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 あれからどれくらい時間が経ったのだろうか。まこちゃんの声は小さく聞こえにくくなり、連中も静かになって来た。それからしばらくして、こちらに向かってくる足音が聞こえてきた。一つは連中の一人、もう一つはまこちゃんのものだ。
 僕はすぐに戸の前で待ち構え、外の気配にじっと警戒する。やがて戸の前に足音が止まると、がちゃがちゃと鍵を外す音が聞こえた。戸がほんの少し開き廊下の照明の光が差し込む。その間からゆっくりとまこちゃんが入ってきた。
 まこちゃんは髪がぼさぼさに乱れ、ずっと泣いていたせいかそれとも連中に叩かれたからなのか顔も腫れていた。視線もずっと下を向いていて普段の元気が微塵も感じられない。それだけで、どれだけ酷い事をされたのか幾らでも想像がついた。
「さっさと入れ」
 男はそんなまこちゃんの背中を蹴飛ばした。まこちゃんは声も上げず前へつんのめるように物置の中へ転がり込む。咄嗟に床に手はついたものの、まこちゃんはすぐに起き上がろうとしなかった。多分、それぐらい気持ちが落ち込んで疲れているせいだ。
 あまりの仕打ちに僕は、咄嗟に男の足へと飛び掛かった。けれど、
「うわっ!? この野郎、何しやがる!」
 最初こそ不意を突けたものの、すぐに男は僕の首を掴んで押さえ、そして思い切り蹴り上げられた。それから更に二度三度と蹴られ、最後に思い切り踏み付けられる。僕が痛みですぐ起き上がれないのを確認すると、ぺっと唾を吐いて戸を閉め、また外から鍵をかけて行った。
「あかしま……ううっ……」
 何とか起き上がって腹這いになった僕を、まこちゃんが顔をくしゃくしゃにして抱き締めた。僕の首の辺りに顔を埋めて、ほとんど声にならない嗚咽を漏らす。僕が蹴られた事もそうだけれど、あの連中に酷い事をされて泣いているのだと思った。僕は何も出来なかったけれど、こうする事で少しでもまこちゃんの気が晴れるなら。ただそれだけ祈った。
 僕達はしばらくそのまま寄り添っていた。夜も更けて物置の中の気温も大分下がったと思う。僕はこれくらい平気だけれど、まこちゃんはそうもいかない。何か着るものがあればいいのだけれど、物置の中に良さそうな物は見当たらなかった。
 まこちゃんは僕にしがみつくようにしてずっと泣いていたけれど、やがて泣くのにも疲れ果てて、そのまま眠ってしまった。僕はそっと場所をずらして、まこちゃんが横になれるように枕の代わりになってあげた。痛む体でまこちゃんの体重を支えるのは大変だけれど、苦痛には思わなかった。むしろこうしてあげていた方が自分も気持ちが落ち着ける気がする。その一方で僕も、散歩には行ってないけれどずっと動き回っていたから、まこちゃんと同様に疲れ切っていた。体もあちこちが痛むしお腹も減っている。まだ動けなくなるほどではないけれど、少し休まないといけないと思った。
 疲れているせいなのか、いつもより耳が鋭くなっている事に気付いた。物置の中が静かなせいで、外の音が嫌でも聞こえてくる。特にリビングにいるあの連中の声は、怒りしか込み上げてこないから聞きたくないのに、距離のせいもあってどうしても聞こえてきた。
『今の所、大方予定通りだな。思ったより順調じゃないか?』
『後は警察が目の色変えてくれるのを待つだけだな』
『それにしても、さっきはいい演技してたな。それらしく堂に入っていて、様になってたぞ』
『だろう? 気合い入れてやったからな。こういうのが後に本に書かれるんだぞ。革命戦士の素顔とかいうタイトルで』
『ところでカメラはどうした?』
『ああ、三つともベランダから放り投げた。さっきマスコミの連中が拾ってったのを見たから、そのうちテレビでやるんじゃないか?』
『おい、今日はもうやる事あったっけ? 無いなら酒でも飲もうぜ。テレビで流れるのを待ちながらさ』
『そうするか。頑張り過ぎて喉が渇いたしな』
『ビールあるぞ。食べ物はあんまり入ってないな』
『買い物に出掛けた時だったからな。仕方ないさ』
『ところで、あいつらに何か食べさせなくて良かったか?』
『一日二日くらいじゃ死なないし、別にいいだろ。それに多少おとなしくなってくれた方が都合もいい』
 どうやら連中も疲れたから御飯を食べて休むつもりのようだ。しかもパパさんのビールを勝手に飲んでいる。あれはパパさんでさえもママさんの許可が無いと飲んじゃいけないものなのに。
 今更連中にそういう規則を守る事を期待しても仕方無いとして、まこちゃんには何か食べさせたいと思った。何も言わないけれど、僕と同じく夕飯を食べていないからお腹が空いているはずである。でも物置の中には食べられるものは無い。連中も食べ物を持って来る気配はなさそうだ。もっとも、連中の匂いがする食べ物なんて僕は食べたくないし、まこちゃんにも食べさせたくはないのだけれど。
『おい、見ろよ。早速ニュース速報入って来たぞ』
『犯人グループからのメッセージか、だと。それ以外どう解釈しろっていうんだよ。警察がこっちの要求を無視し続けたからこうなったんだって分からんものかな』
『それにしても、あんまり好意的な報道じゃないな。俺達の革命について何も伝えてないし。まるで強盗の立て篭もりみたいだぞ』
『局に警察から圧力がかかったんだろう。俺達の革命は、警察みたいな支配階級にとって迷惑だからな』
『それもそうか。ま、いつもの事だよな』
『そうそう。それも含めての革命闘争なんだから』
 何が目的なのかは知らないけれど、まこちゃんを無闇矢鱈に傷つけても許される理由など無いと僕は思う。それに、仮に世の中にそんなものがあったとしても、こうやってへらへらと笑っていられるという事は、この連中にはそんな理由などあるはずが無いのだ。
 絶対に許さない。まこちゃんが受けた苦痛はそれ以上にして返してやりたい。ふつふつと怒りがまた込み上げて来たけれど、今は幾ら燃やしても全く意味は無いし向けるべき先に届きもしない。ぐっと飲み込み、来るべき時に備える意味でも、僕は体を休める事に専念した。