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 薬草を卸しに行った一行と合流したのは、それから程なくの事だった。国が有事に備えて買い上げているらしく、思っていたよりもずっと高く売る事が出来たと随分喜んでいた。おかげで夕食はこっそりと豪勢な物を食べる事になり、今回の買い出しにたまたま選ばれた事がついていると思った。
 少し遅めの昼食は町中の小さな定食屋で済ませる事になった。洋食という生まれて初めての食べ物を体験し、世の中にこんなにうまいものがあるのかと心底驚いた。
 ふと、恵悟に貰って食べた、生まれて初めてのチョコレートの事を思い出した。あの時も、世の中にこんな美味しいお菓子があったのかと心底驚いていた。それ以来、僕は恵悟と遊ぶ都度、今日はどんなお菓子があるのかと期待に胸を膨らませていた。そう、恵悟は僕を利用して一族の術を盗み悪用したと言っているけれど、僕だって恵悟を利用して人間の食べ物を手に入れていたのだ。つまり僕と恵悟は、事の軽重こそありはするが、どっちもどっちだったのだ。少なくとも僕は、一方的に批難することは出来ない。そう思う。
 その日の宿は、いつも泊まっているという素泊まりの安い場所に泊まるとの事だった。そこは狭い部屋に寝る所が幾つか重なっているだけで、本当にただ休むためだけの場所という印象だった。こういった所に泊まるのは悪い人間も少なくないらしく、僕はくどいほど荷物の管理を厳しくするようにと言われた。人間の中には、そういう事を生業にしている人もいるらしい。そういう人種にとって、僕のような子供は格好の獲物になる。自分達以外の者は常に疑っていなければならない、そう気を引き締める。
 夜になり、僕達は外へ夕飯を食べに出た。近くの居酒屋という所で、海産物が食べられるのだという。山育ちの僕には海という場所は知識でしか知らず、そこに棲む魚の味など想像もつかなかったので、とても期待して行った。
 居酒屋の中は非常に酒の臭いが溢れていて酷く息苦しく思った。長老の屋敷で開かれる宴会の時の臭いに似ているけれど、濃度がまるで違う。飲んでいる人の数が圧倒的に多いからだろう。そんな中で食べた海の魚は、驚くほど味が濃厚で今まで食べて来たものとは比べ物にならないほど美味しかった。生きた魚をすぐに捌いて調理したから美味しいのだそうだけれど、山奥に住む僕達にはとても出来ないものだから、感動もひとしおである。
 僕以外の大人達も比較的慣れた様子でそういった料理を食べ、里にあるのとはまた違うお酒を飲んで談笑していた。本来なら、取引以外の物に使うお金は最小限にしなければならないし、必要もない人間の物を食べたり使ったりしてはいけないと、一族の掟では決められている。けれど、みんながそれを当たり前のように破り長老も何も言わないのは、それを半ば黙認しているからなのだろうか。長老はどんな意図で黙認しているのか少し気になったけれど、面と向かって訊ねようとは思わない。どうせ面倒事を自ら舞い込ませるだけだからだ。
「ところで、小太郎さあ。昼間の人は知り合いだったのか?」
 大分お腹も膨れて来た頃だった、ふとお酒の回った惣兄ちゃんが訊ねて来た。昼間のあれは自ら水を向けた事なのに、白々しさを否めない問いである。単に酔っているだけか、それとも。一息の間だけ考え、僕はゆっくり口を開いた。
「いや、僕の勘違いだった」
「勘違い?」
「人違いだったから、すぐ帰って来たんだよ」
「そうか。んならいいさ」
 そう笑い、再び惣兄ちゃんはお酒を飲み始めた。
 この時、僕は今の自分の思考に気が付いた。ただ惣兄ちゃんが訊ねただけなのに、すぐに僕は何か裏があるのではないのかなどと疑ってかかっていた。長老は以前、僕が恵悟に会ったせいで変わってしまったと言っていた。でもそれは、みんなが僕を騙そうとするからそうなってしまったのだと思っていた。けれど、本当にそれだけなのかと今は思う。僕自身、自分が損をしたりしないように警戒するようになって誰も信じなくなった、そういう変化を自覚している。恵悟の事は単なるきっかけにしか過ぎず、誰彼も疑うのは僕自身の心の問題ではないのだろうか。
 その日は遅くまで居酒屋で飲み食いをし、それから宿へ戻った。明日は薬等を買い回る予定になっている。僕は出来るだけ早く仕事を覚えるためにも、これまで以上に頑張ろうと思った。今後人間の町へ出られるような機会が増やせるかもしれないのと同時に、何と無くそうする事が一番長老の意図に適うのではないだろうか、これが一族の生活に余計な波風を立たせないのではないか、断片的ではあるけれどそう思うのだ。
 僕は、友達を無くすくらいなら、蔑ろにするくらいなら、一族の掟など守らなくても良いとずっと信じて来た。だけど、あれから少しずつ僕の考えは変わってきている。
 僕は、本当は掟を破るべきではなかった。破らなければ、こんな思いをする事は無かった。
 もしも本当にそうだったなら、今納得していただろうとは思わない。けれど、僕の選択は本当に正しかったのか。あの時の決意は、今になって確実に揺らいできている。