鉄砲撃ちと知り合ったのは、まだ世の中が文明開花に浮かれてた頃だったかのう。五郎太が人間との付き合いがあるなどと、噂では聞いてはおったがわしは信じてはおらんかった。それが事実だと知った時は我を忘れたもんじゃよ。しかし全部が明らかになったのは五郎太が死んだ後、実際その人間がどのような奴だったのかなぞまるで分からぬ。顔や名前もじゃ。残ったのは、五郎太を騙し一族の術を盗んだ、ただそれだけの事実よ」
 そう、祖父五郎太は人間と関わったのがきっかけで、寿命より先に死ぬ事になったのだ。だけどその死は掟そ破った罰、いわばけじめのようなものである。率直に言えば、その事と恵悟の事は全くの無関係とも思っている。それを引き合いに出すのであれば、迷う以前に納得いかないと言った方が近いだろう。
「小太郎や。五郎太は何故、自ら死を選んだと思う?」
「それは……掟を破った罰を進んで受けたからでしょうか?」
「そうかもしれん。五郎太は責任感の強い奴じゃったからのう。自分で自分を許せなかったやもしれん。しかし、わしはこうも思うのだ。五郎太は、掟を破った事の咎めや術を盗られた責を負っての事ではない、ただ信じていた者に裏切られたのが悲しくて死んだのだ、とな。本当に罰のつもりなら、初めから人間となど付き合いはせぬよ。五郎太とはそういう奴じゃ」
「やはり僕の事も、それと同じであると仰られるのですね」
「お主は人間を自分らと似た者だと言ったな。しかしそれは違う。人間はな、このように平然と他人の情に付け込み裏切れる。我らとは似て非なるものなのじゃ」
 それでも、僕は納得はしない。祖父を裏切った人間と恵悟は違う人間、必ずしも恵悟も同じとは限らないからだ。
 だがそんな僕の胸中も長老はまるで見透かしているようだった。
「やはり納得はせぬか。頑固さも五郎太譲りよのう。ならば、あと一度だけ機会をやる。それで村上恵悟の真意を問い質し、己の結論を出すのだ」
「結論……」
「そうじゃ。言われなくとも分かるな。けじめを付けよ、という事じゃ。自らが掟を破ったけじめを」
 酷く恐ろしい言葉だと僕は震えた。幾らでも解釈のしようが出来るばかりか、自分ならこうするとまで示されているようにまで錯覚してしまう。まだ自分は事態の重さを知った気になっていただけではないのか、そう身の引き締まる思いだった。
「あの、参考までにお聞かせ下さい。もしも長老だったら、どのようにするのが最良とお考えですか?」
「術を盗んだ人間は殺す。掟とはそういうものじゃからの」
 淀みなく答えた長老の言葉に、僕は何も答えられなかった。多分それが一番合理的なのだと思うが、ただの子供である僕にはあまり重過ぎる。子供に出来るはずもないと知っていて言ったのか、子供だからこそ今の内にそうさせたいのか。真意を汲めない僕はただ絶句するしかなかった。
「分かったのならば、ここまでといたそう。後で報せに来るが良い」
 そう告げる長老に僕は膝を正し一礼すると、そのまま立ち上がり部屋の襖を開ける。父もすぐさまそれに続いたが、挙動が酷く鈍く、表情もうつむいたままで僕からは分からなかった。ただ何と無く、うちひしがれている、そんな脆さが伝わってきた。
「小太郎や」
 最後にもう一度一礼し部屋を後にしようとした時だった。長老が僕を呼び止めた。
「お主が何を考えておるか、あえて覗こうとは思わぬ。ただ一つ、くれぐれも五郎太の真似はするなよ」
「死んで責任を取るような事をするな、という事でしょうか?」
「掟を守るためならば、五郎太の取った事は正しいかもしれぬ。しかし、わしは心からそうと思ってはおらぬ。だからお主に任すのじゃ。お主なら、五郎太とは違った答えを出すのではないか。わしはそう期待しておるからのう。ただそんな一方で、不安にも思うておる」
 長老は僕からゆっくり視線を外した。
「お主は、五郎太の孫じゃからのう」
 長老の不安げな横顔に、それが長老として言っているのではないと感じられた。けれど僕は、五郎太と僕に血の繋がりがあるから心配しているだけにしか思えなかった。自分は掟を幾つも破ってしまったのだし、死んで償わなければいけないとなれば、そうなるのもまだ分かる。けれど、死ななくても済むのであればそれに越した事は無いと思うのだ。
 僕がわざわざ死んでどうにかしようとすると思っているのだろうか?
 長老の強い気持ちは良く分かる。だけど今一つ、その言葉は胸に響いてはこなかった。自分で自分を、何が何でも殺さなければならないような、そんな馬鹿げた理由がどうやっても思いつかないのだ。