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 嵐のような喧騒が過ぎ去った途端、一変して恐ろしいほどしんと静まり返ってしまった。一体物置の外はどうなったのだろうか。体力に余裕も無い僕はもうそんな事を考えたくもなかったけれど、ここで思考を止めたらまこちゃんに振りかかる危険を払えなくなるから、必死で集中力を途切れないように繋ぎ続けた。ここに来て、水も御飯も食べていない事が堪えてきたように思う。疲れを意識すればするほど、全身が重くなり怪我の痛みも増す。だから出来るだけまこちゃんの事だけを考えるようにした。
 僕にしがみついて震えていたまこちゃんは、この静寂がしばらく続いたおかげで少しは落ち着けたのか、やがて僕に頭を預けながらうとうとと眠り始めた。そもそもまこちゃんは僕以上に心身共に疲れ果てているのだから、どれだけ油断ならない状況で不安に思っていても、隙があれば眠るしかないのだ。少しでも多く眠らないと体が持たない。まこちゃんは子供だから僕のように体が強くはないのだ。
 まこちゃんの小さな寝息に耳を傾けつつ、僕は意識を戸の外側へ向けた。あれから随分と静かになったけれど、連中は何をしているのだろうか、次の動向が気になる所だ。僕も一緒に少し眠りたかったけれど、集中力を奮わせて戸の外へ向けて耳を澄ませた。
 リビングと廊下、それから階段から頻繁に行き来する足音が聞こえる。連中は随分慌てているらしく、歩調と呼吸が乱れているように取れた。何かに警戒しているようだけれど、それはおそらく外の警察だろう。ついさっきまで銃を撃ち合っていたから、間合いが気になるのだ。
 息も荒く行き来していた連中だったが、やがてリビングへと集まっていった。ソファーにどかっと腰掛け、重苦しい溜息をついている。
『……どうやらしばらくは来ないみたいだな』
『何とか追っ払えたが……。これは正直あまり良い状況ではないな』
『次に機動隊が突入を仕掛けてきたらどうする? もう弾薬はほとんど無いぞ』
『咄嗟の事だったとは言え、使い過ぎてしまったな。不用意に拳銃なんて使わなければ、突入の切っ掛けにもならなかったんだ。これからは出来るだけ物音も立てないようにしなければ』
『警察も随分過敏だな。やはり警察官僚の家というのが効いているのかもしれない』
『それよりも、どうする? 警察が次にどういう手を打ってくるか。少なくとも俺達の要求を受け入れるつもりは無さそうだな』
『電話も無い所を見ると、交渉するつもりも無いようだ』
『つまり、突入するタイミングを計っている訳か』
『こちらはもう迎え撃つだけの弾薬も無い。これはもう仕方がないんじゃないか?』
『そうだな。どうやらここまでのようだ』
 連中がそう口々に弱音らしい諦めの言葉を並べ始める。それを僕は最初、遂に屈服したのかと思った。しかし良く注意して聞いていると、連中は気後れのような弱い空気を全く出していない。むしろ、最初よりも不気味に爛々としている印象だ。
 今更、あのリビングの血の臭いが気になってしまった。まるであれが連中そのもののような錯覚を起こし、思わず奥歯を噛み締めるほどの不快感が込み上げる。
 そして、
『日の出と共に人質の子供をベランダに引っ張り出すぞ。そこで、警察が愚かな選択を取った見せしめとして処刑だ。それが我々の最後の革命闘争になる』
『それならマスコミもそれとなく集めた方がいいか。カメラを構える猶予ぐらいも作った方がいい。扇動は派手にだ。せめて革命の狼煙だけは高く上げなければ』
『マスコミなんざ空砲を撃てばすぐ集まるだろう。アリのように群がってくる。ただ、機動隊の突入する切っ掛けにもなるからな。人質を連れてきた時点でやるのが良いだろう』
『うむ、全て滞り無く進めなければな』
 処刑。
 連中から飛び出したその言葉に、僕は全身から血の気が引きそうな思いだった。それはつまり、連中が朝になったらまこちゃんを殺そうという事だ。
 まこちゃんは何一つ悪いことなどしていないというのに、あまりに理不尽だ。どうしてそんな目に遭わなくてはならない、どうしてそんな事が出来るのか。重ね重ね、絶対にあの連中は許すことが出来ない。幾つもの罵詈雑言が頭の中を駆け巡り、一度引いた血は一気にたぎって沸騰しそうになった。だけど集中力を途切らせずにいたおかげか、すぐに自分を抑えて冷静になる事が出来た。今ここでカッとなってもまこちゃんを守る事は出来ないのだ。今大事なのは、連中からどうやってまこちゃんを守るのか、その手段を考える事だ。
 真っ向から立ち向かうのは、既に二度も失敗している。いずれも見事な返り討ちだ。僕一人の力では連中のたった一人にも勝てないし、ましてや連中を全て家から追い出すなど不可能だ。だけど、それが出来る警察の人達が家の外にいる。僕一人だけでどうにもならないのなら、どうにかして警察の人達を招き入れられないだろうか。
 ふと、連中の一人が先程発した言葉を思い出す。
 拳銃を不用意に使わなければ、突入の切っ掛けにならなかった。だから出来るだけ音を立てるな。
 それはつまり、連中はしばらくは家の中で静かにしていたいという事だ。だからそれを逆手に取り、目一杯の騒ぎを起こせば警察が一斉に雪崩れ込んで来るのではないだろうか。
 騒ぎを起こすことは簡単だ。僕が連中を相手にひたすら暴れてやれば良い。パパさんにもママさんにもそうやって家の中で騒いではいけないときつく叱られているけれど、それは逆に僕がそれぐらいの騒ぎを起こせるという裏付けでもある。その僕が、連中が思っている以上の抵抗をすれば嫌でも大騒ぎになるに違いない。そして必ず僕を大人しくさせるために、大声を上げたり殴ったりするだろう。その騒ぎは外の警察に間違いなく伝わるはずだ。
 だけど、本当にそううまくいくのか、不安はある。目一杯騒いでそれを警察が聞き付けたとしても、必ずしもすぐに踏み込んでくれる保証はない。
 やはり、一番確実なのはあれしかないと思う。出来るだけ連中を慌てさせて騒ぎを長引かせ頭に血を昇らせて、そして僕を大人しくさせるために止む無く拳銃を使わせる事だ。