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「このっ、またやりやがったな!」
 僕は今日もまたこのおじさんに叩かれていた。いつもこの人は何かにつけて僕を叩く。僕が何かをしたせいらしいけれど、何故叩くのかはいつも分からない。もちろん今日も理由は分からないまま叩かれている。そんな理屈に合わない事はないから、僕は叩かれると決まって、
「おっ、この野郎。また噛もうとしたな!」
 そして、また叩かれる。いつもいつもこの繰り返しだ。だから僕はこのおじさんが大嫌いだ。
「やれやれ、またお前か。他のはみんなお利口さんなのにねえ。せっかく立派な体格してるのに、そんなんじゃ試験には合格できないぞ。少しはおとなしくならないと、誰にも好かれなくなっちゃうよ」
 傍らで呆れた表情を浮かべ苦笑いする若い男の人は、よくおじさんと一緒にいる。この人は僕をあまり叩いたりはしないけれど、僕が叩かれていても助けてはくれない。居ても居なくても大して変わらない、僕にとってはそういう人だ。
「いつもいつもあれほど言って聞かせてんのに、物覚えが悪いんだか反抗的なんだか全然だ。まったく、本当にあからしまねえ奴だな、おめえは」
「何ですか、あからしまめえって」
「ああ、うちの方言でな。こういう聞き分けない奴の事をあからしまねえって言うんだ。俺もガキの頃は母ちゃんにそう言われて怒られて来た訳だよ」
「なるほど、方言ですか。確かにこっちじゃ聞いたことないですね。しかし、あかしまって言うとなんか誰かの名前みたい」
「あかしまじゃない、あからしま、だ」
「まあとにかく、言う事を聞かないこいつにはピッタリでしょ。まだ名前、決めてなかったですよね」
 そう笑いながら、見上げる僕の頭をぽんぽんと叩く。言っている事は良く分からないけれど、何となく悪い事を言っているような気はする。だから反撃してやりたかったけれど、また叩かれるだろうからぐっと堪えた。
「そんな風に呼んでると、本当にそれでしか返事しなくなんぞ」
「別にいいじゃないですか。どうせ試験は無理そうなんでしょ? 性格的に合わない個体ってありますからね。それに、僕らがずっと世話する訳じゃないし」
「ったく。まあ、確かにこいつにはお似合いの名前だわな」
「よし、じゃあお前の名前はあかしまだ。おい、あかしま。元気か?」
 僕をあかしまと呼びながら、問い掛けてくる。何の意味かは分からない。ただ、どうしても返事をして欲しそうだったから、僕は一言だけ返事を返してやった。すると、
「お、返事したな。よしよし、いいぞ。あかしま」
 今度は嬉しそうに笑いながら僕を撫でてくれた。普段叩かれてばかりであまり撫でられる事のない僕はそれが心地良かった。どうやら、あかしまという言葉に返事をすれば喜ばれるらしい。
「だから、あからしま、だってばよ」
「やっぱそれ、言いにくいですよ。あかしまの方が呼びやすいし、いいでしょ?」
「本当に最近の若者は何でも略して言うんだな。俺にはお前らのセンスは分からん」
「年寄り臭いなあ、先輩。そうやって愚痴ってるとすぐ老け込むらしいですよ?」