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 翌朝も僕は普段通り起きて御飯を食べ、外へ出掛けていった。長老の屋敷へ寄ってみようかとも思ったけれど、まだ体調も良くなっていないだろうから、それはしばらく後にする事にした。
 いつもの待ち合わせ場所である大岩には、今日も恵悟の姿は無かった。また自分が早く来過ぎたせいだという事にし、大岩の上でひたすら恵悟が来るのを待ち続けた。しかし、今日も恵悟は一向に現れず、先に日が暮れてしまった。
 帰り道、僕はとぼとぼと里に向かって一人歩きながら、やはり恵悟はもう都会に行ってしまったのだとうなだれた。都会に行ってもまた夏ぐらいになれば戻って来るとは言っていた。でも、それはあまり期待出来ない気がした。黙って都会に行ったのは、もう二度と来ないという意志の現れに思えるからだ。
 どう気を張っても、未だに僕は恵悟とは友達でいたいと思っている。それこそ、父の言った通り、綺麗さっぱりと忘れてしまうべき事なのだ。いつまでも未練を引きずり続けた所で、また今日のように無駄に時間を過ごすだけである。そのせいで、術の勉強もここ最近はずっと手が付かず滞りっ放しだ。
 ふと父の昨夜の言葉を思い返す。忘れろとは、今の僕の気持ちを見越して言ったのだろうか。取り返しのつかない事にいつまでも思い悩んでいることのないように、と。だけど、本当にそれだけなのか、どうしてもあの態度には引っかかるものがある。
 家に帰ると、また昨日と同じように三人で夕食を食べ、さもない談笑を交わし、油をあまり使わない内に床に着いた。一日を一人でただ何となく過ごし、日が暮れてから帰って御飯を食べて寝る。それは恵悟と友達になる以前の生活と同じである。そっくりそのまま、あの頃に逆戻りしたかのような錯覚も起こりそうだった。このまま、何も知らない振りをしてこの流れに流されるのも悪くはないのかもしれない、そうも思う。だけど、未だどうしても恵悟の事が頭から離れてくれない。未だ未練がましく信じている気持ちが無くなっていないのだ。
 明日だけ、もう一日だけ、待ってみよう。それで何もなければ、今度こそ恵悟の事を忘れるように本気で努力する。そこで区切りを付けるのだ。
 自分の姿勢に結論がつくと、後はすとんと落ちるように眠ってしまった。そのまま夢も見ず、朝までぐっすりと眠る事が出来た。
 朝になり、またいつものように朝食を食べて外へ出掛けた。無論、長老の屋敷には寄って行かない。まだ恵悟に対して未練を持っているなどと知られるのは、あまり良くない事だと思うからだ。
 それから駆け足で里の端から山道を下って行く。そのまま、微かに期待しつつ待ち合わせ場所の大岩へ行ってみたけれど、やはりそこには恵悟の姿は無かった。また今日も昨日と同じ展開になるかもしれない。早速沸き起こったそんな不安を振り払い、大岩の上に腰を下ろして恵悟がやって来るのを待った。
 恵悟は気持ちが落ち込んでいたから、あんな憎まれ口を叩いてしまったに違いない。
 あれほど、絶対に悪い事に術は使わないと約束したのにあっさりと破るなんて、やはり初めから騙すつもりだったのだ。
 僕にとっては初めての友達で、ずっと一緒に朝から晩まで遊んだのは嘘じゃない、だから良いも悪いも引っくるめて友達なのだ。
 人の本音は気持ちが沸き上がった時にこそ出る、そう僕は恵悟にとって最初はからかいやすい田舎の童子で、それが都合の良く利用出来る存在に変わっただけだ。
 昨日とは違い、一人じっと黙ったまま考え込んでいると、僕の心の中には何人もの自分が出て来て、口々に喋っては消えた。どれも今まで僕自身が思い浮かべた言葉ばかりである。それらを他人事のように聞けるのは、僕が達観してしまったからなのだろうか。僕の抱えていた悩みは、本当は重いのか軽いのか、何だか分からなくなってきた。
 そして、結局今日も恵悟は現れなかった。これはもう確実と言って良いのだと思う。恵悟は黙って都会へ行ってしまったのだ。何か別れの一言を言えない事情があったかもしれないけれど、そんな憶測をいちいち思い巡らせていたらきりがない。僕はもう、ここできっぱりと決別しなければいけないのだ。
「もうこれからは、全部忘れる」
 改めて口にして決意を強くする。こんな姿を恵悟に見られたらきっと子供っぽいと笑うだろう、と想像し、慌ててその心象を掻き消した。
 その日は日没より前に家に帰り、いつもの時間に寝た。出来るだけ、以前の自分のままにを心掛けたかったからだ。そして翌朝も、またあの大岩へ出掛ける。しかし心掛けは昨日までとは違い、恵悟の事は一切考えないようにしていた。以前と同じように、ここで一人遊びをするからだ。
 大岩に座り、とりあえず空の様子を窺う。雲は少なく晴れた空、自分の気持ちとは正反対だと自虐的に思う。
 何かをして時間を過ごさなければ。そう思い立ち、長らく離れていた術の勉強をしようと思うものの肝心の教本を家に置いて来ていた事に気づき、うっかりしていたと溜息が出てしまった。元通りという事を意識し過ぎたせいで、行動に計画性が無くなったからだ。
 一人での遊びは何をしようか。まず頭に浮かんだのは、あの秘密基地の事だった。しかし、秘密基地はどうしても恵悟の事が頭を過ぎるのですぐに候補からは外れる。散策するにしてもこの山はあらかた歩き尽くした。川遊びもまだ季節が早い。何か食べるものを探すにしても一人で食べられる量なんてたかが知れている。
 自分は恵悟と友達になる前はどんな気持ちでここに座っていたのだろうか、恵悟の事など考えず一日をどうやって過ごしていたのだろうか、ふとそれが疑問に思った。そんな事すらすぐに思い出せないほど、恵悟と遊ぶのが当たり前になっていた、その時間が長かったのだ。
 改めて思う。恵悟が刻んだ跡は想像以上に深い。