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 この地方一帯を治める領主様のお屋敷は、町からはそう遠くない小高い丘の上にある。調度そこから町を一望出来るという話を聞いた事はあるけれど、私はまだ実際に目にした訳ではない。勿論、領主様のお屋敷にそんな理由で近付く事など出来ないからだ。
 渓谷から街道に入り町へと到着する。町の様子は以前にも増して、一段と人の行き来が無くなり寂れた印象が強まっていた。それだけ大勢が流行り病で死んだのだろう。かろうじて生き残っている人も、病気をうつされる事を恐れて家の中へ閉じこもっているようだった。
『心配する必要はありません。説明した通り、アイラは感染も発症もしないのですから』
「う、うん。分かってる」
 自分は流行り病にかかる心配は無いけれど、それでも町の澱んだこの空気にはどうしても身構えてしまいたくなる。悪臭もさる事ながら、何か黒い霧のようなもやがかかっているようで、夜に峠を通る時に抱く言い知れぬ不安感に良く似ていた。
 スカーフで口元を覆い、町の中へと入って行く。大通りへ出て真っ直ぐ北を目指す。町には今入って来た西と領主様の屋敷がある北の二カ所に出入口がある。思い返してみると、北側はお金持ちの家が多く立ち並んでいるだけなので、そういう所に用事の無い私にとっては初めて行く場所だった。
 北門を抜けると、目の前には小高い丘とその前を別の街道が横切っている。その十字路から丘のてっぺんまで、真っ直ぐ広い道路が続いていた。街道とは違って、でこぼこもなければゴミ一つ落ちていない綺麗な道である。領主様の通る道なのだから、いつも整備されているのだろう。
 道を登り初めて間もなく、丘の上に建つ領主様のお屋敷が見えてきた。真っ白な外壁をした珍しい三階建ての建物で、青い屋根と建物の周囲を囲む銀色の鉄柵が実に印象的である。町があんな有様だけれど、さすがに領主様のお屋敷だけは綺麗で陰気さが無く堂々としているように見えた。
『緊張していますか、アイラ?』
「それは、まあ……。だって、普通の人はこんな所に来ないもの。ライブは平気なの?」
『私には緊張という概念がありませんから』
 ライブの普段と変わりのない口調に、緊張していないなんて羨ましいと思った。ライブにとってここは他所の星なのだから、そこの領主にしても王様にしてもさほど変わりはないのだろう。
 しばらく道を昇って行き、やがて屋敷の正門が見えてきた。正門は立派な石造りで大きな門が固く閉ざされている。そしてその前には、鎧を着た番人らしい人達が槍を持ってずらりと並んでいた。思わず引き返したくなるような物々しい雰囲気である。儀礼用の槍では無いにしても、流石に子供相手には使って来ないだろうとは思うけれど、普段目にする事の無い武器を目の当たりにする緊張感は、言葉では言い表せないものがある。
「こらっ、そこの子供! こんな所で遊ぶんじゃない!」
 向こうも私の姿を見付けてすぐ、門番の一人が私に向かってそう怒鳴った。
『進んで下さい』
「分かってるよ」
 思わず足を止めそうになり、直前にライブがそれを見越したかのように注意をしてきた。時々ライブは心の中を覗いているのではないかと疑いたくなる事がある。ともかく、私はライブに言われるまでもなく、緊張と怖いのとを押し殺して出来る限り淡々と前へと進み正門の前へ立った。
「あの、私、領主様にお会いしたいのです。何とか取り次いで貰えないでしょうか?」
「はあ?」
 門番は眉を潜め露骨に面倒臭そうな表情で問い返した。子供がこの時勢にこんな所に来ただけでも腹が立つのに、更に面倒になりそうな事を言って来た、そう顔に書いてあるかのように私には伝わって来た。
「とても大事な事なのです。今、この辺りで広がってる流行り病を治す方法があるんです。でも、あまり時間が無くて」
「またそれか。あのな、同じ事を言う奴が毎日此処に来てるんだ。領主様はいちいちそんなの相手にはしてられないんだよ」
「でも、これは本当なんです! 本当に流行り病を治せるんです!」
「分かったから、怪我しない内にさっさと帰れ。憲兵に連れていかれたいのか?」
 門番の冷たい対応は初めから覚悟してはいたけれど、いざ受けてみるとうっかり泣いてしまいそうなほど辛かった。こうなるから来たく無かった、という本音が漏れそうになる。だけど、何とか説得しなければ領主様に面会は出来ないのだから、私はくじける訳にはいかない。
「それでは、本当に治せるという証拠をお見せします」
「ほう? 何だよ。その箱に薬でも入ってるのか?」
「いえ。これは神様の使いです」
「神様だ?」
 馬鹿馬鹿しいと言わんばかりの表情と、鼻で笑う態度。門番達は誰も信じていないのは明らかだった。けれど私はここで怯まず、一歩前へ出てライブを少しだけ掲げた。
『初めまして。この屋敷の警備員と御見受けしますが』
 おもむろに話し出すライブ。けれど、門番達は一瞬顔を見合わせただけで、首を傾げただけだった。
「なんだ? 今のはお前が喋ったのか?」
『話しているのは私です。周囲の音声は逐次集音しておりますので、お気遣い無くお話下さい』
「お気遣い無くって、分からんな、隠れて喋ってるだけじゃないのか?」
『いいえ、発声しているのは私です。あなたの目の前の箱状の物体がそうです』
「……なんだこれ?」
 そこでようやく、この声を出しているのが私ではなく、私の持つ箱である事に気付き始めた。けれど表情がまだ疑わしく納得していないようで、箱が喋るなど有り得ないという様子である。