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『よせ、やめろ! 我々は同士じゃないのか!?』
『革命戦士が狼狽えるな! やはり貴様には総括が必要だ。お前ら、順に援助しろ』
『ひっ! 待て! 分かったから、ちゃんと言う通りにする! だから離せ!』
 狂ったように連中の一人がばたばたと騒ぎ立てる。今にも泣き出しそうなほど声が裏返り、呼吸も出来ているのかどうか分からないほど荒い。それに対して他の面々は気持ち悪いほど静かだった。騒いでいる男が押さえ付けられているのは分かるけれど、それをしている連中が一言も発しない事は明らかに不自然だと思う。
「……ん。あかしま? ねえ、あかしま? どこ?」
 この音を聞き付けて目を覚ましたまこちゃんが、寝ぼけた顔で僕の名前を呼んだ。僕はすぐにまこちゃんの所へ駆け寄る。
「どうしたの? 眠れない?」
 まこちゃんは僕の頭や首筋を撫でながら優しく問い掛ける。けれど、まだボーッとしたままの舌足らずな喋り方だった。
 何となく嫌な雰囲気、予感のようなものがする。夜も更けて気温も下がっているせいもあるけれど、それ以上にこの嫌な感じが背を震えさせた。僕はそれを少しでも紛らわそうとまこちゃんにぴたりとくっつく。まこちゃんはそれを僕がじゃれていると思ったのか、よしよしと笑いながら撫でてくれた。
 その直後だった。
『うわあああっ!』
 先程にも増して切迫した男の悲鳴が物置の戸越しに聞こえて来た。まこちゃんの体がびくりと跳ね上がり、僕も咄嗟に床へ爪を立てる。
『どうした! まだ総括は終わってないぞ!』
 男の悲鳴の他、口々に続く怒鳴り声達。そしてどすどすと鈍い音や床を叩くような音が聞こえて来た。尋常ではない事が起こっている。それを察したまこちゃんがごくりと音を立てて唾を飲んだ。
「ねえ……なんだろう? 喧嘩してるのかな?」
 震えた囁き声は、少なからず何が起こっているのか想像が出来たせいでそうなったのだと思う。僕には良く分からないけれど、普通ではない事ぐらいは理解出来る。
 あの鈍い音は、何か厚い物を強く叩いている音だと思う。ママさんが天気の良い日は布団を干すのだけど、その時に布団を叩いているがそれはもっと高い音がする。今叩いているのはもっと厚みのある物を平べったくないもので叩いている感じだ。
 音と都度聞こえてきた男の悲鳴も徐々に数を減らし力を失っていく。それが否が応にも緊迫感を煽り、まこちゃんはぎゅっと力を込めて僕を抱いていた。まこちゃんの心臓は、破裂するのではないかと思うほど脈を早めているのが伝わってくる。この見えない恐怖にどう立ち向かえばいいのか。僕にはまこちゃんにしてあげられそうな事は思い浮かばなかった。
 そして、それは唐突に起こった。
 ぴたりと閉められた物置の戸さえも物ともせず、耳を右から左へと貫くように響く、一つの破裂音。震えていたまこちゃんは一瞬動きを止め、小さな体を更にぎゅっと小さくすぼめる。
 今のは間違いなく銃声である。僕は訓練で聞き慣れているから知っているし驚きもしない。でも、何故こんな所で聞こえてくるのだろうか。いや、連中が拳銃を持っていたから、それを使ったのだろう。しかし何のため、何に向けての事なのか。僕はそこまでを教えて貰ってはいないから想像もつかない。
『死んだか?』
『いや、まだだな。止血すれば助かるかもしれない。でもいいのか? 今、本部から控えるように言われてたはずだが。それに銃の使用も』
『総括に失敗した敗北死だ。士気に関わる事なら問題はないはずだ』
 まこちゃんがより強く僕を抱く。その手もそうだけれど、体がより一層震えていた。口も震えているせいで歯ががちがちと音を立ててぶつかっている。
「あかしま……怖いよう」
 まこちゃんでも銃声ぐらいは分かる。実際に聞いたのは多分初めてだろうし、それがどういうものなのかも知っているはずだ。
 そして、伝わって来たのは銃声だけではない。僕には分かってしまった。銃声の直後、あの部屋から凄まじい血の臭いが立ち込めて来ている。つまり連中の誰かが連中の誰かを拳銃で撃ったのだ。
 あいつら、一体何をやっているのだろうか。家の中で銃を撃つなんて、とても普通じゃ有り得ない出来事だ。第一、味方に向けて撃つなんてどんな状況なのだろう。ただの喧嘩でもそこまでは普通はやらない。
『おい、機動隊が近づいてるぞ。今の銃声が聞こえたんだ』
『ちっ、仕方ない。散弾を撃ち散らして追い払うぞ』
 ばたばたと連中が慌しく駆け回る音。そして外の方へ耳を澄ますと、同じく沢山の足音と金属ががちゃがちゃとぶつかり合う音が近づいて来るのが聞こえた。多分警察の人達だと思う。
 それから程無くして、また別の銃声が聞こえて来た。今度はさっきとは違ってもっと大きく甲高い音で、それも連続して聞こえて来る。同時に、幾つかの叫び声や怒号が家の内外から飛び交う。それは本当に物置の壁一枚隔てたすぐ側で起こっている出来事で、今にもその嵐のような喧騒がこちらに飛び込んで来るのではないかと思えるほどだった。
 まこちゃんは既に言葉も話す事が出来なくなっていた。がたがたと震え続けるまこちゃんと僕は、ずっと一つになってくっついたまま、ひたすらこの喧騒が収まるのを待った。いつどこでこの嵐が戸を破り窓を破り飛び込んで来るのか、そんな事を考えると僕も恐ろしくてならなかった。それでも僕はまこちゃんを守らなければならないのだから、決して自分の気持が揺らぎ折れてしまわぬように強く強く自分を持った。
 そして、どれだけの時間が過ぎただろうか。喧騒は何の前触れもなく唐突に止んだ。