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「おい、なんだこの道は」
「知らねえよ。とにかく急げ、せっかくの獲物を逃がすんじゃねえぞ」
 山道へ入った私は、案の定山賊達との距離をみるみる広げていった。体の大きな大人にとって、草木が生い茂っている道ほど歩き難いものはない。気をつけなければすぐに気の根っこに足を取られたり、思わぬ所から飛び出した小枝に目を打つのだ。しかし体の小さな私は、ほとんどその影響を受けない。
 ここで一気に振り切ってしまいたかったけれど、もうこれ以上走り続ける体力が残っていなかった。息が苦しくて胸が破れてしまいそうなほど痛い。本当にこれ以上走ったら、目眩を起こして失神してしまいそうだった。私は背後に注意しながらも少しずつ足を緩め、早足で歩きながら体力の回復を待った。しばらくすると山賊の声は全く別方向へ迷い込み出したのが聞こえ、何もしなくともこのまま振り切れるだろうと安堵した。
 息も落ち着いてきた所で、今自分がどこにいるのかを確認する。道をそれて藪の中をおおよその勘で家の方に向かっているのだから、もしかすると方角を間違っているかもしれないのだ。見上げると木々が鬱蒼と生い茂ってはいるものの、所々薄くなっている箇所もあり、そこから星を捜す事が出来た。方角はおおよそ想像した通りでさほど修正する必要もなく、このまま間違えないように注意すればじきに街道へと出られる。でもその前に、山賊達は私を捜すのは諦めるだろう。
 十分周囲の気配には注意しつつも、割と楽観的になって先を急いだ。そんな時だった。
『危ない所でしたね』
「キャッ!」
 突然、またしてもあの不気味な声が、私のすぐ傍から聞こえて来た。まるで気配のしなかった所から聞こえて来た事に私は驚き、思わず大きな悲鳴を上げてしまった。
「おい、あっちだぞ!」
「そんな遠くねえ! 逃がすな!」
 その私の声を聞き付け、こちらも私が思っているよりずっと近くにいた山賊達が一斉にいきり立って向かってきた。茂みを三つほど挟んだ程度だろうか、ちょっと強引に突っ込まれたら捕まるような距離である。
 どうしよう、ここじゃ逆に逃げ場が無い。そう息を飲んでうろたえる私に、またあの声がどこからともなく語りかけてきた。
『そのまま声を上げないようにお願いします』
 声を上げないように? じっとしてやり過ごせという事なのか?
 訝しみつつも焦りで余裕の無い私は、とにかく言われた通り口を閉ざし、その場に屈み込んだ。
 すると、
『グルルルル……』
 どこからともなく、お腹に響くような低い唸り声が聞こえて来た。明らかに猛獣ものと分かる声である。山賊に追われているだけでも精一杯なのに、どうしてこんな時に遭遇するのか。また悲鳴を上げそうになるものの、私は何とか声を押し殺して潜み続けた。
『グググ……グウォォン!』
 頭を思い切り叩かれるような錯覚さえ起こす遠吠え。どこに何がいるというのか、想像するだけでも恐ろしい私は、もう考えること自体を止めてしまった。とても自分が無事助かる姿が想像出来ず、考えても悪いイメージしか浮かばないのだ。
「お、おい! やべえぞ、何か出て来たみたいだ!」
「まじい、引き返せ! 食われちまう!」
「ガキはどうすんだよ!?」
「放っておけ! どうせ助かりゃしねえよ!」
 私が猛獣に遭遇して悲鳴を上げたと思ったのか、山賊達は慌てて来た方へ逃げ出していった。あっという間に山賊達の声は遠ざかり聞こえなくなってしまう。私の周囲は途端に静かになった。山賊が居なくなっても、まだ猛獣が居る。しかし、幾ら耳を澄ませても自分以外の気配はまるで感じ取れなかった。
『この場から退避した模様ですね。もう心配は無いでしょう』
 そして、耳を澄ませていたはずの私が不意を突かれるほど、唐突にどこからともなく聞こえて来るあの声。今の出来事がまるで他人事かのような落ち着きぶりである。ただでさえ素性の知れない相手だけに、一層の底知れなさが感じられる。
「あ、あの……」
『今のはサンプリングした声です。この付近に生息している生物ではありませんので、御心配無く』
「じゃあ、今のはあなたが……?」
『その通りです。緊急避難のため、威嚇行為をいたしました』
「もしかして……私を助けるため……?」
『その通りです。あなたを救助するためです』
 けれどそれはどんな方法でやったのだろうか? 言っている事も理解出来ない私は、ただただ首を傾げるばかりである。少なくとも、動物の物真似程度で出せるような声では無いと思う。少なくとも、私やあの山賊達は本物だと勘違いしてしまったのだ。猛獣であればあるほど、口真似で騙すことは難しいはずだ。
 この人は一体誰なのだろうか? 暗闇に隠れていて姿は見えないけれど、本当に幽霊なのだろうか? 幽霊にしては、声だけでも随分と存在感がある。でも、この声は人間のものしてはどこかおかしいと思う。言葉ではうまく説明は出来ないけれど。ともかく、私を助けてくれたのは事実である。それだけは感謝しなければならない。
『さあ、早く帰りなさい。これ以上遅くなっては危険です』
「は、はあ……分かりました」
 先日は足止めしようとしたのに、今日はあっさり帰れと言うのか。この人には色々と疑問を持ったままだけれど、確かに今日は遅いので素直に帰る事にした。
 また明日、ここに来てみて、またこの人が出て来たら、ちゃんとお礼を述べよう。そう思い、私は家路に付いた。