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 大原氏の実家は、奥之多町の中心からタクシーで十分ほど郊外へ向かった所にあった。町と町を繋ぐ国道の途中で、舗装されていない砂利道をしばらく進んだ所に建つ、古めかしい一軒家である。周囲は文字通り木しか見えず、森の中に住んでいると言っても良いような環境である。街灯も一つとして無いのだから、夜になればそれこそ昨夜のように周囲は真っ暗で足元も見えなくなるだろう。夜中に、小腹が空いたからと気軽にコンビニへ出掛けるような事とはまるで無縁そうだ。
 早速玄関の呼び鈴を鳴らしてる。しかし何度鳴らしても一向に中からの反応がない。大原氏は確かに連絡したと言っていたのだけれど、何か行き違いでもあったのか。
 戸に手を掛けてみると鍵は掛かっておらず、するりと開いてしまった。中からは人の出てくる気配は感じられない。出掛けているのかとも思ったが、鍵も掛けずにそれは考えにくい。まさか田舎でも、そこまで無用心でもないと思っているのだが。
「あの、すみません。こんにちは、蘇我という者ですが」
 開けた戸から中に向かってそう呼び掛ける。しかし返事は無かった。声が届いていないのかと、今度はより大きな声を掛けてみる。けれど、それでも返答はない。
 やはり留守にしているのだろうか。しばし考えた後、一旦状況を大原氏に説明する事にした俺は、玄関の戸を閉めると砂利道の方へと出て携帯を取り出す。しかし電波が悪いのか、アンテナの表示が一本とゼロ本を行ったり来たりしている。どこか安定している所は無いかと、携帯を見ながら辺りをうろついていた時だった。
「あら、どなたですか?」
 不意に道の脇から声を掛けられて立ち止まる。道脇の林の間にある更に細い山道に一組の老夫婦の姿があった。
「あ、おはようございます」
「もしかして蘇我さんですか?」
「はい、そうです」
「ああ、そうでしたかそうでしたか。いや、申し訳なかったです。今、丁度畑さ居だもので」
「こちらも今さっき着いたばかりですから」
 老夫婦は土で汚れたシャツに麦わら帽といった、農家と聞いて連想する如何にもな格好をしていた。しかし、お約束ではあるけれど二人とも面を被っていて素顔は晒していない。やはり、その一点についてはこの家でももちぐはぐである。
「さ、どうぞ。上がってけらい。母ちゃん、お茶出してけれ」
「すみません、失礼します」
 二人に促されるまま再びあの家に案内され、すぐさま茶の間へと通された。まだ張り替えたばかりなのかまだ青さの残る畳で、その上に薄くて固い夏用の座布団を出される。茣蓙を折り畳んだような感触なので蒸れにくく、今の季節には丁度良い座り心地である。茶の間には冷暖房の類いはついていなかったが、羽の大きな扇風機と、後は窓を開ければ森の方から涼しい風が入って来るので、十分に涼む事ができた。東京では考えられない夏の凌ぎ方だと思う。
「蘇我さんは、記者さんだそうで。どちらから来られたのすか?」
「連山町です。まだまだ駆け出しの記者ですから、自分から記者と名乗るのも恥ずかしいですが」
「いやいや、お若いのにちゃんとされてますごど。それで、祭りの由来さ調べてるんでしたっけね。まあ、私も年取って大分物忘れが酷くなってきてるけんとも、何とかお力になりましょう」
「ええ、宜しくお願いします」
 早速荷物の中から雑記帳と録音機を取り出し、許可を得た上で会話の録音を始めた。
 大原氏の父は、当初思っていたよりもずっと明瞭な喋り方をしていた。大原氏はボケていると言っていたけれど、服装からして畑仕事は常々しているようだし、さほど重い症状ではないのかもしれない。
「雑誌の記者さんでしたっけ。まあ、わざわざこんな田舎まで来なすった」
「仕事柄よく出張はしていますから」
「それで、おらほの死人祭りの事さ調べに来たんすか。だけんとも、まず何から話せば良がすぺ」
「えっと、まずは祭りの由来など教えて戴けますか」
「由来かあ。私の死んだ親父の話ではな、元々この祭りってのは神様のために始めたものなんだそうだ」
「神様の、ですか?」
「んだ。ここいらの土地神様は、何でも大層な遊び好きでな。それで祭りをやると、お面こさ顔隠して祭りにこっそり混ざるんだど。みんなして面こするには、その名残なんだべな」
 それは時折聞く祭りの由来とほぼ同じである。しかし、今の祭りは意味合いが神から故人へと変わっているように俺は感じた。それには何か理由があったのだろうか。そこをもう少し掘り下げたい。
「どうぞ、こんなものしかありませんけども」
「恐縮です。ご丁寧に」
 その話の途中で、大原氏の母が冷たい麦茶と茶菓子を持って来てくれた。今日は特別体を動かした訳ではないけれど、やはり外が暑いせいか冷たい麦茶は非常にありがたかった。面を少しずらして、氷のたっぷり詰まったコップの麦茶を一口飲む。ただでさえ涼しい茶の間だっただけに、更に冷たいものを飲んだおかげで、汗も暑気もすっかり引いてしまった。ただ、あまりに麦茶が冷た過ぎたせいで、額の奥に軋むような痛みが走った。
「ところで、どうしてこの祭りは死人祭りと呼ばれるようになったのですか? 今の話では、神様しか出ていませんが」
「ああ、この神様なんだがな。実は祭りには一人っこで来る訳じゃねえんだ」
「一人じゃない?」
「んだ。神様はこの辺りの人の生き方とか行いを常々見張ってでな、ちゃんとしてだ人しか祭りさ連れて来ねんだ」
「生前に良い人だったか悪い人だったかを選別してるという事ですか?」
「まあ、閻魔様みたいなもんだな。だから大人はわらし共さ向かって、悪戯ばっかりしてっと祭りさ呼んで貰えねぞって脅かす訳さ」
 つまり死人祭りというのは、盆の供養の他に子供の教育にも一役買っていたという事なのだろう。娯楽の少ない昔であれば、祭りそのものは数少ないイベントの一つであっただろうし、それに参加出来ないとなると子供は必死になるかもしれない。
「実際の所、子供達はどうだったんでしょうか? 祭りのために悪戯をしなくなったりしましたか?」
「まあ、良くある事さ。祭りが近くなった時だけしおらしくなって、後終わってしまったらいつも通りさ。俺もそうだったし、親父も祖父様もだな。昔っからそうだったんだろうさ」
「一応、祭り自体はみんな楽しみにしていたんですね」
「祭りの時だけは、大人の言う事さ聞かなくていいっつう事になってるがらな。まあ、遊びたい盛りだとちょぴっとはしおらしくもなるさ」
 もしかすると夜這いのような風習は、そこに由来して派生したのかもしれない。最低限の分別がなければ参加する資格が与えられないとか、そういったルールがあってもおかしくはないだろう。