BACK

 翌朝、母屋の勝手口で待ってみたが、またしても義母も義姉も出ては来なかった。まだ具合が良くないのか、それとも本気で意地悪をしてパンをくれないのか。ただこうして当ても無く待っていても仕方が無いので、私は部屋へ戻って保存食を少しだけ朝食に食べてライブの元へ出掛けていった。
 いつもの森の中へ来ると、ライブは今日は青い光を出したりせず、じっと石の上で佇んでいた。昨日からシステムというものを作るため、ずっとこんな調子だ。
「システムは出来た?」
『いえ、まだ完成していません。思っていたより難航しています』
「私が手伝えるなら手伝うんだけどなあ」
『そうですね。分業出来れば良いのですが』
 そう簡単な事ではないらしい。そうライブの口調が物語っている。
 ライブに触れると、鉄の板はいつもよりもほんのり熱を帯びていた。運動をすると熱くなるのと同じで、ライブも一生懸命作っているからなのだろう。汗ぐらい出れば拭ってあげたいところである。
「もう流行り病はどれぐらい広まったのかなあ?」
『ここからでは正確な観測は行えませんが、ベイズ予測ではこの一帯の四割は感染地域の指定基準を満たしています』
「まだ半分もないってこと?」
『いいえ、限界点を越えるか否かの水準です』
 ライブがいつもの淡々とした口調でしれっと怖い事を言う。言葉だけでは実感は湧かないけれど、町のあの惨状を目の当たりにした後では、やはり本当に危ない状況なのだと思わざるを得ない。領主様や大人達が何も出来ていないのだから、今まであったような普通の風邪ではないのだろう。これを治せるのは、やはり遠くの星から来たライブでなくてはいけないのだろう。
「ねえ、ライブってここで流行り病が広がったから、それを治すために来たんだよね?」
『いいえ、違います』
「じゃあ、別な目的でって事? 流行り病は事のついでで」
『そうです』
「ならその目的って?」
 すると、急にライブは黙り込んだ。別段変な質問をしたとも思えない。何か引っかかったのだろうかとライブの様子を覗うものの、ライブには表情が無いから何故黙っているのかは推測し難い。だから余計にその沈黙が不安になった。
「ねえ、ライブってば。何か言ってよ」
『アイラは知らない方が良いと思います』
「何よ、急にそんな」
『言葉のままです。幼少期の人間は、社会を理解出来るほどの多様さが形成されていません。それを無理に理解しようとすれば、時に矯正不能の歪みを引き起こします。よって、アイラは私の素性を知るべきではありません』
 ライブの事を知るだけで、私自身が歪んでしまう? 初めて聞く理屈に私は少し戸惑った。
 以前からライブの言葉は理解に苦しむほど難解なものが多かったけれど、今回のはそれらにも増して一段と奇妙だった。ライブは空にある星の一つからここへやって来て、今ここで広がっている流行り病を治そうとしている。でもそれをしているのは事故か何かの不測の事で、本来は別の目的で来るはずだった、穿った見方をすればそう言っているようにも聞こえる。
 本来のライブの目的とは何なのだろうか。ライブは随分と時間を気にしていたけれど、それが何か関係するのだろうか?
 どうにかしてライブの目的を聞き出したかった。だけど、ライブは何度同じ事を訊ねても何度も同じ答えを返すだけである。だからこれ以上この質問を繰り返した所で徒労にしかならない。何かの機会が無ければ聞き出すことは出来ないだろう。
 私はライブを問い詰める事はよしておき、その日は日が暮れるまで他愛も無い雑談をし家へ帰った。また今日も念のため勝手口から母屋の様子を伺ったが、相変わらず静まり返ったままで義母や義姉の姿は見られなかった。何となく私はこれをおかしいと思った。私を無視してと言うより、人気そのものが無いように感じるのだ。まさか流行り病にかかって、ベッドから動けないような状態になっているのだろうか。だから朝も勝手口に現れなくなったのではないか。そう色々と想像してみるが、わざわざ確かめようという気にはならなかった。やはりどうしても、勝手に母屋に入って叱られるのが怖いのだ。
 その晩も昨夜と同様に、市場で貰った保存食を夕食にしてからベッドへ入った。そして翌朝、またいつも通り母屋の勝手口に来たが、やはり義母も義姉も姿を現そうとはしなかった。体調が悪いのか、それとも私にパンを食べさせたくないのか。怒るべきか悲しむべきか、私はまだ揺れていた。何かを決心するほど状況が明確では無いのだ。
 ちゃんと確かめられれば良いのだけど、どうしても母屋に入るのは怖くて中々足が踏み出せない。そこで玄関の方へ回り、窓から家の中を覗き込んでみた。玄関の両脇にある窓はそれぞれ、居間とキッチンになっている。どちらも生活する上では欠かせない部屋だけれど、やはり人の姿は見当たらなかった。やはり、二人とも寝室で休んでいるのだろうか。もしもそうなら、病気で動けなくなっているかもしれないから、直接行って確認しなくてはいけない。
 思い切って中へ入ってみよう。そう決心した私は、勝手口の方へ回ろうと飛び出した。が、その直後だった。
「あっ!」
 私は不意に何かに躓いて前のめりに転んでしまった。慌てるあまり足元に注意が足りなかった、と苦笑いしながら立ち上がり服に付いた土を払う。だがその時、私は意外なものを目にして思わず息を飲んだ。丁度玄関の前から、細長い溝が真っ直ぐ街道に向かって伸びている。私はこれに躓いたようだった。そして、幾つか散らばっている、消えかかった蹄の跡。昨日今日の跡ではないように見えた。最近雨は降っていないけれど、一度乾くとついた跡は中々消え難いのだ。
「これって……」
 馬車がここを通った跡である。それも、轍の深さから推測する限り、荷物を積んだ荷馬車だ。家には荷馬車で運ばなければならないほど大きな何かを買う余裕は無いはず。かと言って、家具を売らなければいけないほど困っている訳でもない。
 それでは、これは何の跡なのか。
 まさか。
 すぐさま私は玄関へ向かっていき、ドアを思い切り引いた。鍵の固い拒絶を期待していたけれど、ドアは訳も無く簡単に開いた。そして、玄関へけたたましく入っても一切物音の立たない家。私は、頭から背中から一気に毛穴が開き汗が流れ出すのを感じた。それは熱と悪寒を一度に味わうのにも似ていて、段々と締め付けられるような息苦しさが込み上げて来た。
 直後、私は家中を駆け巡った。何を見つけ出すという明確な目的は無かった。ただこうして漠然と探し回っていれば、私の悪い予感を覆す何かが見つかるような気がしたのだ。それに、ただじっとしていられなくなったという焦りもある。
 どれぐらい繰り返したのだろうか。やがて私はへとへとになって、何と無く足の向いた、昔はお父さんが寝ていた部屋に座り込んだ。今は物置にされているのか、足の折れた椅子や汚い花瓶などが置かれていて、とても埃っぽかった。そこに座ると埃に塗れるけれど、今はそんな事を気にも留めなかった。
 全ての部屋を、大音を出しながら確かめた結論である。家の中は、全くのもぬけのカラになっていた。